ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆の国市で子どもたちへの稽古。いろいろありました

2008-04-30 14:08:40 | 能楽
昨日は伊豆の国市で子どもたちのお稽古。旧・大仁町時代からもう9年も続いている「狩野川薪能」に出演させる地元小・中学生のためのお稽古です。じつは3月の初旬から稽古には伺っていたのですが。。なかなか問題も多くて、ちょっとブログにて報告するのをためらっていたのです。それらの問題も無事クリアされ、それどころか子どもたちのご父兄から、子どもたちと稽古を積み重ねながら薪能に向けて一緒に進んでいくに当たって素晴らしいアイデアを頂きまして、昨日の稽古では実行委員会ともそれについて話し合うことができ、さらに関係者にご挨拶に伺って、この見事なアイデアはついに実現することが決まりました。ん~~なんとも幸せな日でした~~

もう ぬえが携わってから今年で9年目を迎える「狩野川薪能」。今年は8月23日(土)に開催されます。地元民話を題材にして新作し、出演者もすべて地元小中学生という“子ども創作能”『江間の小四郎』をはじめ、小学生の連調や連管、中学生の仕舞も演じられるという盛りだくさんの番組です。併せて能楽師による能と狂言も上演され、今年は ぬえ、『嵐山』を勤めさせて頂くことに致しました。

『嵐山』には「勝手明神」「子守明神」という二人の子方、またはツレが登場するのですが、ぬえのポリシーとして、当地では毎回必ずこのプロの能にも子方として地元小学生を登場させています。しかし。。『嵐山』の子方はちょっと素人の小学生には荷が重すぎたかもしれません。。じつはこれまでに2回すでに稽古は始めていたのですが、『嵐山』の子方の一人に抜擢した綸子(りんず)ちゃんの出来があまり良くありませんで。。

まあ。。サシ込もヒラキも知らない小学生にいきなり相舞をさせるわけですから、多少無理があるのは分かっていたので、だからこそもう一人の子方は チビぬえに勤めさせ、綸子ちゃんには事前に能を録画したDVDやら、詳細に書き付けた型付けのプリントやらを大量に送っておいたのですが。。どうやら ちんぷんかんぷんで手も足も出なかったらしい。

まあ、わからないでもないです。。去年の「狩野川薪能」では『一角仙人』の子方~龍神~を二人の小学生に勤めさせましたが、それもかなり子方としては難易度の高い役でした。しかし今年の『嵐山』は基本的に「戦い」を演じる『一角仙人』の龍神とは違って「舞」を演じる。。しかも二人の型がシンクロしていなければならない、という難しさ。ある意味では『一角仙人』とは比較にならない難しさがあります。

が、しかし、子方を勤めることを本人が承諾してお稽古を始めたのだし、型がよくわからないのは自明なので、はじめのうちは がむしゃらに、馬鹿になって、ただ決められた動作だけを覚えて演じるしか方法はないのです。型を覚えれば、そのあとで洗練させることはできる。そうすれば型の意味もわかってくる日が来る。でも型の順番を覚えてきていないのでは ぬえはお手上げです。遠方の伊豆に ぬえが出かけて稽古できる日数は限られているし、ぬえがいない普段の生活の中ではDVDやプリントを先生にして精進するよりほかに道はないのです。正直に言って、2度の稽古でまったく進展がなかった時には、かなり厳しい意見を本人にもご父兄にも申し上げました。「今日の稽古は。。悪いけれど0点だよ」とまで言い放った ぬえ。

ところが。昨日の稽古では綸子ちゃんは見違えるように型を覚えてきていました。いやはや、これはもう前回の稽古とは別人です。ご両親も「必死でした」と仰っておられましたが、まさに飛躍的な進歩と言えるでしょう。前回、「今日の稽古は0点なのだから、次回は今日の分も含めて200点取らなくてはいけない」と言った ぬえでしたが、この日の綸子ちゃんには300点をあげました~ (*^_^*)

それでもまだまだ綸子ちゃんは子方の型としては全体の半分までしか進んでいないし、それを全部覚えてから型を洗練させていって、さらには二人の子方の型をシンクロさせなきゃならない。そのうえに袖を返すなど装束の扱いも覚えなきゃならない。まだ道のりは長いです。でも ぬえは薪能での子方の役は綸子ちゃんは立派にこなすのではないかな~、と、まだ確信ではないかもしれないけれど手応えを感じた稽古でした。

はああ~~安堵。いやいや、今回の稽古でも進展がなければ、次回は午前中から特訓をする予定だっただけに、なおさら気持ちがラクになりました。綸子ちゃんがんばって~

劇団のお芝居を拝見してきました(続々々々々)

2008-04-28 22:36:24 | 能楽


上演時間の話題につきまして、いろいろなコメントを頂きました。改めまして御礼申し上げます。

今日は平日の夜に行われる能の公演について。たしかに平日の夜の能の公演は開演時刻が早い傾向があります。これは能楽師がそれぞれのお弟子さんにチケットを買って頂いて、それが公演を支えている実情があるのが最も大きい原因なのです。東京の場合、能楽師はそれぞれ関東一円に出向いてお稽古されていると思いますが、そういった地方のお弟子さんが東京に出て来られて観能される場合、終演時刻が遅くなると帰宅できなくなってしまう。。また最近はお弟子さんも高齢化してきていて、東京の近郊にお住まいのお弟子さんであっても、終演が遅い時刻になるのは嫌われる傾向がありますね。一方、やはり若いお客さまに能楽堂に足を運んで頂かなければ能の将来は悲劇的なものになるでしょう。そしてそのような若い方にとっては能の公演の開演時刻はいかにも早すぎるのです。お勤めが終わっても開演時刻には到底間に合わない…

学生時代から能の世界に飛び込んだ ぬえは、まだお弟子さんもいない内弟子時代に舞台にお役を頂くと、それを見に来てくれるのは もっぱら学生時代の友人たちでした。この友人たちの言葉が ぬえには忘れられないです。「5時や5時30分に開演するなんて…勤め人に“来るな”と言っているみたいだ」

しかしいま現在、現実に能を支えてくださっているお客さまは…謡や舞のお稽古を趣味にしておられるお弟子さんがどうしても中心なのであって、このようなお客さまの便利を優先に考えて公演を組み立てなければならない実情も、これまた仕方のないところです。がしかし、それだけでは能の新たな観客層を生み出すことは未来永劫に不可能なのですよね。ある種のジレンマが能楽界を覆っているようにも思います。

要するに開演時刻については、ターゲットとなるお客さまに合わせて いろいろなパターンの公演を設定すればよいのでしょうが…でも現実的には開演時刻を遅く設定して能1番・狂言1番のコンパクトな公演を催すにしても、上演曲目を少なくすることは、それが能楽の家単位の定期公演であれば門下の能楽師が公平にシテを舞えるかどうか、という政治的な事情に影響が出てきたり。。

そしてまた、平日の夜に短い上演時間で能の公演を催すにしても、いますぐに若いお客さまが劇的に増えるとはとても考えにくいです。。入場料の問題、演者の知名度の問題、能への馴染みの少なさをどう克服するのか。。

役者の知名度という点では、能面を掛けて素顔をさらさない能楽師は現代では圧倒的に不利でしょう。これは如何ともしがたい。。その意味では現代の歌舞伎役者と能楽師は比べるべくもない。。歌舞伎役者のようにテレビドラマに出演したり、現代劇に登場したり、という事も、能楽は演技があまりに独自性が強くて、現代劇にそのまま溶け込むこともできないですし。

結局、能は能としてその独自性を売り出してゆくより方法はないわけで、能に親しみを持って頂くためには「能楽講座」をいろいろな場所で開いてゆく、という地道な方法を採るのが最も適当な方法なのかもしれません。なんだか能楽師は能の普及という同じ場所を何度も何度も行ったり来たりしているような気もするけれど。。

