ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

やって参りました! 3度目の石巻市訪問(その2)

2011-09-30 09:49:53 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ちょっと書き忘れ。この牡鹿半島に向かった日は、午前中からずっと石巻市内でつぎつぎにイベントの関係者と会って出演の交渉をしておりました。

正直に言って、石巻市では少々「イベント疲れ」のような雰囲気も感じられます。被害は甚大、仙台からそれほど遠くない位置にある石巻市は、ある種「著名被災地」のようになっていますね。そうしていろいろなイベントのために多くの芸術家が、そしてタレントが集まり…。受け入れをする側が少々パンク状態かも…

また一方で、誰も支援の手を差し伸べていない市町村も、いまだにあるのです…。それどころか、これは後日石巻で聞いたことですが、石巻市内でもいまだに自給自足のような生活をしている地域があるのだそうです。こうした不均衡もあり、さりとて、これは ぬえの経験ですが、地域でリーダーとなって活動している支援団体などの連絡先などは容易に知ることができません。もちろん電話やメールを宣伝したら、全国からの声援が集まって、それはそれで機能が働くなるということまるでしょうが…。地域の生活事情に沿った支援を、細かく細かく網羅して、住民のみなさんとも密着して行う必要があるわけで、それには時間も資金も必要。少なくても良いから、息長く支援することが、次のステップへ進む早道なのかも。ぬえも避難所のリーダーと話していて、「やっぱり人と人の信用関係から、なんですよね…」とおっしゃっておられました。一方、当地まで足を伸ばせない多くの日本国民の、ちょっとした善意も受け入れられ、またそれがわかりやすいシステムがあったらいいなあ(と、後日港小学校のボランティアさんとも話をしたりしました)。

こうしたわけで、じつは ぬえたちの訪問も、東京を出発する直前までほとんどイベントらしいものが決まっていませんでした。正直いって、出発の2週間くらい前からは心労も感じたし、なんといっても 石巻のあちこちの関係者とメールなどで交渉するので眠る間がない状態でした。それでもスケジュールは決まらず…そこで現地に入ってからも必然的に受け入れ先の模索を続けることになったのですが、これがじつは大正解で。…飛び込みで上演を持ちかけたところももちろんありますが、それ以上に実際に関係者の顔を見て話すことがこれほど大切なのかがよくわかりました(T氏も石巻の近く…とは到底思えない場所のお稽古のついでに、数日前に先に現地に入って交渉してくれました。これも効果が大きかったと思います)。当地に到着してから ぬえたちの出演の機会は一気に増えて、合計5つもの機会で上演できることになりました。今度はちょっと忙しすぎるかも…。(^_^;)

さてこの日は松島に宿泊したのですが…松島市と塩釜市は3/11大震災の時にも奇跡的に大惨事が起きなかった場所です。国宝の瑞巌寺も、海に面した五大堂も、ちゃあんと残っています。日本三景の松島という天然の防波堤が町を守ったのですね。それで ぬえたちも松島であらかじめ宿を予約することができたのでした。

ところが。

先日このお宿から突然電話を頂いて…いわく「台風15号で甚大な被害を受けてしまいました…当分営業はできません…まわりのホテルなどにも代わりの部屋がないか聞いたのですが、満室か、あるいはやはり被害を受けていて…すみませんがキャンセルということにさせてください…」(!) …宿の方からキャンセルされたのは初めての経験だ…。聞けば1階の厨房やお風呂が壊滅状態だ、とのことでしたが、もとより ぬえらはボランティア団体ですし、雨露さえしのげれば結構ですよ、と、申し上げ、2階の客室は被害を免れたそうなので、予定通り宿泊させて頂くことになりました。いやはや大変な不幸ではありますが、そういう時にこそ宿泊して収入が途切れないようにしてあげないと…。遊びに行くんじゃないからね。…それでも到着したらすさまじい有様でしたけれど…浸水した1階は畳があげられて床板のまま。消毒液のにおいも鼻を突きます。なんとか就寝して翌日はいよいよ石巻市での上演活動を始めます。

翌日。

石巻市にて狂言方のO氏とK氏と合流。夜中の2時に到着して車中で仮眠をとっていたとのこと。まず今夜からご厄介になる湊小学校避難所のボランティア本部にて挨拶をすませ、寝室は音楽室となりました。寝具(ぬえは寝袋)を下ろして、毎度お世話になっているチーム神戸のリーダー金田真須美さんと話して、湊小学校の児童が間借りして授業を行っている住吉中学校に出向き、佐々木校長先生にご挨拶。当初はこの子どもたちを対象にして能楽ワークショップを行う計画もあったのですが、翌日から修学旅行だそうで…さらにこの日はその前日だというのに運動会の予行演習までやっている。震災の影響で行事が遅れて、いまそのために行事が重なって大変な時期とのこと。校長先生は能楽ワークショップが実現しないことを残念とおっしゃっておられましたが、いつか、小学校が本来の機能を取り戻したときには、ぜひ授業の一環として子どもたちに能を体験させてあげたいです、とお願いを申し上げて失礼しました。校庭では子どもたちに混じって、あの、吉祥寺での写真展を開かれた松田氏もラジオ体操をしておられました。(^.^)



早く普通の授業ができますように!

その後巨大ショッピングセンターに移動してステージで上演。今回の訪問は、震災から半年を過ぎて、避難所など直接に被害を受けた方々ばかりではなく、石巻の市民にも能を「楽しんで」頂こうと、前回よりも少し視野を広げる目標がありましたので、こういう場所にも出演することを決めました。さて上演準備に取りかかっていると…ひとりのお客さまが ぬえたちの方へ歩み寄って来られて…。伺えばお孫さんを大川小学校で失われたとのこと…。苦しいこともあるけれど、お客さまには幸せを持ち帰って頂くことをお祈りして、この日は『羽衣』を勤めさせて頂きました。

終了後、下着などを干すために湊小学校にいったん戻り、さて今度は仙台に向けて出発です。ここは先日以来お世話になっている東北大学の先生方のお計らいで、市内でチャリティ上演の機会を探してくださいまして…なんとその上演場所が「仙台みたらしだんご総本店」…ぢゃないや「玉澤総本店 一番町店」の中の喫茶部。ををっ、ついにあの みたらしだんごの蜜のプールで泳げるのね~(違)。

こちらはチャリティということで有料の催しです。抹茶とお菓子が出て…今回は ぬえがあんまり騒ぐので、お客さまにもお菓子がもう1品…みたらしだんごが加わりました。ぬえも開始前に、チーム神戸や明友館のボランティアさんのためにいくつか みたらしだんごを購入し、上演がはじまってからも いつまでも みたらしだんごと ぬえとの関係について説いていたためか… なんとその日は みたらしだんごは売り切れになってしまったそうです。社長さんや専務さんもお見えになっておられた能楽ワークショップですが、お喜び頂けたかなあ~~(#^.^#)

この時の上演曲目は「松風」の一部。被災地から少し離れて、ここならば やや静かな、悲しみをたたえた能を演じるのも許されるかな、と思ってのことです。限られた空間ではありましたが、とても良いものができたと自負しております…これなら、石巻での上演も可能かも…その日の深夜に、ぬえっは少し考えを変えました。人を待つ、そのテーマは被災地では重いかもしれないけれど、松風の悲しみは恋のそれです。そのひたすらな気持ちが美しい。これならやっても許されるかも…

やって参りました! 3度目の石巻市訪問(その1)

2011-09-29 09:16:44 | 能楽の心と癒しプロジェクト
外出しちゃうとネット環境がまるでない ぬえ。この書き込みは石巻市の湊小学校避難所から発信しております~

