ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

演劇倶楽部「座」の役者さんに謡の稽古(その5)

2010-08-31 07:48:04 | 能楽
週末に新潟で薪能がありました。最近は薪能の催しも減っているので ありがたい事ではありましたが…暑かった! お囃子方の紋付が汗で色が変わっていました…。

その日は新幹線で深夜に東京に帰り、翌日は朝から伊豆で稽古がありまして…。こちらは夕方になる前に終えましたのですが、東名高速がまさかの事故渋滞で、結局この日も深夜に東京に帰り着きました。で、翌日がまた朝から晩まで稽古があって、ってスケジュールだろう?…さすがの ぬえも ちょいと身体にこたえたねえ。(←『歌行燈』風に読むこと)

ところで演劇倶楽部「座」の役者さんが『歌行燈』を演じるために、その謡の稽古をつけ始めた ぬえではありますが、なんと今年は「歌行燈 成立100年」という年なんですってね。

そこで、泉鏡花の出身地である金沢にある「泉鏡花記念館」で、折もおり、「鏡花と能楽」という企画展示が現在開催されています。

泉鏡花記念館
企画展「鏡花と能楽」

泉鏡花が宝生流の能楽師の親戚だということは有名なのですが、出身が金沢ならば納得もできます…ぬえ、金沢には行ったことがないなあ。前田家の影響で民間にも宝生流の謡が広く浸透していたという金沢。一度行ってみたいもんです~

次に、『歌行燈』の書評を調べていて、こんな記事を見つけました。

『歌行燈』書評

ははあ、やっぱり小説に登場する能楽師にはモデルがいるのですね。吉田精一さん(←懐かしいお名前だ…)と中日新聞の紹介に、そのモデル像について見解が分かれていますが、恋仲となった日本舞踊家の女性に仕舞を教えたから、という理由で能楽界から追放されたという木村安吉の話に興味を引かれました。

明治期には能楽界もこれほど閉鎖的であったのあ、と現代人の目から見れば驚かされますが、この木村安吉の恋のお相手となった日本舞踊家とは七々扇小橘(ななおうぎ・こきつ)という方で、安吉とは不幸にして死別してしまいますが、後には横浜の大師匠と呼ばれた方のようです。

開港ハマ踊りの大師匠

小橘には襲名により複数の人物があるようですが、Wikipediaを見てみたところ、上記サイトとは異なったことが書かれていて、少しく混乱があるようですが…

(参考)七々扇流(Wikipedia)

ふうん…近代の能楽史の中にも、まだまだ知られていない物語があるものですね~。今回は時間がなくて、ネットで調べたことを中心にご報告までさせて頂きました。m(__)m

…と思ったら、最後にこんなブログを発見しました。木村安吉の、兄の、ひ孫さんに当たる方のブログです。

月の香り、花の音色

木村安吉のお墓は横浜にあって、小橘もその傍らに寄り添っているのだそうな…(!)

伊豆での稽古~(8/21)

2010-08-28 02:29:46 | 能楽
さて先週末になりますが、子ども能の稽古に伊豆に行って参りました。朝9時からの稽古だったのですが、前日午後に現地に入って、Tシャツのプリントをしてくれる専門店に行って来ました。

へへっ、じつは子ども能では、以前からユニフォームになっているTシャツがあるんです。黒地で背中にでっかく「狩野川薪能」と書いてあるのがそのユニフォーム。 (^◇^;) 以前には子ども能はこの「狩野川薪能」…ぬえがシテを勤める玄人能と、狂言の公演…それに先立って上演されていました。そのイベントの宣伝も兼ねて、スタッフに配られたのがこのTシャツで、主催者の計らいで子どもたち用の小さいサイズのTシャツも作られて、子どもたちに配られたのでした。

その後「狩野川薪能」はホール能「狩野川能」になり、また今年からは子ども能はその「狩野川能」からも離れて独自の道を歩むようになったわけですが、なんとなくこのTシャツは子どもたちの団結の証しみたいになっています。稽古の際には必ずこのTシャツを着て現れる子。ぬえも みんなで花火大会を見に行くときはこのTシャツを着て集まろう! と子どもたちに呼び掛けたりしましたし、ぬえ自身も、自分の分のTシャツは、もちろん稽古や催しの当日には着るようにしています。

ところが、さすがに10年も催しを続けているうちには、そのTシャツもなくなってきてしまいまして。去年は残りわずかとなったTシャツを、その年にはじめて参加した子どもたちに分けてあげて、それでTシャツはすべてなくなってしまいました。その残されていたTシャツも、もうサイズがXLLとか…とても子どもが着れるサイズではない物ばかり残されていて…それでも去年は、お母さんががんばって、XLLサイズのTシャツを小学校3年生の女の子が着れるように仕立て直したり(!)、プリントの部分だけを切り取ってアップリケのように他のTシャツに縫い込んだりして、ユニフォームの体裁は整っていたのです。

で、今年。もうすでにTシャツはないのですが…そしたらお母さんの一部から提案がありまして、それならば新しく「子ども能Tシャツを作ろう!」という機運が盛り上がってきたのです。お母さん方もいろいろ調査して、どうも伊豆の国市内にTシャツのプリントをする専門店があるらしい、とのこと。それで ぬえが稽古の前にそのお店に偵察に行ってきた、というワケです。

えらい山道の奥にそのお店はありましたが、聞いてみればこの「狩野川薪能Tシャツ」もこのお店で作られたものなのですって。当時は市の事業としてのイベントのTシャツですから、100枚以上が作られたのだそうです。さて今回の新調についていろいろとデザインのことや価格の打合せをしましたが、ああ、意外に安くできるものなのですね。早速カタログや見積もりなどを頂いて、翌日の稽古の際にお母さんと打ち合わせることにしました。