それでも、さて若いお客さまに「能楽講座」などを通じて能に親しんで頂いて、能楽堂に足を運んで頂くようになったとして、そのお客さまに足繁く能をご覧になって頂くためには、やはり高い入場料はまたネックになりますでしょう。そこで ぬえ、ちょっと計算してみました。もしも気軽にご覧になれる能の公演を企画するとして、能1番、狂言1番という短時間で、3,000円程度の入場料に抑えることができるのか。。結論から言えば、そのためには400~500人のお客さまを集めなければ収支は成り立たないようです。このキャパシティは。。能楽堂の定員と同じだ。。結局 能楽堂を会場とすることになって、小劇場のような会場での公演は本式の能を上演するのは難しいようです。能楽界のシステム的な問題も、そろそろ検討する必要があるのかもしれません。目的が能楽の普及の公演では役者の出演料を抑えられるようにするとか、そのような公演には役者に能面・能装束を安価で貸し出す仕組みを作るとか。。簡単な道のりではないでしょうが、いろいろ考える時期が来ているような気がします。

異例ずくめの能『竹生島』

2008-04-25 01:48:34 | 能楽
ちょっと劇団の話題から離れまして。。今日は師家の月例公演で、観世能楽堂に出勤してきました。曲目は能『竹生島』、狂言『盆山』、能『千手 鄙曲之舞』。ぬえは能2番とも地謡に出演しました。でも『竹生島』は珍しく副地頭という重い役を頂いたのでした。研究は積んでいたので緊張はしませんで、まあまあ思った通りの声も出せたのではないかと思います。

それにしても。。『竹生島』という能は、お稽古の順序でも割と初心のうちに稽古する曲だし、人口に膾炙していると思うのに、能の中でも異例ずくめの曲だなあ。。と改めて思った ぬえでした。

まず、準備が大変。(^◇^;) 「小宮」「船」「一畳台」と3つの作物が出されるので、いつもより少し早めに楽屋入りして準備を始めます。去年 ぬえが勤めた『一角仙人』ほどではないけれども、やはり作物を作る時間の方が上演時間より長いんじゃないか? と思わせるほど準備に時間が掛かり、その割に曲はあっさりと終わる、という能です。応仁の乱以降に流行った風流能というか、一種のスペクタクルが売り物の能なので、見た目の仕掛けの派手さがまた、曲の身上でもありましょう。

しかしこの能、一筋縄じゃいかない異例ずくしの能なのです。たとえばこの曲、脇能であるのに前シテは「真之一声」ではなく常の「一声」で登場する。登場した場面のシテの謡が脇能としての体裁を備えていないので、脇能の前シテの専用の登場音楽である「真之一声」を演奏することができないのです。もっとも「翁附」の場合は「真之一声」にしますが、その時は体裁の整った『白鬚』の謡を借用してきて、それを謡うのです。これもほかにも類例があるとはいえ、やはり異例です。

前場全体としても脇能の体裁とはかけ離れていて、クリ・サシ・クセの一連の小段が整えられていない、どころかクセの中で中入になるという。さらに前ツレは小宮の作物の中、前シテは幕の中、と、二人の登場人物がそれぞれ別の場所に中入するのもあまり他に例がないのではなかろうか。そして、前ツレは作物の中で扮装を替えて天女となります。。つまりシテとツレ、それぞれが別々の場所で着替えているのです。これはほかに例はないでしょう。大変なのは後見で、担当を分担して2箇所で同時に着替えをしているのです。

まだある。前シテが「来序」で中入りするのに、代わって登場した間狂言は「末社の神」などではなく竹生島明神の社人という現実の人間というのも変わっていますし、そのうえこの間狂言は脇能らしく神や神社そのものの来歴をうやうやしく語るのではありませんで、客人たるワキに神宝を見せ、「岩飛び」を実演して見せるのです。今日拝見した限りでは神宝とは「蔵の鍵」「数珠」そして「二股の竹」というもので、その他愛もない宝物が微笑を誘います。う~ん、どうも脇能に出演している、という感覚がだんだん薄れてきますね。

まだまだあります。後場の冒頭には囃子方によって「出端」が演奏されますが、このとき「作物から登場する役のために演奏する出端では、冒頭に笛方はヒシギを吹かない」という原則があるのに、この曲ではヒシギを吹きます。「ヒシギ」とは、とくに登場音楽の最初に笛によって演奏される「ヒーーーー、ヤーーーアーーー、ヒーーーー!」という耳に突き刺さる譜のことで、これは楽屋に登場音楽の演奏が始まったことを知ラセるための譜なのです。ですから囃子方にとって目の前に置かれた作物の中から現れる役に対しては「知ラセ」は吹かないのです。ところが『竹生島』ではそのヒシギを吹きます。。この理由は説明が難しいですが、要するにこの曲には「待謡」がない。。つまりやはり体裁が整えられていない曲であるために、笛方はここでヒシギを吹かないと、ちょっと全体のバランスに齟齬が生じるからなのでしょうね。やっぱり異例ずくめだ。

この日、じつは ぬえは仕舞『桜川クセ』を舞うお役も頂いておりましたが。。これがまた。。手前味噌ではありますが、近来になく手応えを感じた仕舞になりました。上手く舞えた、と自分では思っています。『桜川』はこれまた仕舞の曲としては初心者が習うような位置づけにはなっていますが、今日のために仕舞といえども何度か舞ってみて研究していると意外な発見もありました。何というか。。この仕舞は、舞っていてだんだん悲しくなってきますね。春のうららの狂女能なので、あまり深刻さは感じられない小品なのかな、なんて ぬえも漠然と思っていましたが、そんな事はない。桜の花の散る中、その華々しいシチュエーションの中で、彼女は泣いているのねえ。。それが分かると、俄然 この仕舞の魅力が見えてくる。舞台のある一点に桜の大樹を想像して、それを中心に組み上げられている舞なのだ、という発見もありましたし、そんなこんなで、くたびれたけれど、ぬえにとっては充実した舞台でした。

ところが。。帰宅のために もう10時過ぎの時刻に乗った地下鉄大江戸線の車内で、暴力を見てしまいました。

ぬえは車両のまん中あたりで立っていたのですが、イキナリ怒声が車内に響き渡ってびっくり。見ると車両の端っこの「優先席」のあたりで、ジャージ姿で立っていたパンチパーマの中年の男性が、優先席に座っている誰かを怒鳴りつけています。遠かったので ぬえにはよく見えなかったけれど。。だいぶ何度も身を乗り出して怒鳴りつけているようでした。。ところが! この男性、いきなり相手を蹴りつけたのです。びっくりしてよく見ると、優先席に座っている相手は女性らしい。もう泣いてしまっている。。これはいけない、と思って、ぬえは車内ではドア2箇所離れていたけれど、ダッシュで止めに入りました。あ~ん仕舞袴も入ってる今日の鞄はかさばるっていうのに~。

女性を座席から引っ張り出してドアのあたりにかくまって、聞けば男性はこの女性は妻だ、と言う。女性は泣きながら違うと言う。う~んいずれにせよ込み入った事情のある関係者同士であるようですが、やっぱり暴力は暴力なので、女性に意向を聞いて、やはり次の停車駅で女性を降ろして駅員さんに報告することにしました。ちょっとその間にも男性と、そのまた仲間らしい老年の男性からも ぬえに悶着は降りかかってきたけれども。。これは乗客の方が遮ってくださいました。さんきゅ。

駅に着いてもこの騒動で列車は停車してしまい、若い女性のお客さんが呼んでくれてようやく駅員さんが到着したところで被害・加害者ともようやく駅員室に移動、ぬえもお付き合いする事になって。。やがて警察官も到着。ぬえは事情を説明して。。つまるところ内縁関係のいざこざだったようで、警察官のお説教を受けて落着するようで、ぬえはそこで解放されました。DVの一種でしょうが、いずれにしても暴力は許されちゃいけないです。

なんだかなあ。。いろんな事があった一日でした。

劇団のお芝居を拝見してきました(続々々々)

2008-04-23 01:43:58 | 能楽
能楽ファンの方々にとっては当たり前かもしれない最低3時間~最長6時間近くにも及ぶ能の公演というのは、その目的や演者の思い、もっと突っ込んで言えば能楽界の中での演者の立場といった要因から起こっているとはいえ、はたしてこれは能楽をはじめて見るお客さま。。さらには劇団のお芝居をご覧になっている若いお客さまの目にどう映るのか。。これもまた、問い直されなければならない事かもしれません。