事前の交渉段階でもいろいろな事を思った ぬえでありました。なんだかいろんな事がありすぎたこの頃。おいおいに、ぬえが考えたこともご報告申し上げたいと思います。

…ともあれ、26日の朝、東京で稽古能を終えたT氏と、それから今回はとくに ぬえが同行をお願いした写真家のY氏と、東京・池袋で待ち合わせて、一路東北地方を目指しました。今回は初めての昼間の走行。毎度高速道路の割引制度をねらって深夜に走行していた ぬえでしたが、今回は「災害等派遣車両証明書」をゲット。せっかく頂いた善意の寄付金が高速代に消えてしまうのはなんとも疑問だった ぬえですが、これでようやく深夜走行の睡魔との戦いから解放され、善意の寄付はそのまま ぬえたちの活動や、余剰金は現地の被災者支援団体に直接お渡しすることができるのです。震災から半年も経って、ぬえがやりたい事にようやく一つの道筋が見えたような気がします。

こうして朝に東京を出発したのですが、まず最初に訪れた石巻に到着したのは夕方でした。最初に明友館の千葉恵弘さんを訪ねて、野菜をお届けしたのですが…、これ新鮮な野菜です。東北に出発する前日、ぬえは伊豆で子ども能のお稽古や、その子どもたちを引き連れて願成就院さまへ参詣に伺ったのですが、この折に 農家の子どもたちのお母さんから寄付を受けた野菜なんです。なんでも「今引っこ抜いてきました」というジャガイモやサツマイモ。キャベツ、にんじん、落花生、タマネギ…。ありがたく頂戴して、急いで持って参りました。伊豆の子どもたちの稽古でも折に触れ、やわらかく被災地の話をしていますが、子どもたちの想いは届けられたような気がします。



さて久しぶりに再会した千葉さんは「先日(ぬえから)頂いた扇…もったいなくて一度袋から出したきり、すぐにしまい込んでしまったんですよ」とのこと。いえ~~~、そんな。ぬえは石巻に滞在中のスケジュールなどをお知らせし、千葉さんも「時間が合うかぎり伺います」と言ってくださったんですが…そうしてとりあえずお別れするその刹那、つい…「尊敬しています」と言ってしまいました。

ご自身も被災者で、震災時に、市の「勤労者余暇活用センター」だった明友館に身を寄せられた身。しかしご自身の交友関係の広さから周囲からの援助の手が差し伸べられ、次第に被災地の状況を発信して、的確に援助と配分のシステムを作り上げられ、今や被災者と援助する方々との中継地点として、石巻市はおろかはるか遠方の被災者にも厚く援助が行き渡るように手を尽くしておられます。千葉さんがいなければ3ヶ月前に初めて被災地を訪れた ぬえは湊小学校という避難所を知らず、そこで同じく まさに献身的な活動を行っておられる「チーム神戸」のみなさんの活躍を知らず、そうして今に至る ぬえの微力な活動もありませんでした。最初は、公演で石巻や気仙沼の小中学校を訪れた、という程度の関わりでしかなかった ぬえは、それでも震災以後心に刺さったトゲが抜けなくて…。 そうして何も当てもないまま6月に当地を訪れた ぬえは、千葉さんのご紹介によって湊小学校避難所の片隅でお手伝いをすることができ、ようやくそのトゲが抜けた…のですが、いや、むしろそのトゲはかえって深く ぬえの心に刺さってしまったかもしれません。ぬえは、何でもっと早くここに来なかったんだろう…(・_・、)

そうして、同じような心にキズを持った能楽師の仲間…囃子方のTさんや狂言方のOくんの協力も得て、8月に2度目の訪問…今度は能楽師としての訪問をし、避難所で住民のみなさんを対象に能楽ワークショップを持つことが実現できました。このときも千葉さんは忙しい合間を縫ってワークショップに参加され…。 ぬえはお礼の意味を込めて扇をプレゼントさせて頂きました。これが今回再会を果たしたこの日に千葉さんがおっしゃった扇のこと。

「尊敬しています」と、つい本音を言ってしまった ぬえですが、千葉さんは「いや、こういう、みなさんのご支援があってこそ、私たちも活動ができるんですよ」と ぬえをねぎらってくださいました。このあと一緒に記念撮影をした ぬえですが…最初にここを訪れた6月には極度の緊張をしていた ぬえ(明友館のサイトの過去の記事に、そのこわばった顔で写った写真が…)。8月には儀礼的に扇を差し上げた程度…でも今回は笑顔でご一緒に写真に収まることができました。

さて明友館を後にした ぬえたちが次に向かったのは湊小学校避難所。じつは今回の旅では一部の日程でこの湊小学校避難所に宿泊させて頂くことになっております。もちろん教室か体育館に雑魚寝。寝袋持参。

あいにくこのとき「チーム神戸」のリーダーである金田真須美さんは外出中で、事務局の無尽さんがおられました。ぬえたちのスケジュールをお話し、この日はご挨拶程度の交流でしたが…彼らは4月に関西からこの湊小学校避難所に入って、避難所の運営の重要な仕事をこなし、そうして…その活動の視野は、なんと来年にまで及んでいるのです。ぞれまでずうっと石巻に在住して支援活動を続けられるのだそうで…スゴ過ぎ。無尽さんとは「石巻が復興を果たしたら、一緒に飲みに行きましょう」と約束を交わして湊小学校避難所を後にしました。

ここで石巻のホテルに宿泊する写真家のY氏をおろして ぬえたちは初日の宿泊地・南三陸町に向かいました。

南三陸町…震災後にはじめて東北に向かった際に深夜に通りかかったとき、あまりの被害の大きさに震撼した ぬえでしたが、なんと今回は歌津のそのまた奥の岬の先端に営業している旅館を見つけたのでした。まさかと思いながら到着してみると、ちゃんと営業しています。もちろん周囲の漁港などの被害は甚大でしたが、この旅館だけが高台に建てられていたため難を逃れ…そうしてこの8月いっぱいまで避難所として使われていたのでした。いまはこの旅館のすぐ隣りに仮設住宅が建てられて、住人さんはそちらに移られたようです。

じつは、宿を東京で予約してからこれらの事実を知った ぬえは、その後宿と連絡を取って、住人さんなどをお相手に能楽の体験教室でもやりましょうか? とご相談したのですが、あいにく近隣の住人さんたち…とくに老人会のみなさんは旅行中とのことでそれは叶わず…。ましてや若い方たちは漁具や港の整備や修理に大活躍中です。

どうしようか、とお宿で相談した ぬえとTさんは、ともかく「能楽の心と癒しを」伝える活動のはじめを、翌朝からはじめることにしました。早朝に起きた ぬえは被災した小さな漁港のあたりを下見して。…地盤が沈下した港は半分海につかったような状態で、早朝から何人もの方が忙しく立ち働いておられました。う~ん良い場所はないかな…。こうして見つけたのが堤防の突端。ここだ…。ぬえたちが能楽の心と癒しを伝える最初の相手は「海」です。公演でもワークショップでもなく、鎮魂…なんて軽々に口にできるほど何もわかっちゃいない ぬえたちですけれども、「祈り」から始めるのが ふさわしい。こうして、宿で紋付に着替えた ぬえたちは、立ち働く方々の邪魔にならないような堤防の突端で舞ってみたのでした。





さて終わってみると…いかにも長く船に乗っておられるような日に焼けてたくましい おじいさんが堤防の先まで歩いてこられて ぬえたちに話しかけました。「それ、能だろ?」

ををっ!? おじいさんは続けて「あっちで作業しでたらよお、なんだあいづらはってみんなで…いや感心してだのさあ。どっがら来たの?」「ほう…東京がらわざわざ? んだら放送さがけたら もっとみんな集まっだのによお」…あ…そういうものなのか…。何やってんだ! と怒られるかと思った ぬえは拍子抜け。喜んで頂けるとは予想もしませんでした。その後 おじいさんの話題は「おれはガラオケうまぐって」「家にガラオケセットあるんだぞ」「おお、写真撮るの? でぎだら送っでや」と、だんだんズレていってしまいましたが…(^◇^;)



