ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

子ども能…お揃いのTシャツが完成しました~(その2)

2010-10-31 00:31:36 | 能楽
こうして一昨年から、ふだんの子ども能の稽古のほかに、子どもたちを誘って、稽古場の外へ出る試みを始めました。

この時…機が熟していたんでしょうね。一挙にいろんな催しが始まりました。まずは市内で開かれている花火大会(3日間に渡って催され、かなり大規模なもの!)を みんなで見に行くことにして…これは花火大会の事務局に事情を話したところ、市内の子どもたちのためなら! ということで、有料の桟敷席の売れ残りの席を子どもたちにプレゼントして頂いちゃいました。あとで聞けば、どうやらこの桟敷席、普通に買うと2万円もするそうです(!) ご好意で、ホントにありがたかったですし、このプレゼントはずっと続いて毎年子どもたちは花火大会を楽しんでおります。

それから、今年は願成就院さまに詣でたように、子ども能にゆかりのある寺社に参詣して、謡を奉納すること。一昨年は北条義時の墓がある その名も「北條寺」に、去年は頼朝が崇敬した守山八幡宮に。そして今年は願成就院さまのほか、催しの前日には会場となる大仁神社でお祓いを受けさせて頂けないか、現在交渉中です。これらの参詣では、子どもたちが謡を奉納するほか、ご住職や神主さまからも法要やご祈祷を、さらに当地にまつわる歴史を子どもたちにお話頂くことで、子どもたちにも、創作舞台は ただチャンバラをして遊ぶだけではなくて、自分たちが生活しているこの土地にかつて起こった歴史的な事件があって、それを舞台に再現しているものなのだ、という自覚を持ってもらうことが、多少なりともできたのではないかと思います。こういった機会を得ることで、郷土の歴史への認識を持ち、郷土愛にまで育っていったらいいなあ、と思いますね。

さてTシャツに話を戻して、あるとき…これも一昨年ではなかったかと思いますが、こういったイベントを ぬえが企画した際に、ふと…子どもたちがおそろいの「薪能Tシャツ」を着て集まっている事に気がついたのです。

…どうも仕掛け人がいたようで、それは子どもたちのお母さんの中の一人の人だったようです。「ぬえ先生がこうやって、みんながそろうイベントを企画しているんだから、みんなも団結していることを表すために、おそろいのTシャツを着て集まろうよ」…そんな事を子どもたちに直接言った、ということを、ずっと後日になって聞きました。

それが一つのキッカケになったのでしょう、その後は、それこそ今日に至るまで、稽古のときにさえ 多くの子どもたちはおそろいのTシャツを着て現れます。イベントの時は、ぬえから「この日は薪能Tシャツで集まりましょう」と呼び掛けてはいるけれど、もうそんなことは言わなくても み~んな同じTシャツで集まっちゃうもんね。

ところが…そのTシャツも、だんだんとストックがなくなってきました。正直、いまこの「薪能Tシャツ」を普通に着ているのは ぬえの教え子の子どもたちだけ。さすがにもう新しいTシャツも作られなくなり、主催者がかき集めてくださったTシャツを、毎年新しい参加者の子どもたちに配っていくことで、なんとか子どもたちもおそろいのTシャツを着てイベントに集まることができたのです。

でも、それも もう終わりです。今年の新規の参加者の子どもたちにTシャツを配ったところで、本当にストックが底をつきました。

で、時を同じくして…一方お母さん方からも「新しく子ども能だけのためのTシャツを作ってはどうでしょうか」という意見 ぬえにもたらされました。これが去年のことです。

子ども能…お揃いのTシャツが完成しました~(その1)

2010-10-29 12:51:43 | 能楽
もう来週に迫った伊豆の子ども能ですが、このほどユニフォーム? のTシャツが出来上がりました!

このTシャツの制作については kyoranさんという方の、まさに献身的なお手伝いがありました。この事につきましては後日 詳細にご報告致しますが、まずは出来上がったTシャツを見てください!