山猫軒さんがおっしゃっておられるように、たとえば休日の昼間の公演の場合、これこそ数時間の催しが多いと思われますが、「貴重な休日がほぼ半日つぶれる」。。う~ん、この発想は能楽師の側に欠如しているかもしれない。ぬえは一代目の能楽師で、子方を経験していない経験値の不足があるけれども、彼ら生まれついての能楽師に追いつくための努力は欠かさなかったつもりだし、彼らと違って「見所から舞台に上がった」という自負もある。でも。。山猫軒さんのご指摘は、いつのまにか ぬえからさえも失われていたかも知れません。

否、ぬえは学生時代に能楽の世界に飛び込んだので、普段お仕事をしている方にとっての「貴重な休日」という感覚がわかっていないのかも。実生活から乖離して何の舞台人、という思いは強く持っているつもりだけれども、就職活動さえしたことがない ぬえ。まだまだ甘いのかも知れません。。

平日の夕方の能の公演の開演時間が早すぎる、という山猫軒さんの もう一つのご指摘につきましては、もっとも~~~~~っと思うところがある ぬえですが、これはまた論点がズレてしまうかも、なので次の機会に考えてみたいと思います。

ともあれ、能が若い観客層を獲得するのに不利な条件を持っている。その問題点のいくつかはだんだんと見えてきたような気がします。入場料、宣伝、開演時間と上演所要時間。。何というか、若い能楽師が発想を変えて自らがもっと「動く」こと、また師家や同門の先輩、また共演する囃子方やワキ、狂言方に納得して頂いて協力して頂くこと。これがすべてクリアできれば、意外にこれらの問題点を克服してアピールすることはできるのではないかしら。。そう言えば。。ぬえに「同人会をやろうよ」と言ってくれた狂言方がいたな。。ちょっと彼と相談してみよう。

閑話休題。。では困るんだが、実際のところ、今回現代劇の劇団の公演を拝見して、ちょっとカルチャーショックを受けた ぬえなのでありました。いろんな意味でね。で、この劇団の公演の話に戻ってみますと、

公演終了後、ぬえは毎日のように、この公演の主役を勤められた方。。ぬえが2月に演劇人交流パーティではじめて知己を得た方と連絡を取り合って、公演の行い方などについて教えて頂いています。で、まず観客席の座席に置かれた30枚以上の他の劇団のチラシですが、これらのチラシがどうしてこの劇団の公演の際に配られるのかというと。。なんとそれぞれの劇団が、自分たちの公演のチラシができあがると、あちこちの劇団に連絡を取って、公演の際にチラシを配らせてもらうようお願いするのだそうです。何というか他の劇団というのは「商売がたき」なんじゃないかな。。と想ったぬえは発想が貧困で、「持ちつ持たれつ」。。でもなく、どうも当たり前のようにそれぞれの劇団はチラシの配布を受け入れるようですね。そして、公演前の会場に、他の劇団の役者やスタッフが集合して一斉に「挟み込み」を行うのだそうです。自分たちのチラシは自分たちで持ち込んで、セットする作業も行う。考えてみれば当たり前のことです。能楽師だって自分の催しのチラシは能楽堂には持ち込むけれど。。ちょっと努力のレベルが違うんでないかい?

それにね、今回の劇団の場合、30枚のチラシ。。つまり30劇団が、公演開始前の会場に一堂に会してチラシの挟み込みをしておられたわけで、各劇団からたった一人が派遣されてきてこの作業を行うわけでもないだろうから、そうなると場合により100名近い「演劇人」が会場で一斉に自分たちの公演の宣伝のために作業をしていた可能性があります。これは。。お互い演劇人同士ですから情報の交換の場でもあるし、そこで仲間ができて、新しい展開がそこから始まることだってあるでしょう。

こういうフレキシブルな活動を、能楽師はしているだろうか。。

劇団のお芝居を拝見してきました(続々々)

2008-04-22 01:22:52 | 能楽
「能の上演時間は長い」。。そう言われてみれば、ぬえも何度となく耳にする言葉です。この言葉は能1番の上演所要時間の事ではなくて、催しそのものの公演の所要時間のこと。ときにはお弟子さんにそう言われることもある。そして、なんと楽屋でも時々耳にする言葉だったりするのです。時により能が3番出される催しの場合もあって、そんなある時、その三番能の催しのトメの能が始まるときに。。先輩がボソッとおっしゃいました。「。。これから。。『融』を前シテから見るお客さんも大変だね。。」

能が3番も出る催しの場合、同門の数も限られていますから、他門の方の応援を願っても当家の門下は能2番の地謡に出演するのは ある程度仕方がない面もあります。本当は集中力や下調べ、そして工夫を盛り込むためにも一日に出演する能は1番であるのが理想ではありますが、これは致し方のないところです。でも2番の能に出演すると、やはり地謡といえどもヘトヘトで、思わぬミスも出たりする事も。。そんな思いでしたから、疲れた自分のことばかり考えていた ぬえにとって、この先輩の言葉は ぬえにも考えさせられる言葉でした。ぬえは楽屋の事ばかり考えているけれど、そういえば、この催しにお付き合いして下さっているお客さまも大変だ。。

「独立○○周年能」などの記念公演とか「披露能」「追善能」など、流儀や家、そして能楽師個人の節目となる記念の公演の場合、ご宗家や流儀の実力者、師家などのご来演を願って錦上花を添えて頂くのは能楽界の中にいる立場として必要なことで、これらゲストの方々に主催者の能に後見や地頭を勤めてバックアップして頂くことで催しの本来の意義が能楽界の中で認知される意味を持つ事になります。そしてこれらの方々に、能や舞囃子、仕舞、独吟など独立した演目を勤めて頂く事で、その記念の舞台を彩って頂くことにもなります。そのために演目が増えて、ときには能が3番にも及ぶなど、どうしてもこういう記念の催しの上演時間は長大化するのは避けられず、ときには上演時間は5~6時間に及ぶことさえ少なくありません。これは、何度も言うようですが、ある程度仕方がない事でしょう。

節目の記念公演でない定期公演の場合でも、その会の同人というか、その会を構成するシテ方の人数の都合によって、全員が公平に、年に1回以上シテを舞うように年間の番組を組むと、どうしても能が3番になってしまう事もあります。これまたそれぞれの演者がチケットを販売しているのですから、能を舞う機会を平等にするために必要な措置でありましょう。

しかし能2番が出される、現在としては平均的な催しであっても、お狂言のほかに舞囃子や仕舞が盛りだくさんで、結果的に長大な上演時間に及ぶ催しはたくさんあります。かく言う ぬえも、去年催した『第3回 ぬえの会』は師匠の舞囃子・仕舞のほかに来演願ったシテ方や先輩にそれぞれ仕舞をご披露願いました。これは定例の催しではなく「節目の催し」の一種だと思いますが、いずれにせよやはり長大な催しだったことは否めないと思います。

この時主催者の立場として ぬえが考えたのは、この日師匠家や他門からのゲストの方には後見や地頭と
して ぬえの能をサポートして頂いたわけですが、それだけですと弟子の立場として、また他門からご来演を願っている立場として、なんだか自分ばかりが脚光を浴びて、目上の方々をサポート役に押し籠めてしまうように感じて、申し訳ないという気持ちも持ってしまう。また先ほども言ったように「舞台に錦上花を添えて頂く」という意味からも、師家や先輩にも仕舞などを勤めて頂くことによって、お客さまに喜んで頂きたい、という気持ちも持っていました。

。。さらに正直に白状すれば、こういう方々が舞う演目を作ることで、無名の ぬえ一人が能を舞う、という番組よりも、多少なりとも集客にプラスになるのではないか、という打算があったことも、これまた否めない事情ではありました。ただ、お客さまの立場に立って、本当に楽しめる催しになったのかどうか。。いえ、もちろんそこまで考えて番組は作りましたし、「ぬえ君の催しはいろんな会の人の仕舞が見れて新鮮だ」とおっしゃって頂く事もあるので、あながち間違ったとばかりは言えないとは思うのですが、いや、ちょっと待てよ。。

劇団のお芝居を拝見してきました(続々)

