すがとよ酒店さんでの発災時刻の奉納上演を終えて、気仙沼の鹿折地区では仮設商店街時代からお世話になっている うどん屋の「団平」さんで昼食。うどん屋さんなのに、ここでは中華そばしか食べたことがないですが、安定の美味!
一度はうどんを食べてみたいけど。。美味しいんだもん! この日はまだ開店時間前でしたが、すがとよさんのお客さんが店主の塩田賢一さんに電話してくださり、ぬえたちのためにわざわざ早めに出勤頂きました! 貸し切り団平!
団平さんは被災後、重機の免許を取って瓦礫の撤去をしたり、行政と交渉して仮設商店街の発足のため、まその運営のために尽力なさった方です。以前の滞在中には仮設商店街の入口をふさぐような かさ上げ工事の業者と対決したりも見ていましたが、その後なんとニューヨークに出かけて出店したり、東京・東日本橋に出店したり、と、気仙沼での再建のための資金調達に臨む姿勢とバイタリティーは常人の及ぶところではございませぬ。そしてついに念願の気仙沼に店舗を再建しました。東日本橋の店舗は今年3月いっぱいで閉店だそうです。本日まで!
太鼓の大川典良さんはスケジュールの都合でこれにて帰京、その後 ぬえたちは南町にある「キャンドル工房」に向かいました。
こちらは震災後に気仙沼に移住している杉浦恵一さんが代表を務める「ともしびプロジェクト」の本拠地であり、本日の2度目の上演場所でもあります。「ともしびプロジェクト」さんは震災の月命日である毎月11日にキャンドルを灯そう、という運動をSMS等で全国に呼びかけていて、気仙沼市内でも折にふれキャンドルを灯すイベントを開いています。ぬえたちも過去に何回かお盆の精霊送りの夕にお寺の枯山水庭園でクラシック音楽と能楽のイベントを企画して、その際には「ともしびプロジェクト」さんがたくさんのキャンドルを飾ってくださり、大変に幻想的で美しい舞台となりました。
杉浦さんも震災10年を経て、この災害を伝えるためにいろいろな模索をなさっていて、この日の出演を電話で相談したところ、まあ30分は語り合いました(笑)。この日のコンセプトはいろいろな形での「祈り」ということで、空と海を表現する青いキャンドルを全国で灯し、本拠地・気仙沼では宗教を超えた祈りを捧げたい、とのことでした。
カトリックの神父さん、真宗のお坊さんがそれぞれのやり方で犠牲者に祈りを捧げるので(!)、ぬえさんも何か能楽のやり方で「祈り」の形を取れないだろうか、という相変わらずアイデア満載のこの方らしく興味深いもので、ぬえはこの日は能『葛城』を舞うことにしました。『葛城』は「祈り」とはちょっとイメージが違う曲かもしれませんが、それでもシテがキリスト教と仏教の祈りに対して神道の女神であり、なんといっても純白の雪山が舞台なので、震災の日の夜の出演には好んで選んでいる曲です。震災の当日には雪が降っていました。。
この日も各地から集まったお手伝いボランティアさんが集い、生配信も行われました。会場が狭いのは仕方ないのですが(舞いながら扇で一度。。お客さんを殴った感触が。。)ん-、ただ、被災者。。というか市民の前での上演ではなかったのがちょっと残念かな。ぬえたちプロジェクトはずっと被災者や傷ついた街の市民に寄り添って活動を続けてきたので。とは言えボランティアさんが灯したキャンドルは気仙沼の夜に美しく映えていました。「ともしびプロジェクト」さんでは全国で青いキャンドルを灯してもらうために、キャンドル自体は無料で、送料のみで全国にキャンドルを届けておられるそうです。
今回昼間の追悼式典をコーディネートしてくださった村上充さんといい、移住して活動を続けている杉浦恵一さんといい、長い長い、無報酬での活動が11年目を迎えました。こういう人たちがいることを知ったのも ぬえたちプロジェクトが(これらの人々から比べたらほんの少ない回数ですけれども)活動を続けていくうちの出会いで、そう考えると 11年前のあのとき、被災地に行けて幸せだったんだな、と思います。
とりあえず今回もこれにてミッション・コンプリート♪
一度はうどんを食べてみたいけど。。美味しいんだもん! この日はまだ開店時間前でしたが、すがとよさんのお客さんが店主の塩田賢一さんに電話してくださり、ぬえたちのためにわざわざ早めに出勤頂きました! 貸し切り団平!
団平さんは被災後、重機の免許を取って瓦礫の撤去をしたり、行政と交渉して仮設商店街の発足のため、まその運営のために尽力なさった方です。以前の滞在中には仮設商店街の入口をふさぐような かさ上げ工事の業者と対決したりも見ていましたが、その後なんとニューヨークに出かけて出店したり、東京・東日本橋に出店したり、と、気仙沼での再建のための資金調達に臨む姿勢とバイタリティーは常人の及ぶところではございませぬ。そしてついに念願の気仙沼に店舗を再建しました。東日本橋の店舗は今年3月いっぱいで閉店だそうです。本日まで!
太鼓の大川典良さんはスケジュールの都合でこれにて帰京、その後 ぬえたちは南町にある「キャンドル工房」に向かいました。
こちらは震災後に気仙沼に移住している杉浦恵一さんが代表を務める「ともしびプロジェクト」の本拠地であり、本日の2度目の上演場所でもあります。「ともしびプロジェクト」さんは震災の月命日である毎月11日にキャンドルを灯そう、という運動をSMS等で全国に呼びかけていて、気仙沼市内でも折にふれキャンドルを灯すイベントを開いています。ぬえたちも過去に何回かお盆の精霊送りの夕にお寺の枯山水庭園でクラシック音楽と能楽のイベントを企画して、その際には「ともしびプロジェクト」さんがたくさんのキャンドルを飾ってくださり、大変に幻想的で美しい舞台となりました。
杉浦さんも震災10年を経て、この災害を伝えるためにいろいろな模索をなさっていて、この日の出演を電話で相談したところ、まあ30分は語り合いました(笑)。この日のコンセプトはいろいろな形での「祈り」ということで、空と海を表現する青いキャンドルを全国で灯し、本拠地・気仙沼では宗教を超えた祈りを捧げたい、とのことでした。
カトリックの神父さん、真宗のお坊さんがそれぞれのやり方で犠牲者に祈りを捧げるので(!)、ぬえさんも何か能楽のやり方で「祈り」の形を取れないだろうか、という相変わらずアイデア満載のこの方らしく興味深いもので、ぬえはこの日は能『葛城』を舞うことにしました。『葛城』は「祈り」とはちょっとイメージが違う曲かもしれませんが、それでもシテがキリスト教と仏教の祈りに対して神道の女神であり、なんといっても純白の雪山が舞台なので、震災の日の夜の出演には好んで選んでいる曲です。震災の当日には雪が降っていました。。
この日も各地から集まったお手伝いボランティアさんが集い、生配信も行われました。会場が狭いのは仕方ないのですが(舞いながら扇で一度。。お客さんを殴った感触が。。)ん-、ただ、被災者。。というか市民の前での上演ではなかったのがちょっと残念かな。ぬえたちプロジェクトはずっと被災者や傷ついた街の市民に寄り添って活動を続けてきたので。とは言えボランティアさんが灯したキャンドルは気仙沼の夜に美しく映えていました。「ともしびプロジェクト」さんでは全国で青いキャンドルを灯してもらうために、キャンドル自体は無料で、送料のみで全国にキャンドルを届けておられるそうです。
今回昼間の追悼式典をコーディネートしてくださった村上充さんといい、移住して活動を続けている杉浦恵一さんといい、長い長い、無報酬での活動が11年目を迎えました。こういう人たちがいることを知ったのも ぬえたちプロジェクトが(これらの人々から比べたらほんの少ない回数ですけれども)活動を続けていくうちの出会いで、そう考えると 11年前のあのとき、被災地に行けて幸せだったんだな、と思います。
とりあえず今回もこれにてミッション・コンプリート♪
東北のまちにずっと通われていらっしゃるのですね。
先生の羽衣、どんなに美しかったことでしょう。「美しさ」は悲しみを吐き出させ、慰めもしてくれます。涙の役割もしてくれるのですね。