子ども能とTシャツ…じつは長~い歴史があるんです。もう11年前…まだ町村合併もしていない頃の当地で始まった薪能と一緒に「子ども創作能」もスタートをしました。その時にイベントのスタッフのために制作されたのが、いま子どもたちが着ている、通称「薪能Tシャツ」なのです。先日、その制作をした印刷屋さんを訪ねましたが、当時は100枚以上作られたのだそうです。

その後薪能はずっと公演を続け、三つの町が合併して「伊豆の国市」が誕生したのちもそれは続いて、子ども能も能楽師が演じる能や狂言の、いわば前座のような形でずうっと上演を続けてきました。スタッフのTシャツも何回か補充はされたでしょうが、「子ども創作能」に出演する子どもたちにも毎年Tシャツは配られていたようです。もっとも ぬえだけは毎年もらえずじまい。当日は、もうバタバタと楽屋を行き来していますもので、終演後に実行委員会に顔を出しても「え? Tシャツ? もうXLしかないですよ」なんて言われてました。(^◇^;)

ま、そうこうしているうちに、ぬえも薪能の前日に「明日は忙しいから、あらかじめTシャツください」と言う知恵がついてきまして、ようやくTシャツを手に入れたのでした。(遅)

でもねえ、当時はまだ子どもたちはTシャツをもらって喜んでも、公演当日にもらって おみやげになる程度だったと思います。ぬえも同じようなものでした。そのうち、スタッフの方が気を利かせてくださって、公演の前日とか、最後の稽古日とかにTシャツを配ってくださり、それ以来子どもたちは薪能の当日に、同じTシャツを着たスタッフに混じって、この「薪能Tシャツ」を着て集まるようになった…そんな経緯だったと思います。

ところが3年前ぐらいかなあ、様子が変わってきたのは。もう長いこと子どもたちの稽古をつけていると、自然に仲良くなっていきますし、その中には小学校の低学年の頃から「子ども創作能」に出演していて、最初は地謡から…そしていつかは主役をやるんだ! と、成長していく子どもたちの姿にも喜びを見いだします。

いや、子どもたちとのお付き合いの中で、ぬえは本当にいろんな経験をしましたよ。喜びも多いけれど、つらかった事も数知れないです。子どもをお役から降ろしたこともあるし、子どもの前で泣いたことも、成果が挙げられなかった事でお母さんに泣いてお詫びしたこともあります。

そんな中で、ふと ぬえは気づきまして、ただチャンバラを楽しむだけの「子ども創作能」でいいのかな? と思うようになりました。「子ども創作能」は能の形式は踏んでいても、あくまで創作舞台ですので、本物の能面や能装束を着せるのではなくて、多くはお母さんの手作りの装束や道具だったりします。そして小学生が演じるのだから、繊細で優美な曲よりも、刀で斬り合うような、動きの激しい曲である方が良いでしょう。そこで台本も、地元に伝わる民話~勇者が大蛇を退治した話とか、それから当地が歴史の深いところなので、北条氏の逸話とか、また今回のような頼朝の挙兵などを題材にして作っています。こうしているうちに、どうも能や日本の文化を、子どもたちが感じながら舞台を演じているのか、それとも、舞台の上で飛んだりはねたり、そういうアクション劇として舞台を楽しむだけで終わってしまう子もあるのではないか?

こう思って、稽古の機会に子どもたちと一緒に、いろんな体験をしてみる事にしました。

子ども能…願成就院参詣(その5)

2010-10-28 01:42:11 | 能楽

この日の子ども能の稽古は、本番の公演と同じ大仁神社の神楽殿で行われました。

大仁神社は、頼朝が挙兵の成功を祈った守山八幡宮と同じく、そしてまた三島大社や伊豆山神社のように長い長い歴史を持った神社です。小山の上に拝殿がそびえるのですが、そこに続く階の下がちょっとした広場になっていて、面白いことにはその境内を囲んで円形野外劇場のように石段の客席?があること。神楽殿も拝殿・本殿ではなくこの広場に向いて建っています。

まあ…去年までは大きなホールに組まれた、仮設の、しかし本式の能舞台で演じられてきた子ども能でしたが、いろいろな経緯があって、今年からは神社の境内の神楽殿で、秋祭りの際に演じることになりました。いつかまた、子どもたちを能舞台に立たせてあげたい、という ぬえの願いは今も変わらないですが…

…ところが、いざ実際に神社の神楽殿の上で稽古をしてみると、ああ、ここはなんて見栄えの良い舞台なんでしょう! 境内の広場からは相当に高い位置に舞台が作られていまして、広場から見ると、演者が際だって見えますね~。当日は神社の秋祭りの中で演じるのですから、相当にワイワイガヤガヤ、喧噪の中での上演になろうかとは思いますが、ここまで舞台が高く造られていると、否が応でも注目が集まります。これなら相当強いインパクトをお客さまに与える事ができるかもしれない。