2008-04-19 02:25:46 | 能楽
劇団の公演を見て考えたことなど。。続きです。

他のパフォーミングアートとか芸術分野とのコラボレーション、という事について、やや前回は脱線気味だったかなあ、と反省して。。能楽界全体が もしも現代劇とのコラボレーションに傾いていったら。。これまた確実に能の舞台のクオリティは低くなるでしょう。内弟子修行がいまだに健在な能楽界で、周囲とほとんど隔絶されながら能だけを見据えて修行する経験を経てきた能楽師であるのに、それでも近来は舞台の質の低下がささやかれたりもする。。基礎身体技術も発声法も能とは違うジャンルと共演することが、能にとって幸せな発展に繋がるとは、またどうも信じがたい事でしょう。

やはり能は能としての舞台を基本に置いておかなければならないのは自明ですね。当たり前か、こりゃ。

とすれば、やはり現代の能の公演を、劇団の公演を見に来るような観客、とくに若い人にどのようにアピールするか、という問題に集約されると思います。前回の ぬえの発言「能という殻だけに閉じこもっていては破滅につながる」というのは、あきらかに暴論でした。。ぬえの脱線の原因は、劇団の公演の隆盛を見て、つい「能も演劇の一つのジャンル」と思ったことが始まりで、その考え方自体は間違いではないと思いますが、その後「能は演劇」と能楽師が考えるべきかどうか、という方向に話題が行ってしまったのが敗因でしたね。

そうではなくて「能も演劇の一つ」とは、演者ではなく現代劇のお芝居をご覧になるお客さまに感じて頂くべきことでしょう。劇団のお芝居を見に行くのと同じ感覚で能楽堂に足を運んで頂く。。能を認知して頂けるような方法を考えるのが、いま能楽師に課せられた使命でしょう。他ジャンルとのコラボレーションやらは、伝統的な能の舞台を勤めるほかに、余力があれば試みる、というスタンスでなければ、能は現代劇に吸収合併されてしまうでしょうし、能楽師の魂を売り渡す行為になってしまうと思う。

で、この「一般のお客さまに能を知って頂く」という命題なんですが、じつはこれは能楽師はみ~んな、ずう~~っと試行錯誤しながら続けていることなんですよね~。大都市は言うに及ばず、能楽堂がなくふだん能の公演を見る機会が少ない地方都市でも、チャンスを見つけて能楽師はいろんな場所で「能楽講座」を催しています。ところがその講座は盛況でも、必ずしも能楽堂に足を運ぶ方、わけても各家の定例会の集客が思うように伸びていないという現状も、あちこちから聞こえてきます。このままでは観客席はだんだんと高年齢化をたどってゆく、という危惧の声も。。これはどうした事なのでしょう。

。。で、今回の劇団の公演を拝見して(やっと話題が戻ってきた。。)、あらゆる面で、能の公演とは違うなあ、と思うことがたくさんありました。前に書いた安価な入場料のこと、座席にあらかじめ置かれた30枚以上のほかの劇団のチラシ。。そしてそのチラシのデザイン。まあ、このブログで今回は意見した劇団の公演のレポートをするつもりだったのですが、気がついてみればまだ開演のレポートにさえたどり着かないうちから考えさせられる事ばかり。

そのうえ山猫軒さんや悠さんからもお意見を頂き、ぬえも気がつかなかった相違点も発見することができました。とくに印象に残ったのは。。やはり上演時間について、ですかね~。。

これについては ぬえも自分なりに考えるところもあって。次回は能の公演の「時間」についてちょっと考えてみたいと思います(ああ。。また劇団レポートが遠い彼方に。。)

「現代能・狂言面 作家展」@早稲田大学演劇博物館(続)

2008-04-17 02:39:13 | 能楽
え~、昨日は時間が許さずに表題の展覧会は見られませんで、「演劇講座」だけを見てきたので、仕方なく今日もういっぺん早稲田大学まで出向いて演劇博物館で催された展覧会を拝見してきました。

う~ん、よく存じている作家の方の作品もあれば、お名前だけ存じている方も、そして不勉強ながら これまでまったく知らない作家の方の面もありました。そしてまた展示された作品も、さすがに上手だな。。と感心する面もあり、この方にしては今回はあまり上作でもないものが出品されているようだけど。。?と思うこともあり、はたまた、どうもこれは。。と考え込んでしまう面もあり。さらに言えば、「あれ?あの人は展覧会への出品を頼まれなかったのかしらん?」と思う人もあり。

面白いことですが、昨日の講座の講師はいずれも能面製作に関する著書もあり、能楽界でも広く名の知られた方ばかりでしたが、お三方とも能面を打つのは誰か師匠について学んだわけではなく、独学で自らの技法を構築されたばかりでした。江戸期に世襲制だった能面打ちの世界が現代ではこのように様変わりしてきたのです。独学で面打ちを学んだ方は、誰にも知られずに ひっそりと技法の研究をし、孤高に製作を続けておられる方も多いと思われますが、独学であっても能楽師に認められて、立派に舞台で使われる面を打つようになる場合もあるわけです。

ぬえも、あるところで無名の面打ちが打たれた素晴らしい面を発見したことがあります。その方は、惜しいことにすでに故人でしたが、ご遺族と相談して、その面を譲り受けることができました。この面は ぬえの師匠からもお誉めの言葉を頂き、また舞台で実際に使った際にはご遺族の方をご招待申し上げました。また、おかしな話かも知れませんが、デパートの骨董市で素晴らしい面を手に入れた事もあります。これは焼印もありましたがやっぱり無名の方の作品で、格安で手に入れる事ができたのはありがたい事でしたが、いまだに作者の事はまったくわかりません。

このように優れた面を打つ事は、絵心とたゆまぬ研究心があれば決して不可能ではないことになります。舞台に使われるかどうかは、能楽師との出会いがあるかどうか、という事に尽きるのかもしれません。能面打ち・能面作家というのはプロとアマチュアの境がない世界なのです。ぬえにも、ぬえ専用にいつも面を打って下さる方があります。もうかれこれ15年以上のお付き合いになりますか。。ぬえもとっても信頼していて、もう何度も舞台でこの方の面を使っていますが、でもこの方は「自分はあくまでもアマチュア」というスタンスを絶対に崩さないですね。名前も公にしてほしくないようです。。

しかしプロとアマチュアの境がないからこそ、どうもおかしな事も起こります。昨日の講座の際に受講者に配られた岩崎久人さんの文章「面打ちのひとりごと」(『新・能楽ジャーナル』32号に掲載)はそのあたりの事情を伝えていて興味深い記事でした。「近頃は能面教室も日本全国に無数に出来、自称能面師も何百人と居る。関東だけでも百人近く居ると聞いている。(略)今日の繁栄が果たして良い事か疑問に感じているのは私だけではないだろう。」「免許や資格も必要としない面打の世界、使い物にもならない面を、外国の美術館や神社、寺、演者に寄贈しその事を売り物に面打と言い放つ者、「能マスク」とか「能面」その「お面」を貰い、有り難がる者…。」

たしかに最近では面打の方の中には「~~流宗家」を名乗る方もあるそうですし、能楽関係の雑誌や新聞に、なんとも不思議な見出しで自作の能面の説明をした展覧会の宣伝も見かける事がありますし。。演者からは離れた部分での事なので、それをもって善し悪しを ぬえが言う資格はありませんが、ぬえたちが大切に思っている事とは、ちょっと違う考え方もあるんだなあ、と思ったりします。

あくまで趣味として能面を打たれる方(こういう方は ぬえも大勢知っています)が増えるのは大変結構な事だと思います。でも、昨日の講座でもやはり言及されていましたが、こういう方の中には能を見たことがなくて打っておられる方もあるそうで、それはちょっと寂しい。そして、能面を打つ事を学ぶ場所が増えたことも結構な事ですが、舞台とはまったく関係なく能面を打つ事だけで完結してしまうのもまた、なんだか寂しいと思います。

話は変わりますが、昨日の講座では小林保治先生が「丹波篠山の能楽資料館にある慈雲院作の『弱法師』の面を高津紘一さんが写した面が素晴らしくて忘れられない」とおっしゃっておられました。でも、今日見たところでは展覧会には高津さんの『弱法師』は出品されていませんでした。ぬえはてっきり、小林先生は展示されている面の事をおっしゃったのかと思ったのですが。。小林先生は記憶でおっしゃっておられたのかも知れませんが、なんと。。ぬえ、高津さんが打った、その慈雲院の写しの「弱法師」を所持しているんです。