こうして南三陸をあとにして石巻へ。写真家のY氏を拾って、前回訪れなかった牡鹿半島の様子を見に行きました。

やはり…半年経っても海沿いの小さな集落は瓦礫の撤去もほとんど手がつけられていません。都市の周辺は来るたびに綺麗になっていくんだけど、その一方で見捨てられているも同然の場所もあるわけで…。それほど被害の範囲が広くて手が回らないことを物語っています。そしてここでも地盤沈下による浸水が目立ちました。

さらに追い打ちを掛けたのが、先日の台風15号による被害です。この日は牡鹿半島を西側から1周して女川へ抜ける予定だったのですが、金華山を望む半島の突端を過ぎて北上する頃から道路に倒木などが目立つようになってきて…そうしてついに土砂崩れで道がふさがれて通行不能となっていました…。

これではどうしようもなく、仕方なく道を引き返して石巻へ帰ることになりました。石巻でここに宿泊するY氏を下ろして、ぬえたちは次の宿泊地である松島へ向かいます。

願成就院さま参詣

2011-09-26 08:59:50 | 能楽
やっと東京に帰ってきました~(でも明日から石巻に行きますが…)

今日は朝から夕方まで子ども能一色の日でした。子ども能の主要なイベントのひとつである願成就院さまへの参詣も無事に済ますことができました。

まずは朝10時から ゑびすや旅館さんをお借りしての有志子ども稽古。まずはいよいよ再来週に迫った今年の子ども能公演の「本公演」。そこで北条政子という、まあ、役割としては主役ではないのですが、今回また難度を上げた ぬえが課した「中之舞」(略式)を舞う大変な役を勤めるヒトミ(小5)の稽古。結果は…もうちょっと、かなあ。先月この役を勤めたリサ(小4)は、かなり苦しみながらも最後は堂々たる演技でした。リサに負けるなや~?

それから ゑびすやさんのお子さんの みーちゃん(中1)が稽古に合流。半年後に、これは難しいだろう…と ぬえも思う仕舞『小袖曽我』に、ヒトミと一緒に挑戦する目標をたてて特訓中。ところがこれが、なかなか良い出来でして。いや、まだまだ謡や型を覚えて舞う段階ではないのだけれど、何というか、全体的に舞の型が決まるようになってきました。中学生ともなると宿題もハンパないようですし、しかも期末テストの直前だとか。自宅での稽古もあまりままならないと思いますが、身体に舞の基礎はすでに十分取り込まれているのかな。

さて午後には子ども能の出演者全員の稽古。今年は5回も公演があって、その度に配役を替えているのですが、今回の主役 源頼朝役にはカホ(小6)、相手役の山木兼隆にはユイ(小5)を配しました。ぬえ自身…自分が作った台本でありながら、本文も型も必ずしもよく覚えているワケではないのに…ヤツらは ちゃあんと覚えてやがる。「え~先生、違うよここで左に廻るんだよ」「ああ、そうか。スマン スマン。ぢゃその動作で…」…なんだか途中から小学生に教えてもらいながら稽古は進みました。

ま、子ども能のお役は公平にあてがうのがモットーとはいえ、やはり立ち方の役の子は高学年がふさわしく、そうしたら頼朝も、その敵・山木兼隆も、ともに今年子ども能にはじめて出演した新人さん…カホとユイの二人がこの役を勤めることとなりました。こちらもちょっと苦戦しましたが、願成就院さまに子どもたちが謡を奉納する約束の時間も迫っていたので、ここで終了。

で、願成就院さまにみんなで参集しました。ご住職さまの般若心経の読経に続いて子どもたちが『伊豆の頼朝』の一節の謡を奉納し、区長さまとご住職さまからお言葉を頂いて、無事に奉納を終えました。

このあと区長さんのお計らいで、当日の公演会場となる守山八幡宮の舞殿で1ぺんだけ稽古をさせて頂きましたが…ををっ?? これはどうしたことか、先ほどとは見違えるような良い出来です。やっぱり舞台に立って気持ちが引き締まったのかなあ。謡の声も大きいし、型も鋭く切れのある様子。

をいをい、ぬえの昼間の稽古の時はそんなに気合いが入っていなかったぢゃないかあ~(хх,)
ま…当日の出来が期待できただけでも良いか~。。

いよいよ今日から東北に行って参ります(なんと5日間!)
その間は ぬえはネット環境がないので書き込みができないかも、です~

災害派遣等従事車両証明書

2011-09-25 09:18:16 | 能楽の心と癒しプロジェクト
おとといは沼津御用邸で結婚式への出演、きのうは静岡県内での催し、今日は子ども能の稽古+願成就院さまへ子どもたちと一緒に参詣、と、ずっと静岡県にいる ぬえです~。

ご結婚式はイギリス人の新郎さんと静岡県のお嫁さんの国際結婚で、純和風の結婚式でした。司会者さんもバイリンガル!

それより驚いたのは、花嫁さんにはじめてご挨拶したとたんに「ぬえさんですよね?」と言われたこと。仰天!「ブログ、ときどき拝見してます」ですって~ ありがとうございます~ (・_・、) お嫁さん、ぬえが祝言舞を披露しているときに涙ぐんでいらっしゃいました。うう~ん、舞が終わった瞬間に手をとってお祝いを申し上げたかったのだけれど、やはりお客さまもあり、また外国人のゲストもありましたので、ここは厳粛なまま退場する方がよいだろうと考えて、能楽のしきたり通り無言で立ち去ることにしました(一礼だけはつけ加えました)。瞬間的でしたけれども、かな~り動作に迷った、こんなこともあるんですね~

さて今日の話題は「災害等派遣車両証明書」。これがあれば被災地への高速道路が無料になります。

こういうものがある事を知らずに、ぬえは6月も8月も、深夜に東北道を走ることを余儀なくされました。なんせ昼間に走行すると仙台あたりまででも片道の正規の高速代は8,000円もするんです。これは大きな負担でして…。それで高速代が深夜割引(なんと半額!)になる深夜をねらって、夜通し車を走らせることで被災地に向かったのでした。

こういう証明書があると知ったのは最近のことで、早速申請することに。まず被災地のボランティア・センター(通称VC)から証明書を頂いて、つぎに自分の居住地の役所に出向いてその証明書を提出、活動内容や通行路線を細かく申告して、ようやく車両を災害派遣に認定して頂きます。役所の担当の方も大変親切にして頂き、ありがたいことでした。

そういえば毎回被災地の高速では車両がみ~んな料金所で長い列をなして、ETCではない係員のいるゲートに並んでいました。被災地の方々が通行無料になる被災証明書があることは知っていたので、それなのだろうと思って、ぬえはだ~れも通っていないETCゲートを通過していたのですが、これからは ぬえも長~い列に並びます。

とはいえ、東京などでチャリティ・イベントを開いて活動資金を得ても高速代や宿泊代に多くのお金をつかってしまうのでは意味がありません。これまでは ぬえの生徒さんなどの厚意の寄付などを頂いて、あるいは自分の自腹で支出していたのですが、これは ちょっと違うなあ…とはずっと思っていました。

今回は東北大学ほかのご厚意を頂き、潤沢な活動資金を得ました。しかしこうして高速代を浮かし、宿泊も一部は避難所に泊めて頂くことになりまして、できるだけ節約に努め、この資金はプールすることなく、現地の活動団体に寄付するなど有効に使わせて頂けることができると思います。

明日から ぬえ…や、ちょっと口はばったい、というか くすぐったい名前ではありますが「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」のメンバーは宮城県・仙台や石巻での活動に行って参ります!

