今回の上山八幡宮での奉納曲は「羽衣」で、これは初めて訪れる土地、はじめて上演する場所では必ず「羽衣」とプロジェクトで決めているからです。理由は長くなるので割愛しますが、かなり深い意味を持っています。以前このブログでご説明したことがありますので興味のある方は調べてみてください。
ところがこのお宿でご主人から驚くべきお話を伺いました。いわく当地(津の宮地区)にも羽衣伝説があり、それはこういうもの。
土御門帝の延徳の頃(室町時代)、艶宮(現・津の宮)の島守が翠竹島(現・竹島)から楽曲が聞こえてくるのを不思議に思い舟で近づいて見ると、大勢の羽衣を着た天女が舞い踊っていた。天女は島守の姿を認めると驚いて天の彼方へ飛び去ってしまったが、見ると白い子犬と十五六歳ばかりのこの世のものとも思われない美しい天女がうずくまって取り残されていた。病のため起き上がれず怯える天女を哀れに思った島守は彼女を村に連れ帰り介護したが、天女は人の作る食物は食べられず、干し柿や木の実を口にするばかりで、それから七日ほどでとうとう亡くなり、白犬も後を追うように死んでしまった。村人は哀れに思い塚を築いて弔った。(天女塚・狗塚の案内板より要約)

天女塚
ペットの(?)ワンちゃんを連れた天女!! 羽衣伝説は日本各地に残り、その内容も多岐に渡った展開をするので興味深いのですが、まさかこの南三陸町のそれも限られた小さな地区に、ほかの羽衣伝説とは明らかに異質の独自の伝承があるとは。。

竹島
「羽衣」を舞う直前にとても興味深い発見があったのを喜び、翌朝に天女塚と狗塚(いぬづか)に詣でてきました。天気も東京では曇りや雨の予報でしたが当地は快晴でした!
さて上山八幡宮に参り、午前中に正式参拝をして神様に奉納上演の成功や旅の安全、そしてもちろん当地に幸せが訪れるよう祈願しました。
14:15、社務所にて着付け開始。奉納場所は、神社にも立派な神楽殿もあるのですが小高い山の上に鎮座されている関係上ご覧になる参詣者は限られてしまうので、近くの「さんさん商店街」(元は仮設商店街だったのが移転しながら常設の商店エリアとなったもの)から近い神社の駐車場で奉納することにしました。この「さんさん商店街」のすぐ裏手の川(八幡川、または志津川)の向こう側に有名な震災遺構の「旧防災対策庁舎」があり、そこから復興祈念公園が広がっています。


ぬえは震災三カ月後に志津川を訪れ、その後も気仙沼に向かう際に何度も通ったのですが、志津川ではこの川を遡上した津波の被害がかなり山の奥深くにまで及んでいるのが印象的でした。また、震災直後にこの上山八幡宮での奉納が実現しなかったそれ以来、プロジェクトとして南三陸町では活動していないと思い込んでいたのですが、今回上演記録を調べたところ、2011年に泊浜、2016年に志津川、2018年に歌津と3回も活動していました。さすがに今回が160回目で記憶が定かでないところも。。
16:46、発災時刻のサイレンと黙祷。ぬえは毎度この時間を、装束を着たまま楽屋となった部屋の片隅で黙祷を捧げることになります。今回は黙祷しながら ふと、「14年、かあ。。」とつぶやいていました。
その後駐車場に移動して、階段があるので面はお客さまの前で着けることにしました。行ってみると大勢のお客さまが! 商店街からは道路を隔てているし、10名様くらい見えれば十分かな? と思っていたのですが、後で聞けば30名様ほどがお集まり頂いたそうです。感激。
この日の奉納はプロジェクトのYouTubeチャンネルでご視聴になれます。
駐車場は大きな尖った砕石が敷かれていて足の裏が痛かった。。
これにてミッション・コンプリート。志津川のみなさまの幸せを祈りながら帰途につきました。
あーレンタカーと新幹線で楽チン。10年以上車で東京から往復してきたけど、さすがに14年経って自分の体力を気遣うようにもなりました。(-_-;)
ところがこのお宿でご主人から驚くべきお話を伺いました。いわく当地(津の宮地区)にも羽衣伝説があり、それはこういうもの。
土御門帝の延徳の頃(室町時代)、艶宮(現・津の宮)の島守が翠竹島(現・竹島)から楽曲が聞こえてくるのを不思議に思い舟で近づいて見ると、大勢の羽衣を着た天女が舞い踊っていた。天女は島守の姿を認めると驚いて天の彼方へ飛び去ってしまったが、見ると白い子犬と十五六歳ばかりのこの世のものとも思われない美しい天女がうずくまって取り残されていた。病のため起き上がれず怯える天女を哀れに思った島守は彼女を村に連れ帰り介護したが、天女は人の作る食物は食べられず、干し柿や木の実を口にするばかりで、それから七日ほどでとうとう亡くなり、白犬も後を追うように死んでしまった。村人は哀れに思い塚を築いて弔った。(天女塚・狗塚の案内板より要約)