これがその「弱法師」で、もうかれこれ10年以上前、ぬえが『弱法師』を勤めた時に、やはり慈雲院の「弱法師」に惹かれて、高津さんに打って頂いたものです。「弱法師」は使うのが難しい面が多くて。。『弱法師』は専用の面を使うので、たった1日しか公演しない能のこと。ただ1日我慢して、師匠家にある面の中から拝借すれば良かったのですが。。そこはやっぱり演者で、どうしても慈雲院の「弱法師」が使いたくて、とうとう写しを作ってしまいました。でも、やっぱり作って頂いて良かったと思っています。やはり『弱法師』にはこういう表情の面が一番映るでしょう。この面は ぬえの宝物。(トップ画像はそのときの『弱法師』の舞台)

「現代能・狂言面 作家展」@早稲田大学演劇博物館

2008-04-16 02:07:50 | 能楽
>>山猫軒さま
まずはコメントありがとうございます。とっても示唆に富んだご発言で、ぬえも気がつかない点もありました。また、ぬえが以前から考えている事と同じ問題提起の部分もあって、それについては ぬえも思うところがたっくさん(;^_^A  あります。それについて書こうと思ったのですが、今日はまたいろいろな事があった日なので、とりあえず今日はその出来事を書こうと思いますので、ちょっと保留にさせておいてくださいまし~~

今日は表題の催しに行って参りました。。と言っても。。白状します。。まだ「展覧会」そのものを見てにゃい。。(・_・、) 行って来たのはこの展覧会と連動して行われた「演劇講座」です。今日は午前中は自分の事務仕事のようなことに熱中していまして、ついついその開講時刻ぎりぎりに早稲田大に到着しまして、しかも夕方からは自分の稽古をする予定にしていたので、閉講後はもう大急ぎで帰宅しなければならず、ついに肝心の展覧会を見損なってしまったのです。。展覧会はまた明日にでも見に行くか。。

さて「演劇講座」は 第1部~鼎談「創るにあたっての心構え」として能面作家の岩崎久人氏、高津紘一氏、そして狂言面作家の伊藤通彦氏が講師となり、小林保治氏が司会となって、能・狂言面の実作についての面打師の立場からの考えや体験が語られ、また 第2部~実演「実際にどう使われるかー曲とともにー」として野村四郎師、本田光洋師が計8面の能面を実際に掛けて、その使用曲の一部の実演が行われました。

まず行われた鼎談ですが。。正直に言わせて頂ければ、せっかくのこれほどの意欲的な企画なのですから、もう少し突っ込んだ展開を期待していたのですが、どうももう一つ焦点が合わない感じになってしまったと思います。ぬえは今回の講師の能面・狂言面作家のお三方とはいずれも個人的にお会いしたことがありますし、そのうちおふた方とはご一緒に飲んだこともある、という。。(^◇^;) だからこそ、それぞれ現代の能面作家の実情、そのあり方について熱い思いも持っておられるし、また それぞれ熱く「語る」方ばかりなのを知っていましたので、普段は一緒に語り合う機会もないであろうお三方に、自由に討論させて差し上げれば、ちょっと面白い提言も飛び出したんじゃないかと思います。もちろん、普段語り合う機会がなく、それぞれがご自分の仕事場で面と向き合っておられる講師の方が一堂に会するわけですから、いろいろと進行について熟慮された司会の小林師にも敬意を表しますし、時間の制約もありましたので、全体が模索の作業のうえにようやく実現した画期的な企画であることは十分に賞賛されるべきだと思いますが。次回、このような機会があるならば、ぬえはこのメンバーに、奈良在住の中村光江さんや、新進気鋭の新井達矢くんを交えて意見を交換する場面をぜひ見てみたいと思います。

第2部の実演では観世流の野村四郎師と金春流の本田光洋師という、どちらも能楽師の中でもとくに能面について造詣の深い方が講師として選ばれて実演する、これまた演劇博物館ならではの企画でした。流儀の垣根を超えて、おふた方が交互に面を掛けて実演し、そのとき実演しない方が面の解説と実演の地謡を担当される、という、おふた方にとっては大忙しのデモンストレーションで、紋付に面だけを掛けての実演は、面の動きに注目できて講座受講者にとってはまたとない機会だったと思いますし、両師とも話術に長けておられて、楽しい実演でした。

この時使われた面はほとんど演劇博物館所蔵、主に入江美法さんの面だそうですが、ぬえの個人的な感想ですが。。入江さんの面にしては、あまり感心できる面は多くなかったように思います。。それでも面をツカうと、グッと表情が出てきたり。面の隠された力もあったのでしょうが、やはり講師の両師が面に持っておられる探求心が面の魅力を引き出されのに相違なく、ぬえにとっては非常に勉強させて頂いた講義でした。

早稲田演博は、もうずいぶん以前になりますが同じような近現代の能面作家の展覧会を開いたことがありまして、その時に作られたパンフレットは明治以降。。実質は大正以降の、現代に繋がる面打ちの系譜をよく網羅した資料だったのですが、今回もよくまとまったパンフレットが作られたようです(ぬえは展覧会をまだ見ていないので、受講者が持っているのをチラ見しただけですが。。(^◇^;)。これも明日手に入れて蔵書に加えるしかあるまい。

それにしても今日の講義は満員御礼の盛況でした。著名な能楽師の先輩も、第一線で活躍される能面作家の大家も、中心的な立場の能楽研究者の方も多数顔を見せておられました。

でも ぬえが最もビックリしたのは、休憩時間に ぬえに声を掛けてくださった「能楽兎者(のうらくとしゃ)」さんでした!どうして ぬえの顔を知っておられたのでしょう。能楽兎者さんはと~~っても豊富な観能歴。。というか、それが現在進行形で続いておられるのが驚異的な方で、その舞台についての感想や評価をブログに綴っておられます。それどころか能楽研究者とも親交が深く、みずから絵筆も執っておられるという。。努力家で多才な方。ぬえにも昨年の自分の会のあとに親しくメールを頂いて恐縮しました。今後ともよろしくお願い申し上げます~~(*^_^*)

劇団のお芝居を拝見してきました(続)

2008-04-15 01:45:54 | 能楽
さて劇場に入ると、なにやら天井には配管がむき出しの、なるほど「ファクトリー」という名の劇場らしい。なぜか視界がかすんでいて、うっすらとスモークがたいてあるのかしらん。そして会場にはずうっとケルト音楽が流されているのでした。ん~~能楽堂ではあり得ない光景だな。。

でもここで ぬえが驚いたのは、すでに座席に置かれていたチラシ類の数の多さ。今回の公演の感想を書くアンケートなどもありましたが、ほとんどは他の劇団の公演のチラシで その数30枚以上!! 自分たちの劇団の宣伝をするならわかるけれど、なぜ他の劇団の公演のチラシなんだろう。。あるいは、それぞれの劇団の公演の際に自分たちの公演のチラシを配ってもらう代わりに、相手の劇団のチラシをこちらの公演の際に配る、というそういうシステムが構築されているんだろうか。。

それにしても この公演ひとつに30以上の別の劇団のチラシがあるとは何ともひしめき合っている感じです。。やっぱり劇団の数が多すぎて公演を成立させるのはお互いに大変、というような事もあるのだろうか?