さて迎えた翌日。早朝からの稽古なのでお母さん方にも手伝って頂いて、子ども能に使う道具などを稽古場に運び込んだところ…お母さんから ぬえに、「あれ、このケースの底に、まだ薪能Tシャツが残っていますよ?」「ええ??」…見てみたところ、数枚の、それも子どもサイズのTシャツが、稽古道具を納めたケースの中から出てきました。

「なあんだ」というわけで、Tシャツはすぐに今年はじめて子ども能に参加した子どもたちに配って、今度こそ本当にTシャツのストックはなくなりました。子どもたちは喜んでいたけれど…新しいTシャツは?? 背中に大きく「舞」という字を入れて、「Izunokuni Kids Noh School」なあんて入れようか! とお母さん方と盛り上がった新しいTシャツは?? (×_×;)

一日で盛り上がり、一日でしぼんだ…そんな感じでしたね~。新調Tシャツのゆくえや如何に…

演劇倶楽部「座」の役者さんに謡の稽古(その4)

2010-08-26 01:45:14 | 能楽
さて今回 ぬえが謡と小鼓のお稽古をさせて頂くことになった演劇倶楽部「座」の事務所は新宿にありました。

そこで、来年上演されるという「詠み芝居」『歌行燈』の出演者である内山森彦氏(捻平=小鼓の名手・辺見雪叟役)、高野力哉氏(門付け=恩地喜多八役)、相沢まどか氏(お三重役)と初めてお目に掛かりました。不勉強な ぬえは同じ舞台芸術といっても能のほかの世界を とんと知りませぬもので…どなたも ぬえには初めて聞くお名前の方ばかりで、座長の壌晴彦氏ともご挨拶致しましたが、こちらも ぬえは失礼にも存じ上げず…(・_・、)

ともあれお稽古は『歌行燈』に出てくる能『海士』の「玉之段」限定で、雪叟の打つ鼓、喜多八の謡、そしてお三重の仕舞のお稽古をつけることになりました。主役の弥次こと恩地源三郎役の真船道朗さんは狂言方として能の公演にも出演されていた方なので、ぬえの稽古は必要ないでしょうが、そのほかの出演者は…昨年すでに初演は済まされておられるとは言いながら、やはり謡も舞も鼓も初心者であることには変わりはなく…鼓や舞は、習得されるのが才能ある役者さんたちでもあり、時間を掛ければ何とか形になるでしょうが、問題は謡の発声ですね。

…たとえばテレビの時代劇などで結婚式…祝言の場面になると、やはり『高砂』の待謡がよく謡われるのではありますが、ん~…正直言って、聞いているのがとってもつらいです…。いえ、決して ぬえはそこに登場する俳優さんの才能の稚拙を申しているのではなくて、ぬえたちが書生時代を「身体を作る期間」として研鑽してきたように、能ではもうずっと長い伝統に裏打ちされた、基本的な「身体」というものが前提とされて、その上で作曲がなされているのであって、その前提が崩れると、とたんに能の節付けは魅力を失ってしまうのですよね。音程や強弱・長短…そういった西洋音楽的な分析からは能の謡の本質には迫ることはできないと思います。僭越ながら 強いて ぬえに言わせて頂くならば、声のダイナミズムとか迫力…そうして、さらに役者の培ってきた年輪、というものを追求する方が、より「謡らしさ」というものに近づけるのではないかと思います。

そういった能の謡が要求する「身体」を、限られた時間でどうやって作って「謡らしさ」を発揮させるのか…これが ぬえに課せられた課題であるでしょう。ぬえは身体を作る書生時代を9年半勤めておりましたが、それを1年強という長時間とはいえ、ご自分のものとして習得して頂くのは、ぬえとしても初めての経験です。また一方、身体を作るのとは別に、上手に聞こえる「小技」というようなものもありますね。もとよりお相手はプロの役者さんですから、その鋭敏な感覚を信じて、謡「らしい」ものが作り上げられればいいな、と思っております。

さてこのお三人に稽古を始めたその初日…談笑もたくさんあって楽しい時間でしたが、3時間半も稽古しちまったい。(^◇^;)

で、お三人の役者さんの中で、お若い男性の方…高野力哉さんという方ですが、正直、その稽古のときも、ぬえはどの方がどの役を勤められるのか よく把握しておらず、この若い役者さんはどの役を勤められるんだろう…? なんて、ぬえはお稽古しながら考えていました。それを知らなきゃ、どなたに、何の芸を教えるのかわかりませんからね。

そう考えながら高野さんを見るに…とっても物静かな方で、むしろ控えめ…と言った方が近いようです。この人は…? この人は…? と考える ぬえ。そのうち「あっ」と思いました。事前に頂いた去年の『歌行燈』の公演のDVD…その中で ぬえが教えるような、謡を謡う若い役はただ一人…宗山を憤死させて勘当された恩地喜多八しかいないはずで…

勘当されたために、生活のレベルが天から地に墜ちた喜多八の、言うなれば無頼のような、そうして転落した人生を反映するような、ときに激情をほとばしらせる、その役を演じた俳優さんだったのですね。そんな鬼気迫る役どころを演じたのが、目の前にいる、この控えめな人なのか…

ふう~~~ん!! 人はこれほど人格を変えられるものなのか! いや、驚きです。能は、どちらかといえば役者の人格を殺して、少なくともナマの自分の印象は舞台に持ち込まず…ううん、難しいな。それは現代劇の役者も同じなのだが…能はもっと内部から発するオーラのようなもので演じるわけです。それが現代劇ではリアリスティックに、表面から人格を変えてしまうように演じるのですね。その違い…もさることながら、その完成度に驚かされた ぬえなのです。

いや、やっぱりプロはどの分野でもスゴいですね~! (#^.^#)


高野力哉氏ブログ

演劇倶楽部「座」の役者さんに謡の稽古(その3)