手前味噌ではありますが、ぬえが10年掛けて作り上げてきた子ども能は、小学生が演じるにしては かな~りレベルが高い舞台になっていると自負しております。やっぱり「継続は力」ですよね~。み~んな低学年の時には地謡だけを勤めて、いつかあの立ち方を、主役をやるんだ! と憧れを持って先輩の演技を見つめて。そうして高学年になった頃には、型なんてとっくに見知っているのです。型の基本がわかっていれば、個人のクセを直したり、長所を引き出すのはずっと容易になります。これを10年も続けていれば、もう当地の子ども能というものの輪郭は揺るぎなくなっていますね~ ぬえは市内だけで演じているのは もったいないな~、なんて時々考えます。

それでこの日の稽古なんですが、いや、今までで一番良かったんじゃないかな。みんな大きな声が出せているし、舞台狭しと大暴れ。楽しそうに演じています。おいおい、舞台から落ちるなよ~?? なんだかこの日は稽古とは名ばかりで、直すところがほとんどありませんでした。やっぱり先日、敬老会ではじめて人前で上演する機会を得て、その経験が彼らのバネになったのかも知れない。



こうしてこの日の稽古は終わりました。もう ぬえは本番の出来に不安はぜ~んぜん持っていません。がんばれや~、みんな!

その後、じつはもう1度子ども能の稽古があったのですが、なんだか書き込みが追いつかない…このところまた忙しくしておりまして…

そうして、本日 子ども能のために大きなプレゼントが! とうとう ぬえ家に到着しました。これまたその準備のための大変な作業を9月からずうっと続けていて、それがついに結実したのでした!

子ども能…願成就院参詣(その4)

2010-10-22 11:02:44 | 能楽

新聞報道 第二弾! 静岡新聞です。こちらは県全域をカバーする新聞ですから扱いは小さいものの、なんとカラー写真つき! そのうえその写真が伊豆日日新聞とは反対側から撮影した写真で、これはまるで打合せでもしたようですね~。これで子どもたちの顔はなんとかみんな写っているのではなかろうか…あ、下を向いている子がいるね! しまった! やはり子どもたちには台本を見てはいけないよ、と言っておくべきでした…いえ、謡っている最中にも、撮影が始まったに気がついたので、心の中で「みんな~まっすぐ前を見て~!」と思ったのですが、さすがに言い出して謡を中断するわけにもいかず…これからは本を見ないで謡うことに徹底しましょう…

さてTシャツの文字の揮毫に願成就院を推薦してくれたこのお母さん、聞けば願成就院の檀家さんなだそうです。ははあ、さすがに地元の人ですから、こういう事もあるのねえ。東京なんかではお寺さんとのおつきあいなんてほとんどないですが…。

そうしてこのお母さんからの情報では、ご住職は達筆で、求めがあれば気軽に応じて字を書いてあげる事もあるのだそうです。さらにさらに、子ども能を支えてくださっている主催団体「能友の会」の会長さまもご住職さまと懇意にしておられて、そのお勧めも頂きました。それなら、と ぬえはご住職に揮毫のお願いにあがることにしました。

このとき、たまたま ぬえの東京のお弟子さん方と一緒に伊豆旅行を計画していましたので、その機会をとらえてお寺に参詣し、ご揮毫をお願いしましたところ、快く引き受けて頂きました。お願いしてみるものですね~(^^)V

この日、ご住職は子どもたちに歴史的なお話をして下さったのですが、ご自分が子どもたちのTシャツのために文字を書いてくださったことには触れられなかったので、ぬえから子どもたちにご紹介させて頂きました。

さてこうして奉納謡も無事に終わり、境内にある北条時政のお墓にもご挨拶をし、それから隣接して建つ守山八幡宮に参詣しました。

守山八幡宮は古い神社で、頼朝が伊豆に流されて来たときにはすでに社殿がありました。八幡神は源氏の氏神で、それを庇護してくれた北条家が信奉していたことに頼朝は感激したことでしょう。昔の人は信心が厚いですからね~。頼朝挙兵に当たっても、決行の日を8月17日に定めながら前夜までに同心した兵が揃わず、いったんは延期を考えながら、翌18日は頼朝が幼少期より観音像を祀って祈祷する習慣があったためにそれを変えられず、やむなく期日通りに決行した話が『吾妻鏡』の中に出てきます。

同じく頼朝は、守山八幡宮や伊豆山神社、三島大社を崇敬していたことが知られ、去年の子ども能では事前にこの守山八幡宮に子どもたちと一緒に詣でました。八幡宮では「二礼二拍手一拝(二礼二拍手一礼、二拝二拍手一拝…とも)」の礼法を子どもたちに教えてあげましたが、みんななんだか楽しそうに参拝していました。

さあて、これで奉納謡も終わって、午後からは子ども能の稽古です~ (^^)V

子ども能…願成就院参詣(その3)

