4月
浄土宗勝寶山 大福寺(滋賀県甲賀市)
大福寺は、鎌倉時代にこの地域の地頭だった岩室家の古道場であったのが始まりで、元和年中(1615-1635年)に京の黒谷金戒光明寺の末寺となりました。
このお寺の境内いっぱいに枝を伸ばしている枝垂れ桜は、徳本桜(とくほんさくら)と呼ばれます。
今年はバッチリ!満開の時期に来ることができました
末広商店街(愛知県瀬戸市)
父の1周忌法要の準備のため、故郷の瀬戸に帰りました。
お寺や石材屋さんとの打ち合わせを終え、市街中心部の商店街をぶらぶら散歩
商店街の中に、中学や高校時代に足繁く通っていた映画館の建物がまだ残っていてビックリしました
もう閉鎖されちゃってますが、妙に感動してしまいました(涙)
瀬戸蔵(愛知県瀬戸市)
2005年に開催された愛・地球博(愛知万博)に合わせてオープンした瀬戸の観光拠点施設『瀬戸蔵』。
ここから車で25分ほどのところにある万博の跡地は愛・地球博記念公園(モリコロパーク)とジブリパークになってます。
昼食は館内にある『瀬戸蔵カフェ 花ごよみ』さんで、ジブリパークに因んでジブリランチをチョイス
目玉焼きベーコンは映画『ハウルの動く城』に出てきたジブリめしのひとつ。鯖の味噌煮は、映画『風立ちぬ』で主人公の堀越二郎が何度も食べてましたね。
瀬戸は瀬戸物と呼ばれる陶磁器の生産地で、食器だけでなく、人形や動物、鳥など精密に表現した海外輸出向けの置物も多く生産していました。
招き猫ミュージアム(愛知県瀬戸市)
実は明治30年代に全国の陶磁器産地の中で一番最初に招き猫生産を始めたのも瀬戸なんだそうです。
招き猫ミュージアムは、「日本招猫倶楽部」の世話役をつとめる板東寛司・荒川千尋夫妻の個人コレクション数千点を展示する日本最大の招き猫専門博物館。
2階のミュージアムスペースには、たくさんの招き猫が所狭しと並んでました。
古瀬戸タイプと呼ばれる招き猫は、細身で、首に前垂れを着けた形が主流でした。白地に青い染付けの陶磁器は昔の瀬戸物を代表する色使いですね。
こちらは陶器ではなく、素朴な張り子の招き猫たち。
瀬戸ノベルティ倶楽部(愛知県瀬戸市)
ノベルティとは、一般的に広告・景品用商品のことを指しますが、陶磁器業界でノベルティは、人形や鳥、動物など鋳込み成型による焼きもの製の置物や飾り物を意味します。
瀬戸では明治期になると、ノベルティ(陶磁器製の人形・置物)や工業製品なども生産するようになり、特に「セトノベルティ」として海外で高い評価を得て、戦後の瀬戸の焼きものの中心的な役割を担いました。
管理人も子供の頃、陶器製の精巧な鳥や動物の置物が欲しかったことを思い出しました。
その時はセトノベルティなんて言葉は知りませんでしたが、今のミニチュア好きなのも、子供の頃に見ていたセトノベルティが影響してるのかもしれません ww
過去記事<2024 お気楽行楽記総集編(7)>
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爺さんがぼやく拙いブログですが、笑ってやっていただけたら幸甚です。