しかし配られたチラシはデザインも凝ったものが多くて、結構お金も手間も掛かっていると思います。宣伝費にちゃんとお金を掛けられるのだから、劇団が多すぎて公演が過密状態、お客さまが分散してしまって公演が成り立たない、というワケではないのでしょう。ということは、それほど現代演劇を支えるお客さまの裾野が広い、ということなのですね。なるほど。。

考えてみれば、能のチラシのデザインも、この15年ほどで劇的に変わったと思います。かつては伝統的なレイアウトで配された文字しかなかった「番組」が、演能写真を載せてビジュアルに訴えかけるようになったり、さらには能の作品のストーリーとはまったく関係なく、作品の雰囲気をイメージさせるための風景写真やイラストなどが表面を飾るような「チラシ」になってきたのは、おそらく こういう現代演劇の劇団の宣伝方法を知った能楽師がそれを見習い、だんだんと広まったのではないかしら。

ぬえは思うのですが、今回の公演をご覧になるために集まったお客さまは、演劇としての能に対しても興味がおありになると思います。それでも能楽堂にこれら若いお客さまが多数集まるようなことがないのは、やっぱりこれは、能の公演が宣伝不足なのが原因なのではないでしょうか。この公演の際に配られた30枚超のチラシの中にも、もちろん能の公演の宣伝チラシはありませんでした。この日に集ったお客さまにとって能は、あいかわらず「能ってどこでやってるの?」という状態のままになってしまったわけで、これはもったいないように思います。。

ぬえは広い意味で「能は演劇の一種」と捉えているけれど、そうは思っていない能楽師も多いでしょう。かつて ぬえは同年輩の能楽師の前で能を演劇と捉えて話をしていたら、その彼は「能は演劇じゃないよ!」と、突然叫びだしたことがありました。「え。。?じゃ、何なの?」と聞いたところ。。「能は。。能だよ!」というお答え。。うん、気持ちはよくわかります。能を「演劇」と言ったとたんに、能が守ってきた「一番大切ななにか」が一瞬にして壊れてしまうような気は、ぬえもする。もしも能が演劇と自己定義して現代劇と交流を広めていったとしても、もちろん白塗りのアングラ劇と共演する事などは想像できない。

ただ、だからと言って能が「自分は“能”という孤高の存在」と殻に閉じこもってしまったのでは、それは破滅の道でしかないでしょう。現代劇や他のパフォーミングアートとも交流を持って、なおかつ能が「演劇になりすぎず」「能であり続ける」。。芯というかコアとなる部分を自己チェックする機能があれば、発展性も広がるのではないかしらん。そのチェック機能は、歴史的にもおのずから家元制度の中にあるわけで、ややもすれば封建的とか時代遅れのように言われる家元制度ですが、ぬえはこれが無かったら伝統の継承はあり得ない、文化の継承にはなくてはならない制度だと思っていて、それは現代でも十分に。。いや、むしろ 様々なパフォーミングアートが氾濫する現代にこそ必要なシステムだと思っています。

劇団のお芝居を拝見してきました

2008-04-14 02:27:31 | 能楽
今日は朝から師家で稽古がありまして、それが思いのほか早く終わったので、友人の劇団のお芝居を拝見に伺って参りました。ん~、日本で能以外のパフォーミング・アーツを見るのはもう何年ぶりだろう。。

その友人というのが、2月の初旬に ぬえが初めて参加してみた「演劇人交流パーティ」というもので はじめてお目にかかった演劇関係者のお一人だったのです。その程度のお付き合いだからちょっと「友人」とは言いにくいかもしれませんが、パーティのあと情報交換の連絡だけは続けていました。そしてこの度頂いた公演のお誘いの連絡は。。「私、主役なんです」 え~~マジっすか!!??

能とは違って数日間の上演でしたが、なかなか ぬえの時間が取れず。。今日は公演の千秋楽だったのですが、たまたま師家から歩いて行ける距離の劇場「笹塚ファクトリー」が会場だったのと、師家での稽古が終了した時刻がちょうど開演時間とうまく合ったために、ようやく拝見することができたのです。

「笹塚ファクトリー」。。笹塚は京王線の駅で新宿からはお隣の駅です。そして。。ぬえは書生時代に、その時期の半分はこの街に住んでおりました。現代では住宅事情もあって、ぬえの師家では内弟子修行は住み込みではなかったのです。でもまあ。。ある意味では住み込みよりも厳しく生活管理はされていましたですけれども。それでも今となってはなんだか思い出深い9年半の修業時代で、その苦楽を ぬえはこの街で感じながら過ごしました。でも。。この街に劇場があったとは知りませんで。。今日も急に拝見に行けることになったのですが、劇場が見つけられずに困りました。。なあんだ、駅前すぐにあったのね。。

ちなみに ぬえが拝見した舞台は IQ5000という劇団の公演「最後の旅立ち いかないで、おじいちゃん」というものでした。

劇団のURLはこちら→劇団IQ5000

会場の「笹塚ファクトリー」はビルの地下にあって、キャパシティは100名ちょっと、という感じでしょうか。今日はほぼ満席でした。しかし。。この公演を拝見して、能楽師として感じたことは本当にたくさんありました。見習わなければならないことも、能を再発見したことも。

今回 ぬえがこの公演を通して能について思うのは、まずは何といってもこのような公演の入場料の安さでしょうね。2,000円から3,000円までの入場料。。これは能では考えられない金額だけれども、やはり能を現代の若いお客さまに親しんで頂くには、まず最低数千円からという能の入場料では無理なのではないか? 。。これは自明の事なのかもしれないですし、現にこの公演に集まったお客さまは演者と同じ20~30代の若いお客さまが大半でした。

しかし出演料や面装束にかかる経費、そして舞台料を考えると、能楽堂はこの公演の数倍のキャパシティを持ちながら、能の入場料をこの金額のレベルにまで引き下げるのは容易ではないでしょう。国立能楽堂は安価に主催公演を提供しているけれども、それは出演料が通常の公演とは別に計算されるからなので、これを直ちに各流儀の自主公演に応用できるわけではないですし、現実問題として国立能楽堂の安価な公演がほとんど満員の盛況でありながら、そこに観客が集中するために、流儀の催しの集客が圧迫されている、という実情も耳にする事があります。

でもまた、古典芸能が必ずしもポピュラーとは言い難い現代、若い観客層を能楽堂に招いて、その魅力を知って頂かなければならないのが急務だと思うのに、流儀の主宰公演の高価な入場料は そのお客さまを生み出し、成長させる事をさえ拒絶してしまっている可能性が高いのも、これまた認めなければならない事実でしょう。「難しそう」「つまらない」という、ややもすれば若い方々に植え付けられているような先入観も、実際に舞台をご覧頂ければ払拭する自信を、演者として ぬえは常に持っているつもりではあるのですが、そもそも そういうネガティブな印象を持たれている古典芸能であるならば、なおさら「能楽堂に足を運びやすい環境」を、演者の側が提供できなければならないでしょう。

ここまで来ると能楽界のシステムそのものが問い直されている時期なのではないか、ぬえはそう思います。入場料。。すなわち出演料などの経費の問題、公演の広告・宣伝の問題。そして今回の劇団の公演で思った、お客さまへのケアの問題、というのもあります。ともあれ、まずは多くの方。。とくに若いお客さまにどうやって能に親しんで頂くのか。それは能楽師がよく催すワークショップや講座を開催するのとは別の次元で、いままさに問い直されなければならない時期に、能楽界は立たされているのではないか? と思います。たぶん多くの能楽師は ぬえと同じ危惧を多かれ少なかれ感じてはいると思いますが、能楽師の生活を保障しながら大きな変革を実現するのは困難でしょうから、なかなか打開策が見つからないのではないでしょうか。

でも、今こそそれを真剣に考える時。。なのかも知れません。。

インターナショナル邦楽の集い

2008-04-13 02:35:02 | 能楽
本年6月1日(日)、ぬえもずう~~っとお手伝いしている「インターナショナル邦楽の集い」が開催されます。なかなか興味深い催しなので、一度足をお運び頂けるとうれしいです。

この催しは長唄の発表会、というのが主立った内容なのですが、三味線や鼓などを演奏するのは日本に留学したり在住している外国人、というところが面白い催しです。ボランティアで外国人に長唄の三味線を教えておられる「代田インターナショナル長唄会」。。と言っても事実上 三味線の先生の西村真琴さんひとりの団体ですが、そこが主催しての生徒さんの発表会。まあ。。滞在期間の制約があって1年程度の稽古経験で舞台に立つ生徒さんも多いのですが、そこはそれ、日本人の演奏家がバックアップして、長唄のことはよくわからない ぬえから見ても、全体的には結構見られる演奏会に仕上がっている催しだと思います。

