泣きたいので、今日は、この経典を読み上げます。
泣きたいのに、俗事にかまけていると、なかなか泣かせてくれないのです。
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感激から遠いところで生活をしています、僕は。
で、えんえん、をんをんと声を上げて泣かないのです。
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阿弥陀如来を思えば、それだけで涙が溢れてくるはずです。
涙が溢れてこないのは、阿弥陀を思っていない証拠です。
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わたしを思っていて下さる方が、この世にいらっしゃいます。
わたしを思っていてくださるその阿弥陀仏の想いの10000000分の1も、わたしは阿弥陀仏を思っていないのです。
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ですから、泣かないのです。
泣こうともしないのです。
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無碍光仏のひかりには、無数の阿弥陀ましまして、化仏おのおのことごとく、真実信心をまもるなり。 「現世利益(げんぜりやく)和讃」より
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阿弥陀如来は法身です。形がありません。わたしたちの目には見えません。でもそれじゃ、わたしたちは救われないのです。見ないでは存在を確かめられないのです。信じられないのです。
で、姿を現してくださいます。それが化仏です。変化(へんげ)の仏です。さまざまに変容されておられます。数えることもできないくらいに遍満していらっしゃいます。無碍光のひかりの中にいらっしゃいます。光そのものでもあります。
無碍は有碍の反対です。さまたげるものを、さまたげなくするものが無碍です。無碍光仏のいわれです。
そして仏が恵まれる真実信心を受け取るレセプターのわたしたち人間を守っておられます。
化仏ですから、山も海も川も仏です。仏の意志を持っています。草も木も、鳥も魚も虫も仏の意思を持って生きています。人も、あなたもわたしも本来はみな仏を現している姿です。
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仏に向かい合ったら、誰だって泣いてしまいます。阿弥陀如来その方は法身です。目に見えません。でも、遇っているのです。仏にいつも遭っているのです。仏の意思を持つ無数の化仏に遇って暮らしているのです。