あ、公開している主な上演予定は次のようなものです。お近くの方はぜひ足をお運びくださいまし~m(__)m

【復興支援公演:仙台編 実演あり! 能・狂言を、カフェで楽しもう】

日時: 平成23年9月29日(木)18時~18時45分
料金: 1500円 (抹茶・お菓子付き)
定員: 20名
会場: 玉澤総本店一番町店2F(宮城県仙台市青葉区一番町四丁目 9-1)
参加方法: 直接会場までお越し下さい(先着順)
E-mailでご予約いただくこともできます。 fujinagami@gmail.com
問い合わせ先: 長神(ながみ) 090-6344-7005

【イオン石巻ショッピングセンター 能楽ワークショップ】
日時: 平成23年9月29日(木)13時~13時40分
料金:無料
会場:イオン石巻ショッピングセンター 宮城県石巻市蛇田字新金沼170番地

…このほか寺院での奉納上演、避難所で行われる茶道家との共同イベントなど、地域の方に向けて行うイベントも予定しています。

伊豆の国市・子ども創作能~みんな、よくやった!(その5)

2011-09-22 01:15:19 | 能楽
え~と、こっちもちゃんとご報告しておかなきゃね。

もう10日も前になってしまいました~ 子ども能の公演がありました。今年は子ども能はあちこちで引っ張りだこ…でもないですか。ぬえが売り込みを掛けて入れてもらった公演もありますが、ともあれ5回も公演があるのです(!)。そうして8月の花火大会への出演に続いてこちらが今年2回目の公演…古奈区敬老会での上演です。

この催しは去年に引き続いて2度目のお邪魔となるのですが、敬老会…と言っても ちょっと驚くような規模です。会場は大きな会場の小ホール。お客さまは100名超(!)。お客さまであるお年寄り方も歌を披露するコーナーもあるのですが、多くは椅子に座って出し物を見る、という形式で、その出し物もプロの歌手…今回は三味線を弾きながら漫談風の面白いお話をする方でしたが、こういう方をお呼びして楽しんで頂くのです。去年はファルセットで歌う男性歌手の方が出演して、これはスゴかった。

かくて子ども能も縁あってこの敬老会に出演させて頂きましたが、去年はそれこそ神社での本公演の前のプレ公演として子どもたちに はじめてひと前で演じる貴重な機会を提供して頂きました。

今年の公演は数多いのですが、それだからこそ毎回配役を替えて、高学年の子には等しく重要な役を勤めさせるようにしました。今回の主役=源頼朝は、子ども能とは別に ぬえに稽古を受けているヒトミ! 相手役の準主役…山木兼隆には今年はじめて参戦のカホ! 助演者としては北条政子役のリサ、北条時政にイチイ。平家方の武士役にユカとユイ。ちょっと前回の公演から日が空かないままの上演でしたが、みんなよくがんばりました。









そのうえ今回から台本をリニューアルして、より難しくしてみました。役によっては誰でも勤められるわけではなくなったかもしれません…が、これまでずっと子どもたちを見てきて、出来が良いと少しまた難度を上げてみる…するとまた子どもたちはついて来る…そうか、それならば、とまた少し難度を上げてみる…苦しみながらも、またついて来る…ずっとこんな事を見てきました。そこで今回はかな~り難しい役をひとつ作ってみましたのですが。



もちろんそんなワケなのでこの役だけは少し早めに資料を渡し、稽古を始めたのですが、ん~、この役に当たったリサは、やっぱり最初は相当苦しんでいたようです。ぬえもちょっと厳しい事も言って。それでもその次の稽古では完璧に覚えてきたようでしたね。最後は楽に舞っていました。ほら~、やっぱりこの課題も越えて行っちゃうじゃないか。

どこまで子どもたちの可能性は続いているのかねえ。この奥を見てみたいものです。

(今回は小さい写真を引き伸ばしたのでちょっと見づらいかも、です。ごめんなさい~)

キミは知っているか あの「仙台みたらしだんご」を

2011-09-18 02:23:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
昨日、「第34回神経科学大会」という国際学会のレセプションに出演してきた ぬえですが、そのとき被災地支援の募金箱を東北大学のご厚意により設置して頂き、その収益が53,939円だとお伝えしました。

この金額って…「GO! サンキュー、サンキュー」だったんですね~

サンキュー>東北大学! (^^)V

それにしてもこの国際学会のチェア…「神経科学大会」ですから「大会長」という名称だった東北大学の大隅典子先生。以前にお目に掛かった時は、前述の「サイエンス・カフェ」のときだったものですから、ぬえにとっては対談のお相手、という立場でしたし、まだお若い先生だし、その日もとっても気さくな感じで、夜はスタッフの方々とも一緒に飲みに行ったので、まさか、こんなエライ先生だとは知りませんでした。なんせ500人が集まるレセプション…スピーチ等学会での公用語はすべて英語。。数十人のスタッフを指揮し、数百人のゲストのお相手をしたのですから。。

そういえば8月に石巻を再訪することが決まった際に「飲みに行きませんか~♪」とメールを出したのですが、お返事は「申し訳ありません、あいにくその日はサンフランシスコにおります」だったもんな~.。ooO(゜ペ/)/ひゃ

ああ、そんなエライ先生を、サイエンス・カフェの際は ぬえはスタッフ共々強引に引き留めて、朝までカラオケ屋にいたなんて。ああ、そんな事はここには書けない。ええ、書きませんとも。え?書いた? 誰が?

いやいや、その節は申し訳ないことでした。…ま、もう時効でしょう。

もひとつ ついでに、「大会長」という今回の肩書きを見て、「だい・かいちょう」と読んだ ぬえ。なんでだろう…「親分」という言葉が連想されて仕方がないのですが。 (((((((・・;)サササッ

ともあれ、今回の大隅先生はカッコよす~~

まずはこのレセプションの2日前に発表者のディナー・パーティーという催しがあり、そこにも ぬえは出演して来たのですが、そこではスピーチで無償出演の ぬえのことをとっても大切に紹介して下さっておられました(英語で~)。この日の出演は舞囃子でしたので、スピーチに感激した ぬえは、舞い終わってから舞台上から大隅先生に扇をプレゼントさせて頂きました。

その夜思い立った ぬえは、ご迷惑とは思いましたが、2日後のレセプションの際に東北の被災者のための募金箱の設置の可能性をメールでお伺いしてみたのですが…これはそもそも学会の趣旨とはまったく違うし、東北大学としても責任の取れない申し出。さらに言えば学会はすでに開催されているので、会期中にそんなことを言われても…という時間の猶予のなさ。まあ、無理は承知、ダメもとでお願いしてみたのですが…

結果は2日後の早朝にメールが届きまして、「喜んでお引き受け致します」という信じられないお申し出でした。それで急遽 ぬえ家で募金箱を作ったのですが…会場に到着してみると、すでに東北大学により募金箱が2つも設置されてあって(!)。。

そのうえこのレセプションの開場前には大隅先生、わざわざ ぬえの楽屋にまで足を運んでご挨拶されて…と思えば、いざ ぬえが舞台に出て舞っているとき…気がつきました。大隅先生、いつの間にか着物に着替えてらっしゃる! へええ~~っ、と ぬえは舞いながら感心してしまいました。こんな大規模な国際学会を主宰している最高責任者でありながらテンパっている様子は微塵もなく、学究の方も当然忙しく立ち働いておられただろうと思うのに、ぬえごときにまで細かく 細かく配慮くださって…、メールの返信は事務局やスタッフの誰よりも速く、行動は ぬえの楽屋への挨拶にまで及んで。そのうえレセプションでは日本女性のホストとして数百人のゲストの応対のために着物をご用意とは…スゴ過ぎです。カッコ良すぎ。

…ディナー・パーティーの後も、レセプションの後も、ぬえは感謝のメールを出したのですが、当然…その日のうちに先生からの ぬえへの感謝のお言葉が散りばめられたメールが返ってきました。それも杓子定規な文面ではなく、もともと着物は好きで、ホントはあの着物を着ようかと思ったのだけれど、それは大きな会場では地味だと思ったのでこちらの着物を…といった感じ。メールでお着物を誉めた ぬえが悪うございました~ 大隅先生、お休みになってください~(・_・、)

…閑話休題。

さてさて みなさんは「仙台みたらしだんご」というものを知っておられるか。

「みたらし」…といえば甘い蜜がかけられているお団子ですよねえ。



ところが「仙台みたらしだんご」と書かれた、この箱を開けてみると、中には…え?これ…まんじゅうぢゃないの?



