<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

現世利益(げんぜりやく)和讃を読む。仏さまに遇ったら誰だって泣いてしまいます。

2021年07月20日 16時41分24秒 | Weblog

泣きたいので、今日は、この経典を読み上げます。

 

泣きたいのに、俗事にかまけていると、なかなか泣かせてくれないのです。

 

 

感激から遠いところで生活をしています、僕は。

 

で、えんえん、をんをんと声を上げて泣かないのです。

 

 

阿弥陀如来を思えば、それだけで涙が溢れてくるはずです。

 

涙が溢れてこないのは、阿弥陀を思っていない証拠です。

 

 

わたしを思っていて下さる方が、この世にいらっしゃいます。

 

わたしを思っていてくださるその阿弥陀仏の想いの10000000分の1も、わたしは阿弥陀仏を思っていないのです。

 

 

ですから、泣かないのです。

 

泣こうともしないのです。

 

 

無碍光仏のひかりには、無数の阿弥陀ましまして、化仏おのおのことごとく、真実信心をまもるなり。  「現世利益(げんぜりやく)和讃」より

 

 

阿弥陀如来は法身です。形がありません。わたしたちの目には見えません。でもそれじゃ、わたしたちは救われないのです。見ないでは存在を確かめられないのです。信じられないのです。

 

で、姿を現してくださいます。それが化仏です。変化(へんげ)の仏です。さまざまに変容されておられます。数えることもできないくらいに遍満していらっしゃいます。無碍光のひかりの中にいらっしゃいます。光そのものでもあります。

 

無碍は有碍の反対です。さまたげるものを、さまたげなくするものが無碍です。無碍光仏のいわれです。

 

そして仏が恵まれる真実信心を受け取るレセプターのわたしたち人間を守っておられます。

 

化仏ですから、山も海も川も仏です。仏の意志を持っています。草も木も、鳥も魚も虫も仏の意思を持って生きています。人も、あなたもわたしも本来はみな仏を現している姿です。

 

 

仏に向かい合ったら、誰だって泣いてしまいます。阿弥陀如来その方は法身です。目に見えません。でも、遇っているのです。仏にいつも遭っているのです。仏の意思を持つ無数の化仏に遇って暮らしているのです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の僕の即興詩 「チャンス到来」

2021年07月20日 15時59分49秒 | Weblog

僕の書いた今日の即興詩 「チャンス到来」   山鳩暮風

 

チャンスが訪れてきている。であるなら、逃さないようにしなければならない。

 

日々がそのチャンスだ。僕は促されている。今だぞ、今だぞ、チャンスが来ているんだぞ、と。

 

僕が目覚めるチャンスが来ている。惰眠を貪っている僕は、もういい加減、目を覚まさなければならない。

 

雲が空を行く。雲もチャンス到来を自覚している。白い雲が大きく大きくなって、意思があるように動いて行く。

 

僕たちはみんな宇宙運動場のスタートラインに立っている。ピストルが鳴る。一斉にスタートをする。爽やかな風が旗を振る。雲に差を付けられないようにしなければならない、と僕は思う。

 

チャンスが僕たちの一人一人に到来している。僕の心ははやる。逃してなるものか。僕たちはみんなこうやって互いに、その日の成長を促し合いながら生きているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西瓜は天才だ。巧い具合に外皮と内容が釣り合って成長を果たして行く。

2021年07月20日 14時53分34秒 | Weblog

その西瓜は楕円形。細長い。家族はそれを「ラグビーボール西瓜」と呼ぶ。小玉西瓜の一種だろう。

 

これも立体栽培方式で育てている。つまり敷地が狭かったので、蔓が四角形の5面を利用できるようにしたのだ。

 

これがすくすくと順調に大きくなっている。蔓が底の面から這い上がって来ている。高さ50cmほどのところに、花を咲かせて実を実らせた。

 