2010-08-24 10:46:26 | 能楽
泉鏡花の『歌行燈』はこんなあらすじです。

伊勢・桑名駅に降り立った老人二人。弥次、捻平とお互いをからかい半分に呼び合い人力車に乗り込み宿屋に向かった二人は、三味線を手に博多節を歌い流す門付けとすれ違い、ただならぬものを感じる。一方門付けは夜の寒さに 酒をあおろうとうどん屋に入るが、按摩の吹く笛の音を聞くと やおらおびえだす。老人たちは湊屋に宿を取ると、女中を相手に名物の蛤を肴に酒を飲むが、それまで膝栗毛の弥次郎兵衛をしゃれこんでいた一人は、相棒の喜多八を失ったことをふと寂しがる。

…按摩の笛に恐れる うどん屋の門付けの前にふと現れた按摩。驚いた門付けだったが、やけになったように按摩に身体を預け、仇を取れと言うと、かつて自分が一人の按摩を殺したのだと身の上話を始める…三年前の師走、江戸で羽振りの良いある叔父師匠の名古屋での興業の供で、帰りにこの伊勢に遊山に訪れたとき、人の噂にこの土地の古市に同じ道の名人の、宗山と名乗る按摩があると聞いた。しかも当地に妾を三人も持つ勢いで、東京の本職を軽蔑する言葉も出ると聞く。これを聞いて若気の一途で苛立ち、古市の宿に着くと叔父師匠が寝入った隙に宗山の家に案内を乞い、宗山の妾と見える茶を出した美しい娘を通じて宗山の咽を聞かせてほしいと頼むのだった。

…一方湊屋の老人たちは芸妓を呼ぶが、兵隊の送別会で出払っていて、ただ一人残されたお三重が座敷に呼ばれる…ところがお三重は三味線も唄も踊りもできずに厄介扱いされている娘で、座敷に両指を突いて泣き萎れる始末。老人たちは興醒めではあったが、お三重は能の舞の真似事ならば…と答える。驚いた弥次は、慰みにと舞を所望し、お三重は懐に袱紗に包んだ銀地の扇を取り出して謡い始める。「その時海士人申すやう。もしこの珠を取り得たらば…」そしてお三重が立ち上がったとき、そこまで舞を見るのに気乗りのしなかった捻平がそれを制した。明らかに動揺した弥次をよそに捻平は、荷物の中でそれだけを大切そうに床の間に置いた風呂敷包みを膝に置くと、その舞を教えた人物と、そのいわれを問う。お三重の語る身の上話…父を亡くし継母に売り飛ばされたお三重は散々の辛酸を嘗めた後、この新地の芸妓の置屋の女将に救い出された。同情して芸を身につけて見返せと女将に言われたお三重だったが、何の因果か少しも芸を覚えられない。と、ある夜、絶望するお三重のいる置屋の前を、なんともいえない良い声で博多節を唄う流しが通りかかった。女将に言われて心付けを渡すために通りに出たお三重は、この門付けを見るとその才能が羨ましく、つい手に縋って涙を流してしまう。お三重から事情を聞いた門付けは、置屋には神へ願掛けをする、と言って、毎日夜の明けぬうちに出て来るよう言った。それから五日間、門付けはお三重に舞の指南をして、これを持って座敷を勤めろ、芸なしとは言われまい、と言って舞扇を手渡して去った。お三重はその門付けの男を今も忘れられない想いでいる…それでも座敷でこの芸を披露するとお客は笑うやら怖じけるやら。中に謡の心得がある者が地を謡うと言い出したこともあるが、お三重が舞い始めると興醒めて止めてしまうと言う。やはり芸にはならぬのかと思ったお三重はそれきり舞を披露することはなくなった

…これを聞いた捻平は大笑すると、それほどの腕前では生半可な心得の者では相手は出来ないと言うと、久しぶりのお相手だと言って膝の風呂敷包みの中から小鼓を取り出すと、お三重に再び舞を所望した。じつはこの捻平こそ小鼓取って天下無双の達人、隠居して雪叟と号す辺見秀之進、弥次は当代一の能役者 恩地源三郎。二人は津の侯爵の招きで一調を勤め済ませて帰り道の遊山で桑名に来ていたのだった。

…さて門付けの うどん屋での身の上話は続いて、宗山の謡と正対する事ができると、その謡に膝を打って間拍子を入れる。その尋常ではない間に宗山の謡は翻弄され、ついに宗山は床にひれ伏して教えを乞う。若者を当流の大師匠 恩地源三郎の甥で養子の喜多八と見抜いた宗山を愚弄して蹴散らすように座を立つと、美しい妾の娘が引き留めるのを「人のおもちゃになるな」と言い捨てて振り切って宿に駆け帰ったのだった。叔父師匠には知られず宗山の鼻柱を叩き折った喜多八だったが、古市を発って二見に着いたところで宿屋に人が押し寄せている。聞けば宗山は、流儀に七代まで祟ると書き置きを遺してその夜のうちに憤死したのだった。その噂はたちまちに国中に広まり、当地の名人をそれほどに凌駕する技を聞きたい、と人々が押し寄せたと知った源三郎は激怒して、その場で喜多八を勘当し、今後一切謡を謡ってはならぬと言い渡した。それから門付けとなって諸国を巡る身となったが、気になる伊勢につい足を向けた。…ここで偶然にも宗山の妾の美しい娘…と思っていたのがじつは宗山の娘で、芸を覚えられずにつらい思いをしているのと出会って助けることがあって…さてこの桑名に着いた。ところがここで人力車に乗る不思議な二人連れを見て、遣りきれなくなってこの店に飛び込み、今度は身に苦い思い出のある按摩の笛の音に責められて身の上話をしているのだった。