いや! 違うんです。
これこそ仙台が誇る銘菓…なのかは良く知らないのですが、激ウマの…なんと説明してよいか…結局「みたらし団子」なんです。

どういう事かと言うと、チビまんじゅうのように見えるこいつを 頬ばってみると…なんと中から甘~い蜜がとろ~~~り!

つまり、まんじゅうの あんこの代わりに蜜が入っている、という感じですか。激ウマです。
これ、前述の「サイエンス・カフェ」の際に同じく東北大学のスタッフの長神さんがお土産として持参くださったのですが、驚異のウマさに ぬえはブッ飛びました。
それで今回の国際学会への ぬえの出演条件が、この「仙台みたらしだんご」。これ持って来なかったら ぬえは舞台に出ません! とまで言い切って。

ああ~、今から考えると、これだけ ぬえのために尽力くださっている東北大学の方々に ぬえは何て無礼を…

あ、でも今回長神さんから3箱も頂いた「みたらしだんご」…そのうち1箱は、頂いた数分後には ぬえが ぺろりと平らげてしまいました~ だっておいしいんだもん。

「路地裏」…「学会レセプション」…3度の獅子

2011-09-17 01:06:51 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今日は前述の【路地裏 de 狂言】特別公演『日本の心/伝統の技』第1回 ~能楽の心と癒しを被災地へ~ という催しでした。

いうなれば「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」としての旗揚げ公演だったわけで、それにふさわしく、突然の告知、平日の昼間にもかかわらず、このウワサを聞きつけた…のかどうか、あまたの老若男女が…会場付近を通行なさり、押すな押すな…の通勤時間とはまた違った趣きの、大行列…のアリんこさんも寄ってらっしゃい見てらっしゃい。

いやいや空席を除いては満員のありさまでありました。こういうのを落語会なんかでは「アメリカン」なんて言いますね。(^_^;) 収益は いちまんえん。でも、やはり賛同してくださる方があってのことで、大変ありがたく思っております。会場には某囃子方も、わざわざ奥様をお連れになってご来店。あとで伺えば、やはり震災が心にキズになって残っておられる、募金はしたけれど何か空虚に思う。何かがしたくて、それでお出でになったとのことでした。みんな苦しんでる。天災だから誰を憎むこともできないけど…罪つくりです。

そうして ぬえはパシフィコ横浜で行われた東北大学が主催となる国際学会「第34回神経科学大会」のレセプションに出演しに参りました。経緯については前述もしましたが、当日配られた学会参加者向けのフライヤーに ぬえのご挨拶を載せて頂きましたので、こちらをご参照ください。

「平成21年(2009)お誘いを頂きサイエンスカフェにて大隅典子先生と対談したのがご縁で今回の「第34回神経科学大会」に華を添えさせて頂くことになりました。
今回の上演にあたってはいずれも「祝言~めでたい能」を主眼におき、また激しい動きの能を選びましたが、これは東日本大震災に対する思いをこめての選曲です。(ぬえ)はこれまで2度石巻市の避難所を訪問し、掃除などのボランティア活動にあたったほか、この8月15日(お盆)には仲間の能楽師とともに、今回上演します「石橋」を避難所で演じました。能は古来 鎮魂のため、また邪気を払う儀式としての意味も持って演じられており、今回これらの能を舞うことで、大隅先生が震災の困難を乗り越えてこの「神経科学大会」を開催されたことに敬意を表し、またこの大会が復興のひとつの契機となりますよう、祝福の意味をこめて勤めさせて頂きます。」

ついでながら『石橋』の解説にはこんな事を書かせて頂きました。

「祝言性では能の中で随一の曲です。登場するのは霊獣の獅子で、文殊菩薩のお使いです。細い天然の石の橋の上で、咲き乱れる牡丹の花に舞い狂う獅子の様子を表した能で、激しい動きが印象的ですが、じつはその向こう側に広がる静寂な文殊菩薩の浄土を逆説的に描いた曲。囃子も舞も能の秘曲として大切に演じられております。」

『石橋』は、このたびの震災の被災地に巣喰う邪気に対抗するには最大の効果があるでしょう。まさに被災地で上演することこそふさわしい。こういう「強さ」と「祝言性」が同居するのは日本人独特の感覚ではないかな。そのうえ『石橋』には文殊菩薩の「清浄」「静謐」「慈愛」まで描かれている…スゴ過ぎです。日本人。

この日、ぬえは「路地裏~」2回公演と、こちらの学会レセプションを合わせて、1日に3度も獅子を舞うことになりました。これはさすがに ぬえにも初めての経験で、さすがに体力が続くか心配したのですが、どれも本格公演ではなくデモンストレーションだったので、なんとかクリア。…それどころか最後に演じたレセプションでの上演が最も出来がよかったような気がします。

そして!

このレセプションで「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」の活動に対して募金のお願いをして頂いたのですが、

なんと収益は 53,939円! でした!

これなら、活動資金として活用して頂くほか、残金は現地に駐留するボランティアにも気兼ねなくお願いするかも。

じつは「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」が団体として発足したのが つい2~3日前だったので、東北大学の大隅先生に この団体の活動支援としての募金のお願いを、レセプション会場でお願いしたのも、つい一昨日だったのです。ところが大隅先生は あれよあれよと関係部署に指示を出して、なんと当日には2カ所にだったか、募金箱を用意して設置してくださったのでした。

主催者に会場での募金の呼びかけをお願いをした ぬえ家としましては、募金箱は自作して持参するのが、これ常識。そんで ささやかな募金箱を作ってみたのですが…



これ、不要だったのですね~

「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」発足

2011-09-15 23:42:59 | 能楽の心と癒しプロジェクト
すみません、更新ができないで…

先週もいろ~んなことがありました。

こんなのや…



こんなのや…



こんなのや…



こんなの。



子ども創作能の公演、東北大学が主催する超大規模な学会への出演、師家の月例公演ではじめての地頭、そして三度目になる被災地訪問の準備と交渉、その活動資金捻出のためのライブ公演…

いずれ順番にご報告申し上げます~
いまは眠る時間が欲しい…

あ、そうそう、そのライブ公演ですが、前回ご報告しました

【路地裏 de 狂言】特別公演『日本の心/伝統の技』
第1回 ~能楽の心と癒しを被災地へ~

というヤツです。なんかこれ、出演者がイベント案内サイトに宣伝を掲載してくれたのだそうです。

CJキューブ復興支援特集
Art for LIFE

このイベント、もう明日なんですね~。先日 ぬえと一緒に被災地へ行ってくれた能楽師の仲間二人がこのようなサイトへのアップやら、このイベントを立ち上げたりしてくれたのですが、まあなんとも行動の早いこと。こういうとことは ぬえにはマネができません…

とうとう、継続的に被災地を支援する能楽師のグループ、ということで、団体名まで持ってしまいました。
いわく

能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト

一応、代表と連絡先は ぬえになっているそうです。言い出しっぺだからか。
よし、形が整った以上がんばらねば。
どうぞみなさま応援してくださいませ~ m(__)m

被災地支援のためのチャリティイベント「路地裏 de 狂言」特別公演(9/16)

