手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ
高浜虚子
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鼻は顔の突起物。高台。寒い風が行くと一番に反応する。
そうしていなくちゃならない、ってこともないのかもしれないが、そうしている。つんと冷たい。
しょっちゅう冷たい空気を吸っているからかな？ 容易にぬくもりきれないのかな？
そんな冷え込んだ鼻先なんて触らなくていいのに、触る。何かの拍子に手が行く。高い突起物のところで､手が止まる。
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鼻が冷たくなるのは冬。だからこの句は冬の句。写生句。別に、だからどうだってこともない。でも、俳句になってみると、なるほどの発見でもある。
此を喰ったらおいしいだろうな、の此がない。まだ、ない。
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食べ物って、けっこう大きなファクターなんだよね。
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今日の日の満足度バロメーターを司っているんだよね、けっこう。
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年をとるとなおさら。わっと飛びつくようなハッピネスなんて、そうそう訪れて来ないんだものね。
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逆も言える。食べ物くらいで、老人は､一日をハッピーにできる。そういうこともある。
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痩せたね、って妻が気遣う。今夜は冷凍物だが、貝柱料理のようだ。バター焼きだったら、おいしく食べられるかもしれない。
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我が家の畑の菠薐草（ほうれんそう）が洗って干してある。和え物になるのだろう。この野菜はビタミンが豊富だよね。
健康が一番だよね。ほんとうにそうだよね。
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それに気付くのは、しかし、いつも健康を損ねたときである。
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健康をしているときには、それはきまって度外視されている。
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病気になって萎えて小さくなってうんうん唸って苦しんでいるときになって、ひょいと､ああそうだったなと思う。
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一番有り難いのは健康だなって思う。しみじみとそう思う。
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じゃ、健康にしていれば何から何まで幸福一色になれるかというとそれがそうでもない。それがそうでもなくなる。
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＋αがほしくなる。にゅきにょきと＋αの茸が芽生えて来る。茸が大きくなるにつれて、健康の価値が下がって行く。
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健康にして生きている、それが最高なのに。最高を生きていて輝いていていいはずなのに、それがそうではなくなることになる。
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インフルエンザを病んで、半月ほどが経過した。快復が遅れている。きつい。食べ物がまずい。力が腹に座らない。
まだ、「健康が一番だよ」が金科玉条でいられている。
世話ないよね。僕以外のもので、感動していられるんだものね。僕自身のことじゃなくて、すむんだものね。
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長崎白菜は巻かない白菜。それが、うわわわわ～んという具合に成長を遂げている。
白菜は内側に力を込めて巻いて行くが、長崎白菜はそれをしない。外へ外へ緑黄の葉っぱを広げて行く。
１個がずいぶん大きい。もちろんふんわりふわりしているが。引いて、値を切り捨てて、それでも胸に２個は抱けない。
それが畑に１列列んでいる。まだ誰も食べていない。おいしそうにしている。鍋物につかっても、柔らかそうである。
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世話ないね。野菜の、見るからに健康そうなエネルギーの、外観くらいで、感動していられるんだものね。
いやあ、それにしても立派だね、我が家の畑の冬野菜は。
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待ちきれないので、まずはお隣に一番でっかいのをたべてもらうことにした。午後から、長崎白菜の一抱えがもらわれて行った。
あったりまえなんだけど、ほっそりしていた高菜の幼い苗は、成長すると、ゆさゆさの力強い高菜葉になる。香りが１００倍ほどになる。植物が発揮した力の結集を見ているうちに、僕は軽い感動を覚えて、胸キュンになってしまった。
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ベランダに、いま干してある。畑から引いてきた高菜３株を､洗って。４分の１ずつに切り分けて、１２分等されて、干してある。日射しが来て水気を乾かしている。夕方には、干された高菜葉は萎れるだろう。
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家内が高菜漬けをする。夕方には、塩揉みされて、香りを１００倍にして、漬物専用タッパーに、くたりとなって積み上げられるだろう。一週間、１０日ほどが経てば、立派な高菜漬けに成り切って、食膳に上がるだろう。もっと早いかもしれない。
はっきりしない天気だ。曇ったり照ったりしている。午後１時過ぎのいまは曇ってる。寒い。風はない。
正午になる前に、畑に出た。人参の畑の、草取りをした。小さな丸椅子に座りながら、たった１０分ばかり。土弄りをしていると、なんだか元気をもらえる。その確信がある。確信通りにはいかなかったけれど。
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家内が外から帰ってきて、お昼ご飯となった。巻き寿司を４個つまみ、蜂蜜を塗った食パン・トーストを半分こした。あったかいコーヒーミルクも飲んだ。
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午後からもう一度外に出るつもりをしていたが、出て行かないでいる。曇っていて、空が重たそうにしているから。それと、やはり元気が今一つ湧き起こらない。すぐにごろんをしたくなる。
明日のことわからぬわれと今日のことわからぬ母と桃を分け合ふ
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ふふ、今日のN新聞の「短歌月評」欄にこの作品が載っていた。読んでくすっと笑ってしまった。作者名はメモをしなかった。
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美味しそうな桃があったら、食べたくなる。これでいいんだろうね、先のことがわからなくても、今日のことがわからなくったって。
おいしかった、これで済む。済んでいる。
そろそろ神輿を上げようか。お尻のミコシだけど。外は日が溢れている。ベランダに出て､猫の隣で、日向ぼっこをしようか。
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しょっちゅうクダを巻いた蛇でいるのも、退屈。
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蛇と言えば、もうそろそろ冬籠もりの支度に掛かっているんじゃないのかな。蛙さんたちも土の下にもぐり始めているんじゃないのかな。
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春まで目を閉じて眠れるなんて、凄いよね。飲まず食わず、ひたすらに寝て寝て、寝て。冬場の短期間ミイラ術を、彼らは編み出したのだ、賢いや。
（落ち葉の中３０ｃｍはしかし、ほんとうに、暖かいんだろうかね？）
したいことがあるなら、すればいいんじゃないか。ろくな事でもないとしても。
したいことが見つからないよりは、うんとましなんじゃないか。
いまは､そのろくな事でも見つからない。気力衰損している。ものも人も追い掛けない。箍（たが）が外れた桶には水は溜まらない。
人参を鼻先にぶら下げられても走り出さない競走馬は、木枯らしの吹き荒ぶ厩舎の冬をどう過ごせばいいのだ？
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９時半を過ぎた。冬の日の日脚が部屋の奥まで延びてきている。手の平に掬い取ってくれば、それだけであたたまりそうだ。
頼む。おれの後に死んでくれ。頼む。おれの前には、１日前でだって、死なないでくれ。おれの葬式をした後にしてくれ。我が儘を言う。もちろんずっと死なないでいてくれてもいい。
嫁さんを愛しているからではない。おれがだらしないからだ。一人では、一日だって生きられないからだ。
冬の厚い下着がどこにあるかもわからない。電子レンジを扱えない。チンもできない。留守の日の昼御飯は抜かしてしまう。部屋の掃除もできない。
わたしはあなたの小間使いではありません、って抗議するけど、返せない。悪い悪い。外箒で掃き捨てたい濡れ落ち葉、その通りだおれは。