さて、そのような短期間の稽古しか積んでいない外国人の生徒さんのなかには、それでも 驚くような才能を秘めた方はあるわけで。これはいつも ぬえは感心するんですが、洋の東西を問わず、文化も、それに携わるためのテクニックも、簡単に身につけちゃう人ってのはいるんですよねえ。そのような方。。つまり西村さんから三味線の稽古を受けながら、なお余力を持っている人から希望者を募って ぬえがやはりボランティアで仕舞を教えております。そしてだいたい半年間、仕舞の稽古を積んで、いよいよその成果を発表する機会がめぐってきたわけです。仕舞を教えている感触では、外国人にとっては型そのものよりも、日本語でシテ謡を謡うのが難しいみたいね。(^_^;

それと面白いのは、外国人はみ~んな「下居」。。すなわち片膝をついて座る仕舞の最初の構エ。。これが苦痛らしいんですよね~。これは ぬえが外国で教えているときは米国でもヨーロッパでも感じたことで、生徒さんは皆さん、この最初のポーズからすでに苦痛を訴えてきました。ん~~?正座ができないのは当たり前としても、下居までつらいんか! 最近はイスばかりの生活に慣れてしまった日本人も要注意かも。。

それでもやはり三味線の稽古のほかにまだ余力を残している生徒さんだけが仕舞の稽古をするわけで、中には日本人のように、いや、あるいはそれ以上によく出来る人もおります。やっぱり才能ってのは、宿る人には宿るものなんですね~。

この催し、ぬえは彼ら生徒さんの仕舞を地謡としてサポートし、またチビぬえも豆ぬえも仕舞で出演します。そして ぬえ自身も番外仕舞として『弱法師』を勤めて彼らを応援!!

どうぞお誘い合わせの上ご来場をお待ち申し上げております。m(__)m

インターナショナル邦楽の集い

2008年6月1日(日) 開場2時30分 開演3時
梅若能楽学院 (JR総武線、地下鉄大江戸線 東中野駅徒歩7分)

     

または(地下鉄丸の内線、大江戸線 中野坂上駅徒歩7分)

     

【番組】

 長唄 雛鶴三番叟/いきおい/蜘蛛の拍子舞/元禄花見踊り  
 箏曲アンサンブル 夢の輪ほか Curtis Patterson(箏) /Bruce Huebner(尺八)
 仕舞 蝉丸/松虫クセ ぬえ社中
 仕舞 玄象 Matt Stern(カナダ)
    葵上 Kelley Comfort(カナダ)
    羽衣キリ Dana Buck(アメリカ)
    小督キリ Pennie Huang Tovar(アメリカ)
    小袖曽我 豊嶋正己(日本)Joseph White(ニュージーランド)
 仕舞 猩々 豆ぬえ
    嵐山 チビぬえ
 仕舞 弱法師   ぬえ
 笛一管      福原寛

入場料 3,000円(当日3,500円)
主催:代田インターナショナル長唄会

プロの長唄の囃子方のリードに頼りながらも、多くの外国人が演奏する長唄は なかなか壮観です。また日本国中で演奏活動をしている箏のカーティス・パターソンさん、尺八のブルース・ヒューブナーさんの合奏は毎年とっても素晴らしく、コンサートに彩りを添えています。

終演後には打ち上げパーティがあるんですが、さすが外国人ノリ! 毎年朝まで大騒ぎ~~ それが楽しみで ぬえ、ボランティアで教えているんだったりして。

扇の話(番外編3)

2008-04-09 03:07:00 | 能楽
扇の要の修理法を書いていて、そのままになってしまいました。前回の手順通りでいくと、もう片側の軸の頭をライターであぶりっぱなしになっているワケだが。。(^◇^;)

さてライターであぶって反対側の「頭」ができましたが、これはまだ球状。これを指先か、あるいはヘラ状のもので、まだ余熱で柔らかいうちに成形してドーム状にして要の穴をふさぎます。これでついに完成です!

まあ、考えてみれば、タコ糸を使う代わりにバイス(万力)で扇の骨を締め上げたり、何か道具を使う方法もあるかとも思うのですが、経験上、要の軸を「少し指先が痛くなるほどにグッと押し込む」というような作業を代役できる道具はないと思います。そうなると、バイスで骨を圧着させて、そこに指で要の頭を押し込むのでは作業のバランスが悪く、結局タコ糸で縛り上げたうえで手で扇を握った方が全体の作業にバランスが取れるのですよね。

で、これでとりあえず扇として間違いなく再生はするのですが、前に書いたとおりこの修理法は「不完全」なのです。その理由は。。要の軸に使った使い古しのボールペンの芯が「管のまま」要の軸になってしまうからなのです。その証拠画像がこれ ↓



要が黒く見えるのが通常の扇で、白いのがボールペンの芯を使って修理した扇です。

このときは白い芯のボールペンを使ってみたのですが、この時はまあ、なんとか溶けた芯が中空になった芯の穴を塞いだ格好にはなりましたが、実際には半透明の普通のボールペンの芯では、芯の中空がそのまま残って要の軸になってしまいます。使い古しではない、まだ黒いインクが中に残っている状態の芯を使って試してみたこともあるのですが、これは芯をライターで溶かしても穴が完全に塞がれるわけではないために、黒いインクが漏れだしてきてダメでした。要の部分を握ると手が真っ黒になるという。。

これを防ぐためには、やはり修理の素材をボールペンの芯に求めたところがすでに間違いのもとなのかも知れません。ま、手頃な素材で修理するには適当な素材なのですが、やっぱりこれは稽古用の扇の修理法ですね。本式に修理をするのであれば、中空でない黒くて細い棒状のプラスチックの素材を用意するのが本当でしょうね。おそらくプラモデルを扱っているホビーショップなどには豊富に取り揃えられているでしょう。

う~ん、なかなか扇の修理は奥が深いと思います。。

第15回 明野薪能

2008-04-07 21:48:08 | 能楽

もう一昨日の事になりますが、4月5日、茨城県・筑西市で行われた「明野薪能」に参加してまいりました。

今回は薪能の15周年記念公演で、もうこの薪能も15年も続いているのですね~。終演後に毎回、実行委員会の皆様と出演者とがうち揃って打ち上げパーティがあるのですが、このとき、なんと第1回目の薪能の番組、チラシ、ポスターが展示されました。物持ちの良い人はいるもので。で、第1回目の薪能のポスターは手作り、番組も曲名と演者の名前が文字で書き表されているだけで、とっても素朴なものでした。でも ぬえ、第1回目から出演していました。へ~~、なんだか自分ではあっという間に感じるけれど、もう15年もお手伝いに伺っているのかあ。。

大倉正之助氏が企画して実現したこの薪能、じつは ぬえにはもっと違う意味で深く関係しているのでした。毎年夏に伊豆の国市で行われる「狩野川薪能」。。これも大倉正之助氏の尽力で開催されて、毎年 ぬえがシテを勤めさせて頂いている催しですが、こちらも今年で9周年を迎えます。そして、この薪能の際に使われる仮設舞台は、この明野薪能のお舞台なのです。

明野薪能の実行委員会のスタッフは大工さんや設計士の方など技術者が多くて、なんと薪能の際には毎回自分たちで仮設舞台を設営してしまうのです(!)。それで伊豆の国市の「狩野川薪能」でも茨城県から伊豆まで舞台を運び、明野薪能の実行委員会の皆さんが舞台を設営してくださいます。聞けば毎回、深夜に茨城を出発して早朝に伊豆に到着。それから1日がかりでお舞台を組み上げるのだそうで、それはそれは大変な作業です。

「狩野川薪能」では「子ども創作能」という、地元小学生が出演する新作舞台を毎年上演していますが、この明野薪能実行委員会のみなさんの苦労を知ってからは、開演前に必ず子どもたちを舞台に登らせて、明野のみなさんにお礼のご挨拶を述べさせるようにしています。やっぱり自分たちの舞台を支えてくださる人がある事を知って、その方たちに感謝の心を持って舞台を勤めなければ成果などあがるはずもない。

さて明野薪能では、こちらはやはり地元の子どもたちが出演する曲目があります。こちらでは狂言方がその指導にあたっていて、薪能の冒頭に小舞と狂言(ちゃんと装束を着けた本式の狂言)が上演されました。狂言を演じたのは高校生だったのですが、彼らは小学生からずう~~~っと薪能に携わっているのだそうです(!)。これまた稽古をそれだけ続けるのは並はずれた事でしょう。