2011-09-09 21:06:49 | 能楽の心と癒しプロジェクト
突然ですが、このようなイベントを立ち上げさせて頂きました!
前述のように早い時期に3度目の石巻訪問を計画している ぬえですが、細々ながら物資の支援もし、また訪問もするとなると、かなり資金的には相当苦しいのが実情でして…

高速料金が半額の割引になる深夜を狙って東北を目指したり、車中泊をしたり、ときには寝なかったり…という涙ぐましい努力をして被災地支援に向かっているのですが、それでも震災の影響で催しが軒並み中止になっている現状では、活動資金も厳しい現状がありまして…それに、ゆくゆくは被災地の復興の門出に、また鎮魂や邪気退散のためにも いつか本格的な能楽を上演したいという希望も持っております。

そこで先日の2度目の訪問の際に同行願った仲間の能楽師たちと相談してまとまったのがこの計画…ぬえは強い味方を得ました。

【路地裏 de 狂言】特別公演『日本の心/伝統の技』
第1回 ~能楽の心と癒しを被災地へ~


2011年9月16日(金)一回目 12:30 open 13:00 start
            二回目 14:30 open 15:00 start
会場:綜合藝術茶房 喫茶茶会記(さかいき)
料金:2,500円(毎回/ドリンク付)
出演:ぬえ(観世流シテ方)、寺井宏明(森田流笛方)、大蔵千太郎(大蔵流狂言方)


お店の場所等インフォメーション
→この企画については こちら

もともとは大蔵千太郎くんが中心となって月に2回、気軽に狂言を楽しめる会として上演を重ねている催しですが、その特別公演として ぬえたち、先日石巻・湊小学校を訪問した三人が出演致します。

具体的には ぬえは主に司会を勤め、大蔵千太郎くんが狂言を演じるのが主体になりますが、最後に(石巻でやったように)寺井宏明さんと ぬえの二人でちょっとした舞をお見せしようと思っております。

…また、あまり暗い雰囲気にはしたくないのですが、ぬえはやっぱり被災地で感じたことなども少しお話したいとも思っております。

平日の昼間ではございますが、ぜひお誘い合わせのうえご来場賜りますよう、お願い申し上げます~ m(__)m

なんか昨日行われた定例の「路地裏 de 狂言」の催しで、湊小学校で行った ぬえたちの上演風景をパネル展示したようですよ!!?? ん~仕事が速い人たちだ…



ちなみに ぬえはこの日、こちらの催しが終わってから横浜に参りまして、東北大学の脳科学の先生が中心になって行われるかなり大規模な国際学会の懇親会にボランティア出演をして参ります。

少し前になりますが、東北大学の先生からお誘いを受けて文部科学省の建物で「サイエンス・カフェ」というものに出演させて頂いたのですが、その東北大学も被害こそなかったものの震災の影響は大変だったようです。その苦難を乗り越えての学会の開催に ぬえも是非お手伝い致したく申し出まして、実現のはこびとなりました。

→学会については こちら

…うう~、発表のタイトル見ても ぬえには ちんぷんかんぷんですが…(хх,)

写真展「津波が来た学校」(9/4~9/9 東京・吉祥寺)(その2)

2011-09-07 11:06:54 | 能楽の心と癒しプロジェクト
一昨日、表題の写真展に伺いましたが、お客さまがたくさんおられて驚きました。

そこで説明に当たっておられた方に声を掛けてT氏とともに名刺を差し出し、「あの…私、能楽をやっているものですが…」と名乗りましたところ、即座に「能…? 先日湊小学校でやっていましたよね?」と意外なお返事。「え?? あ、それ私どもです」と答えましたが、さらに意外なお答えが。

「私はそれを拝見していましたよ」

ええ~そうなんですか。ぬえは6月にも湊小学校を訪問して、その時は飛び込みで舞をお見せしたのですが。

「ああ、それも見ていました…その日は湊小学校でずっとでお掃除をされていましたよね?」

この方が今回の写真展を企画されたお一人の松田隆夫さんでした。それにしても湊小学校の支援をされておられるそうですが、そんなに頻繁に通っておられるのですね。…と思って、いま湊小学校で住人さんや近所の在宅の避難者のために活動しておられる「チーム神戸」の方々のお話をしていましたら、松田さんはその後…つまり湊小学校が避難所でなくなり、本来の学級活動を再開させてから先の湊小学校の支援までも続けられるおつもりなのだそうです。

ひゃ~…こういうサポーターの方って、数多くの避難所でもそれぞれ行われているんだろうか… いずれにせよ強固な意志がなければ成し得ないことです。

さてこの日にカメラマンの加藤昌人さんとお目に掛かることが出来なかった ぬえは翌日もまた写真展に行って来ました。

前述の通り「チーム神戸」の代表・金田真須美さんから「カメラマンの加藤さんにも ぬえさんのお話はしてありますので、ぜひ声を掛けてくださいね」とお言葉を頂いておりましたが ぬえはこの方を存ぜず、わずかに写真展のチラシで「被災者にカメラを向けないカメラマン」…そのためにかえって避難所の住人さんから信頼を受けて撮影の申し出を受け、その写真は無料で届ける活動をしている…というような説明を読んだ程度でした。

そして昨日加藤さんにお会いしてみて、ああ!この方か!とわかりました。6月に ぬえが飛び込みで湊小学校で掃除をした日。夕方に行われたテノール歌手・小栗慎介さんのミニコンサートに飛び入りさせて頂いたときに、そのミニコンサートの様子を撮影されておられた方です。

この日加藤さんとはずいぶん色々なお話を伺わせて頂きました。被災地には震災直後から多くの報道カメラマンが駆けつけました。そのすさまじい被災状況は、人の心を動かす写真が撮れるところで…でもそのうち報道合戦のような様相を呈してきて、避難された方々が肩を落としておられるようなご様子を、本人に無断で撮影するような無遠慮を目にするようになってきて…それで加藤さんは自分からは決して被災者にカメラを向けない、という方針を固めたのだそうです。

そうして湊小学校避難所でお手伝いをしているうちに、住人の方々とも次第に親しくなり、そのうち撮影を頼まれるようになったのだとか。復興の第一歩、スタートとしての記念写真。それは加藤さんの父君が戦争で大切な思い出の写真を焼いてしまったことを ひどく悔やまれた事が影を落としているように ぬえには感じられました。加藤さんは頼まれるままに撮影した写真を焼いて、無料でお渡ししておられます。

タイトル画像はご自分の作品の前で優しそうな加藤さんの笑顔。
(同行して頂いた写真家の山口宏子さんに撮影して頂きました)

写真展「津波が来た学校」(9/4~9/9 東京・吉祥寺)

2011-09-06 01:36:15 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今日は笛方のT氏とともに写真展に行ってきました。

写真展『津波が来た学校 ―石巻・湊小学校―』
2011年9月4日(日)~9月9日(金) 11:30~18:30

吉祥寺・あーとらんだむ 吉祥寺駅北口パルコ裏レンガ館2F
主催:復興支援ボランティア・コーポレーション=石巻・湊小学校を応援する東京の会+加藤昌人写真事務所

東京新聞web

ぬえ、ツイッターでこの情報を見つけたのですが、なんと ぬえもお世話になった湊小学校を、被災から避難所として使われている現状までを活写した写真展です。

会場は東京の吉祥寺ですが、じつは ぬえ、高校時代に吉祥寺に通っていまして、なんだか久しぶりにこの街に来たように思います。

さてこの写真展ですが、吉祥寺がある武蔵野市在住で元・高校教師である松田隆夫氏が中心となって開かれているものです。松田氏は震災の10日後に友人の安否を確認するために石巻に入り、その友人との再会を果たしたのち、湊小学校の支援を始められたそうです。校舎が津波の被害を受け、被災者の避難所になっているために教室が再開できない湊小学校のために物資支援を続け、ようやく近所の中学校の教室を間借りして授業が再会されてからも、登下校にバスを利用するストレスが児童や教師に重くのしかかる様子を見て支援を拡げる必要を感じ、この7月に「湊小学校を応援する東京の会」を立ち上げたのだそうで、この写真展も湊小学校の支援の輪が拡げられれば、とのお考えで催されているのでした。

