尉の出で立ちは
面=小尉、襟=浅黄、尉髪、着付=小格子厚板、白大口(ナシにも)、水衣、緞子腰帯、尉扇(ナシにも)、萩箒または杉箒(ナシにも)…替エとして杖をついて出る型もあり。
また姥の出で立ちは
面=姥、姥鬘、無紅鬘帯、襟=朽葉、着付=姥着箔、無紅唐織、水衣、杉箒(ナシにも)
。。面や着付は脇能の尉の役の典型で、出で立ちによって一見してすぐに『嵐山』と、他の曲と区別してわかる程の特徴はありません。ところが持ち物については不思議で、これほど多岐に渡って持ち物の選択肢がある能は珍しいと思います。
萩箒、または杉箒、あるいはナシにもとは。。萩箒は、現代でも普通に見かける竹箒と同じ姿をしていて、ただし柴を束ねて作ってあります。能『田村』の前シテが携えて出る姿が有名ですね。一方の杉箒は、これは萩箒とはまったく違った形をしていまして、身長ほどの長い竹の柄の先に、杉の葉を集めて団子状にまとめたものを取り付けた箒です。『高砂』の前ツレの姥がかついで登場するのが有名でしょう。こうして見ると、同じ箒でも萩箒と杉箒ではまったく長さが違いますし、もちろんシテがそれぞれの箒を携える方法も変わってきます。」いわく萩箒は右手に提げ、杉箒ならば右の肩に担いで登場するのです。
これほど、持ち物によって登場するシテの姿がガラッと変わって見えてしまうというのに、その他の選択肢にナシにも、というのがあるのがスゴイ。。その時は尉扇を持って出るのでしょうが、ここまで出で立ちが違うと、もはやもう別人のように印象が違って見えるはずです。桜の木を掃き清める老人、という設定ならば萩箒か杉箒か、どちらかに扮装が固定されている方が混乱を防げたのではないかな、とも思います。
ところが、あまつさえ ぬえの師家の型附では「杖をついて出る型」も記載されていました。もうここまで来ると何が何やら。。 良く言えばシテを勤める役者に対して、演じるシテの役柄のイメージに幅を持たせて任せてある、とも言えるでしょうが、作者のビジョンとしての前シテの姿とはいったいどれだったのでしょうかね。。?
また姥も装束は典型的なものなのに、持ち物が杉箒か、またはナシにも、ということになっていますね。シテが杉箒を持てばツレと同じ持ち物にして統一感を作り上げることもできるでしょうが、それにしても登場したシテとツレの姿だけで、持ち物の相違によってじつに8通りの出で立ちがあるのです(シテ4種×ツレ2種の持ち物のバラエティがある)。これはちょっと他の能では見たことがありません。
ともあれ、前回ご紹介した句を謡うと、シテとツレの二人はスルスルと舞台に入り、ツレは正中、シテは常座に止まります。
シテ「これはこの嵐山の花を守る。夫婦の者にて候なり。
シテ、ツレ「それ圓満十里の外なれば。花見の御幸なきまゝに。名におふ吉野の山桜。千本の花の種とりて。この嵐山に植ゑおかれ。後の世までの例とかや。これとても君の恵みかな。
シテ、ツレ「げに頼もしや御影山治まる御代の春の空。
シテ、ツレ「さも妙なれや九重の。さも妙なれや九重の。内外に通ふ花車。轅も西にめぐる日の影ゆく雲の嵐山。戸無瀬に落つる白波も。散るかと見ゆる花の瀧。盛り久しき景色かな 盛り久しき景色かな。
シテとツレは向き合って上記の長い謡を謡い、その最後に位置を入れ替わってシテは正中へ行き、ツレは常座より角へ出ます。このときツレは後見に持ち物(杉箒)を渡すことになっており、以下ツレは手ぶらになります。
面=小尉、襟=浅黄、尉髪、着付=小格子厚板、白大口(ナシにも)、水衣、緞子腰帯、尉扇(ナシにも)、萩箒または杉箒(ナシにも)…替エとして杖をついて出る型もあり。
また姥の出で立ちは
面=姥、姥鬘、無紅鬘帯、襟=朽葉、着付=姥着箔、無紅唐織、水衣、杉箒(ナシにも)
。。面や着付は脇能の尉の役の典型で、出で立ちによって一見してすぐに『嵐山』と、他の曲と区別してわかる程の特徴はありません。ところが持ち物については不思議で、これほど多岐に渡って持ち物の選択肢がある能は珍しいと思います。
萩箒、または杉箒、あるいはナシにもとは。。萩箒は、現代でも普通に見かける竹箒と同じ姿をしていて、ただし柴を束ねて作ってあります。能『田村』の前シテが携えて出る姿が有名ですね。一方の杉箒は、これは萩箒とはまったく違った形をしていまして、身長ほどの長い竹の柄の先に、杉の葉を集めて団子状にまとめたものを取り付けた箒です。『高砂』の前ツレの姥がかついで登場するのが有名でしょう。こうして見ると、同じ箒でも萩箒と杉箒ではまったく長さが違いますし、もちろんシテがそれぞれの箒を携える方法も変わってきます。」いわく萩箒は右手に提げ、杉箒ならば右の肩に担いで登場するのです。
これほど、持ち物によって登場するシテの姿がガラッと変わって見えてしまうというのに、その他の選択肢にナシにも、というのがあるのがスゴイ。。その時は尉扇を持って出るのでしょうが、ここまで出で立ちが違うと、もはやもう別人のように印象が違って見えるはずです。桜の木を掃き清める老人、という設定ならば萩箒か杉箒か、どちらかに扮装が固定されている方が混乱を防げたのではないかな、とも思います。
ところが、あまつさえ ぬえの師家の型附では「杖をついて出る型」も記載されていました。もうここまで来ると何が何やら。。 良く言えばシテを勤める役者に対して、演じるシテの役柄のイメージに幅を持たせて任せてある、とも言えるでしょうが、作者のビジョンとしての前シテの姿とはいったいどれだったのでしょうかね。。?
また姥も装束は典型的なものなのに、持ち物が杉箒か、またはナシにも、ということになっていますね。シテが杉箒を持てばツレと同じ持ち物にして統一感を作り上げることもできるでしょうが、それにしても登場したシテとツレの姿だけで、持ち物の相違によってじつに8通りの出で立ちがあるのです(シテ4種×ツレ2種の持ち物のバラエティがある)。これはちょっと他の能では見たことがありません。
ともあれ、前回ご紹介した句を謡うと、シテとツレの二人はスルスルと舞台に入り、ツレは正中、シテは常座に止まります。
シテ「これはこの嵐山の花を守る。夫婦の者にて候なり。
シテ、ツレ「それ圓満十里の外なれば。花見の御幸なきまゝに。名におふ吉野の山桜。千本の花の種とりて。この嵐山に植ゑおかれ。後の世までの例とかや。これとても君の恵みかな。
シテ、ツレ「げに頼もしや御影山治まる御代の春の空。
シテ、ツレ「さも妙なれや九重の。さも妙なれや九重の。内外に通ふ花車。轅も西にめぐる日の影ゆく雲の嵐山。戸無瀬に落つる白波も。散るかと見ゆる花の瀧。盛り久しき景色かな 盛り久しき景色かな。
シテとツレは向き合って上記の長い謡を謡い、その最後に位置を入れ替わってシテは正中へ行き、ツレは常座より角へ出ます。このときツレは後見に持ち物(杉箒)を渡すことになっており、以下ツレは手ぶらになります。