2010-10-20 20:35:02 | 能楽

新聞記事、届きました~~! まずは伊豆日日新聞。さすが地元紙だけあって、なんと1面トップ扱いですっ!(゜_゜;)

ん~以前、カメラマンの山口宏子さんを通じて、カンボジアの小学校に使っていない楽器を贈るプロジェクトに共鳴しまして、伊豆の子どもたちやお母さんに呼び掛けたところ、元・教え子が所属する大仁中学校のブラスバンド部から多くのリコーダーが寄贈されたことがあって…あのときも教え子から ぬえに楽器が贈呈される様子を日日新聞さんでは1面トップの扱いにしてくれましたっけ。ありがたいことです~m(__)m

さて願成就院ではご住職さまより子どもたちに頼朝の挙兵のお話をして頂きました。前述の通り、伊豆をめぐる頼朝の逸話はキレイごとではない部分も多いのですが、まずは挙兵当時の若々しい頼朝の決意を、子どもたちがこれから立ち向かう舞台や人生になぞらえてお話頂きました。

ところでこのご住職さま、子ども能にとっては今後ずうっとお側で見守ってくださることになります。

どういう事かというと、これまで子どもたちがユニフォームのように着てきた「狩野川薪能」Tシャツをこのたび新調しているのですが、その背中に大きく「能」という文字を入れ、その字こそ、この願成就院のご住職さまにご揮毫をお願いしたものなのです。

いやこれが…詳しくは今後Tシャツが出来上がったときに経緯はまとめてご紹介させて頂く予定ですが、背中に一文字の漢字を入れることは最初から決まっていたのですが、当初は「舞」という字を入れようと思っていました。なんとなく「能」じゃストレート過ぎるかなあ、と思いまして。

これはこれで かなり悩みまして、ネットで目星をつけた書家の方に直談判して、ほとんど謝礼ができないヒドイ条件ながらご揮毫をお願いしようか…なんて状態でした。その後、子ども能出演者のお母さん方にもたくさん意見を出して頂きまして、ほ~んとにいろんな事を考えて、そうして やはり文字は「能」で行こう! という事になったのでした。

でも、字は何であれ、問題は誰がそれを書くか、ということですよね~。「能」に決まるまでが紆余曲折の連続でしたから、いざそれに決まって、またここで行き詰まっちゃいました。あ~誰が書いてくれるんだろう~~?? 子どもたちが習っている書道の先生…とか?? ええい、いっそのこと ぬえが書いちゃおうかなっ…でも ぬえ、あんまり字は上手じゃないしなあ。面白いアイデアでは、ヘタうまを狙って子どもたちに書かせてみる、なんてのもありました。これはかなり有力な案になったのですが、Tシャツ製作のスケジュールとしてはそろそろ時間切れでして、みんなが集まったところで筆や墨を用意して…というところまでの準備は無理でした…

悩んだその時! お母さんのお一人が ぬえに提案してくださったのです。「あの~。今度みんなで願成就院さまへお参りに行くのですよね? Tシャツの「能」の字…こちらのご住職さまにお願いしてはどうでしょうか」

ををっ…?? (゜_゜;) そんな事ができるの?

子ども能…願成就院参詣(その2)

2010-10-19 03:36:08 | 能楽

さてみんなが着座したところでご住職さまから子どもたちのために読経がありました。舞台の成功を祈願してのささやかな法要といったところですね。このことは事前にご住職さまと打合せを済ませておりまして、「それなら般若心経でも…」というお言葉だったのですが、この日はそれに続けて毘沙門天・不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子の4尊像にちなんで、その真言が唱えられました。

真言…願成就院さまは真言宗のお寺ですね。北条時政の時代がどうだったのかは ぬえは不勉強にして知りませんが、ご本尊は阿弥陀如来ながら、そのほかに運慶が作った仏像が武神や不動明王であり、不動さまには脇侍までちゃんと揃った形であることを思うと、やはり当初から真言宗だったのでしょうか。もっとも戦勝祈願を目的に建立された、という特別な事情もありますから、それも考えなければなりませんが…

そして いよいよ子どもたちの謡の奉納です。今回上演する子ども創作能『伊豆の頼朝』の一部を着座したまま謡って仏前に奉納するのです。子どもたちは2列に座って、前列の中央に主役の二人(この二人だけが独吟する箇所があります)が座り、残りの子どもたちは(本来武士役の子どもも)地謡を担当します。ぬえは後列のまた後ろに座って「せ~の」「はい」みたいなコンダクター。(^_^;)