なるほど…元教師ということもあって松田氏の視点は、避難所になったために犠牲を強いられる事になってしまった湊小学校の児童たちに向けられているのですね。一方で住む家を失った避難者にとってこの学校は生活の基盤そのものでもあるわけです。難しい問題はこんなところにもあったのですね…

ともあれ松田氏のスタンスは等しく児童にも、避難者にも向けられているようでした。160点におよぶ写真は松田氏が撮影されたほか、湊小学校避難所で撮影を続けるカメラマン加藤昌人氏の撮影されたものなどによって構成されていますが、湊小学校や周辺の被災状況から児童の姿、そして避難所の住人の方々の姿まで、まんべんなく網羅されてあるようでした。

会場となったギャラリーは小さなスペースでしたが、オーナーの方が松田氏のために提供してくださったとのこと。写真は壁一面に所狭しと貼り出されてありましたが、ぬえが知らない震災直後の、瓦礫だらけ、ヘドロが堆積した学校や周辺の様子から始まり、それは目を覆うほどのひどい被害でした。ぬえが最初に湊小学校を訪れたときは震災から3ヶ月半が経ったところで、それでもひどい有様でしたが、よくまあこの状態からあそこまで片づけたものだと思います。



それから写真が伝えることは、湊小学校が4月下旬にに新学期を開始したものの、教室が確保できずに再び休校に追い込まれた様子、近所の住吉中学校で授業が再開されたけれど、3台のバスを使って毎日登下校をしなければならない現状、中学校の行事のため校庭が使えず、やむなく近所の公園で体育の授業を受ける児童の姿…。そしてまた一方、湊小学校で寝起きする住人さんたちの様子やボランティアのみなさんの奮闘ぶりまで、あますところなく湊小学校をめぐる様々な事象を網羅しています。



この写真展に ぬえが伺うことにつき、湊小学校で活動を続けるボランティア団体「チーム神戸」の代表・金田真須美さんにもお話したのですが、金田さんは「カメラマンの加藤さんにも ぬえさんのお話はしてありますので、ぜひ声を掛けてくださいね」と、意外なお言葉を頂き、なんだか楽しみに写真展に伺ったのでした。

あいにくこの日は加藤氏はおられなかったのですが、松田氏とは親しくお話をさせて頂きました。これまた意外な展開があったのですが…



そして加藤氏という方も、じつは ぬえが知っている方だということがわかりました。明日(もう今日ですが)、ぬえは加藤氏にお目に掛かるために、もう一度写真展に行って来ようと思っております。

避難所が次第に解消に?

2011-09-04 03:18:29 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【前回の記事で石巻・湊小学校の避難所につきまして書きました記事に誤りがありましたので、あらためまして訂正して書き直しました。】

伊豆での子ども能の稽古を終えてただいま東京に帰って参りました。

伊豆では懇意にして頂いている旅館 ゑびすやさんから、来週は宮城県の多賀城市からのお客さまが宿泊に見えることを教えて頂きました。伊豆の国市は多賀城市と姉妹都市となっていまして、その関係から以前から多賀城市の被災地の方々をお招きして、温泉に入って頂いたり、観光地にご案内をしておられるのですが、たまたま来週はご来訪と ぬえの稽古日とが重なるとのこと。場合によっては ぬえのお稽古に遊びに来てくださるかも。ををっ! ちょうど翌日が子ども能の公演日でして、先日石巻に同行して頂いた囃子方のTさんもいらっしゃるので、もし実現したら喜んで頂けることができるかも。

さて数日前に岩手県ですべての避難所が解消された、という報道がありましたが、他の県でも夏休みの終了に合わせるように、順次避難所は解消される計画であるとのことです。

ぬえが2度に渡ってお邪魔させて頂いた湊小学校も、同じように解消に向けて、だんだんと住人の方も減ってきたようで、現在では100名を切った状態なのだとか。避難所の解消は、被災者が普通の生活に戻るための一段階の前進でありましょうから喜ぶべき事ではあるのですが、一方で仮設住宅の最終抽選に漏れた方があったり、仮設住宅では公的な食料支援などが打ち切られる、話し相手がおらずに孤独をつのらせる人ができる現実など、問題も言われているだけに複雑な気持ちも残ります。

それより前に、湊小学校には現実にまだ住人の方が残っておられるのですね。このところ湊小学校の避難所を運営しておられるボランティア団体「チーム神戸」のみなさんと連絡を取り合いましたが、住人さんの最後の一人が退去され、本当に解消になるところを見届ける、自分たちが最後の住人になるまで支援活動を続けられる、とのおつもりなのだそうです。それどころか、湊小学校の避難所が解消されてからも当分現地に留まって、引き続き支援を続けられるのだそうで…その計画は来春まで続いておられるとのこと…絶句。

たしかに避難所の解消というものは行政の計画の通りには進行できず、住人の方々みんなが居住する場所を定めて、納得して退去されるところを以て円満に解消されるべきものでしょう。しかし仮に仮設住宅に移られても、上記のように問題は山積…。とはいえこれら被災された方々に寄り添い、先の見えない未来に向かってまで支援するのは、支援者にも生活があってみればほぼ不可能に近いはず…。震災の直後からこれまでずうっと湊小学校に駐留して(自衛隊が去ったあとも変わらず!)避難者の支援に当たられたボランティアのみなさんの活動を目にした ぬえは本当に衝撃を覚え、感動しましたが、このビジョンの深さは、ちょっとそれらの感慨も、想像をも超えた、まさに献身的な活動でした。ぬえは心から彼らを尊敬し、日本人として誇りに思います。

さて ぬえは先日石巻に同行してくださった友人の能楽師 TさんとOくんと、三度目の東北旅行を計画しておりますが、避難所のような大きな施設が解消され、被災者が仮設住宅という個人のスペースに分散される今後は、活動の場を考え直さねばなりませんね。大きな集会施設…実際には学校の体育館や、老人ホームを廻るとか…意味は大きく違っても、震災前と同じような場所に活動の場を見つけることが必要でしょう。それら受け入れてくださる施設の担当の方を見つけだし、出演の可能性を相談するのには時間も掛かりますが…また一から活動をやり直していく作業をしなければ。

ほかにも、先日の訪問で参詣した塩竃神社で復興祈願と鎮魂のために舞や謡を奉納する計画があって、こちらは神社のお許しも頂けると思います。とはいえ、なんせ東北は遠く、せっかく訪問するのであれば、できるだけ多くの活動もしたいので、被災地への慰問も同時に行えるよう、やはり当地の関係者とのパイプを作るのが急務ですかね。

また少額でよいとはいえ資金も訪問には必要です。ぬえは初回の訪問は自己資金で、二度目の訪問では善意の資金提供を頂いて、ようやく実現することができました。三度目、四度目となると やはり協力者を募る必要もあって、いまチャリティのイベントを東京で行おうか、という計画も検討中です。

簡単ではない支援の方法…模索ばっかりが続いているような気もしますが、ともかく何か見つけられるよう努力は続けて行こうと思います。


石巻市立 大川小学校

2011-09-02 10:04:07 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今回はちょっとつらい写真を…

在籍児童の約7割が死亡・行方不明になった石巻市立 大川小学校です。

ぬえ、今回の訪問ではここに偶然たどりつきました。南三陸方面からずっと海岸線を南下してきて女川の方ヘ抜けようと思ったのですが、ある橋に続く道がその直前で通行止めだったので(これは あちこちの道が今でも通行止めなので、特段気にも留めなかった)、はるばると北上川に沿って10km走って次の橋を渡り、さてまた川を下流に向けて走って、ようやくさきほどの通行止めの橋のたもとまで来たのですが…



