5月12日
京都市東山区の神宮道沿いにある青蓮院門跡にやって来ました。
青蓮院は、三千院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院(天台三門跡)のひとつ。
門跡寺院とは、皇族や摂関家の子弟が入寺する寺院のことで、青蓮院は多くの法親王、入道新王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が住職を務めています。
天台宗の祖、伝教大師最澄が比叡山延暦寺を開くにあたり、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの青蓮坊が青蓮院の起源であると云われています。
拝観受付所
江戸時代の天明8年(1788年)に発生した天明の大火で内裏が焼失した時は、この青蓮院が後桜町上皇の仮の仙洞御所(退位、譲位した天皇のお住まい)になったこともあり、青蓮院旧仮御所として国の史跡にも指定されてます。
ところが・・・、
拝観は可能でしたが、建物の多くは令和4年から3年の予定で始まった主要建物の大屋根の葺き替えと大修理で、外からはその外観を見ることができません
夜間拝観(ライトアップ)も有名な寺院なので、大修理が終わったらまた来たみたい場所になりました。
植髪堂
境内の北方に建てられている植髪堂は、親鸞が得度した際の髪が木造親鸞童形像に植えられているとされ、それを祀っているお堂です。
治承5年(1181年)に浄土真宗の開祖 親鸞は青蓮院で9歳の時に得度(僧侶となるための出家)を受け、比叡山に旅立ちました。
親鸞のお手植えと伝わるクスノキは京都市指定の天然記念物。
青蓮院がこの地に移転してくる前からあったそうですが。。。
四脚門
青蓮院は明治26年の大火災で建物の大部分を焼失し、その後 復興が行われてましたが、この四脚門は明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもので、明治26年の火災を免れたそうです。
青蓮院の墓地には花園天皇陵をはじめ、宮内庁管理下の皇族の墓も多くあるそうです。
お次は平安神宮に向かって歩きます
つづく
過去記事<京都写ん歩 浄土宗総本山 知恩院>
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