実が太るとそれだけ重くなる。ずり下がらないようにする工夫が要る。で、お尻の位置に半円形の籠を助けてやる。そしてそれが落ちないようにしてやる。

 

毎朝毎朝、太くなる。目で見て分かるように太くなっている。それを確かめるのが楽しい。

 

内側が成長するにつれて、外側の表皮を大きくしてやらねばならないことになる。外側が大きくならないと、内側も成長ができない。内と外で、おおいおおいと掛け声を掛けながらこの難工事に当たっているのだろう。

 

内容と外容の成長、これを上手に両立させているわけだ。これを巧い具合にして、楕円形の調和と秩序を保っている西瓜。西瓜が天才のように思われた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交通規制をして立っておられるガードマンの方はさぞかし暑かろうなあ。

2021年07月20日 14時28分41秒 | Weblog

現在午後2時40分。外気温は35℃。真夏日。風がときおりわずかに吹いている。外に出る気にはなれない。冷房の家の中に籠もる。

 

昼前に郵便局まで行って来た。近くの。道路工事が何カ所ででもあっていた。通行規制が架かっていた。ガードマンの方の指示に従った。真っ黒に日に焼けておられた。冷房を効かした車で通過するのが心苦しかった。お辞儀をして通った。

 

一日そうして暑い夏日を直接に受けて立っておられるのだ。暑かろうなあ、腰も足も痛くなるだろうなあ、と思う。この老人にはただの10分だって真似ができない。交通規制をしていてくださっているから、事故が起きないで済んでいる。有り難いことだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さぶろうは、生涯怠け者。勉強をしない。

2021年07月20日 08時52分04秒 | Weblog

さぶろうには知識がない。あるように装うが、浅い。浅さがすぐに暴露される。とにかく狭い。薄い。で、客観的な文章にならない。独断だけになってしまう。危うい。常に足場が不安定ということになる。

 

勉強というものをまるでしていない。しない。勤勉さに欠ける。この姿勢は生涯変わらなかった。年を取ってもそう。不遜な態度だ、これは。

 

老いたら暇ができる。暇だらけになる。時間が有り余る。だったら、勉強でもすればいいのに、やはりしない。エノコログサのように、その場でそよろそよろしているばかり。

 

 

で、人並みに、「わたしは人間を生きました」と言えるかどうか。疑問だ。もうすぐ人間の期間を閉じることになる。大きな顔はできない。だったら、小さくしていればいいではないか。そうすれば、全体の歯車が1個の死をひっそり回してくれるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書けないかなあ、書けたらいいのになあ。

2021年07月20日 07時46分26秒 | Weblog

阿久悠さんの作詞が巧いなあ!!!

 

「五番街のマリー」が好きだなあ。

 

上手にでなくていいから、書いてみたいなあ、こんな愛の歌を。

 

書けないかなあ。書けたらいいのになあ。

 

僕にも、人並みくらいの、愛があるんだけどなあ。

 

胸の内に眠って、眠りこけている愛を、揺さぶって、起こして、引っ張り出して来て、語らせたらいいんじゃないかなあ。

 

お茶とお菓子、そうだなあプリンでも嘗めさせて、おもてなししてあげたら、なんとかならないかなあ。

 

僕の胸の内の、可愛げのある愛雄さんだって、ほんとうは八面六臂で、活動活躍したいんだろうけどなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョコレートでも囓ろうか。惨め回復剤として。

2021年07月19日 09時29分21秒 | Weblog

けへへけへへ。そんな笑い方、すんなよ。

 

僕が笑っている。けへへけへへは、残念だったときに出て来る笑い声。

 

今日のN新聞読者文芸欄に僕の名前はなかった。詩部門、俳句部門、短歌部門にも投稿してたのに。宙を切った。

 

空振り三振。サンシ~ン。

 

僕が空振りをした分、名前が載っていた人はヒットを打つことができたのだ。などと屁理屈を言って慰めるが、慰めにもならない。

 

