AKKOMAMのMEMORANDUM

穏やかな時間の流れを楽しみながら...

69回目の終戦の日を迎えて...

2014-08-15 16:34:08 | Weblog
その日の天候がどうだったかは定かに思い出せないのですが、
千葉県の父の実家に家族疎開をしていたときだったのは覚えています。
5,6歳のころです、あまりよく聞こえないラジオの前で神妙にしていました。
祖母の後ろで母がうつむいて正座していて、しばらくして庭の井戸のところで、
水をくみ上げて顔を拭っている後ろ姿を見たのははっきり覚えているのです。
子ども心に声をかけるのを躊躇ったことも覚えています。
父はしばらくして復員してきて混み込みの蒸気機関車で疎開先の父の郷から
東京に戻ってきたのは小学校4年生の2学期でした。


   



  

 私の結婚が決まったときに父は一冊のアルバムに戦地から検閲を2回も受けた印跡も
くっきりと残したままの軍事郵便はがきと戦地に向かうとき、目白駅を通過する夜汽車で
読んだ句などを毛筆でしたため、贈ってくれました。

その時はあまり深く考えて受け取ったわけではありませんでしたが、
最初のページには<和協合一>とあり、<一度去らば二度と来らざるその日その日を
共に力を合わせ、悔いなき人生を送り給え> と結んでいました。

69回目の終戦の日を迎えた今日、改めて古ぼけてしまった戦地からの20数枚のはがきと
縁が茶色くやけてきたアルバムを開いてみると父が存命中にもっとこのハガキを
書いているときの状況などを聞いておけばよかったと思うのです。

まだ幼かった私宛てにきちんとサンづけで宛て名とともに記してくれた父の深い愛を
しっかりと受け止めたからこそ今まで歩んでこられたのかしら、と、感謝です。

 母にあてた手紙の一節もしたためてあります。

 <新鮮なる空気と、新鮮なる野菜と、明朗なる笑いがあれば、
      あとは何も家庭には不要だ >

 嫁いでいく娘にたいして贈る言葉のように最後に記されていますが、
 きっとこの手紙の一節から私への嫁ぐ覚悟を示していたのかもしれません。

この贈られた言葉どおりの生き方からは少々はずれていたかもの私の人生ですが、
歳なりの健康で暮らしていられるのもまわりの支えと幼いころからの
父母の一貫した考えのもとでの育てられ方があったからだと、
お盆と重なる今日はしみじみと振り返っています。

幼い私が書いて慰問袋で送った手紙が着いたとの文章に
   <ジヨウズ二オテガミカケマシタ アーチャンカイタオテガミハ
      ピーポノキシャヤ オオキナフネニノッテ シナノトウサンノトコロニ
        ツキマシタ ナガイトオイタビデシタ >

きっと母は何回も読んでくれながら、父の無事にほっとしたことでしょう、
今は私にとってとても大切な軍事郵便はがきですが、
こんな手紙のやり取りは私たちの代で終わりにして、と、
これからの世代に切にねがいたいのです。

           転属の途中の父の胸中は...




 

コメント (4)
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