2017年、雨の中訪れた京都市中京区にある法華宗大本山 本能寺。
ご存知の通り、織田信長が家臣の明智光秀に討たれた本能寺ですが、その当時の場所より今は500mほど東に移ってます。
元の場所は本能寺跡として史蹟になっていて、1992年の発掘調査で織田信長の定宿だった当時の遺構が発見されたそうです。
本堂はこの地に移ってから天明の大火や幕末の蛤御門の変で焼失し、現在の本堂は1928年に再建されました。
※本堂内は写真撮影禁止です
本堂の右手奥にあるのが『信長公御廟所』。
織田信長の墓
本能寺の変のおよそ1ヶ月後に信長の三男 信孝が本能寺を信長の墓所と定め建立したと言われています。
周囲には家臣の墓も合祀され、森蘭丸もここに祀られていました。
境内にある大寶殿宝物館。
この日は大寶殿の前で甲冑を着て写真撮影ができる催しが無料で行われていて、これが外国人観光客に大ウケ
「はい、ポーズ!」の掛け声の代わりに、「ほん、のーじ!」の掛け声で、刀に手をかけたポーズで写真を撮ってもらってました。
宝物館の中は写真撮影禁止で、唯一 エントランスにあったこの甲冑(レプリカ)のみ撮影できました。
二階の展示室は決して広くないものの、信長愛用の茶釜や茶碗、森蘭丸の刀剣など所縁のものがいくつか展示してありましたね。
信長の肖像画の掛け軸(パンフレットから引用)。
教科書に載ってるお馴染みのうりざね顔で鼻の下に髭をたくわえた信長像とはだいぶ違いますね。かなり迫力のあるお顔です!
管理人が気に入ったのは写真にある三足の蛙の唐銅香炉(パンフレットから引用)。
中国から伝わった霊獣三本足の蛙の上に角の無い龍が乗った香炉で、本能寺が明智軍に包囲された時、この香炉が突然鳴き出し、信長に危険が迫っていることを伝えたと云われています
これ、千と千尋にでてきそうなデザインだと思いませんか
本能寺は当時、種子島にも布教していたことから鉄砲・火薬の入手にも一枚噛んでいたとも云われています。
今は本能寺の裏手でホテル本能寺を経営していて、修学旅行生の定宿としても有名ですね。
商売上手な本能寺でした~
※ホテル本能寺はこの後すぐに建て替え工事が始まり、昨年秋にリニューアルオープンしました。
更新の励みです、応援クリックよろしくお願いします!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます