ペテロは使徒行伝の前の方で著しい働きをする様子が描かれているが、10-12章 を過ぎると、急速にその名前が登場しなくなりパウロが取って代わることになる。筆頭使徒として大管長の地位に相当すると見ている末日聖徒にとって、寂しい(物足りない)印象を受ける。
そう思って捜すと、2冊読み応えのありそうな本を見つけた。それは次の2冊である。
1 M.ヘンゲル著、川島貞雄訳「ペト . . . 本文を読む
「なぜわたしを迫害するのか、とげのあるむちをければ、傷を負うだけである」(使徒26:14)
有名なパウロ回心の場面である。私はこの言葉に接する度に一体どういう意味なのか、何か当時よく知られた諺であったのか確認したい気持ちに駆られる。(欽定訳*、大正改訳[文語訳]、JSTには使徒9:5にも出てくる。) [聖書は東洋の書物(インド人主教 K C . . . 本文を読む
[Passion, キリストの受難]
最近教会で新約聖書を学んでいて、同じテーマ(過ぎ越しの食事、ペテロがイエスを知らないという、など)が繰り返し読書の予定に入っているのに気づく。これは4つの福音書がそろってイエスの宣教の生涯と教え、十字架の犠牲を伝えているからで、特にヨハネを除く三つが共通している。それでマタイ、マルコ、ルカによる福音書を共観福音書と呼ぶ慣わしとなって . . . 本文を読む
[タイトルの石川立(りつ)氏は同志社大学神学部教授、春日いづみ氏は歌人、日本語担当翻訳者]
5月11日(土)カトリック大阪司教区のセンター聖堂で行なわれた対談「詩文の魅力を語る」に出席した。昨年末出版された新しい日本語訳聖書について、翻訳に携わった担当者から興味ある話を直接聞くことができて、大変興味深かった。これまでの投稿記事と重なるところもあるかと思うが、概要を記したいと思う。& . . . 本文を読む
[聖典理解・分析にも七つ道具]
今日、インターネットの普及で聖書の研究がしやすくなっている。聖典研究(釈義)に役立つ七つ道具を掲げてみた。(ほとんどどの項もそのサイトは英語で記載されていることをお断りします。)
1 原語を含む「二言語併記聖書(Interlinear Bible) 」
これにより、聖書の元の文言に接することができる。読むのはか . . . 本文を読む
[左上使徒行伝 1:13で brother が斜字体]
末日聖徒は欽定訳聖書(英文)を用いるが、欽定訳聖書は所々斜字体(italic)になっている。その意味について簡単に記してみたい。(以下、やや専門的。Facebook 「聖書を原語で学ぶ会」と二重掲載)
斜字体が用いられている理由は、第一に言語の問題であって、原語のヘブライ語やギリシャ語になくても、英 . . . 本文を読む
(Facebook に同記事掲載)
私はマタイ9:5 のイエスが中風の人をいやす箇所にさしかかる度に、結局どちらがやさしくてどちらが難しいのか解らないでいた。この度この箇所を読んで、註解書幾つかに目を通した結果、漸く納得できた。
解りやすい説明は、「『立って歩け』という方が第三者にも具体的に判断できる . . . 本文を読む
[クロード・トレモンタン]
この本は決して読みやすい本ではないが、今まで得たことのない視点を得ることができた。著者は1925年生まれのフランスの哲学者(教授、故人)であって、聖書の釈義学者や神学者に新しい見方をもたらそうとしたわけではない。しかし、納得できる、深く新鮮な分析と指摘に富んだ書物である。
哲学的な術語と論旨の展開に戸惑いながらも、同時にユダヤ・キリスト教的視点が優先され . . . 本文を読む
新約聖書の初めの方にバプテスマと言う語が登場する。(マタイ3章、マルコ1章など)。この語は全身水に沈めるのか、そうでないのか論争がたたかわされた。それで全身水に沈めるのが正しいと考えるグループは、「洗礼」という翻訳を嫌って「浸礼」または「バプテスマ」と訳すことを求める。
口語訳は「バプテスマ」と音訳し、新共同訳は「洗礼(バプテスマとルビ)」、新改訳は「バプ . . . 本文を読む
福音書を読む度に、7年前に取り上げた山形孝夫と同様、私も「本当に?!」という思いがするのをおさえることができないでいた。現代の感覚からすれば、あまりに非現実的に思えるからである。この度、上村静が山形とは異なる視点から、ある意味、山形を越えて明快に説明しているのを読んだ。(上村 静「宗教の倒錯」)。
治癒行為を含む奇跡物語りは、元来ユダヤ人の間に民間説話 . . . 本文を読む