近づいて気がついた。この橋、津波の被害でしょう、一部が川の中に落ちてしまっています。橋というものは、それが長ければ被災から半年近くが過ぎていても復旧しないものなのですね…と思っていたところに、現在地をカーナビの地図で確かめていたドライバーのTさんが言いました。「ここは…大川小学校の前だね」

大川小学校…その人命被害の大きさで名称は知っていたとはいえ、石巻でも市街地からはずっと離れた こんな所にあったのですね。今回はとくにここを目指していたわけではなかったので、偶然その前を通りかかるとは思いませんでした。

学校の前には献花台が設けられ、そこには地蔵菩薩の像や卒塔婆のほか、被災した子どもたちへ贈られた花や千羽鶴、手紙、ジュース、お菓子などが山と積まれてありました。

石巻市立大川小学校


モダンなデザインの校舎は往時の賑やかな様子が彷彿とされるものでしたが、それがかえって廃墟となった今は痛々しい。

そうして結果論にしかならないけれども、学校が建つ、その立地条件の悪さが気になりました。追波湾から押し寄せた津波は北上川で急に細くなってそこを遡上したわけですが、大川小学校からは川の上流方向にある山に遮られて、新北上大橋のたもとにわずかにある土地を通って避難するより他に道はなかったのです。




(地図はいずれもgoo地図による)

難を逃れたわずかな児童は学校のすぐ脇にある山をよじ登ったのでしょうが、そこは道もなく木が生い茂った急斜面でした。…結果論でしかないけれども、「想定外」というものは現実に起きるのだ、ということが今回の震災でみんなが思ったことだったと思います。それを「万が一」「ひょっとしたら」と考えて「想定内」にできるのかどうか…。想像力の豊かさがこれからは本当に必要になってくるのでしょう。

誰もいなくなってしまった学校。人影の見えない町の残骸。その一方で、生きてゆくために否が応でも日常生活を取り戻してゆく市街。今回はお盆のさなかの訪問だったせいか、重機はひとつも動いておらず、また自衛隊の方々もほぼその姿を見かけませんでした。復興への槌音が聞こえない、それでも6月の訪問よりもずっと瓦礫も片づき、ハエも異臭もずいぶんとやわらいだ、なんとも不思議な光景でありました。蝉の声、波の音を今回は瓦礫ではなく更地の中で静かに聞いた、という感じ。そんな中で避難所では6月と変わらないメンバーでボランティアのみなさんが、それこそ たゆまぬ努力を笑顔で続けておられるのがとっても印象的でした。

いま避難所が次々に閉鎖され、個人の空間である仮設住宅の中に避難者をめぐる状況は閉じていってしまうような気がします。報道ももっぱら原発に傾いて、津波の被災者について伝えられなくなっていくのではないか…? 明友館の千葉恵弘さんがおっしゃっておられたように、家族も家も仕事もなくし、借金だけが残って人生に絶望しておられる方々には数年に渡る支援が必要なのだそうです。そのうえ高齢者や身障者という不利な状況を抱える方まであるいま、災害を風化させないように、細々とではありますが息の長い支援を続けて行ければ、と思っています。

避難所が順次解消に

2011-09-01 01:15:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト
東京での公演、ついで新潟、伊豆、茨城と、なんだかあちこち忙しくしておりました。

今日は国立能楽堂で師匠の生徒さんの発表会の申合。その後、図書室で調べものをしておりました…と言っても今日は休館日だったようで、ちょっと無理を言ってほんの少しだけ資料を見せて頂きました。見ると職員さんは新しい企画展示のためのチラシやポスターの郵送の作業に忙しくしておられて、ぬえも資料を見せて頂いてから、お礼の意味もこめてその作業にちょっとだけお手伝いさせて頂きました。

ところで、このとき ふと手にとった能楽雑誌『能楽ジャーナル』の巻末に、編集者の堀上謙さんが編集後記を書いておられて、その内容を見てびっくり。

「震災で能楽師は何の活動をしただろうか。被災者の心の癒しになる慰問公演こそ、今求められているのではあるまいか。謡を聞かせるのは難しいとしても、能の一部分だけでも見せられないだろうか。たとえば『石橋』の舞だけを演じるとか、『土蜘蛛』の蜘蛛の巣を投げるところを見せるとか…」…と、だいたい大意はこのようなことだったと思いますが、げ。これ、ついぞ ぬえがやった事そのものではありませぬか…。ををっと~! と思って発行日を見ると…7月でした。…う~む、ぬえが今回の石巻訪問の演目を決めたよりもずっと以前だ…。

すんませ~ん、ぬえ、『能楽ジャーナル』は購読しておりませんで、この記事を読んでアイデアを頂いたワケではありません~。出発の直前に参加能楽師と相談している中で思いついたのどす~ (・_・、) 勘弁どす~

ところで今日、ぬえが被災地に行った話題が出たのですが、その時の話の中で、そもそも ぬえがどうして東北に思いを寄せるか、という、原点に立ち戻る話になって、それは少し以前に師匠の学校公演のお手伝いで、石巻の小学校にも気仙沼の中学校にも行ったから。これはこのブログでもご紹介した通りなのですが。

折りもおり、日本の首相がまたしても交代する、という話題で持ちきりの時期ですから、おのずと学校公演の話も政治がらみの展開を見せました。

考えてみれば、ぬえたちの学校公演は文化庁の事業によって派遣されたものでした。その名も「本物の舞台芸術体験事業」。これは ぬえが思うに画期的な事業で、こういう、国のレベルでの派遣がなければ、公演としては採算が合わないため とても行かないであろう山間の集落の小さな学校なども廻ったのです。もう来年は廃校が決まった、という学校にも行きましたし、いくつもの学校が統合されて一つの学校になり、それでも生徒が20名…という所にも行きました。公演会場となった体育館の窓を開けたら、数メートル先の山肌に猿が歩いているのを発見したりもしました。いうなれば海外公演よりも遠い場所が、日本の国内にあったのです。採算を考えていたら、日本の文化を再認識して頂く活動を続けることは到底無理で、こういう国の施策があって初めて伝えられた事も大きい。そうして子どもたちの反応や感想も、ちょっと驚くようなものもずいぶん体験したんですよ。これは能楽師として嬉しいかぎりでした。

…ところがこの事業、一時は廃止に追い込まれるところだったのです。あのレンホーさんが事業の実名入りで「無駄」と決めつけて…「本物でなければいけないんですかっ? ニセモノではまずいんですか?」…と言ったかどうかはわかりませんが、(^◇^;) ともあれ一時は仕分けされそうになりまして。能楽に限らず、芸術家はかなり大規模な署名活動なども繰り広げました。結果、内容は多少修正されたのかもしれませんが、文化庁の派遣事業は存続となりました。

政治の話はともかく、ぬえも、あのときの子どもたちの笑顔が忘れられずに、それだからこそ震災のあとずっと心にトゲが刺さってしまったんです。このたび2度に渡って被災地を廻って、少しばかりのお手伝いをさせて頂きましたのも、そんな心のキズを埋める…いうなれば自分のためであったかもしれないと白状しなければなりません。

でも、被災地の現状を見るにつけ、また避難所の住人さんと仲良くなって話をするにつけ、かえってトゲは深く刺さってしまったようにも感じます… また来月、被災地を訪問する計画を立てつつある ぬえですが、一方で岩手県では避難所がすべて解消された、とのニュースが。ぬえたちが先日訪れた石巻の湊小学校の住人さんもすでに100人を切ったそうです。仮設住宅という、避難所よりもずっと規模の小さい、個人の生活が営まれる場に新しい展開をとげて、またそこでは居住者の孤独という問題も指摘されつつあります。そこで ぬえたちがどうやって、何ができるのか。模索は続きます。