いや、これが良かったです。なんと言うかな、先日の敬老会での上演が彼らの稽古に弾みをつけたのは疑いがないところでしょう。みんな背中をまっすぐに伸ばして大きな声で…ああ、教えて良かったな~と思うのはこういう場面ですね~。

この奉納謡を、もう3年続けています。子ども能は子どもたちが演じる、というその性格上、どうしても飽きないようにチャンバラを主眼において組み立てなければなりませんが、ややもすれば子どもたちはチャンバラを楽しむために応募して、そうして、そのまま演じ終えてしまう…いや、本当のところ彼らがどう思っているのかはわかりませんが、何年も子ども能の指導を続けている ぬえにとっては、結構重大な問題でした。ぬえにとっては、一代目の能楽師だからこそ切実に感じるのかも知れませんが、子ども能は子どもたちにとって能や日本文化に触れる機会であってほしいのです。

ましてや、上演する曲目が地元で起こった事件を題材に用いているとなれば、この地に生きる子どもたちにとって、チャンバラをやって楽しかった、で終わらせてはならないです。ま、正直 ぬえ自身、伊豆については何も知らなかったのですが、台本を作る上で当地で何度も取材をして、ようやくこの地がいかに日本史のうえで重要な役割を勤めてきた地だということを知りました。こうしたことは学問以上ですね。実地に踏査をして地元の人にお話を伺うと、ぬえが古典文学から得た程度の知識では到底わからないようなお話も何度も聞く機会がありました。これを、演じる子どもたちが知らないのではいけないのでは…と思ったのが、ぬえがこの寺社参詣に子どもたちを連れ出すことを考えた大きな理由でした。

さてそうして、奉納謡が終わったところでご住職さまからお話を頂きます。頼朝の能がどうしてこの地で上演されるのか、願成就院というお寺が頼朝とどのように関わっているのか…ご住職はかつて学校の先生をお勤めになってもおられたそうで、子どもたちにもわかりやすく、言葉をかみ砕いてお話ししてくださいました。

おっと、この日の集合写真がようやく ぬえにも届けられました。それがタイトル画像です。

そして、なんと今日、地元紙『伊豆日日新聞』にこの願成就院参詣の様子が記事になって掲載されました! しかも…なんと1面トップの扱いですって!

…ですって、というのは…まだ ぬえ、この新聞記事を読んでいないんです…(T.T)
「メールで送りますね~」とお母さん方からも言われたのですが…それっきり。(・_・、)

ああん、見たいよ~~(;´_`;)

子ども能…願成就院参詣(その1)

2010-10-18 12:34:17 | 能楽

昨日は伊豆の子ども創作能の子どもたちを連れて、願成就院に参詣して参りました~

願成就院はもともと北条の氏寺であったろうと思いますが、言い伝えでは娘婿の頼朝の奥州藤原攻略の戦勝祈願のために北条時政が建立した、と言われるお寺で、伊豆屈指の名刹だった往古の面影を色濃く残しています。そしてなんと言っても驚かされるのは、運慶作の仏像が5体も安置されていることで、阿弥陀如来像を中心に、その左右に毘沙門天像と不動明王像、さらに不動明王の脇侍の矜羯羅童子・制多迦童子像の5体はいずれも重要文化財に指定されています。また全国でこの1体だけ、という時政の座像や、政子の七回忌に時政の子・泰時がその姿に似せて作らせた、といわれる地蔵像も安置されています。

こういう伊豆の寺社に子どもたちを連れて行くのは、もうこれで3年目でして、舞台の成功祈願ということもありますが、せっかく土地の歴史的な事件を扱った台本を作って子どもたちにその役を勤めさせていますので、関係する史跡を見せることで、自分たちが作る舞台に現実感を持たせたいですし、なにより郷土愛みたいなものが醸成できればいいなあ、という思いもあってのことです。

こういう意味では願成就院は最高の場所でしょう。子ども創作能『伊豆の頼朝』には北条時政は登場しませんが(去年の初演時にはこの役もありましたが、今年は稽古開始の時期が遅れたので台本を大幅に書き直しまして、政子とともに時政の役も削ったのでした…)、やはり頼朝には関係の深い場所です。そうしてなにより、このお寺が、頼朝が自分の弟…しかも自分の代理として西国に派遣して平家を討伐させた功労者である義経に謀反の疑いを掛けて殺害を決意し、ついに東北まで追いつめたところで最後の決戦となった…その戦勝を祈願して建てられた寺だということが重い。つまり願成就院とは、北条時政が自分の娘婿のために、母は違えど実弟である義経を成功裡に殺すことに「願」を掛け、その「成就」を祈念した寺だ、ということです。

