「ぬえの会」が終わったあと、ぬえにとってもっとも印象深かった出来事は このブログが契機になって手作りの和婚式のお手伝いをさせて頂いたことでしょう。ある日突然 ぬえはメールを頂戴しまして、それは結婚式のコーディネーターさんからのメールでした。「結婚式で謡をお願いできる方を探しているのですが、近隣にお願いできる方がおられず、ブログを拝見させていただきメールさせていただきました。…昔ながらの古式ゆかしい祝言挙式を行います。三々九度に合わせて謡をお願いしたいと思っています」というメールには、ぬえもビックリしましたが、どうやらこういう事らしい。
結婚式場のお仕着せのプランには飽き足らず、手作りの、自分たちだけですべてを作り上げる人前式を実現したい、と考えているカップルが、さすがに調度やら道具は取り揃えることはできないので、最低限度はプロのコーディネートを頼むことにした。→どうやら会場となった温泉旅館も彼らが探し当てたらしい→そこで小さなプランナーさんを探し当てて、彼らの夢の実現に助力を願った→彼らが目指す結婚式は、古風な、昔ながらの「祝言」→祝言には「高砂」の謡がぜひ欲しいところ。その演者の調達をプランナーにお願いした→さあ、プランナーさんも能楽師の知り合いはおらず困ってネットを探し、ぬえのブログにたどり着いた。。ぬえが大体把握したのはこんな状況ではないかと思います(違っていたらご指摘ください>ご当人)。
やるなあ。。新郎新婦も、頼まれたプランナーさんも。なんという行動力だ。。このお話を頂いた ぬえは、その結婚式の会場が中伊豆(!)だったこともあって、即答してお受け致しました。
このメールを ぬえが頂いたのが9月21日。それから2ヶ月後に迫った結婚式に向けて演出の打合せを進めて行きました。ぬえも結婚式に出演する事はときどきあるけれども、それはすべて披露宴での仕舞の披露で、今回もてっきりそのつもりでいた ぬえは、やがて新郎新婦が望んでいるのは挙式への出演だという事に気づいて、またまたビックリ。つまり三々九度に合わせて謡を謡うのです。披露宴と違って一生の思い出となる儀式だ。。それも ぬえを見込まれてのお仕事。。やはり絶対に失敗できない状況で。。この挙式の経緯はブログでもご紹介しましたが、結果的に失敗などはなく、当日は新郎新婦はもとより、ご親族にも大変喜んで頂けました。
でも、ぬえはまた思ったのです。能楽師は舞台人であるばかりではないはず。能楽堂で芸を見せているばかりではなく、本来能楽はもっともっと日々の生活に密着していた芸能であるはずで、それがまた日本の文化の中の芸能全般の特色でもあったはず。結婚式に限って言えば、現代の披露宴で余興に交じって仕舞を舞って喜んでいるのではダメで、新郎新婦の契りの儀式に出演する事で神を言寄せる役割をも担っていた時代があった事を忘れてはなるまい。いまや結婚式と言えば細部まで破綻なくマニュアル化された結婚式場のプランがあって、そこからは能楽は排除されてしまっていますが、これというのもこういう場に積極的に関わろうとせずに舞台を重視し過ぎたわれわれ能楽師も怠慢の非がまったくないとは言えないでしょう。今回のお招きは ぬえの目を開かせてくれました。ありがとうございます>新郎新婦の高松夫妻、八千代ウェディングの内田さん。ちょっと営業的ではありますが、ぬえもサイトでお手伝いの広告みたいなページを作ってみました。
また一方、自分たちなりの挙式を手作りで行おうとするカップルは これほどの努力をしなければ実現にはこぎ着けないのが現状なのかも。「和婚」という言葉が市民権を持ち始めたいま、こういう ささやかな望みを持つ新郎新婦にもきめ細かく対応できる挙式プランナーが必要とされているのかもしれません。ぬえのブログでは、高松さんの挙式のご紹介をしたところ、読者の みささんから「これが私の求めていた挙式の姿!」というコメントを頂き、今 来年3月の みささんのお式に ぬえも再びお手伝いさせて頂く運びとなりました。ぬえもまたこれを望外の喜びと受け止めて、誠心誠意お手伝いをさせて頂こうと思っております。
さてその後12月には研能会の月例公演で『山姥』を勤めさせて頂きました。こちらの経緯は先日までブログで連載していたので割愛させて頂きますが、考えてみれば今年は5番の能を舞う、という近来にない経験をさせて頂きました。なかんづく、そのうち2番までが ぬえが出演の依頼を受けてシテを舞わせて頂いた、という、これは一代目の能楽師としては 考えられない栄誉だったと思います。どのお舞台もなんとか破綻だけはしなかったと思いますが、また ぬえの許には「まだまだだね」とご叱正の声も頂いて、これは大変ありがたく思っています。
ネット世界の中の「ぬえ」こそが私の分身で、この分身に対して頂く教導がそれこそパソコン通信時代からあったからこそ、私は親からも教えを受けられない一代目でありながら、なんとか道を踏み外さないで進んで来れました。顔も ぬえは知らず、ぬえに対して利害関係もない、それこそ真の「能楽愛好家」というべき方々から頂く励ましと叱正があってこそ、今の ぬえがここにおります。さてこそ私は感謝の意味をこめて自分の主宰会を「ぬえの会」と名付けました。この決意はもう今から6年も以前のことで、今では本名のほかに「自分は ぬえ」という思いをいつも持って舞台に上がっているのです。
