お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

京都写ん歩 豊臣秀次公墓所

2024年11月30日 19時00分00秒 | 行楽・旅行記5

11月29日

浄土宗西山禅林寺派 慈舟山 瑞泉寺

京都の木屋町通をブラブラしてる時に出くわした瑞泉寺に入ってみました。

豊臣秀吉の甥で関白の家督を継いだ豊臣秀次は、謀反の罪により秀吉の命令で高野山に流され、切腹しました。

秀次の乱行が原因であるとか、石田三成の陰謀であるとか諸説がありますが、それまで子の無かった秀吉に世継ぎの秀頼が産まれたことも関係しているのではないかと思います。

文禄4年(1595年)、この場所で、秀次の正室や側室、その子ら5名、侍女、乳母ら39名が秀吉の命で斬首され、亡骸をその場に埋めると、その上に秀次の首が納められていた石櫃を置いて塚とし、秀吉は「秀次悪逆塚」との文字を刻ませました。

後に鴨川の洪水でその塚は流されてしまいます。

江戸期に入った慶長16年(1611年)、京都の豪商 角倉了以によって高瀬川の開削工事が行われている時に、「秀次悪逆塚」の石櫃が偶然発見されました。

角倉了以は、秀次の菩提を弔うために、かつて秀次一族の塚があった場所にお堂を営むこととし、浄土宗の僧 立空桂叔を開山として、この瑞泉寺は建立されました。

豊臣秀次一族の墓が境内にありました。

了以は石櫃から「秀次悪逆」の文字を削り取り、その上に六角形の無縁塔を立てました。

本堂

天和3年(1683年)に角倉家から寄進された本堂は、天明8年(1788年)の天明の大火で焼失し、その後に今の本堂が再建されました。

地蔵堂

昭和16年(1941年)に松下電器創業者の松下幸之助氏らの財団法人「豊公会」が秀次の墓や地蔵堂を整備し、秀次を含む50人の小さな像を作り、地蔵堂に祀ったそうです。

偶然とはいえ、悲運な最期を遂げた豊臣秀次公の墓所に出会うことができました。再来年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟』ではどのような描かれ方がされるんでしょうね。

つづく

過去記事<京都写ん歩 武市瑞山寓居跡に感激!

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京都写ん歩 武市瑞山寓居跡に感激!

2024年11月30日 10時00分00秒 | 行楽・旅行記5

11月29日

朝から京都の烏丸御池で会社が取得を推奨しているデータ解析関係の資格試験を受けてきました・・・が、落ちちゃいました

もう1度 勉強仕直して、再チャレンジするしかないですね。あと2年半で還暦なのにそんな資格いるのかとも思っちゃいますが、どうせなら合格したいもんね

さて、せっかく京都に来たんだから、憂さ晴らしにブラブラしてから帰りますかね(笑)

御池通りを東にいくとあるのが京都市役所

その一角に京都市と姉妹都市提携しているウクライナのキーウ(キエフ)市との友好の碑があります。

2022年2月にロシアがウクライナに軍事進攻してから、間もなく2年。

停戦の落としどころも見えず、さらにエスカレーションしかねない状況がとても心配です。北朝鮮の韓国侵攻や中国の台湾進攻などに飛び火しなければ良いのですが。。。

高瀬川に沿った木屋町通へと曲がります。

御池橋のたもとに『此付近加賀藩邸跡』の立て札がありました。

江戸時代初期からこの辺りに外様大名としては最大の百二万七千石を有した前田家加賀藩の藩邸があったとされます。

KYOTOのモニュメント

そして、嬉しかった発見がこの『武市瑞山先生寓居之跡』の碑

幕末期、土佐勤皇党を組織し、藩論を公武合体派から尊王攘夷派に導き、藩父の山内容堂に従って上洛した武市瑞山(武市半平太)がこの場所に住んでいたんですね。

坂本龍馬にも大きな影響を与えた武市瑞山でしたが、八・一八の政変で世論が公武合体に傾いたことで、尊王派の彼は土佐で投獄され、切腹させられました。

その近くには同じく土佐の吉村寅太郎の寓居跡の碑もありました。

武市瑞山の土佐勤皇党に加わった後に脱藩して、京で天誅組を組織して倒幕のために挙兵しましたが、大和国(奈良)の吉野で敗死してしまいました。

こんな風に管理人が好きな幕末期の歴史に出会えるのが京都ブラ散歩の魅力です

『橋本左内訪問之地』

大坂適塾で緒方洪庵に学んだ福井藩士で思想家の橋本左内。同じく福井藩士の岩瀬忠震の宿所であった瑞泉寺を訪れ、将軍後継問題では水戸の一橋慶喜を擁立することで見解が一致しました。

しかし、紀州の徳川慶福(家茂)を推す大老の井伊直弼の安政の大獄によって橋本左内は死罪となってしまいました。。

つづく

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コンビニおまけ 北斗星

2024年11月30日 00時02分00秒 | 缶コーヒーおまけミニカー

本日はコンビニおまけのお話です。

2009年にLAWSON限定で、缶コーヒー2本に1個付いてきた『愛しの深夜特急 ブルートレイン』から、「北斗星」をご紹介。

かつての寝台特急・急行ブルートレイン6種を集めたアソートでした。

 

青函トンネルが開業した昭和63年(1988年)に初めて東京の上野駅と北海道札幌駅間を乗り換えなしで直行する寝台急行列車として運行が始まった北斗星。

このDD51形ディーゼル機関車は、函館 - 札幌間を牽引に使われてました。

東京-札幌間を16時間で結んだ北斗星も2015年の北海道新幹線の開業に合わせ、2015年3月のダイヤ改正で定期運行を終了。しばらく臨時列車として運行していましたが、8月の札幌発のラストランをもって、27年の歴史に幕を降ろしました。

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