子ども創作能では頼朝が当地で平家に対して初めて挙兵した物語を扱っていますから、もちろん頼朝はヒーローとして描いてあります。しかし歴史というものは そんなにキレイ事ばかりではない。頼朝のその後の行動にはこんな暗部もある、という事にも目を向けて、そのうえで今の時代があることを、子どもたちには知って欲しいと思います。ちょっと小学生の低学年には重すぎるかも、ですけれどもね。

ちなみに頼朝は、義経とともに西国に派遣したもう一人の弟、蒲の冠者と呼ばれた範頼にも同じく嫌疑を掛けて、当地にほど近い修善寺で殺害しています…そういえば話はそれますが修善寺といえば、頼朝の死後 鎌倉幕府の二代将軍を継いだ頼家も、今度は北条時政によってこの修善寺で暗殺されています。…そしてその後を継いだ頼家の子・実朝は、鎌倉の鶴岡八幡宮の、先日落雷で倒れたあの大銀杏の木の下で、これまた頼家の子である公暁によって暗殺されて源氏の血は絶える、と…。南無阿弥陀仏。

さて参詣の当日は快晴に恵まれ、おなじみ黒の「狩野川薪能Tシャツ」を着た子どもたち16名がお母さん方に連れられて参集しました。このTシャツも今日が着納めですね~

早速ご住職にご挨拶をし、ぬえはお布施をお持ちしたのですが、反対にご住職から子ども能の成功を祈ってご祝儀を頂いてしまいました。これは子ども能の少ない予算に使わせて頂くこととして、主催団体にお渡し致しました。

…当日の写真がないんです。ぬえは子どもたちの引率者で、奉納謡の後見でしたから~。

…と思ったら、こんなところに記事がありましたね~。画像もたくさん載せて頂いております!

道の駅「伊豆のへそ」駅長さんブログ

お弟子さんと伊豆旅行~(その4)

2010-10-13 01:48:56 | 能楽
先日は師家の別会がありまして、門下である ぬえも出勤して参りました~。ぬえは師匠の能『野宮』の地謡と、師匠の弟先生の能『石橋』の地謡、さらに先輩方の仕舞数番の地謡もあって、ついでながら ぬえ自身も仕舞を勤めさせて頂きました。この日の『野宮』では ぬえは地謡の前列でありましたが、この地謡がとても面白くて、ぬえは感心しながら謡わせて頂きました。ぬえもいつか地頭としてああいう地謡を謡いたいものです。

ところでこの日はお祝いが3つもある、珍しい催しでした。いわく、若師匠のご長男の初シテ『合浦』、師匠の弟先生のお孫さんの初舞台・仕舞『老松』、そうして ぬえから見たら後輩のKくんが『石橋』のツレ・赤獅子を披いたのです。これだけのお祝いが1日に揃うことは、ちょっと ぬえの経験の中でも稀だと思いますね~。初めてかも、です。お祝いの扇も楽屋に配られて、すべてが和やかに進んでいきました~!

で、ぬえも手前味噌ではありますが、この日の自分のお役…仕舞『半蔀 キリ』が、まあまあ良い出来だったのではないかと思います。休憩時間はあったものの『野宮』の地謡のあとで足はヘロヘロではありましたが、そこは何とかがんばりまして~。(・_・、)



この写真はちょっと前に ぬえが撮影したものですけれど、スゴイでしょ? 昔から中伊豆を通る旅人のランドマークだったそうです。断崖絶壁はロッククライミングの聖地みたいになっているらしいですし、時折はパラグライダーで滑空している方も見かけたりします。この絶壁はいきなり狩野川に接するように そそり立っていまして、川を挟んだ対岸から見上げると勇壮そのもの! そうして、この対岸で ずうっと「狩野川薪能」が開かれていました。雨にたたられる事の多い催しで、ぬえもこの城山を背景にしてシテを勤めたのは一度きりしかないという…

その時の画像がこれ! ちょっと薪能としても考えられない素晴らしい景色ですよね~。



その時にも もちろん子ども能はやっておりまして、その画像がこれ!



う~ん、カッコ良すぎです。まあ、いろいろあって、この場所を会場にした薪能はホール能に変わり、そうして子ども能はそこからまた自立して、神社で上演することになりました。いま、子どもたちは頑張って稽古に励んでいますよ~。元気や覚えの速さは当時と ちっとも変わっていません。今はみんなで着るTシャツを新調するために ぬえも奔走中! もうすぐその成果をご報告させて頂けると思います!