…湊屋の座敷ではお三重の舞に勘当した喜多八の面影を見て動揺した源三郎も落ち着きを取り戻し、お三重に名乗ると、喜多八の嫁と思うぞと声を掛けて改めて舞を所望し、自分も地を謡う。雪叟も鼓を打つ。と、その鼓を聞いた喜多八は按摩の手をつかむと引きずるように立って湊屋の門口に立つ。源三郎の声がかすれ途絶えようとした時、我を忘れて喜多八が地を引き継いで謡う。この声を聞いたお三重が倒れようとするのを源三郎が支え、血を吐いた喜多八も按摩を宗山と呼んで支えさせ…人通りのない路の中で掛行燈の灯に謡い舞う人影だけが映りこんだ。

……

学生時代に読んだ時はちんぷんかんぷんでしたが、今よく読むと面白い小説ですね~。伏線もたくさんあって、それがクライマックスで一つにまとまる…構成もかなり練られています。そうしてなんと言っても話題の時間が重奏しながら一つの頂点を目指して少しずつ歩み寄っていく。最後は息をもつかせぬ展開ですが、そもそも語り口がとってもスピーディーに書かれているのだと思います。この複雑な場面展開を、脚色せずに小説そのままで演劇として演じるのはかなり大変なことだったろうと思いますが、頂いたDVDを見ると齟齬や場面展開の空虚さは微塵もない。今回はプロの技を見せて頂きました。

そうしてこの登場人物の役者さんたちに稽古を始めた ぬえですが、これがまた驚かされるようなことでして。

泉鏡花『歌行燈』全文

演劇倶楽部「座」の役者さんに謡の稽古(その2)

2010-08-23 00:08:39 | 能楽
で、まずはお稽古に伺う前に、頂いたDVD録画の 詠み芝居『歌行燈』を拝見しました。

ははあ なるほど、役者さんは登場するけれども、地の文を語る方がもうひとり、台本を手に舞台の右手前に着座しています。文楽の義太夫のような感じですね。そういえばこういう劇を見たことがある…と思ったら、ワキの高井松男さんがやっているお芝居を、ご招待頂いてセルリアン能楽堂で見たことがあるのですが、やはり高井さんは舞台とは別に、着座してト書きのようなところを語っておられました。こういう手法は ある種の定着をしているのかも。

ところがこのDVDで驚いたのがその語り…「詠み芝居」というからには「詠み手」というべきかも知れませんが、そのあまりに滑らかな口調…滑舌が おっそろしいほど良くて、言葉がクリアなんです。かなり早口にまくし立てる部分もあり、長丁場の語りもあり。それがまあ、見事に破綻なく言葉が続いて出てきます。たぶん息づかいに工夫があるのでしょうね。と、ぬえは感じました。

まあ、なんと言っても『歌行燈』は言葉が難解な小説ですが、なるほどこのように役者と語りとを人を分けて演じることで、俄然わかりやすくなりました。しかしこの滑舌の良さならば、語りだけでも立派に成立しちゃうのじゃないか? …と思っていたら、劇が終わったところでこの語りの方が挨拶をされていました。ははあ、なるほどこの確かな芸をもった方が座長さん…壌晴彦さんなのですね。すみません ぬえは現代劇のことはまったくわかりませんもので…

ほかにも、主役の方が…どこかで見たことがある人だな~、と思って見ていたのですが、最後にテロップが出て、その人が真船道朗さんだとわかりました。ああ、道理で。真船道朗さんは狂言・大蔵流で稽古をされておられて、以前はお舞台にもよく見えておられました。つまり本職ではないのだけれど、そのお師匠さんのお考えでセミプロのような立場で能楽の舞台にも立たれ、本狂言のアドや間狂言を勤められている方が時々おられるのです。こういう方は狂言方に多いように思いますが、シテ方にも地謡の要員として舞台に出る方があったり、ワキ方でもワキツレにはそういう方が出ることが、時折ですが、ありますね。その背景には能楽界の後継者不足という問題も複雑に影を落としているのですが…

しかし狂言方はちょっと事情が違っていて、演劇家の方がご自分の演技の幅を求めて(?)狂言を勉強される例がとても多いのです。こういう方はもともと才能を備えている方も多いのでしょう、能の舞台にも参加する例が割と多いのではないかと思います。

真船さんも、能楽堂では間狂言などを勤めておられる姿は何度かご一緒させて頂き、また本職が演劇家であるという事も ぬえは知ってはいました。それどころか、一度は同じように演劇家で狂言の舞台も勤めておられる人…つまり真船さんと同じ立場で、その意味で真船さんの友人でもある方に連れられて、真船さんが経営されていた居酒屋さん(?)にお邪魔したこともありました。

いずれにせよ役者として現代劇に出演する真船道朗さんを ぬえはついに拝見したことがなかったのですが、こんな形で拝見することになるとは…それが、驚くような上手さで、またまたビックリしました。後日 演劇倶楽部「座」に初稽古に伺ったときにそのお話をしたのですが、「あの方は名優ですよ」というお返事が返ってきました。は~、ぬえには知らない世界ですが、そんな有名な方だったのですか…

それと、このDVDを見ている時には思わなかったのですが、そこに登場している役者さんに稽古をつけ始めて、え?? と思うような驚きもまた、体験する事になるのでした。ん~、世界は広い…(←ぬえの見識が狭いだけですが…)

演劇倶楽部「座」サイト

すんまへん、悠さん、ぬえ何も知らないのでこれからもご教示くらはい~(・_・、)

演劇倶楽部「座」の役者さんに謡の稽古

2010-08-20 00:00:39 | 能楽
面白い体験をしてしまいました。

じつは3週間ほど前に 突然 林千永さんからメールを頂きまして…「はて? 林千永さんって誰だっけ??」と思った ぬえ。文面をよ~~く読んで、よ~~く考えたところ、かつて林千枝(はやし・ちえ)先生と名乗っておられた日本舞踊家の方でした。何時の間に改名されたんでしょ。