来年は いつも通りに戻って、年間3番程度のシテを勤めるチャンスがあります。どうぞ変わらぬご支援・ご鞭撻を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。
来年が皆々様にとって良き年でありますように。
結婚式場のお仕着せのプランには飽き足らず、手作りの、自分たちだけですべてを作り上げる人前式を実現したい、と考えているカップルが、さすがに調度やら道具は取り揃えることはできないので、最低限度はプロのコーディネートを頼むことにした。→どうやら会場となった温泉旅館も彼らが探し当てたらしい→そこで小さなプランナーさんを探し当てて、彼らの夢の実現に助力を願った→彼らが目指す結婚式は、古風な、昔ながらの「祝言」→祝言には「高砂」の謡がぜひ欲しいところ。その演者の調達をプランナーにお願いした→さあ、プランナーさんも能楽師の知り合いはおらず困ってネットを探し、ぬえのブログにたどり着いた。。ぬえが大体把握したのはこんな状況ではないかと思います(違っていたらご指摘ください>ご当人)。
やるなあ。。新郎新婦も、頼まれたプランナーさんも。なんという行動力だ。。このお話を頂いた ぬえは、その結婚式の会場が中伊豆(!)だったこともあって、即答してお受け致しました。
このメールを ぬえが頂いたのが9月21日。それから2ヶ月後に迫った結婚式に向けて演出の打合せを進めて行きました。ぬえも結婚式に出演する事はときどきあるけれども、それはすべて披露宴での仕舞の披露で、今回もてっきりそのつもりでいた ぬえは、やがて新郎新婦が望んでいるのは挙式への出演だという事に気づいて、またまたビックリ。つまり三々九度に合わせて謡を謡うのです。披露宴と違って一生の思い出となる儀式だ。。それも ぬえを見込まれてのお仕事。。やはり絶対に失敗できない状況で。。この挙式の経緯はブログでもご紹介しましたが、結果的に失敗などはなく、当日は新郎新婦はもとより、ご親族にも大変喜んで頂けました。
でも、ぬえはまた思ったのです。能楽師は舞台人であるばかりではないはず。能楽堂で芸を見せているばかりではなく、本来能楽はもっともっと日々の生活に密着していた芸能であるはずで、それがまた日本の文化の中の芸能全般の特色でもあったはず。結婚式に限って言えば、現代の披露宴で余興に交じって仕舞を舞って喜んでいるのではダメで、新郎新婦の契りの儀式に出演する事で神を言寄せる役割をも担っていた時代があった事を忘れてはなるまい。いまや結婚式と言えば細部まで破綻なくマニュアル化された結婚式場のプランがあって、そこからは能楽は排除されてしまっていますが、これというのもこういう場に積極的に関わろうとせずに舞台を重視し過ぎたわれわれ能楽師も怠慢の非がまったくないとは言えないでしょう。今回のお招きは ぬえの目を開かせてくれました。ありがとうございます>新郎新婦の高松夫妻、八千代ウェディングの内田さん。ちょっと営業的ではありますが、ぬえもサイトでお手伝いの広告みたいなページを作ってみました。
また一方、自分たちなりの挙式を手作りで行おうとするカップルは これほどの努力をしなければ実現にはこぎ着けないのが現状なのかも。「和婚」という言葉が市民権を持ち始めたいま、こういう ささやかな望みを持つ新郎新婦にもきめ細かく対応できる挙式プランナーが必要とされているのかもしれません。ぬえのブログでは、高松さんの挙式のご紹介をしたところ、読者の みささんから「これが私の求めていた挙式の姿!」というコメントを頂き、今 来年3月の みささんのお式に ぬえも再びお手伝いさせて頂く運びとなりました。ぬえもまたこれを望外の喜びと受け止めて、誠心誠意お手伝いをさせて頂こうと思っております。
さてその後12月には研能会の月例公演で『山姥』を勤めさせて頂きました。こちらの経緯は先日までブログで連載していたので割愛させて頂きますが、考えてみれば今年は5番の能を舞う、という近来にない経験をさせて頂きました。なかんづく、そのうち2番までが ぬえが出演の依頼を受けてシテを舞わせて頂いた、という、これは一代目の能楽師としては 考えられない栄誉だったと思います。どのお舞台もなんとか破綻だけはしなかったと思いますが、また ぬえの許には「まだまだだね」とご叱正の声も頂いて、これは大変ありがたく思っています。
ネット世界の中の「ぬえ」こそが私の分身で、この分身に対して頂く教導がそれこそパソコン通信時代からあったからこそ、私は親からも教えを受けられない一代目でありながら、なんとか道を踏み外さないで進んで来れました。顔も ぬえは知らず、ぬえに対して利害関係もない、それこそ真の「能楽愛好家」というべき方々から頂く励ましと叱正があってこそ、今の ぬえがここにおります。さてこそ私は感謝の意味をこめて自分の主宰会を「ぬえの会」と名付けました。この決意はもう今から6年も以前のことで、今では本名のほかに「自分は ぬえ」という思いをいつも持って舞台に上がっているのです。
来年は いつも通りに戻って、年間3番程度のシテを勤めるチャンスがあります。どうぞ変わらぬご支援・ご鞭撻を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。
来年が皆々様にとって良き年でありますように。