<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

我が家の合い言葉。ヒラケゴマの呪文。

2021年07月11日 14時54分30秒 | Weblog

我が家の合い言葉はこうです。美味しいものを食べた後にこの合い言葉が行き交います。

 

「ウマカッタア」「ウシウッタア」

 

馬を買ったから、牛を売った。です。

 

僕が、おいしいものを食べた後に、しょっちゅう使うので、遠いところに棲んでいる孫たちが、これを合い言葉にしようと提案しました。

 

オレオレ詐欺撃退になります。合い言葉は呪文。ヒラケゴマの呪文です。

 

昔々、僕が幼い頃にはこの集落には牛や馬がいました。農家をされている家には、どの家にもいました。いまは牛も馬もいません。鶏さえいません。農家もありません。農家を継ぐ人が残っていません。

 

イメージの馬も牛も売らないようにしないといけませんね。馬を曽て馬を飼って、牛も買って牛も飼って。村里を賑やかにしてハッピーハッピーで過ごせたらいいですね。

 

 

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せっかくの、価値ある老いを生かされていながら。

2021年07月11日 14時39分57秒 | Weblog

雨が降ったり止んだりしています。雨が止んだら日差しが差して来ます。でも、日差しが差すのはほんの短い時間です。あとはまたどんよりの灰色の空に戻ります。そしてぱらぱらぱらっと降り出してきます。

 

僕は例によって怠け者をしています。グウタラグウタラを決め込んでいます。朝寝もしました。昼食の後もまたベッドにごろんとなりました。そんなに寝られるものではありません。よね。

 

せっかく、価値ある老いを生かされていながらこのテイタラクです。もったいないと思います。もう少し充実させねばならないはずです。でもでも、怠け癖はなかなか改善されません。いまだもって不勤勉主義。変わることなくこの主義を通しています。

 

ゆっくりゆったり音楽を聴いて過ごしています。アンダーシャツ一枚で過ごしています。もうすぐ3時。コーヒータイムが来ます。家内の手作りのおいしいプリンが冷蔵庫で冷やされています。そのプリンが運ばれてきました。

 

家内曰く。「オメシアガレ、これは最高級プリンです」いやその通りでした。

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青紫蘇を摘んできて微塵に刻みました。

2021年07月11日 14時30分57秒 | Weblog

青紫蘇を摘んできました。幼い柔らかい葉っぱを。これをよくよく水洗いをした後に、包丁で細かく細かく微塵に切って刻みました。香りが立ち上がりました。

 

お昼はカツ丼でした。老人ですから、そんなにたくさんは食べられません。量は丼の3分の1ほどにして、この刻んだ青紫蘇をどっさり載せました。細かく刻んであるので、もう咀嚼する必要はありません。香りを楽しみました。

 

青紫蘇は我が家の畑にわさわさわさ自生しています。立派に育っています。有り難いことです。青紫蘇にどんな栄養価があるのかは知りませんが、料理は目で食べるもの、だとすれば青紫蘇の緑は圧巻です。

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何処までも何処までも幻想遊戯。

2021年07月11日 05時02分30秒 | Weblog

午前5時になった。でもまだ障子戸の向こうは暗い。室内の電気を消してみた。曇り空だからだろう、夜明けが遅い。

 

3時に起床したからかれこれ2時間は目覚めていることになる。またベッドに戻ってもいいな。パソコン画面を見ている目も疲れてきた。

 

ブログを書いている。今朝だけでももう6個のブログを投稿した。それはなんのために? そうだよね、なんのためなんだろう?

 

書いているのは、探しているのとおんなじような気もする。何かをしきりに探している。よりよい自分に行き着こうとして藻掻いている。そういうようにも見える。

 

じゃ、見つかったのか? よりよい自分が見つかったのか? 見つかったのならそこで中止だ。書くのは止めていい。

 

今日をどう生きればいいのか。クエスチョンは続く。問いを起こしても答えにならない。もう少しマシな自分が見つかりそうにも思えるが、それはどこまでも幻想遊戯なのかもしれない。

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そんなことも知らなかった。無知だった。

2021年07月11日 04時54分13秒 | Weblog

いとこのK子さんによれば、枝豆は7月に撒いていいのだそうな。K子さんは僕よりも年長。農業歴が長い。

 

僕は、しかし、早々と撒いてしまっていた。K子さんがいうように、それは、隆々と枝葉を茂らせるばかりで、実を着けなかった。

 

そんなことも知らなかった。無知だった。で、昨日、それを抜いてしまった。実がつく見込みがないと判断した。

 

新しい枝豆の種が1袋買って来てある。これを新しく撒こうと思う。豆類は根っこにバクテリアを育てている。共生している。で、同じ場所を嫌うだろう。別の場所に植え付けてあげよう。

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僕はいいことをした。いい一日に成った。

2021年07月11日 04時41分08秒 | Weblog

4月に種をまいたコスモスが7月の庭にいる。もう青年から壮年にになっている。でっぷりと肥えている。貫禄を示している。

生長を遂げて遂げて、もう自分の体重を支えきれなくなっている。

自分の根と茎と枝では、自分をしっかり立てていられなくなっている。バランスが保てなくなっている。

赤い花ピンクの花白い花を着けている。きれいだ。でも、繁栄が頂点に達していて、固体維持が難しくなっている。

 

