[羊の群れを見守る牧童 1.36MB]
新約聖書の理解を深めるために、当時の背景を知ることができる資料集を読んでいるが、次のような興味ある譬え話をラビ文書に見つけた。
ある王が多くの羊と山羊を飼っていた。これらの家畜は毎朝牧草地にいき夕べには厩舎(きゅうしゃ)に帰っていた。ある日、一頭の雄鹿が群れに加わって草を食み、共に帰ってきた。羊飼いがそれを報告すると、王はことのほかこの雄鹿が気に入り、牧童に「この鹿を大切に扱い、誰もぶったりしてはならない」と命じた。羊が夕方戻ると、雄鹿にもエサと水を与えるように言った。
そこで羊飼いたちは、「ご主人様、山羊や羊、仔羊がたくさんいるのに、何の指示もなさらないで、日毎にこの雄鹿のことで指示を出されるのですか」と聞いた。王は答えた、「羊は牧草地で草を食むのが常で、鹿は荒野に住み人の居住地に来ることはない。しかし、この雄鹿はわれわれの所に来て一緒に住んでいる。多くの鹿や子鹿の仲間が住んでいる広大な曠野を去り、われわれの間で住むようになったことを嬉しく思うべきではないか。われわれは有難いと受けとめるべきである。」
聖なる方も同じように言われた。「わたしは他国人に対して大いに感謝の気持ちをいだいている。彼は家族と父の家を離れて、私たちの間に住むようになっているからである。それで私は律法の中に、『あなたがたは在留異国人を愛しなさい』(申命10:19 新改訳)と命じたのであった。」 (Numbers Rabbah 8:3。訳沼野治郎)
考えてみれば、私たちアジアの改宗者はこの話のように、家族や仲間の世界を離れてキリスト教の社会に在留している異国人に該当している。アメリカの末日聖徒が私たち改宗者に暖かく接し気遣ってくれるのは、この精神からであろう。
なお、新約聖書の理解を深める歴史・思想の資料集は、いわばある生物についてその棲息する地勢、気候、食物連鎖の状況、同種の生物の存在や特徴を知ることによって、より正確に知ることができる手がかりのようなものではないか。大変役に立つ資料で、学術的な研究にとって不可欠なものである。
出典: C.K.Barrett, “The New Testament Background: Selected Documents” Harper Torchbooks, 1956, 1961, p. 165 (なおこの本は私が1970年代BYUで「新約聖書の時代」514を履修した時の指定参考図書であった。)
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[譬え話追加]
「からし種の譬え」に似た話
セネカの言葉 「言葉は種子のように蒔かれるべきだ。種子はどれほど小さくとも適切な土地を得れば、自身の力を伸ばし、最小から最大に殖えて繁茂する。理性もそれと同じ働きをする。見ただけでは大きく広がっていないが、仕事をするうちに成長する。わずかのことしか言われなくても、魂がしっかりと受け入れたなら、強い力を得て伸び上がる。そうだ、忠告と種子には同じ性質がある。どちらも生み出す力は大きいが、それ自身は小さい。」(セネカは紀元前後に生れたストア派哲学者。ネロの教師となった。)
大貫隆他編訳「新約聖書・ヘレニズム原典資料集」東京大学出版会 2013年 p. 19
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初期の末日聖徒や一般キリスト教会はタルムードについてどういう風に見ているのでしょうか。
異端だったにせよイエスはユダヤ教の文化圏で暮らしていたわけであり、子供の頃から暗誦させられたりして熟知していたと思われるのですが、イエスの説教やたとえ話、言動の隠された意味を知る上で、理解の手がかりになりそうなものもあるんじゃないかと思えるのですが。
バビロニアのタルムード
パレスチナのタルムード
があるそうです。
皆さんが使っている旧約聖書は編纂に辺りの一部はそのバビロニアのタルムードで調整されているそうです。