林千永先生とはもう長いお付き合いなのですが、林先生も ぬえも、ともにあるコンサートのお手伝いとしてご一緒していましたので、10年近く続いたそのコンサートももう2年ほど前からご無沙汰してしまいまして、それ以来お久しぶりにご連絡を頂いたのでした。

このコンサートも面白いものでしたね~。西村真琴さんという長唄のお師匠さんがおられまして、この方が日本に滞在する外国人にボランティアで三味線などを教えておられたのです。ふとした事から西村さんは ぬえの『道成寺』をご覧になって、それから ぬえにメールを頂戴しまして、そのような活動をされている方だと知ったのです。ぬえも西村さんの活動に傾倒して、ボランティアで西村さんの外国人の生徒さんに仕舞を教えたり、また彼らの発表会…「インターナショナル邦楽の集い コンサート」に出演しておりました。

考えてみればここでのお付き合いはいろんな形に発展しました。ぬえの師家の公演プログラムの英文解説をいま現在も手伝ってくれるアメリカ人がおられるし、ぬえがアメリカの大学で教えた際にアシスタントをしてくれたアメリカ人もいましたし、ぬえが外国人に指導している事を知った友人の紹介で漫画家の成田美名子さんと知己になり、『花よりも花の如く』の取材のお手伝いをさせて頂いたこともありました(←サンクスです>紫苑)。

この西村真琴さんのコンサートで林千永先生とはお近づきになったのですが、まあ上品で、そのくせ楽しい方で、お弟子さんもたくさんおられるのに ちっとも威張るところもなくて、なんだか ぬえは いっぺんで好きになってしまいました。

その後西村さんのコンサートも、外国人の生徒さんが減ったり、ご家庭の事情もあったりで 大きな催しは少なくなってきまして、ぬえもこのところ2年ほどはお手伝いに伺っておりませんで、それにつれて千永先生ともご無沙汰になってしまった、というわけです。

あらお久しぶり~ と思ってメールを読んでみると、なんと現代劇の劇団の役者さんに謡と鼓を教えてくれませんか? とのこと。ええ~?? 経験がないので ちと不安ではありましたが…でも ほかならぬ千永先生のお願いだし、なんだか面白そうなので、ふたつ返事でお引き受けさせて頂きました。

その劇団とは「演劇倶楽部 座」という名で…すみません、ひょっとしたら とんでもなく無礼なのかも知れませんが、ぬえ、現代劇の劇団や役者さんは まったく知らないので、この劇団も存じませんでした…、そして、なんでも「詠み芝居」という独特の形態のお芝居をしておられるのだそうです。

劇団は壤晴彦さんという方が主宰しておられ、日本語や日本伝統の身体表現の習得・体現に力を入れておられるのだそうです。そうして「詠み芝居」という、原作となる物語(主に近代文学)に脚色を入れず、役者によるセリフのほかに、地の文を読む語り手が登場することによって原作者の文体をそのまま舞台上に表現する独特の手法を確立されているのでした。

そして今回 ぬえがお手伝いすることになったのが泉鏡花の『歌行燈』。なるほど、老能役者(シテ方)と小鼓方…ともに名人が登場する小説です。その謡と鼓の指導をせよ、と、今回 ぬえは千永先生から仰せつかったのでした。

事前に、すでに去年初演を済ませている 詠み芝居『歌行燈』のDVD録画を見せて頂き、また台本も頂戴して、さて先日初稽古のために劇団事務所に伺って参りました。

伊豆での稽古~(続)

2010-08-18 01:25:25 | 能楽

まあ、長い10年間のあいだには色々なことがありましたね~。本当に子どもたちと一緒に汗を掻き、笑い、泣きもした(泣いたことも本当にあります)10年間でした。

そうして今年からは ぬえが中心となって子ども能を進めていくことになりました。それまでの経緯にはいろいろとイヤなこともあったけれど、ぬえの能楽師としての生命の、じつに半分を占めている、この子ども能で得た経験はかけがえのないものです。まさか子どもたちからこれほど学ぶことがあるとは思いもしなかったけれど、ぬえはこの子ども能を必ず守り抜くでしょう。

さて、そんなこんなで今年も稽古が始まりました。例年よりもかなり遅れてしまったけれど、子どもたちは毎年 ぬえが嫉妬する、あの記憶力の良さで確実に台本を覚えていきます。ぬえは台本と首っ引きで「そこは右に廻って…ええと、そうだったかな…いや、左だ。左に廻って…」…こんなもんです。台本を書いたのは ぬえなのに~(T.T)

そんで、どうも みんなまだまだ暗記に余裕があるようなので、地謡を勤める低学年の子どもたちには仕舞もお稽古を始めることにしました。それがタイトルの画像~。 これは1~2年生だけで構成したグループの仕舞の稽古の様子です。左から せりな(小1)、きらり(小1)、すみれ(小2)の3人ですが、これできれいな着物を着せたら最強だろう~! これに勝てる番組はありえない~(^◇^;)

…とか言っている間に、伊豆長岡の中のある地区の敬老会から 子ども能に出演のオファーが舞い込んできました!