すごすごと引き返すしかない。惨めになる。つまり、いい作品が書けてなかったのだ。

 

チョッコレートでも囓ろうか。甘いのは惨め治療に役立つとか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕は、たくさんの僕から成り立っている。

2021年07月19日 09時16分16秒 | Weblog

夢はいかにも夢らしい。突拍子もないことを考えつく。考えついたのはいったい誰なんだろう。僕? そうだとしたら、たくさんいる僕の、後ろから数えて1000番目の僕なのかもしれない。

 

僕という存在は複数存在で、ぜったい一人じゃないと思っている。一人みたいにしているけれど、複数いる。ごまんといる。いないようにして、いる。隠れている。ひょいひょいと入れ替わる。そしてそのどれもが、そこでほんとうの僕になりすます。

 

一人の空間を提供しているのは僕の肉体。肉体に入りきれないたくさんの僕は、その周辺を取り巻いているのかもしれない。飛蝗みたいにして飛び跳ねているかもしれないし、犬のようにごろりと横になっているのかもしれない。

 

僕の目はそれをめざとく発見できない。それを見る眼鏡を借りてくれば、発見が可能かも知れない。だが、その眼鏡は眼鏡屋さんには売っていない。手作りをしなければならない。対面が遅れているものだから、夢がその援助を申し出てくれているらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そんなことはおくびにも出さずに。

2021年07月19日 09時10分57秒 | Weblog

僕にも夏が来ている。来ないかも知れなかった。それが来た。普通の顔をして。途中に何かがあって、それをそうさせまいとする抵抗勢力があっても、それを乗り越え乗り越えて、此処へ辿り着いたかもしれないのだが、そんなことはオクビにも出さずにいる。夏が僕に来ている。爽やかにしている。僕も爽やかな顔で出迎える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「目の奥が熱くなる」 僕の新聞投稿記事が載りました。

2021年07月18日 18時14分23秒 | Weblog

今朝のS新聞の読者のページ欄に、僕の投稿作品を載せてもらいました。一ヶ月以上も前に投稿していたので、いつものように没になったのだな、と諦めていました。

「目の奥が熱くなる」

 夏場は午前5時になると窓の外が明るくなる。寝ていられなくなる。ベッドを下りる。顔を洗う。野良着に着替える。玄関へ行き、外に出る。今日一日をスタートさせる。

 風がひんやりする。ツユクサが咲いている。サトイモに土寄せをする。片方の足が麻痺をしているから、丸椅子に座り、のろのろと。

 畑の作物は人の足音を聞いて育つ。先人たちがそう教えている。思って思って「通い詰めろ」ということか。通い詰めると愛情が芽生える。いとしくなる。大きな葉っぱが身を揺らしてこれに答える。愛情が交流する。これで自己執着の雑念からも離れられる。無心になれる。農事が健康を産み落とす。

 8時になる。日が高く昇って来る。腹が減る。生きていること、万物に生かされていること、それを実感する。深く息を吸う。ゆっくり吐く。おいしい。夏の一日をおいしいと思う。老い先短い一日を噛みしめる。

 昼から2回目のワクチン接種に行った。コロナ禍を人類が一丸となって、くぐり抜けようとしている。その歴史的挑戦に努力邁進してくださっている方々の、接種会場でのあふれんばかりの善意を感じて、目の奥が熱くなる。

 働いている若い方々よりも高齢者を優先してくださったことに、やや後ろめたさを感じながら、妻と二人、会場を後にした。

 

 

 ワクチン接種が日本中で進んでいる。しかし、感染者数が減らない。東京も第四次の緊急事態宣言を出した。オリンピックの選手団も入国をしだした。入国した外国人選手に、コロナ禍が及んだら申し訳がないような気がする。もうすぐ開会式。何事もなくオリンピックが閉幕しますようにと祈る。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする