「金沢箔」
Description / 特徴・産地
金沢箔とは?
金沢箔(かなざわはく)は石川県金沢市周辺で作られている金箔です。熟練の技術により生み出される煌びやかで優美な金の輝きが金沢箔の最大の特徴です。
10円玉ほどの小さな金合金をたたみ一畳ほどの大きさまで均一に、しかも輝きを失うことなく延ばす職人の技術が金沢箔を作り出しています。上質できらびやかな金箔を作り出すには何年もの精進を積んだ製箔の技術が必要とされています。
金沢箔は日光東照宮など日本の歴史的な建造物に数多く用いられ、金沢の伝統的な工芸品である漆工芸や仏壇仏具、さらに織物や九谷焼などさまざまな分野で美しく輝いています。また、現在ではインテリア用品やファッション関連などに広く利用されるようになり生活に輝きを添えています。
歴史的には幕府や国からの制限等を受け、製箔業を生業にするのは厳しい時代もありました。しかし、金沢の気候風土、雨や雪の多いことや水質の良さなどが金箔の作業に適すると言われるように金沢では金の延びがよく、艶のよい金箔を仕上げることができます。
History / 歴史
金沢箔 - 歴史
1808年(文化5年)に金沢城二の丸御殿が焼失したことが、金沢において製箔業確立の動きの契機となりました。再興には多量の金箔が必要でしたが、当時の幕府は江戸箔だけを庇護の下に置き、他には箔打ち禁止令を出していました。そのため、加賀藩では細工所などでひそかに箔の打ち立てをしていたと言われています。
1819年(文政2年)の兼六園に建てられた竹沢御殿の金箔は金沢の職人によるものですが、金沢で江戸箔売りさばきの公の許可が下りるのは1845年(引化2年)のことです。その間、金沢では江戸や京都から買い求めた金箔や銀箔の打ち直し、あるいは銅箔や真ちゅう箔の仕立てなどの名目で金箔や銀箔の隠し打ちが続いていました。
1864年(元治元年)になると藩の御用箔に限り箔の打ち立てが許され、金沢箔は大きな進展を遂げます。さらに、明治に入ると江戸箔の消滅に伴い、金沢箔は全国を市場として生産や販売ができるようになります。
第一次世界大戦時には金沢箔は世界からの需要に応えるために機械化を進めました。第二次世界大戦中は金属類の使用制限によって製箔業は一時壊滅状態に陥りますが、戦後復興の中で生産も再開し金箔の用途も広がっていきました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kanazawahaku/ より
金箔の善し悪しを左右する紙仕込みが「金箔」の命
金沢で金箔が初めてつくられたのは、今からおよそ半世紀ほど遡る1593年。時の加賀藩初代藩主・前田利家が、豊臣秀吉の朝鮮の役に際して金・銀箔をつくるように命じたのが、その始まりといわれている。
紙づくりにこだわる職人がいたから全国一の金箔が生まれた
金箔の歴史は古いが、その工程には頭が下がるほど、ひとつひとつに力と技が籠もっている。まずは、金箔の話の前に紙づくりから語らなければならない。
「金箔に使う紙仕込みには、およそ4カ月ほどかかります。」そう語るのは、熱野嘉和(ねつのよしかず)さん。この道40年の金箔づくりの名人(箔打ち職人)である。「いい金箔を作るには、まず、いい下地紙と呼ばれる箔を作る紙づくりからです。箔打ちには、軟らかい水が欠かせないということから、水に恵まれたこの金沢で金箔が発達したのです。昔は、浅野川や犀川の近辺にたくさん箔打ち職人が住んでいましたが、騒音などで今は郊外に移りました。」
実際に箔打ちの現場を見せてもらって納得。ものすごい振動と同時に、ハンマーが打ち下ろされる時の音はガンガンと耳にこだまするほど。こんなたいへんな作業なしには金箔はできないものなのか・・・。
金箔には、大きく分けて「断切(たちきり)」と「縁付(えんづけ)」がある
金箔には、大きく分けて、手すきの和紙を手間ひまかけて仕込んだものを箔打紙に用いるという、古来よりの製法でつくられる「縁付」と、カーボンを塗付した特殊紙を箔打紙に用いる、現代的な手法でつくられる「断切」がある。「縁付」は、様々な要因から職人が最近どんどん減っている。熱野さんは、昔気質の「縁付」職人。「縁付」職人の平均年齢は64歳、現在48名しかいない貴重な存在の一人だ。
「箔打ち職人の家では、朝は4時半起き、夜はえんえんと夜なべを手伝うのがあたりまえ・・子供の頃から一枚の金箔ができるまで一家総出で夜なべをしてましたね。でも結局この道を選んで、中学を出てすぐにおじいちゃんと親父の後を継ぎましたんで、うちの場合は、もう100年になります。」
手の甲にできたいくつもの年期の入ったたこが、長年の仕事への真摯さを物語っている。けれども、「今は息子が継いでくれたから一安心。」と話す熱野さんの顔はほころんでいた。
金箔を一万分の1ミリに仕上げる技
金箔の製造工程は「延金製造」「上澄製造」「箔打ちおよび箔移し」の3工程に大別されるが、熱野さんは、この中の「箔打ちおよび箔移し」の工程で打紙作りも行う。これらの各工程はさらに細かい作業工程に分かれるが、どの工程もひとつひとつ気が抜けない作業。箔打紙を作る作業では、まず金沢産の中島紙や二俣紙を材料に何度も何度も灰汁(あく)に漬け、叩き、乾かす。そのときに柿渋や卵を入れて、なめらかな紙を作っていく。金箔に波打つような表情を出し、優しい風合いを作るためのこの仕込みにはおよそ3~4カ月かかる。「今では、安価な「断切」の金箔が一般的になってしまってますが、神社仏閣や高級仏壇、文化財の修理などに、主にこの縁付が使われています。」
「箔の三原則は、『ナリ』と『光沢』と『トケ』。ナリは、箔にくぼみ(輪の型)が残らないようにすること、光沢は風合いのある真の輝き、トケは独特のなめらかさを持っていること。特にこのナリは、灰汁(あく)で決まると言ってもいいほどです。灰汁によってできた薄い膜がなめらかな表情を出し、光沢を作ってくれます。」
「箔打ちおよび箔移し」は繊細な神経を必要とする作業
正直言って、金箔のための紙づくりでこんなに力がかかるとは、つゆ知らなかった。このあとの工程で、その澄の引き入れを終えた小間紙をうちのばし、それをさらに主紙(完成された箔打ち紙)に移し変え、さらにをハンマーでうちのばしていく作業が続く。この作業は集中力と力の技の結晶だが、ここでは千分の3ミリの上澄が、一万分の1~2ミリほどの薄さの金箔に仕上られていくのだから、どれだけ大変な作業か想像できるかもしれない。
「金箔には、その人その人の手癖があって、ナリが違ってきます。息子にも、まだまだ紙仕込みはまかせられませんわ。」見せてもらった金箔は、向こう側が透けるように薄く、確かにトロッとした上品な質感があった。職人芸の極みを見たような気がした。
職人プロフィール
熱野嘉和 (ねつのよしかず)
この道40年の金箔づくりの名人。
親子4代を守る老舗的「えんづけ」の箔打ち職人。
こぼれ話
純銀箔もまた、金沢の伝統工芸品のひとつ。純金箔とまた違った上品さを醸し出す、純銀箔を生か したすてきな食器や置物がたくさんあります。
普段にも使えそうな洒落たグラスに純銀箔が入っていたり、純銀箔を施したお猪口など友人へのプレゼントにいいかも。シルバーの素敵なアクセサリーもお手頃な値段で、ちょっとしたおみやげにも使えそう。
純金箔、純銀箔を扱ったレトロなお土産物やさんは、たくさんありますので、金沢旅行にいったときにぜひのぞいてみてください。
*https://kougeihin.jp/craft/1502/ より
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