敬老会で子ども能? と不思議に思った ぬえですが、これは子ども能んび参加している子どものお母さんが、その地区の役員さんに相談したところから実現したことなのだそうです。高齢の方を前にして子どもたちが創作能を演じ、そうして子どもたちのサポートとして舞台での実演を助けるお母さん方がある。要するに三世代の交流を図ろう、という、地区の青少年育成会の方々の思いと、神社の秋祭りでの上演の前に、なんとか子どもたちに人まえで舞台を踏む経験を積ませてやりたい、というお母さんの気持ちがうまく一致したのですね。お母さん、がんばりました。

問題はその敬老会がわずか1ヶ月先に開かれるということ(!)。例年、半年ほどかけて子どもたちは稽古を積んで舞台に臨んでいたので、これはあまりにも時間が少ない… ちょいと突貫工事になりそうですが、せっかくのチャンスですから、なんとか活かしていきたいと思っています。

これからは子ども能もこういう生き方をしてゆくことになるでしょう。市民に愛され、その身近にいる子ども能…いいじゃないですか。もともと、子ども能のあるべき姿だったかもしれませんですね~

伊豆での稽古~

2010-08-17 02:32:35 | 能楽
世間はお盆休みだったのでありますが、ぬえは相変わらずのお稽古三昧の日々でありました。

「三昧」といえば先日NHK-FMで「今日は一日プログレ三昧」という企画をしていましたですね。ぬえは知る人ぞ知るプログレ・ファンなので、とても楽しみましたです。と言っても年期こそ長いけれどコアなファンほどは知識がなくてすんません。まさかルネッサンスが来日するなんて、この放送を聴いて初めて知りました…だす。

さて先週は伊豆にて子ども能の稽古でした。ちょいと地謡の子どもたちに声を出させるうまい方法も考えついて、おかげで地謡は元気いっぱいに勤めてくれました。肝心の立ち方…5~6年生の高学年生ですが、こちらは これまた毎年声を出させるのに苦労します。さすがに恥じらいというものが出てくる年齢になってきますからね。ぬえも今回はちょっと大声を出して叱る場面もありました。

…そういえば毎年、夏に子ども能が終わるとしばらく子どもたちにも会わなくなって、そうして半年が経った頃に再び次の子ども能のための稽古を始めるのですが…子どもたちの変化…成長には毎年驚かされます。…大概それは、ぬえにとっては寂しい変化なのですけれどね。

本当にこの10年間で、子どもたちの変化については いろんな事を見てきました。前年に、本当に勉強熱心に地謡を勤める4年生の女の子。ぬえも感心して地謡のリーダーとして抜擢し、彼女も稽古のたびにクラスの友だちを引き入れて、新入部員が増える増える。これは翌年には大役…子ども能の役ではなく、ぬえがシテを勤める玄人能の子方のお役を与えてあげよう、と ぬえは思っていました。ところが…さて次の年の稽古始めの時に、この子は姿を見せなかったのです。

どうしたのかと心配した ぬえがご自宅に電話すると、なんでもご家庭に不運が続いて、とても子ども能に参加するような状態ではない、とのご返事… ぬえは前年の彼女の奮闘を讃えて、ぜひ子ども能には彼女の力が必要…いや、今年は ぬえのお相手として能の子方を勤めて欲しいと思っていたこと、月に2度しか伊豆に稽古に通えない ぬえとしては、この子に大役を任せるうえには、自習が大切で、そのためにはご家庭の協力が不可欠なこと、それだからこそ、彼女を中心として一つの目標に向かって家族が一丸となれる可能性もあるのではないか、と思うこと…という説得を試みました。

ご家族で話し合って頂いた結果、子ども能に参加してくれた彼女。ぬえも大喜びでしたが、さて稽古を始めてみると、まるで前年とは別人のようでした…あの勢いも、熱心さも…そうして笑顔さえ失ってしまったような…(T.T) そんな彼女を見て ぬえも怒鳴りつけるような事さえあって… そうして、苦しんで 苦しんで、ぬえも一緒になって泣いて、そうして彼女は本番では立派に! 舞台を勤めてくれました!

しかし ぬえを感激させたのは、そうして大役を終えて幕に引いてきた彼女を、子ども能の出演者が全員で拍手で迎えたことでした。もとより子方の稽古は子ども能の稽古とは別格で、子ども能の出演者が帰ってから、笑いがない厳しい稽古を課します。楽しんで稽古をする子ども能とは違うのです。こうした稽古で、子ども能の出演者と彼女とは稽古の場面では没交渉になりがち…それでも みんな、子どもたちは彼女の苦しみを知っていたのですね。たかだか10歳前後の子どもたちの、あの、言葉を超えた仲間への賞賛の拍手…その場では「お客さんに聞こえるよ!」と制止した ぬえでしたが…彼らのあの美しい心は一生忘れることはないでしょう。ぬえはこの時、能楽師になって本当に良かったなあ、と思いました。

海に花火に、そうしてお稽古!(その4)

2010-08-08 00:24:52 | 能楽
まあ、去年の子ども能は原典の『吾妻鏡』や『源平盛衰記』に割と忠実に台本を作ったので、これでちょっと ぬえの気も済んで (^_^; 今年は台本に大きく手を入れることができました。

今年は頼朝も最後に敵の大将・山木兼隆と一騎打ちになるし、そのまえの源平の郎党の合戦場面も、お客さんにちょっと笑いを頂けるように面白く作り替えてみました。そしてなんと言っても台本を半分ぐらいに削ったことが大きな変更でしょうか。これは今年の上演までの稽古日が少ないので仕方がなく短くした、という理由が大きく、そのために泣く泣く削った場面もあります。たとえば頼朝が挙兵を心に決めた時に北条政子が戦勝祈願のために神楽を奏する場面(これは史実ではないですが)。こういうところは来年以降は少しふくらませて、小学生に略式の中之舞を舞わせるところぐらいまでは行きたいな~、と考えています。これまでは夏休みの子ども能上演だけを目標に子どもたちと稽古を進めていましたが、最近は年間を通じて稽古をしてくれる子どももいるので、それだけの稽古量があれば舞を舞うことも不可能ではないかも。

さて前置きが長くなりましたが、実際に稽古を始めてみたところ、意外にもみんな よく予習ができているようです。これまた稽古の日数が少ないため、台本をあらかじめ配っておいて、またすべての謡の部分をあらかじめ録音して渡しておいたのですが、これが良かったようで、みんな楽しみにして稽古に臨んでくれたようです。

とくに立ち方は、今年は女の子ばかりで、果たしてどうなるかな? と多少危惧は持っていたのですが、まあ、みんな おてんばさんで…よかった。(^◇^;) これなら面白い切り組の場面ができそうですね。切り組場面はだいぶ工夫して作ったので、去年の倍ぐらいの時間を掛けて演じることになりそうです。



