台風がまたやってきているとかで、朝から雨が突然降ってきたりして
落ち着かない一日になりました。
朝、集積場に運びながら、コンビ二でお豆腐や卵を手に入れてきました。
雨の中出かけるのを避ける非常手段?です。
気温も低めで過ごしやすいのですが、リビングで静かにしていると
長袖衣類に手を通したくなってきていました。

ずっと配達をお願いしていた新聞をこの夏、思うところがあって、
試験的に二ヶ月だけ配達を止めてもらっていました。
電話でその旨を話しましたときに
<何故?>というような会話があったのですが、とりあえずそうして
もらいました。タブレットで電子版に換えてみようかしら、とか、
単純に思っただけと、古紙回収のときに、その場所まで運ぶのが
だんだん重く感じるようになったからもありました。
そしてニケ月の間はどうだったかというとテレビもラジオもありますし、
パソコンでもニュースは読めますしで、暑さも加わってたいして不便も
感じずに過ごしていたのは確かです。
<このままでもいいかも~>なんて思いながらも、新聞から得る知識、
あの印刷の匂い、自分の目で感じる世界などの観察力が衰えていくのでは、
などとの考えもありました。
今朝、なにも連絡はしていないのですが、覚えていてくれたのでしょう、
早朝に玄関の新聞受けに投函される音で眼が覚めました。
雨の日には新聞は濡れないようにビニールで覆われて届きます。
今朝も夕刊もそうでした。
久し振りに聞く音が玄関に戻ってきたのです。
<別に~>とも思っていましたので、配達を忘れられていても
何も感じなかったかもしれませんが、
懐かしい気持ちになっているのはどうしてでしょう。
また来週は5日ほど旅に出ますので、とめてほしいと玄関ドアに
張り紙をしなければ...ですが、きっとまとめて届けてくれるでしょう。
購読料は銀行引き落としでお願いしていますので、顔を合わせることは
ありませんが、新聞を通して繋がっているようです。
しばらくは目新しく感じて過ごすことになりましょうし、
テレビ、ラジオとは違った記事に会えるのも楽しみになりそうです。
でも、早朝の投函音とともに冬は時折り風の音もしますので、
何か工夫して可愛い新聞受けでも探してみましょう!とも
思いはじめています。
秋の夜長にじっくりと読むには、それようのメガネが必要に
なってくるかも、です。
落ち着かない一日になりました。
朝、集積場に運びながら、コンビ二でお豆腐や卵を手に入れてきました。
雨の中出かけるのを避ける非常手段?です。
気温も低めで過ごしやすいのですが、リビングで静かにしていると
長袖衣類に手を通したくなってきていました。

ずっと配達をお願いしていた新聞をこの夏、思うところがあって、
試験的に二ヶ月だけ配達を止めてもらっていました。
電話でその旨を話しましたときに
<何故?>というような会話があったのですが、とりあえずそうして
もらいました。タブレットで電子版に換えてみようかしら、とか、
単純に思っただけと、古紙回収のときに、その場所まで運ぶのが
だんだん重く感じるようになったからもありました。
そしてニケ月の間はどうだったかというとテレビもラジオもありますし、
パソコンでもニュースは読めますしで、暑さも加わってたいして不便も
感じずに過ごしていたのは確かです。
<このままでもいいかも~>なんて思いながらも、新聞から得る知識、
あの印刷の匂い、自分の目で感じる世界などの観察力が衰えていくのでは、
などとの考えもありました。
今朝、なにも連絡はしていないのですが、覚えていてくれたのでしょう、
早朝に玄関の新聞受けに投函される音で眼が覚めました。
雨の日には新聞は濡れないようにビニールで覆われて届きます。
今朝も夕刊もそうでした。
久し振りに聞く音が玄関に戻ってきたのです。
<別に~>とも思っていましたので、配達を忘れられていても
何も感じなかったかもしれませんが、
懐かしい気持ちになっているのはどうしてでしょう。
また来週は5日ほど旅に出ますので、とめてほしいと玄関ドアに
張り紙をしなければ...ですが、きっとまとめて届けてくれるでしょう。
購読料は銀行引き落としでお願いしていますので、顔を合わせることは
ありませんが、新聞を通して繋がっているようです。
しばらくは目新しく感じて過ごすことになりましょうし、
テレビ、ラジオとは違った記事に会えるのも楽しみになりそうです。
でも、早朝の投函音とともに冬は時折り風の音もしますので、
何か工夫して可愛い新聞受けでも探してみましょう!とも
思いはじめています。
秋の夜長にじっくりと読むには、それようのメガネが必要に
なってくるかも、です。
朝晩の涼しさにはホットしています。
寝苦しさからも開放され熟睡できます。
もう長袖です!。
akkomamさん、素晴らしい!
裸眼で、しかも日経新聞ですか~
新聞は三面記事と番組欄だけぐらいの私には難しそう!
プラス、主人がスポーツ欄ですからね~
不便さは特売チラシぐらいでしょうか(笑)
取り立てて不自由はかんじませんが、
私はやっぱり「手にとって、自分で広げて」と
それがスキです。飛ばし読みしておいて、
あ、さっきのとこもう一回…なんて、パパッと
ページをめくったり…そういうリアルな感覚が好きです。
一時期、ほとんど読まないことがありました。
気がつくとチラシが入ったままで、あっ広げてない…なんて。
それは母のことがあったり、父が倒れたりの時期でした。
私にとっては、新聞を広げるということが、心の余裕の
アルナシのバロメーターになっているようです。
ちなみに…私、高校のとき「新聞部」、その後勤めた会社が
印刷会社でした。なんか…活字と縁があります。
父のところで朝日新聞でしたが、
やはり違いがはっきりしていました。
夕べはじっくりと全てに目を通していました。
やはり紙には紙の良さがありますね。
でも、持ち歩き簡単なほうにも
魅力があります。
ひさしぶりにチラシの多さを実感です。
まあひとり暮らしにはあまり必要は
ありませんが。
夜はスタンドを引き寄せないと
見ずらいですね。
とんぼさんのブログを訪れながら、
チラッとよぎってはいました。
確かに本にしてもそうですね。
文庫本以外は持って出ることは
躊躇しますので、やはり専用タブレットを
考えてもいますが、あのページをめくる
良さを捨てきれずにいます。
年齢とともに置き換えて楽しむ!も
選択肢にいれますが、
戻れなくなる、自分の世界からなくなる!
と、思いますとしばらくは今を
引きずっていけるところまで...なんて
大袈裟に思ってもいます。
インクの匂いはいいものです。