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週末に他門のKくんが『道成寺』を披くのを拝見に伺って、翌日の月曜には京都にて浦田先生のご葬儀に参上し、その日は京都に泊まって翌日東京に帰り、そのままお弟子さんのお稽古に行って夜にようやく帰宅。今度は伊豆の子どもたちのための創作能の台本や稽古プリントを深夜までかかって作り、さて昨日はGWの渋滞を恐れて早朝に家を出て伊豆へ。これも子どもたちの稽古のほかに、6月に東京で『嵐山』の子方を勤める綸子ちゃんの稽古もつけたので、やっぱり帰宅したのは夜になりました。不思議と伊豆は往復とも渋滞らしい渋滞につかまることもなかったのが幸いでした。なんだか忙しい週末でしたね~。画像は京都の清水寺と、伊豆の国のシンボルの城山(じょうやま)。これほど離れた土地にある景物を翌日に見るなんて、なんだか現代は不思議です。スピードがある分、余裕はなくなっているのかもしれませんが。。
さてクリのお話なのですが、前述のようにクリの冒頭では囃子方が「打掛=うちかけ」と呼ばれる派手な手を打ち、常の能ではそれにかぶせるように地謡が謡い出すところ、小書がついた場合は「打掛」の間は地謡は謡い出さずに待ち、その手が打ち終わったところで謡い出すことになっているのですが、ちょっと説明が足りませんでした。
上記の例は『殺生石』の場合で、ほかの能では必ずしも当てはまらないのです。たとえば常の能でも「打掛」の間は地謡が休んで謡わず、その手が終わったところで謡い出す曲がありまして、それは曲によるのではなく曲籍によります。すなわち『羽衣』や『井筒』など「三番目」あるいは「鬘能」と分類される能と、『高砂』『養老』など「脇能」の曲では、常の場合でも「打掛」を聞いてから地謡が謡い出します。しかも常の能では「打掛」は2クサリ(=2小節)打たれ、すなわち「鬘能」ではその2クサリの「打掛」の間を地謡は声を出さずに待機し、「鬘能」ではない曲。。「修羅能」とか「切能」と分類される曲では地謡はその2クサリの「打掛」にかぶせるようにクリを謡い出すのですが、一方「脇能」だけはこの「打掛」をもう1クサリ多く、3クサリ打つことになっていて、地謡もこの3クサリの間を待機することになります。ですから「本来は四番目。または三番目にも」「または脇能にも」などと曲籍が両様になっている曲。。たとえば『雲林院』や『三輪』などでは、その日のプログラムの都合によって「三番目物」あるいは「脇能」扱いとして上演される際には上記の例に従って「打掛」を待って地謡が謡い出すことになります。
が、これまた例外もありまして。。上記の例はいずれも、このクリの直前にも地謡が謡っている場合に限られます。クリの直前に地謡が謡う たとえば「上歌」なりがあって、それに引き続いてクリになる場合、囃子方は「打掛」を打ってくることになり、そのとき「鬘能」「脇能」では「打掛」の間だけ一時的に声を止める、ということになります。
ところがクリの直前が地謡が謡う小段ではない場合。。たとえば「鬘能」の『定家』など、お役。。すなわちシテが謡っている場合には囃子方は「打掛」ではなく「ヨセ」という手を打つことになっていまして、地謡はこの「ヨセ」にかぶせて(=シテ謡にすぐ引き続いて)クリを謡い出します。この「お役」が謡うときに「ヨセ」を打つ例は、どうも概観したところ、クリの直前にシテが謡っている場合に限られているように思います。「脇能」の『高砂』や「鬘能」の『井筒』では、地謡が謡う「上歌」とクリとの間に ほんの短いワキの文句~なほなほ高砂の松のめでたき謂はれくわしく御物語候へ~が挟みこまれているのに、これは囃子方は「ヨセ」ではなく「打掛」を打ち、そのため地謡は上記の例にならって「打掛」の間は声を止めていますね。
また顕著な例は「脇能」の『玉井』で、この曲はシテとワキとの問答からいきなりクリになりますが、この場合もクリの直前がワキの文句「さらばやがて伴ひ申し。宮中へ参り候べし」であるためなのか、やはり「打掛」になります。この部分、囃子の流儀によってはシテとワキとの問答の間は演奏をしないお流儀もあるようなので、その場合は上記のワキの詞で問答が終わると いきなり囃子方が「打掛」を打ち始めるのです。その例だけであれば ほかの能にも例があるのですが、ところが『玉井』は「脇能」でああるため、「打掛」は3クサリが打たれ、やはり地謡はその間は待機していて謡い出さないのです。
それから「鬘能」に多い例だと思いますが、クリの直前に「イロエ」があることがあります。『杜若』や『源氏供養』などがその例ですが、イロエの終わりには囃子方は「打掛」の手は打ちにくく、また「イロエ」の直後には地謡ではなくシテが謡い出すのが通例のためでしょう、こういう場合にもやはり「打掛」は打たれず、また「イロエ」が終わるとすぐにシテがクリの初句を謡い出し、途中から地謡がそれを受けて謡い出すようになっています。
それからそれから。。「鬘能」であっても「脇能」であっても、そもそもクリが存在しない曲。。『賀茂』や『竹生島』、『白楽天』『半蔀』。。もあって、これは当然ながら上記の「打掛」の話題とは無縁の曲です。
こうして考えてみると クリの「打掛」ひとつとっても複雑な定めがあるのですね~。今回の『殺生石・白頭』は「打掛」の手法で上演されるわけですが、切能である『殺生石』に「打掛」が取り入れられるのは、今回の上演には小書がついているからでして、だからと言ってすべての曲が小書がつく場合に「打掛」があるとは限りません。小書の軽重ということにもよりましょうが、最も大きな要因は、上記のように囃子方にとって「打掛」が打てる構成に組み立てられている曲であることが第一条件でしょう。