問題は…声の大きさだなあ。まあ、これは毎年問題になるところですが、どうしても大きな声を出すことができない。いずれ演技に自信が出てくれば、そうして、役を勤めるということに責任感が生まれてくれば、自然に声は出てくるものなのですが、稽古時間の問題もあって、早めに彼らのやる気を引き出していきたいと思っています。

ところで子ども創作能では毎年 小学6年生に主役級の役を演じてもらい、5年生にそれに準ずる立ち方の役を、それ以下の低学年の子どもたちには地謡を勤めてもらっています。でも、動きたい盛りの小学生に地謡だけを強いるのは どうもかわいそうで。一方、小学校を卒業して中学生になった 子ども能OBやOGの中にも、子ども能への参加を希望してくれる子も何人もいまして。

そこで去年までは、中学生には子ども能では地謡として熟練の技で(?)後輩たちのサポートをしてもらうほか、古典の曲にもトライしてもらおう、というわけで、仕舞を演じてもらいました。そうして低学年の、地謡の子どもたちには大小鼓の連調を経験してもらったり。その分稽古は科目が増えるわけで大変ではありますが、毎年 良い成果も得ています。

今年は中学生、小学校低学年とも、仕舞を演じてもらうことにしました。このときがその仕舞の初稽古だったわけですが、これまたみんな すぐに覚えられそうです。稽古初日から、秋に向けて 手応えを感じた ぬえではありました。ん~、みんな、頼もしいねえ!

海に花火に、そうしてお稽古!(その3)

2010-08-07 18:20:17 | 能楽

そうして始まった子ども能のお稽古。

毎年夏休みの終わりに子ども能は上演されていて、稽古は2月くらいからスタートして、約半年間の指導を経て本番に臨みます。 ところが今年は地元の神社の秋祭りでの上演とようやく決まったのですが、稽古のスタートが何とも大幅に遅れてしまって、7月末から…とはいえ代1回目の稽古は、子どもたちに馴染みのない能の演技のスタイルを経験させる程度しかできませんから、事実上は8月からの稽古となりました。この計算で行くと稽古期間は3ヶ月ほど…例年の半分程度になります。これは大変…

急遽台本も、昨年のものより半分程度に短縮しました。まあ、去年の台本がちょっと長すぎたということもありましたので…。

今回上演する「子ども創作能」は『伊豆の頼朝』という題名の新作で、去年が初演でした。平治の乱に父・義朝が敗れたために伊豆に流刑になった頼朝が、やがて弟の範頼や義経の加勢を得、また一方 同じ一族でありながら義仲と反目し、また後白河法皇の術策に翻弄されながら、ついに平家を討ち滅ぼして鎌倉幕府を開くに至る、その大きな歴史の転換点は、ここ伊豆の韮山から始まりました。平家の伊豆目代・山木兼隆に対して頼朝が挙兵した史実を能の形式に直して台本を作り上げたのですが、その事件の経緯については『吾妻鏡』や『源平盛衰記』に詳しく…というかエピソードが満載でして、去年は ぬえがそれを台本に盛り込みすぎて、小学生が演じるにしては少々ハードだったかも…何てったって、シテが「勧進帳」のような読み物を一人で謡う場面までありましたから…。

それでも、去年の6年生は本当によくやったと思います。シテは長大な台本を暗記し、運動神経の良い子は派手な立ち回りを演じ。去年の ぬえはあの才能に助けられたようなものでしたね~。

去年の初演は、こういうわけで無事に上演することができたのですが、終わってみれば台本について反省する点もたくさんありまして、今年の ぬえは、まず台本の分量を見直し、頼朝に関する史実や『吾妻鏡』などの底本のエピソードにあまり拘泥せずに、みんなが楽しめる台本、そして覚えやすい台本を目指して作り上げることにしました。ぬえ、こういうところがダメなんですよね。史実を曲げて台本を自由に作ることができないんです。

これまでの10年間では、『伊豆の頼朝』の前に2つの作品を作ってきた ぬえではありますが、それらはいずれも伊豆に伝わる民話を題材にして台本を作ったもので、もとより簡略なおとぎ話を基にして、作品をふくらませていきました。これなら良いのです。しかし、史実として厳然とある事件を、それにはあまり拘泥せずに舞台上の虚構として作り直す、ってことが ぬえは意外や苦手です。先行資料が物語ることに対してウソになっちゃうのが難しく思うのかなあ。『葵上』や『巴』の作者のように、原典の物語にまったく こだわらずに自分だけの世界を作り上げて、いわば『源氏物語』の物語が舞台に展開されるものだと信じてご覧になっているお客さまを、いつの間にか作者自身の主張や問題提起の世界に誘ってしまうような、あんな力量が ぬえはうらやましいです。

『吾妻鏡』の本文にできるだけ忠実に作り上げた去年の『伊豆の頼朝』では、頼朝が後白河の院宣を受け取って読む場面を読み物にして入れたり、頼朝自身は兼隆邸攻めの現場には出陣していなかった記録に従ってシテの頼朝役には合戦に加わらせなかったりしましたが、ん~ちょっと頭が固かったかも。

海に花火に、そうしてお稽古!(その2)

2010-08-05 01:08:23 | 能楽

さて宿で休んでから、夕方になって、歩いてすぐの狩野川のほとりに移動して花火大会を見に行きました~

「きにゃんね大仁夏祭り」という1日がかりのイベントのフィナーレを飾る花火大会ですが、まあ、その規模のスゴイこと。もちろん東京でも大きな花火大会はありますが、こんな間近で、川の上空に打ち上げる花火を見るなんて、ちょっと得難い体験です。何年か前に初めてこの花火大会を見たときは驚きました。