お弟子さんと伊豆旅行~(その3)

2010-10-09 09:55:04 | 能楽
一糸乱れぬ舞が要求される「二人静」を子どもに舞わせるのは かなり意外性があると思いますが、キリであれば シンクロさせる部分は短く、そうして印象的な シテがツレの肩に手を掛ける型があるのです。「二人静」もキリならば、かえって面白い効果が出るのではないか、と考えた選曲ですが、ズバリ的中でした。もっとも最後にある合掌の型は小4には難しかったので、これは左右に替えましたけれども。

お母さん方も舞います! 次に来る型を思い出そうとしているのか、ちょっと目が泳いでいますが…(^◇^;) 空中を見ても型は書いてないよ~ん。



それから東京近郊から参加の仕舞「松風」が、これまた出色の出来でした。こういう舞の良さも、みなさんに知ってほしいちと思います。さて謡会も終わって、記念撮影~。



それから温泉につかり、お待ちかねの夕食です。ああ、子どもたちはカラオケやってますね~。「ポニョ」。振り付けつきです。



こうして幕を閉じた初の伊豆での謡会。東京の会員も、伊豆のお母さん方も、また子どもたちも、いろんな経験となったと思います。ぬえも今回は良い地謡を謡えたようですし、ともかく楽しい会でしたですね~。これからも続けていきたいな~(#^.^#)

さて翌日は市内観光に行きました。どうも天気予報ではこの日だけ狙ったように雨の予報だったのですが、雲は多いもののなんとか天気は持ちそう。そこで天気が悪くなる前に、と ロープウェイで市内の最高峰・葛城山に登りました。晴れていれば富士山や駿河湾まで一望できるのですが…それでも だんだんと雲の切れ間が増えてきて、結構な視界が開けました。ぬえは願掛けをしていた葛城神社にようやくお礼参りもすることができてよかったです~。

それにしてもここは最近は訪れるたびに様子が変わっていきますね~。あるとき突然 頂上に足湯ができたのも驚いたけれど、以前は「かつらぎ山パノラマパーク」と呼んでいたのが、いつのまにか「伊豆の国パノラマパーク」に変わっていました。

伊豆の国市パノラマパーク  ををっ?ライブカメラもありますね。

で、お弟子さんが言うには「ははあ、ここは『恋人の聖地』って言うんですか」…いえ~、前はそんな事言っていませんでしたが。
「おや、『幸せの鐘』なんてものがあるようですな」…ん~、先月までなかったような…

と思ったら、「恋人の聖地」というのはNPOによって そういうものが選定されるようですね。選定委員には桂由美さんや・假屋崎省吾さんらも名前を連ねていて、現在全国で103カ所が認定を受けているようです。知らなかった~

恋人の聖地プロジェクト

お弟子さんと伊豆旅行~(その2)

2010-10-07 02:30:39 | 能楽


お昼ご飯を食べてから、謡会の会場となっている「招福の宿 ゑびすや」さんにチェックインしました。今回は東京近郊在住のお弟子さんのスケジュールがなかなか合わず、少人数しか参加できませんでしたが、伊豆で稽古してくれている、みーちゃん(小6)と ひとちゃん(小4)、それにそのお父さんやお母さんにとっては初めての謡会です!

素謡は「百萬」「松風」「土蜘蛛」の3曲で、とくに東京から参加の「松風」が、とっても良い出来でした。シテとツレは別々の教室の生徒さんで、しかも事前の打ち合わせもしていないのに、こんなに合っちゃっていいの? ってぐらい連吟が合っています。「松風」の連吟部分は長大ですからアラが見えやすい箇所ですが、ここまでユニゾンが合うと名曲の感じが遺憾なく発揮されますね~。

これには伊豆のお母さん方も「こんなにキレイな曲があるんだ~」と感激されるかと期待したのですが、直後のご自分たちの素謡「土蜘蛛」の出番が近づいているので、それどころではないみたい。それでも、泣いても笑っても出番は来るのであった。



「土蜘蛛」は、ちょうど伊豆のお母さんたちが稽古している曲ではあったのですが、ま、初舞台としては、もうちょっと「うるおい」のある曲がいいかなあ、とも思ったのですが。でも仕舞の稽古しかしていない小学生の娘たちも、この際 胡蝶やトモの役に抜擢してしまえば、5人で謡う「土蜘蛛」にはピッタリと人数が合います。よし! というワケで「土蜘蛛」の選曲にしたのですが、どうやらご自宅での稽古では子どもたちの方が積極的だったようで、トモのひとちゃんは、頼光役のパパをつかまえては何度も一緒に謡っていたそうです。

実際のところ、彼女たちは無本でも謡えたでしょうね。本格的な謡は小学生にはちょっと難しいかもしれないけれど、それも謡本の読解をさせるのではなくて、口移しで教えれば、柔軟な頭脳の中にはちゃんと収まる、それも 我々では考えられないほどのスピードで。そのことは子ども能で身にしみてわかっていたのですから、徐々に謡も稽古を始めてみるかなあ。

そうして仕舞はこれ! なんと小学生二人による「二人静 キリ」です! ああ!アップの写真がピンぼけで悔しい!




