この度高槻市内の病院に10日間入院し、心臓を取り巻く冠状動脈のカテーテル治療を受けてこの先端を行く医療技術も神の栄光を現わすものではないかと感じた。
「神の栄光をまごころもて仰ぎ見て」(教・聖 4:5)生きることは、必ずしもlds教会の発展に寄与することに限られることではない。もちろんのことである。先日ユタ州レイトンの教会で神権会に出た時、教師に確かめると彼もその通りだと答えた。この社会で人々が隣人の必要に応じて助けあう姿、企業が社会の需要を満たして人々の福利を向上させる営みも神の栄光を現わしている。町々の発展も平和な社会も神の栄光を現わしていると言える(マタイ 4:8)。
私は図らずも心臓という最重要な器官の疾患を、最先端の技術を施されながら、手術台で思わず感動し目がしらが熱くなった。私の祖父はこんな治療を受けることがなく、狭心症で亡くなった。世界の多くの地域では大勢の人々がまだ受けられる状況ではないと思われる。
(右足の太ももから動脈を遡ってチューブを挿入し、心臓を覆う冠状動脈の狭窄部分に治療を施された。その間、麻酔のおかげでほとんど違和感を感じることなく1時間半が経過し、治療が終了した。ただ、その後の半日に及ぶ養生が容易ではなかった。体を動かしてはならず、泌尿器にもカテーテル技術が施されたからである。これには苦痛が伴った。)
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