東京ではもう桜はほとんど散ってしまったのに、当地ではちょうど満開でした。いつも桜の頃に催される薪能。風情があってよいものですし、子どもたちが毎回取り組んでいる姿も、桜に映えるような気がしますね。

今回の ぬえは伊豆の子どもたちの指導のために、開演前にこの舞台の寸法を計って、また終演後のパーティでは実行委員会の方々と写真を撮りあって、夏に伊豆の国市での再会を約束してお別れしました。伊豆の子どもたちのお稽古はいよいよ始動したばかりですが、夏までには、このお舞台を拝借して、そこで存分に稽古の成果を発揮できるよう祈っています。

それまでには子どもたちも、あるいはつらい思いをしながら稽古をする事もあるかも知れないけれども、やはり与えられたお役をやり遂げる事で、ひとつ彼らも大人になるのでしょう。そのためには、それを支える方々のお陰で自分たちが一生ものの体験をする事ができるのだ、ということを分かっておいて欲しいと思います。

茨城のみんなも、伊豆の子どもたちもガンバレ~~

扇の話(番外編2)

2008-04-03 07:05:09 | 能楽
扇の要が傷んだとき、ぬえはボールペンの芯を利用して修理しています。ん~、ただ ちょっと不完全なやり方なので、これはもっぱら稽古用の扇の修理だけにしか使えないワザではありますが。

さてボールペンを使ってどうやって修理するのかと言うと。。じつはボールペンの芯というのは、偶然にも扇の要に軸を通すための穴と直径がピッタリ一致するのです。そこでもうインクがなくなった使い古しのボールペンから芯だけを抜き取って、それを要の軸の代用とします。

まず使い古したボールペンの芯を用意して、扇の要を通し貫いている軸を取り去り、代わりに芯のお尻の方(ペン先とは逆の方)を差し込みます。要の穴の反対側から芯を3~4mm出したところで、扇と芯をしっかりと握って、その突き出た芯の部分をライターの炎であぶる!

。。するとあら不思議、炎の熱で溶けたボールペンの芯は、くるくると丸まってゆくのです。ボールペンの芯の丸まった部分がふくらんで球状となり、もとの要の軸と同じくらい、十分に要の穴をふさぐくらいまでの大きさになったら、今度はその反対側、ボールペンのペン先の方から少しだけ、1~2mmだけ引っ張ると、先ほどの溶けて球状になった部分は引っ張られて、ドーム状にうまく要の穴をふさぐ頭になります。これで片側は完成しました。芯が冷めるまで待って、次の作業を開始します。

さて次に、扇の骨の部分、握る部分をタコ糸などでしっかりと巻きます。この作業の巧拙が出来上がりの成否を左右すると言っても過言ではないので、できるだけ要に近い部分を、できるだけ堅く縛り上げる、という感じでお願いしますね~。要するに扇の骨と骨とを密着させるので、この圧着したテンションがそのまま、修理が終わって復元された扇を拡げるときの「堅さ」というか「拡げやすさ」に反映されます。

ここでシッカリ圧着させておかないと、修理が終わった扇の要はやっぱりグズグズのままで、たとえば拡げた扇を左手で持つ場合もダラダラと閉じてしまう、というわけです。逆に縛り上げ過ぎると扇を拡げるのが困難になりそうにも思いますが、実際には人の力でそこまで締め上げることはできないので、「やりすぎかな?」と思うぐらい締め上げるつもりで縛る方が良いと思いますね。なお、縛った状態でなお扇の骨の密着にテンションを加え続けるのであれば輪ゴムで締め上げた方が良さそうなものですが、実際には要にほど近い部分を縛り上げ、あとで再び要をライターであぶるので、やはり輪ゴムよりは熱に強いタコ糸の方が良いと思います。

出来上がりましたら、扇の要に近いあたりを左手で持ち、親指でさきほどの芯の「頭」の部分をおさえ、反対側、つまりペン先の方を、やはり要の穴から3~4mm顔を出した状態で、余りの部分(ペン先)をカッターなどで切り落とします。そして、穴から3~4mm顔を出した芯を再びライターであぶって、これで要の穴を両側から押さえつけて綴じる軸を完成させるわけです。

この時左手の親指で、先に完成した「頭」を ただ押さえるのではなく、少し指先が痛くなるほどにグッと押し込む気持ちで押さえつけないと、やっぱり出来上がりの要はグズグズになります。。タコ糸で扇の骨同士を密着させ、左手の親指で要にテンションを掛ける。こうする事で、しっかりと締まった要が再現できるんです。あ、それから左手の やけどにも注意してくださいね! この作業の時、左手は要のすぐ近くを持っていて、しかも親指に力を入れる事に意識が集中しているから、ライターの炎で人差し指をやけどする危険性があります!

扇の話(番外編)

2008-04-01 09:18:56 | 能楽
えと、前回で最後にする予定だった扇の話ですが、もう一つだけ、扇の要の修理について記しておこうと思います。おそらくこのブログを読んでくださっている方の中には謡や仕舞のお稽古をされておられる方もあろうと思いますので、少しは有用かも。

扇を使う。。とくに仕舞で扇を使う場合は、丁寧に扱っているつもりでも、どうしても扇は傷んできてしまいますですね。ぬえは、能の扇の扱いの作法は、できるだけ扇を傷めないように、という観点からも定められているようにも感じます。たとえば舞台で拝見している限りでは、お狂言方は扇を拡げるときに地紙のところを持って拡げておられるようですね。これはこれで独自の主張があるのだと思いますが、能の、というか少なくとも ぬえが属する観世流では扇を拡げる場合は地紙ではなく左手で骨の部分を持って、そして拡げることになっています。これに限らず、少なくとも ぬえがもつ印象では、観世流では扇の地紙の部分には極力さわらないように、型や作法が定められているように思います。扇の地紙の部分に触るのは、扇を左手に持つ場合と、閉じた状態の扇の真ん中を握る特殊な型の場合だけに限られているように思います。それでも扇はだんだんと傷んでくるのですが、これはある程度仕方がないのかもしれません。

で、地紙が傷む場合は、これはスレが原因である場合がほとんどで、ハネ扇などの型で扇を傷めて、地紙の折り目が切れてしまうのです。これは修理できません。ぬえもいろいろと修理法を試してはみたんですが。。地紙の表面と裏面とを剥いで、その間に別の紙を補強に入れてみたり、ラップフィルムをはさんでみたり。。でも、あまりうまくいきませんでした。やっぱり折り畳まれた一連の紙のあの折り目を、まったく同じテンションで復元させるのは ぬえは不可能だと思う。もしも出来る方がおられましたら、やり方を ぬえに教えてください~~ (・_・、)

もう一つ扇が傷む場合は、扇の要を綴じている「軸」が折れてしまったり、ゆるんでしまう事でしょう。

古い扇では要はクジラの髭を利用して綴じられていて、これは使い込んでもそれほど緩むことはないような気がします。それでもその軸のアタマが欠けてしまうことはありますね。現在の扇の要はプラスチック製が主流ですから、使い込んでいると要が緩んできて、拡げた状態を保てないという事にもなってくるし、最悪の場合は要が壊れてしまうこともあります。こうなると扇は崩壊してしまいます。。ぬえは『田村』のキリの仕舞で「ひと度放せば千の矢先」とハネ扇をした瞬間に要の軸が折れ飛んで、扇が一瞬に崩壊したことがあります。瞬時に「南京玉簾」状態。。まあ本公演ではなくて稽古だったから良かったですが、師匠の目前でやってしまい、地謡ともどもその場でフリーズしてしまいました。。(;^_^A それ以来、仕舞の出演がある時には、扇の要を欠かさずにチェックするようになりました。

まあ、そこまでひどくなくても、扇の要が緩んできてしまうのは仕方のないところで、じつは要は修理に出せるのです。扇屋さんに直接持ち込むか、あるいは扇を取り扱っている謡本屋さんを通じて扇屋さんに送れば、要は修理してもらえます。それもかなり安価だったと記憶していますが。。最近 ぬえはわざわざ扇屋さんに頼まずに扇の要は自分で修理するようになったので、ぬえの記憶はずいぶん以前の事になりますが、それでも、おそらく今でも要の修理はしてもらえるでしょう。

で、自分で修理する場合はどうするのか。ぬえはボールペンの芯を利用しています。