ところで能『春日龍神』にはナゾがいっぱいあります。
たとえば前シテ神主が後シテ龍神の化身ではないこと。中入で「我は時風秀行ぞとてかき消すやうに失せにけり」と言っていますが、時風秀行とは中臣時風、おなじく中臣秀行の事で、春日大社の一の社の祭神である武甕槌神が常陸国・鹿島神宮から春日山に遷ったときに供奉した二人のことです。能ではシテは一人で登場するのですが、「時風秀行」を一人の人物と作者が誤解したか、もしくはすでに神格化した二人を登場させるのに、あえて具体性を排除しようとしたのか、のどちらかでしょう。ちなみに「龍女之舞」の小書がついたときは、前シテと同装ながら直面の前ツレが登場します。
武甕槌神がはるばる鹿島から奈良にやってきたときには、空中を飛び翔ったのではなく、白鹿に乗って遷られたのだそうで、さてこそ人間である時風・秀行も随行する事ができたのでしょう。白鹿はすでに春日の野山に繁栄していた鹿の群れの中に交じって子孫を増やし、時風・秀行は春日大社を守ったようで、代々春日大社の神主は中臣氏で、この二人の子孫なのだそうです。
そして後シテは春日明神が明恵に見せた釈迦の法会に参会し、または守護した八部衆の代表としての龍王です。なぜ前シテと後シテが別な人格なのでしょうか? そして前場で龍神の出現にまったく触れられていないのはなぜ?
この能で明恵の前で奇跡を起こすのは、じつは前シテの時風・秀行ではなく、後シテの龍神でもなく、春日明神なのです。ここはどうしても忘れがちなのですが、じつはこの能では重要なポイント。この能は明恵と春日明神との対話で進行している能なのであって、時風・秀行も、八大龍王も、明神のメッセンジャーであり、明神が示した釈迦の説法の場の再現の場面では、どちらも明恵と並んでその享受者だといえるでしょう。この能の主人公は春日明神その人(?)であり、その神威を舞台の上で示すことが切能としての『春日龍神』のテーマだと考えられます。さてこそ『春日龍神』は「主人公が登場しない能」だと言えると思うのです。
このへん、文殊菩薩が登場しないでその乗り物である獅子が登場する『石橋』と構想がよく似ていますね。『石橋』では後シテの獅子が舞台狭しと大暴れして、お客さまも激しい舞を堪能されるのですが、作者の意図は別にあると考えられて、獅子が退場し、地謡も囃子も退場したそのとき、舞台に文殊の浄土の静謐な世界が立ち現れるのです。これは ぬえの発見ではなく、以前に研究者の方が語っておられたのですが、もしそれが本当に作者の意図だったとするならば、『石橋』という能は、演者にも観客にも無関係に、「終演した後にはじめて物語が完結する」という、おそろしく哲学的な能で、おそらく世界に例を見ない演劇だと考えられるのです。
『春日龍神』は、そこまで思索的な能とまでは言えず、むしろ「主人公」である春日明神も、その主人公の手によって現世に立ち現れた釈迦の世界も、あえて観客に見せない事によって、かえってその大きさを観客に想像させる事を狙った能だと思います。前シテも後シテも、あえて別人格のメッセンジャーを起用する事で、作者は神の多様性のようなものを見せたかったのではないでしょうか。
そしてまた、そうであるならば後シテは釈迦の法会に参会する八部衆のうちであれば、とくに龍神ではなくとも、どの神であってもこの能の目的は達成されるはずなのです。作者があえて龍神を取り上げたのは、明恵の前に突然繰り広げられるスペクタクルの興奮や、釈迦の一生をまるで早送りのように見せるスピード感を表現するために、きびきびと動く龍神は最も適した配役だったのでしょう。
もう明日に公演は迫ってしまいました。『春日龍神』を考察するのにちょっと時間が足りず、中途半端な考察になってしまった事をお詫びします。
個人的には、昨年勤めさせて頂いた『海士』について調べていたときに、その典拠とされている『讃州志度寺縁起』に、シテの海人によって宝珠を奪い返された龍王が猿沢の池に移り住んで興福寺に収まった玉の守護神となることを誓ったことが記されている事が、『春日龍神』の後シテとどうリンクするのか、とっても気になっているのですが。。これは今後の課題とさせて頂きます。
また、明恵について調べていて、この人は本当に魅力的な人だと思いました。これについてもご紹介したかったのですが。。
「今は はや十三になりぬ。すでに年老いたり。死なんこと近づきぬらん。老少不定の習ひに、今まで生きたるこそ不思議なれ」という言葉を残したり、草庵での修行中に「形をやつして人間を辞し、志を堅くして如来のあとを踏まんことを思ふ」と言って右耳を切り落とし、その翌日に文殊菩薩を感得したり。『大唐天竺里程書』を記してインドまでの旅行計画を立てたり(これが替間『町積』の原拠)、19歳から40年間に見た夢を正確に書き続けた世界で唯一の夢の日記である『夢記』を残したり。34歳の時に後鳥羽上皇より高山寺をたまわり再興していることから、国宝『鳥獣戯画』と関係があるかも知れない、とも考えられているようです。
これらもまた、日を改めて考えてみたいと思います。
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月(『明恵上人集』)
たとえば前シテ神主が後シテ龍神の化身ではないこと。中入で「我は時風秀行ぞとてかき消すやうに失せにけり」と言っていますが、時風秀行とは中臣時風、おなじく中臣秀行の事で、春日大社の一の社の祭神である武甕槌神が常陸国・鹿島神宮から春日山に遷ったときに供奉した二人のことです。能ではシテは一人で登場するのですが、「時風秀行」を一人の人物と作者が誤解したか、もしくはすでに神格化した二人を登場させるのに、あえて具体性を排除しようとしたのか、のどちらかでしょう。ちなみに「龍女之舞」の小書がついたときは、前シテと同装ながら直面の前ツレが登場します。
武甕槌神がはるばる鹿島から奈良にやってきたときには、空中を飛び翔ったのではなく、白鹿に乗って遷られたのだそうで、さてこそ人間である時風・秀行も随行する事ができたのでしょう。白鹿はすでに春日の野山に繁栄していた鹿の群れの中に交じって子孫を増やし、時風・秀行は春日大社を守ったようで、代々春日大社の神主は中臣氏で、この二人の子孫なのだそうです。
そして後シテは春日明神が明恵に見せた釈迦の法会に参会し、または守護した八部衆の代表としての龍王です。なぜ前シテと後シテが別な人格なのでしょうか? そして前場で龍神の出現にまったく触れられていないのはなぜ?
この能で明恵の前で奇跡を起こすのは、じつは前シテの時風・秀行ではなく、後シテの龍神でもなく、春日明神なのです。ここはどうしても忘れがちなのですが、じつはこの能では重要なポイント。この能は明恵と春日明神との対話で進行している能なのであって、時風・秀行も、八大龍王も、明神のメッセンジャーであり、明神が示した釈迦の説法の場の再現の場面では、どちらも明恵と並んでその享受者だといえるでしょう。この能の主人公は春日明神その人(?)であり、その神威を舞台の上で示すことが切能としての『春日龍神』のテーマだと考えられます。さてこそ『春日龍神』は「主人公が登場しない能」だと言えると思うのです。
このへん、文殊菩薩が登場しないでその乗り物である獅子が登場する『石橋』と構想がよく似ていますね。『石橋』では後シテの獅子が舞台狭しと大暴れして、お客さまも激しい舞を堪能されるのですが、作者の意図は別にあると考えられて、獅子が退場し、地謡も囃子も退場したそのとき、舞台に文殊の浄土の静謐な世界が立ち現れるのです。これは ぬえの発見ではなく、以前に研究者の方が語っておられたのですが、もしそれが本当に作者の意図だったとするならば、『石橋』という能は、演者にも観客にも無関係に、「終演した後にはじめて物語が完結する」という、おそろしく哲学的な能で、おそらく世界に例を見ない演劇だと考えられるのです。
『春日龍神』は、そこまで思索的な能とまでは言えず、むしろ「主人公」である春日明神も、その主人公の手によって現世に立ち現れた釈迦の世界も、あえて観客に見せない事によって、かえってその大きさを観客に想像させる事を狙った能だと思います。前シテも後シテも、あえて別人格のメッセンジャーを起用する事で、作者は神の多様性のようなものを見せたかったのではないでしょうか。
そしてまた、そうであるならば後シテは釈迦の法会に参会する八部衆のうちであれば、とくに龍神ではなくとも、どの神であってもこの能の目的は達成されるはずなのです。作者があえて龍神を取り上げたのは、明恵の前に突然繰り広げられるスペクタクルの興奮や、釈迦の一生をまるで早送りのように見せるスピード感を表現するために、きびきびと動く龍神は最も適した配役だったのでしょう。
もう明日に公演は迫ってしまいました。『春日龍神』を考察するのにちょっと時間が足りず、中途半端な考察になってしまった事をお詫びします。
個人的には、昨年勤めさせて頂いた『海士』について調べていたときに、その典拠とされている『讃州志度寺縁起』に、シテの海人によって宝珠を奪い返された龍王が猿沢の池に移り住んで興福寺に収まった玉の守護神となることを誓ったことが記されている事が、『春日龍神』の後シテとどうリンクするのか、とっても気になっているのですが。。これは今後の課題とさせて頂きます。
また、明恵について調べていて、この人は本当に魅力的な人だと思いました。これについてもご紹介したかったのですが。。
「今は はや十三になりぬ。すでに年老いたり。死なんこと近づきぬらん。老少不定の習ひに、今まで生きたるこそ不思議なれ」という言葉を残したり、草庵での修行中に「形をやつして人間を辞し、志を堅くして如来のあとを踏まんことを思ふ」と言って右耳を切り落とし、その翌日に文殊菩薩を感得したり。『大唐天竺里程書』を記してインドまでの旅行計画を立てたり(これが替間『町積』の原拠)、19歳から40年間に見た夢を正確に書き続けた世界で唯一の夢の日記である『夢記』を残したり。34歳の時に後鳥羽上皇より高山寺をたまわり再興していることから、国宝『鳥獣戯画』と関係があるかも知れない、とも考えられているようです。
これらもまた、日を改めて考えてみたいと思います。
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月(『明恵上人集』)
ところで、配役は「龍神」でないといけない理由があると思います。
明恵上人ゆかりの「華厳宗祖師絵伝」は恋に破れた善妙が龍となって義湘という高僧を守るという話です。
明恵上人のインド行きを阻止したのは、春日明神が憑依した湯浅宗光の妻です。これは実際にあった話で「明恵上人神現伝記」に記載されているそうです。
磯部隆名古屋大学教授は「華厳宗祖師絵伝」は明恵上人を義湘に、湯浅宗光の妻を善妙に見立てていると解釈されています(華厳宗沙門 明恵の生涯)。私もそういう側面もあると思います。
つまり、龍神=善妙=湯浅宗光の妻だと思います。