共同制度とか奉献の律法とか呼ばれる、LDS教会に昔与えられた律法について、末日聖徒で経済学者として知られたレナード・J・アリントンは、教会の揺籃期における環境がもたらしたと見る。著者はまず西部へ移動するまでの時期を5つに分け、経済的な様相が発展していったと分析している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2f/88/4aa8f50dafa9571948dc0aae150a1620_s.jpg)
[画像はpinterest.com]
5つの段階
1 ミズーリ州ジャクソン郡 1831年夏
2 オハイオ州カートランド 1831-1837年
3 ミズーリ州ファーウェスト 1837年
4 イリノイ州ノーブー 1839年
5 出ノーブー(西部への移動) 1846年2月
初期のこの時期に与えられた啓示は、目指す理想ないし背後にある基本原則が7つあると見る。
1 集合
2 モルモン村(まとまったコミュニティ)の形成
3 管理を任された財産を大切にする(各家族が割り当てられた財産を管理するという仕組み。ルカ12:42 思慮深い家令 (steward)の考え)。所謂奉献の律法。
4 土地を生産性のある状態に改善する
5 節倹と経済的自立
6 一致協力
7 平等
その後も受け継がれた精神、伝統:
末日聖徒の社会が物質的に安定し向上するにつれて、上記7の平等を目指すという目標はそれほど強調されなくなった。(また、奉献の律法(3の原則)も同様と考えられる。沼野)。しかし、中心的な方針は、その後の移民(東部、ヨーロッパからの植民)、公共事業による雇用創出、土地・灌漑の割り当て、多くの小規模協同店舗、砂糖、牧農業などに反映された。
事情・目標とも異なるけれども、共同体の構成員が財産を全て供出して、それを分配し全員が平等に暮らそうという、理想郷の試みの一つと見ることができよう。他の例、武者小路実篤の「新しき村」、オーエンの協同組合など。L.J.アリんトンの分析は明瞭で理解を深めてくれた。
典拠。 レナード・J・アリントン 「大盆地の王国: 1830-1900年末日聖徒の経済史」 1958年
[補足] 英語、ギリシャ語、ヘブライ語の意味
・英語 consecrate [ < L. consecere < com-, together + sacrare, to make holy
< sacer, sacred ]
「 宗教的な用途のため聖別する」
・ギリシャ語 ἁγιάζω 聖別する
< ἅγιος 聖い 使徒4:32-35 21回 / NT
・ヘブライ語 < חָרַם 神のために別にする レビ27:28
三つの言語とも「聖別する」という意味である。
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5つの段階
1 ミズーリ州ジャクソン郡 1831年夏
2 オハイオ州カートランド 1831-1837年
3 ミズーリ州ファーウェスト 1837年
4 イリノイ州ノーブー 1839年
5 出ノーブー(西部への移動) 1846年2月
初期のこの時期に与えられた啓示は、目指す理想ないし背後にある基本原則が7つあると見る。
1 集合
2 モルモン村(まとまったコミュニティ)の形成
3 管理を任された財産を大切にする(各家族が割り当てられた財産を管理するという仕組み。ルカ12:42 思慮深い家令 (steward)の考え)。所謂奉献の律法。
4 土地を生産性のある状態に改善する
5 節倹と経済的自立
6 一致協力
7 平等
その後も受け継がれた精神、伝統:
末日聖徒の社会が物質的に安定し向上するにつれて、上記7の平等を目指すという目標はそれほど強調されなくなった。(また、奉献の律法(3の原則)も同様と考えられる。沼野)。しかし、中心的な方針は、その後の移民(東部、ヨーロッパからの植民)、公共事業による雇用創出、土地・灌漑の割り当て、多くの小規模協同店舗、砂糖、牧農業などに反映された。
事情・目標とも異なるけれども、共同体の構成員が財産を全て供出して、それを分配し全員が平等に暮らそうという、理想郷の試みの一つと見ることができよう。他の例、武者小路実篤の「新しき村」、オーエンの協同組合など。L.J.アリんトンの分析は明瞭で理解を深めてくれた。
典拠。 レナード・J・アリントン 「大盆地の王国: 1830-1900年末日聖徒の経済史」 1958年
[補足] 英語、ギリシャ語、ヘブライ語の意味
・英語 consecrate [ < L. consecere < com-, together + sacrare, to make holy
< sacer, sacred ]
「 宗教的な用途のため聖別する」
・ギリシャ語 ἁγιάζω 聖別する
< ἅγιος 聖い 使徒4:32-35 21回 / NT
・ヘブライ語 < חָרַם 神のために別にする レビ27:28
三つの言語とも「聖別する」という意味である。
アメリカの中にあって一つの小さな独自の世界を作り上げていると感じています。
神学者ティリッヒが宗教に似たもの(従順と献身を求める組織)としてナショナリズムとコミュニズムを挙げていますが、宗教を基本としてその二つを取り入れているように感じます。
ジョセフ・スミスは先見の明があった人だと思います。
共同制度は頓挫しましたが、閉鎖的で堅固な宗教社会を作るためには方向性は間違っていなかったと感じています。
共産主義が成功するためには、指導者も人民もイエス・キリストのようでなくてはならないという発言をラジオで聞いたことがあります。
このような全き献身を成功させるために、普通の人では無理なのでしょうね。
平等の理念は一見理想的に思えますが、みんな生きるためには自己を犠牲にすることに限界があるのでしょうか?
当時の状況を充分に理解することができませんが、ジョセフの理想はなかなか優れたものであると強く感じさせられます。
私達改宗者も振り返って考察し、判断できる立ち位置に届き始めたということでしょうか。
信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。 使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。
彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、 使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。
第三ニーファイもそうだったとされているところから、最初あったはずの福音が回復されるならば、こうあるべきというイメージがJSの脳裏に焼きついていたのは、自然の流れだったと思われます。
あらゆる時代、世界の各地でそうした制度が行われたことがありますが成功した例が全くないですね。
だから理想郷(ユートピア)なのでしょうか?
ちなみにユートピアの作者はトマス・モアです。
残念なことですが現在は貧しい者に分け与えようとすると『自立を妨げる』って怒られます・・・第三ニーファイのような社会が実現すればいいですね。ただそれは経済学的には成り立たない社会だと思いますが。
日本では見たことがありません。
新約の時代、どの程度機能していたか存わかりませんが、定着しなかったような気がします。
ジョセフの時代も同様ですが、神の命にもかかわらず、どの時代でも定着しなかった理由はどこにあるのでしょうか?
イエスの時代にもどこかの一派(クムラン洞窟のあたり?)は共同生活を送っていたと聞いたことがあります。
いろんな時代に見られますが、理想の究極であり、人間にとってはかなり高度な要求と思います。
それを行おうとしたジョセフのアイデアに回復の理想を見ることができます。
このような形態はジョセフの時代より、西部に移住した時の方が成功する可能性が高いとおもうのです。
閉鎖的な社会にのみ適合する制度と感じます。
うまくいかない原因も聖書に書いてあって、次の使徒行伝5章に、
ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、 共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。 そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。 売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。 アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた
とあります。 アナニアは奉献をためらったが、集団の中で信仰があるように見せかけたかったということだったのでしょう。
ペテロは寄付しない自由もあったのになぜだ?と述べています。
JSの時代は初期にピーターホイットマーとかマーティンハリスなどの大金持ち系の教会幹部がいてくれたおかげでJSはモルモン書の初版本の印刷にやっとこぎつけたりしたのですが、JSの言動に不信感を持ったりもしたようですが、やはり貢献度に比例した発言権が持てない奉献の律法制度が割り切れなくて、相次いで離反していったようですね。
>イエスの時代にもどこかの一派(クムラン洞窟のあたり?)は共同生活を送っていたと聞いたことがあります。
信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
