陶製武器振興会製造の信楽焼の地雷と手榴弾
戦時中、火鉢などの民生品を製造していた滋賀の信楽の製陶業は、軍部から不要不急の産業として生産中止に追い込まれつつある中、信楽の製陶業者で陶製武器振興会を結成し、陶器製の地雷製造を軍部に進言し、認められました。
生産は甲賀郡内の国民学校高等科の生徒たちが学校や寺院で行い、硫黄島や沖縄戦で使われたそうです。。
本当はこんなもん、作りたくなかっただろうに。。
昭和8年に建てられた滋賀県大津市の某小学校の奉安庫の枠。
天皇皇后両陛下の御真影と教育勅語が納められていたのが奉安庫で、校舎の取り壊しの際に寄贈されたものだそうです。
6月21日
滋賀県東近江市にある滋賀県平和祈念館訪問記の最終回です。
滋賀県守山市の守山駅北東側にあった住宅の部材に残る機銃痕。
守山空襲で、駅に停車していた列車に向けて機銃掃射が行われ、流れ弾が住宅にも着弾したそうです。
こちらは戦時中の子供のおもちゃ。
左から、皇軍将棋、大東亜ゲーム盤(すごろく)、世界名婦人かるた。
大正4年(1915年)に現東近江市の沖野ヶ原に完成した我が国初となる民間飛行場の八日市飛行場。
大正11年(1922年)に陸軍航空第三大隊の飛行場となり、その機能は終戦まで続きました。
終戦後、飛行場跡地で出土した機関砲弾
こちらは跡地で拾われた飛行機のエンジン部品
飛行機の無線機を改造した受信機
持ち主は、進駐軍の指揮のもと、八日市飛行場で解体される飛行機の受信機を譲り受けるために粘り強く交渉し、頂いたものだそうです。
航空写真撮影用のカメラ
これにて滋賀県平和祈念館の見学はお終い。
イデオロギーにかかわらず、色んな人に見て欲しい施設でしたね。頭で考えるより、展示されてる戦争当時の資料は生々しく、戦争の愚かさと平和の大切さを何より雄弁に語りかけてきますから。
おしまい
過去記事<暮らしの中の戦争>
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