それで、主催者のひとつである伊豆の国市の観光協会に おねだりしてみまして、「子ども能の出演者の子どもたちに、夏休みの思い出に良い席で見せてあげて~?」と言ったところ、とても親切に検討してくださいまして、関係者とも協議された結果、桟敷席をプレゼントして頂けることになりました。

この桟敷席、川の堤防の土手の上を仕切って桟敷席としたものですが、10名強を収容する広さで、1マスなんと3万円もするんです(!)。もちろん売れ残った席があったら子どもたちに廻ってくる、ということなのでしょうが、それにしても太っ腹! こうして桟敷席を初めてプレゼントして頂いたのが、もう2年前になります。それ以来、毎年 この花火大会には子どもたちを招待して頂いて、このとおり子どもたちも大喜び! そうして子ども能の出演者の結束も固くなってゆくのでした。



ところでこの花火大会、旧・大仁町の地域のイベントとなっています。現在の「伊豆の国市」は旧・大仁、韮山、伊豆長岡という三つの町が数年前に合併したもので、花火大会も3日間に渡って、それぞれの旧町の名を冠して行われています。3日間も花火大会があるなんて、うらやましい限りです。さすがに ぬえはそのうちの1日しか見ることができませんが、この花火大会を最初に見たのは3年ほど前で、その時に見たのは伊豆長岡の花火大会でした。

これもまた、地域によってずいぶん感じが違うのねえ。大仁の花火大会よりは やや規模も小さいかな、という感じですが、なんと言っても人出が違う。東京の花火大会のように押し合いへし合いではもちろんなく、むしろ 川辺でのんびりと眺める、という感じでした。混雑しないので、土手で大の字に寝ころんで見ていると…なんだか ふわあっと体が浮き上がったような錯覚に襲われます。星空の中に放り出されたような…そんな感覚でした。これは東京の花火大会ではとても味わえないでしょう。この体験で、すっかり当地の花火大会のとりこになってしまった ぬえは、子どもたちにも見せてやりたい! という気持ちがつのって、観光協会に招待の可能性を聞いてみまして、そんなところから、もう恒例になった感がありますが、毎年子どもたちはご好意によって特等席で花火を鑑賞しております。何事も物怖じせずに言ってみるもんですね~(^^)V

さてこのように子ども能の恒例行事となった花火大会鑑賞ですが、ぬえは相変わらずの引率者。(^_^;) 子どもたちのためにジュースや紙コップを用意したり、遅れてくる子と連絡を取るために花火が始まっても携帯電話は常に視界の中に置いておいたり…これはこれで結構 大変ではあります。2年前、はじめて花火鑑賞に集まった時はもっと大変でした。

集まった子どもたちが「先生~、おなかすいた~」 ええっ??(O.O;) ご飯はあらかじめ済ませておいて、と保護者にお願いしたはずだが… 「まだご飯食べていない人~??」「は~いっ!!」…10人もいるじゃんか。(-_-メ)

…結局、花火大会が始まって30分間は、ぬえは花火を見ずに 焼きそばの屋台に並んでおりましたとさ。(×_×;) さすがにその後はこういうこともなく、みんなで楽しんで花火を見ております! さあっ、遊びはここまで。明日は稽古だよ~

海に花火に、そうしてお稽古!

2010-08-04 02:26:20 | 能楽

夏だ! 海ですっ

ぬえも週末に伊豆に海水浴に行きました~。ぬえは幼い頃から、海水浴というと伊豆に連れられて行ったものでした。伊豆は熱海~宇佐見~伊東と砂浜はあるのですが、そのほかには意外に砂浜は少なくて、多くはゴロゴロとした岩や石が連なる浜ばかりですね。そうして遠浅の浜でもない。相模湾と駿河湾に挟まれて波はおだやかですが、沖に出てすぐに急激に深く落ち込む地形ですね。

幼い頃から親に連れられてこういう海で海水浴をしてきた ぬえは、当然ながら海というところは「泳ぐ」というよりは「潜る」ところ、と自然に考えるようになっていました。シュノーケルやマスクやフィンは、もの心つた頃から「海水浴」の必需品だったなあ…。小学生の絵日記でも、ついに砂浜にパラソルが立つ、あの定番の絵は描いたことがありましぇん。

そういうワケで現在でも ぬえにとっての海は、やっぱり伊豆なんですよねえ。この何年かは親しい子どもたちも誘って、一緒に楽しんでおります。今年は ふだんから仕舞の稽古をしてくれている ひとちゃんと、元・水泳部の中学生の つっくんが一緒に海に行ってくれました~。

あいにく海はちょっと濁っていたけれど、沖に浮いていた定置網? のブイのあたりまで泳げば、小さな魚が群れて泳いでいました。さっそく捕まえてみる ぬえ。ををっ、これは石鯛かいな。

…と言っても、え~と、わずか1cmなんですよ。この石鯛。画像じゃ大きく見えますけれども。(^_^;)

さて、お昼には定番のカレーもみんなで作って、元・水泳部つっくんは ひと姫に言われるままに浮輪を引っ張ってあげたり、ぬえは海上で昼寝したり、のんびりと過ごすことができました~。 ああ、いいねえ、伊豆の海は。もうちょっと水が澄んでいる時なら もっといろんな魚が見れるんですが。

こうして午後に海を離れて、大仁の宿に落ち着きました。それから夜に待っているお楽しみまでひと休み。これから子どもたちが集まってくるんですよ~(^^)V

デコってます… (・_・、)

2010-08-01 00:03:32 | 能楽

先日 伊豆にお稽古に行った際に…気がついたら ぬえの扇がデコってました…

お稽古に行くたびに「ね~ね~先生! どのシールが欲しいっ!? ねえっ、どのシール? どのシールぅ????」って言っている ひとちゃん(小4年)が貼ったものと思われます…

…師匠には見せられない…(×_×;)