お弟子さんと伊豆旅行~(その1)

2010-10-06 00:37:53 | 能楽

日曜~月曜にかけて、東京近郊の ぬえの謡の生徒さん数名と一緒に伊豆旅行に行ってきました~

謡会も兼ねて、温泉に入って~、宴会して~、観光もして~、と楽しそうな旅行ではありますが…でも伊豆に行く機会には子ども能の稽古も進めておかなければイケナイわけで…全体のスケジュールを考えると、子ども能の稽古は午前中から始めて、午後から謡会、という予定になります。う~ん、としばし考えて、子ども能の稽古を朝9時から始めることにしました。すると東京を出発するのは朝5時…まあ、最近は早朝出発も慣れてしまいましたけれど。

さて朝からまずは子ども能の稽古。先日のプレ公演で一応の成果は挙げた子ども能ですから、あとは洗練させてゆくのみ。それから地謡の子どもたちにはプレ公演で仕舞がよくできていたので、新曲の稽古を始めました。こちらも大体の形はついてきました~。いや~やっぱり記憶力がよいわ~。若いってすばらしい。その記憶力を少し ぬえによこせ~

そして、再来週の17日にみんなで謡を奉納しに行くので、その稽古です。伊豆の韮山には「願成就院」という名刹がありまして、そこで子どもたちが 子ども創作能の一部の謡を奉納するのです。

じつはこれ、もう3年目になる ぬえの企画でして、信仰は持っていないけれど「信心」は持っている ぬえならではの発案です。学生時代から能に親しんでいる ぬえではありますが、当時は「結局…宗教劇だよなあ、能って…」と思って、どうもそういうモノは苦手だったので、能の魅力にはハマりましたが、宗教性には目をつむりながら鑑賞していた、というか。ところが、いざプロとなってこの仕事をしていますと、目に見えない力の存在は否が応でも視界に入ってきます。そして舞台には神様も、魔物も住んでいる事に気がついたとき、そういうものを蔑ろにしちゃイケナイんだなあ、と心から思ったのでした。特定の宗派のような信仰は持っていませんが、ぬえは寺社には敬意を払うようにしていて、伊豆でも折に触れ参拝しています。

そんな事もあって、ある時気がついて、子ども能の出演者と一緒に本番の舞台の前に地元の寺社に参拝して成功祈願をする事にしたのです。ひとつには成功祈願ではありますが、もとより子ども創作能は地元に伝わる民話や歴史的な事件を題材にして台本を作ってありますので、登場人物のお墓とか、ゆかりの地、というものもあるワケです。そこに参拝して、ご住職さまに歴史のお話をして頂く。子どもたちには、創作能を通じて地元に伝わる物語を演じているんだ、ということを実感してほしいし、併せて郷土愛みたいなものも醸成できればいいな、と思って、このようなイベントを企画したのでした。

「願成就院」は伊豆の国市きっての名刹でして、なんと運慶の作になる仏像が5体も安置されています(いずれも重文)。そうしてこの寺は頼朝の舅に当たる北条時政が建立し、その墓も境内に残されています。今回の子ども創作能『伊豆の頼朝』は、まさに伊豆に配流された頼朝が時政らの助けを借りて平家打倒のために挙兵した事件を扱ったもので、願成就院はその歴史を実感できる貴重な場所でもあるのです。

いや、本当は願成就院はもっとドロドロした事件の舞台でもあるのです。それは参詣の機会にこのブログで紹介させて頂こうと思っていますが…そうして子ども創作能では頼朝をヒーローとして描いた ぬえではありますが、そんな暗部も含めて子どもたちにはこの機会に歴史を実感して欲しいと願っています。

さてタイトル画像はその参拝の際に『伊豆の頼朝』の一部を連吟することによって仏様に奉納し、ご加護を頂くための稽古です。ん~もうすでに絵になっていますねえ。

こうして朝からの稽古は順調に終了して、午後からは東京から集まってくださった ぬえのお弟子さんが数人、伊豆を訪れました。これから伊豆で初めての謡会です!