で、僕は、昨日、支柱を何本か立てて支えてあげることにした。支柱の棒杭に紐で結んであげた。

 

コスモスがよろこんだ。「これで安定を保てる、ありがとうありがとう」と何度も頭を下げてお礼を言った。いや、ほんとに嬉しそうだった。雨が降っても風が吹いてももう大丈夫だろう。

 

僕はいいことをした。いいことができたから、いい一日に成った。いい一日を味わっている僕が気分が悪かろうはずはない。にこにこして過ごした。

 

よろよろとよろけて来ている。倒れかかっている。哀れな姿になっている。

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100年後の僕を先取りしてみる、とどうなるか?

2021年07月11日 04時28分26秒 | Weblog

「それは虚しいことだ」と分かっているけど、そうしてしまう。

 

それが虚しいことであるならば、しないでおいた方がいいのかもしれない。

 

思い通りに行かなくて腹を立ててしまう。才能に溢れた人を羨んでしまう。誇れることが一つもない己を蔑んでしまう。競争に負けた自分がつまらないつまらない人間に思えてしまう。暗い顔をしてしまう。

 

でもそれは、100年後にはどんな意味もない。なくなっている。掻き消えていてもう一条の煙も出ていない。どっちだってよくなっている。腹を立てようと立てまいと、どっちだってよくなっている。

 

じゃ、100年後の僕を先取りしたらいいのか? そうすれば現在の僕が、いまここでどうすればいいのかの解答が得られるのか。得られるかも知れない。

 

僕はもっと穏やかに生きていていいのかもしれない。僕はもっと自由に、どんなことにも拘束されずに、どんな感情をも度外視して、明るく延び延びと生きていていいのかもしれない。などと、ひょっと思ってしまう。

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20021年の僕へ、2021年の僕が手を振る。

2021年07月11日 04時09分39秒 | Weblog

いまは2021年である。よく間違って20021年と打ってしまうことがある。これから18000年先だ。

 

ふふっと笑ってしまう。もちろん、僕は生きてはいない。生きたと言うことすら掻き消えているだろう。僕は芥子粒ほどの存在も示せなくなっているだろう。

 

そこに、僕が、意識として存在を示せるとしても、曽て「僕の生きた時間」が、文字通り「須臾」であったことが、まぼろしの僕に、実感されるだけになっているだろう。

 

2021年現在で、僕は生きている。肉体も保持している。ではいったい、「生きている」って事は、どういうことなんだろう、僕にとってどんな意味があるのだろう、などと思ってしまう。

 

2021年7月11日。今日は日曜である。天気予報では雨になっている。雨では畑に出て行けない。僕は書斎に閉じ籠もっていることになるだろう。音楽を聴いたり読書したりしているだろう。で? それは? 20021年の僕にとっては、どんな意味合いがあるというのだろう? 

 

「20021年の僕」と書いてみたけど、それってあり得ることなのか? まったくまったくあり得ないことかもしれない。でも、それでも、こころみに「2021年の僕」は「20021年の僕」に手を振ってみる。「おおい、僕はいるか?」「いないのか?」と手を振って確かめてみる。

 

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つくづく僕は恩知らずな人間である。

2021年07月11日 03時57分50秒 | Weblog

午前3時起床。そうそう長くは寝ていられない。もう十分寝足りている。

 

夢を見ていた。幼い頃にお世話になった親戚の家の、懐かしい人たちが夢にたくさん登場してきた。

 

みな、手を振っているようだった。呼びかけてくださっているようだった。もう、みんな疾うに亡くなった方たちばかりだった。

 

ご恩を忘れていた。すっかり忘れていた。幼い頃に可愛がっていただいたことを思い出した。

 

亡くなってしまっているが、こうやって、ほんとうは、こちらをしっかり見ていて下さっているのかも知れないな。そんなことを思った。

 

年を取っているから、この世とあの世と境を異にしている人がだんだんと増えてきている。あの世に住所変更をした人の方が、むしろ、多くなっているかも知れない。

 

懐かしい人たちに会いたくなった。ご無沙汰を詫びたくなった。つくづく僕は恩知らずな人間である。それを羞じた。

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雨が止んだ夕方外に出て草取りをした。怠け者を返上した。

2021年07月11日 03時43分30秒 | Weblog

昨日、雨が止んだ夕方、外に出た。蚊除けスプレーを頸の周り、両足、両手に吹きかけて。

 

家の駐車スペースから玄関までの小径を覆っている草の、草取りに従事した。幾分かはさっぱりした。

 

これで夜中に新聞を配達して下さる方、昼間に郵便の配達をしてくださる方、来客の方が、通り易くなっただろう。

 

梅雨の時季は雑草が蔓延る。いつのまにやら蔓延っている。油断ができない。荒れ果てて人棲まぬ廃屋にさせてしまう。

 

日が暮れるまでこつこつこつこつ忍耐強く草を抜いて回った。汗を掻いた。でも、やってよかった。怠け者返上。なんだか達成感がもらえたようで、嬉しくなった。

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