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指揮者バレンボイムの言葉

2009-04-03 23:48:38 | 注目した言葉


勇気ある指揮者バレンボイムの言葉

この楽団は「平和をもたらす楽団」と言われるが、バレンボイム
は楽団にそのようなことはできない、しかし「互いの声(narrative)
に耳を傾ける忍耐と寛容、好奇心を喚起して、相互理解をもたら
せることを願っている」と述べている。

NHKテレビの教育放送で今その演奏を聴いているが、ユダヤ人とア
ラブ系の若い男女が並んで演奏している姿に私は感動した。イス
ラエルのパレスチナ自治区ラマラでも演奏が実現し、そこで大変
歓迎されたとバレンボイムは語っていた。

別の場所で団員が移動するバスに乗り合わせた江川紹子は、彼ら
の間に激論を目撃しながらも演奏の時は融合して曲に向かうのを
見て、「音楽は人の考えを変えることはできないが、一時鋭いと
げをひそめさせる力を持っている」と観察している。

(4月3日午後10:30 NHKテレビ教育放送 芸術劇場 ウェスト・イ
ースタン・ディヴァン楽団の演奏会)
http://west-easterndivan.artists.warner.de/


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4 コメント

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同感 (落伍者)
2009-04-05 10:25:30
謹啓、ご無沙汰しております。

お引越しも無事に済まされたようで・・・

新天地(古巣?)での更なるご活躍を願ってやみません。

ところで、バレンボイムの活動ですが、よい試みですね。TVで放送されたことは知りませんでした。

この最高のピアニストは指揮でも成功を収め、いまだに進化しているようですね。

以前、イスラエルで演奏禁止だったナチ御用達のワーグナーを強行に演奏したことで有名でしたが、なかなか思いきったことをされますね。

反目しあう人々が音楽を仲立ちにひとつのことを成し遂げる姿は美しいものだと思います。

宗教の世界でもそのようななって欲しいものです。
と言うか、モルモンと反モルモンの間でそうなってほしいと思うのです。

今後の成功を祈るばかりです。

バレンボイムは病気の奥さんをあっさりと捨てたので、人格面ではあまり好きではないのですが、彼の音楽性は素晴らしいものです。

バレンボイムやアシュケナージなど、指揮をはじめると本業のピアノを行く機会が少なくなって残念ですが、この活動は頑張っていただきたいものです。

ところで、名立たるピアニストにはなぜユダヤ系が多いのでしょうね?

教育水準が高いせいでしょうか?
差別されることも関係があるのでしょうか?

ホロヴィッツが“ピアニストには、ホモとユダヤ人とへたくそしかいない”といったそうですが、本当に上手な方が多いです。

ユダヤの力は良い方にも悪い方にも世界を変えるものが備わっているのかと感じます。


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造詣が深い! (NJ(ようやく))
2009-04-05 17:55:06
コメント ありがとうございます。漸く住む周辺の地理がわかりかけた状態です。

>宗教の世界でもそのようななって欲しいものです。
と言うか、モルモンと反モルモンの間でそうなってほしいと思うのです。

同じ思いです。異なったタイプのlds同士の間でもそうあってほしいと思います

この度のテレビ番組ではアラブ系の人々の間にも音楽演奏に携わる若者たちがいることを知って嬉しく思いました。(ほとんどが在欧のひとたちと見受けましたが)。
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そうですね (落伍者)
2009-04-05 20:45:25
>同じ思いです。異なったタイプのlds同士の間でもそうあってほしいと思います

教会の中では、皆が同じ方向を見て歩みを進めているはずですが、やはり足並みが揃わない時もありますね。BBSでも多種多様な考えが日本のモルモンに生じていることを感じます。

非常識な見解は論外として、教会の原則にそぐわない意見も大切にしていく必要を感じております。

個人の意見を聞きすぎると、足並みはもっと乱れるので、組織を安定させるためには、やはり犠牲になる意見も多く出てくるでしょう。

問題は退けられた意見の持ち主をいかにフォローするかだと思います。


また退けられた意見が、成長の種になるように育ててあげていつの日か花開くようにフォローするようにしてあげるといいですね。

ネットが発達していない頃、私は伝道状況の記録をネットで伝道本部に送ったことがあります。

伝道部長から、支部長経由でネット経由で送付するなとのお達しを頂きました。

それから、1~2年後、記録をネットで送って良いと
お達しが参りました。

私は、手間と経費節減や確実性を狙ってネット経由で送付したのですが、当時は受け入れられず支部長から
禁止の命を受けて計画は頓挫致しました。

PCやネットの発達した現在、私の行ったことが
当たり前のように行われています。

結果的に教会の認可がないと良いことも否定される組織であるという結論に達したわけで、失望を味わったこともあります。


原則だけを盾にすると、本当に大切なものを失うこともあるでしょう。

教会の運営というのは、もはや原則だけでは通用しない時代になっているのかもしれません。

大いなる脱皮をして会員が福音から真の喜びを味わうことが出きればいいですね。





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Unknown (Unknown)
2009-04-06 09:48:48
苦労されたのですね。

>問題は退けられた意見の持ち主をいかにフォローするかだと思います。

前いた広島の教会にこの言葉があてはまる例を見かけました。あるいは自分自身がずっと以前に忍耐をもってフォローされた例であったのだと思います。(実は今も!?)

暖かい希望的コメントと励ましに感謝いたします。
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