天女塚
ペットの(?)ワンちゃんを連れた天女!! 羽衣伝説は日本各地に残り、その内容も多岐に渡った展開をするので興味深いのですが、まさかこの南三陸町のそれも限られた小さな地区に、ほかの羽衣伝説とは明らかに異質の独自の伝承があるとは。。

竹島
「羽衣」を舞う直前にとても興味深い発見があったのを喜び、翌朝に天女塚と狗塚(いぬづか)に詣でてきました。天気も東京では曇りや雨の予報でしたが当地は快晴でした!
さて上山八幡宮に参り、午前中に正式参拝をして神様に奉納上演の成功や旅の安全、そしてもちろん当地に幸せが訪れるよう祈願しました。
14:15、社務所にて着付け開始。奉納場所は、神社にも立派な神楽殿もあるのですが小高い山の上に鎮座されている関係上ご覧になる参詣者は限られてしまうので、近くの「さんさん商店街」(元は仮設商店街だったのが移転しながら常設の商店エリアとなったもの)から近い神社の駐車場で奉納することにしました。この「さんさん商店街」のすぐ裏手の川(八幡川、または志津川)の向こう側に有名な震災遺構の「旧防災対策庁舎」があり、そこから復興祈念公園が広がっています。


ぬえは震災三カ月後に志津川を訪れ、その後も気仙沼に向かう際に何度も通ったのですが、志津川ではこの川を遡上した津波の被害がかなり山の奥深くにまで及んでいるのが印象的でした。また、震災直後にこの上山八幡宮での奉納が実現しなかったそれ以来、プロジェクトとして南三陸町では活動していないと思い込んでいたのですが、今回上演記録を調べたところ、2011年に泊浜、2016年に志津川、2018年に歌津と3回も活動していました。さすがに今回が160回目で記憶が定かでないところも。。
16:46、発災時刻のサイレンと黙祷。ぬえは毎度この時間を、装束を着たまま楽屋となった部屋の片隅で黙祷を捧げることになります。今回は黙祷しながら ふと、「14年、かあ。。」とつぶやいていました。
その後駐車場に移動して、階段があるので面はお客さまの前で着けることにしました。行ってみると大勢のお客さまが! 商店街からは道路を隔てているし、10名様くらい見えれば十分かな? と思っていたのですが、後で聞けば30名様ほどがお集まり頂いたそうです。感激。
この日の奉納はプロジェクトのYouTubeチャンネルでご視聴になれます。
駐車場は大きな尖った砕石が敷かれていて足の裏が痛かった。。
これにてミッション・コンプリート。志津川のみなさまの幸せを祈りながら帰途につきました。
あーレンタカーと新幹線で楽チン。10年以上車で東京から往復してきたけど、さすがに14年経って自分の体力を気遣うようにもなりました。(-_-;)