のはペテロを受け入れたエッセネ派の信者らのことだったのだろうといわれていて、聖書ではイエスキリストのおかげで奉献の律法がこの世に到来したような書かれ方ですが、学者の言うことにはエッセネ派はイエスの降誕の200年前から存在し、バプテスマのヨハネもイエスもエッセネ派に属していたのだろうと述べています。
エッセネ派は、既得権益であるパリサイ派から分派して反対する集団で、キリスト教でいうところのプロテスタントのようなものだったようです。
原始キリスト教の奉献の律法がうまくいったのは、そのような伝統的な準備があってのことで、JSの場合はこれといった支持母体もなくて1代でそれをやろうとしたので圧倒的に分が悪かったのだと思われます。
だから必ず貧富の差が発生するのですね。
さらに現代社会は立場の弱い者から生産物の多くを搾取することで成り立っています。どうしようもないですね。
「ブリガム・ヤング(June 1, 1801 – August 29, 1877)は、次の10月総大会で、名誉の退位を行って、息子ジュニア(使徒)に、管長職を譲位、つまり、世襲制を目論んでたというのが・・・ブリガムの死後、ほぼ教会全財産が、ジュニア(使徒)らに継承されることとなり、次の管長となるジョン・テイラー他たちが、破門すると脅して、どうにか、ジュニアらから教会財産を取り戻したんだとか」
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E5%AF%8C%E3%82%92%E6%84%9B
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/41863deaea10dc9b549bd9398330c482
「ブリガム(1801-77)は、1832年バプテスマを受けると、同年、兄や弟たちと共に、ニューヨーク州にある家を発って、ジョセフに会うべくオハイオ州カートランドに向かったんですね、で、予言者ジョセフの家で・・・・で、何かブリガムに祝福を与えましょうということになって、ブリガムの頭の上に手をおいてジョセフの口から出た言葉は、ある期間(ある時期になると)、ブリガムは教会を導く者となるであろう、が、しかし、彼には一つだけ危険な側面があるだろう、彼の富への愛着が、それであろう(危険や誘惑につきまとわれてしまう、何故なら、彼の富を愛する性質の故)ということです」
教義と聖約の中にも何人かの名前が出てきます。
そして、宗教組織を作り運営し、モルモン書も出版し、となるとますます金が要る。教会堂や神殿の建設にはなおさら金と労働力が必要です。
貧乏な青年ジョセフが、資金を得るのは、他人の懐をあてにするしかない。その結果が「共同制度」であり「奉献の律法」だったと考えるのが自然だと思います。
そこに参加し出資した人たちのすべてが、信仰心に基づいていたのか?と言うのは、疑問が有りますね。
当時の社会的状況は詳しく知りませんが、西部開拓時代、となると、個々の家族で頑張るより、複数の家族で、集団としてまとまった方が効率が良く、生き残りやすかったのではないかと思います。
それは、人類の歴史で、部族や国家が出来、その民衆の心を統一するのに、「宗教」が有った事と同じじゃないでしょうか?
ただ、問題なのは、「人間は集団でしか生き残れない」と言う現実と「人間は個々に自由に生きる権利がある」と考える理想との間に矛盾が有る事です。
そこで、現在では、ほとんどの集団(国家)が「緩やかな縛り」によって運営されています。
ただ、ジョセフが作った集団が、現在の国家と違うのは、「その集団の長がジョセフ自身でなければならなかった」と言う点でだと思います。
そして、自分が生きて行くためには、その集団の資産管理をジョセフ自身が行う必要が有った。
そもそも「奉献」と言う言葉は、単なる「集団への経済的貢献」ではなく「神(宗教者)に対する奉納」を意味します。
宗教を基盤とした集団では、多くの場合、「集団への貢献=神への献身」とされます。
ユダヤ教でも、神殿に納められたものは、祭司を養う為に多くが使われていただろうと推測されます。
最後に、ユートピアの様な理想的集団が存在しえないのは、「平等」と言うのが非常に難しいからです。
「配分における平等」は比較的簡単ですが、「貢献における平等」はすごく難しい。
どの集団でも、「多く持てる者は多く出す」とは言いますが、その根拠は何処にも無いのです。
今の自由主義経済でも「なんで、金持ちはもっと出さないのか!!」と言う貧乏人の思いと「なんで、貧乏人は一銭も出さずに受け取れるのか!!」と言う金持ちの思いがぶつかり合って居ます。
ここのところを、為政者は、「神」「信仰」「次の世での幸福」、あるいは「人間愛」「思いやり」等と言う言葉で、説得しようとしたのですが、どうも成功しては居ないようですね。