「強力-酒造好適米」
強力(ごうりき)はイネの品種の一つ、酒造好適米として殆どは鳥取県で栽培される。
鳥取県東伯郡下中山村(現:西伯郡大山町)下甲の渡邊信平が在来品種から選抜。
1915年から1921年まで、鳥取県農業試験場が系統分離試験を重ね、原種から12号までの13系統の試験を行った結果、強力1号と2号を1921年から1945年まで鳥取県の奨励品種として採用していた。その後最盛期には県下の水稲栽培面積の約11%を占めるまでに至った。
1945年以降は奨励品種からも外され、食糧難の時代、反当りの収穫量の少なさ、尋常でない背丈、大粒の為の倒伏の危険といった理由から、1954年を最後に県内から姿を消した。
昭和の終わり頃に、鳥取市の中川酒造と青谷町の山根酒造場の両蔵元が鳥取県独自の米による清酒の製造を思いつき、鳥取県酒造技術顧問の上原浩に相談した結果、「強力」を紹介され、かつての鳥取県農業試験場の作物科長で後に同試験場の場長をしていた西尾隆雄に種子の取得を依頼したが、県・国とも品種を保存していなかった。 西尾隆雄は、県内の心当たりを尋ね尽くして最後にたどり着いたのが、強力2号の原種保存を続けていた鳥取大学農学部であった。残されていたのは僅か一握りにも満たない量であったが、同大学は貴重な標本を提供し、配布することにした。
西尾隆雄によって、復刻を開始した「強力」は平成に入ると醪一杯分の収量を得られるようになり、1990年には純米大吟醸「強力」が上槽された。その後「強力」を採用する鳥取県の蔵元も10社にまで増え、強力は酒米として鳥取県の日本酒の地域ブランド化の一翼を担っている。
現在では鳥取県外の蔵元でも強力米を使用した日本酒が造られている。
強力米から選抜され、戦前に兵庫県で栽培されていた酒米、但馬強力も復活し、日本酒が造られている。
*Wikipedia より
鳥取にしかない酒米「強力」は、粒は大きく、山田錦や雄町などと同じく吟醸酒造りに適した線状心白を持つ稀有な酒造好適米です。大正時代に鳥取の在来種から選抜された「強力」は、背丈が高く育てにくいため、昭和30年にいったん栽培が途絶えました。その後、幻の「強力」を復活させ鳥取にしかない地酒を造ろう、という蔵元の思いから、昭和61年に鳥取大学農学部で原種保存されていた僅か一握りの強力にたどり着き、関係者の尽力により酒が仕込めるまでの収穫量に増やす努力を経て、平成元年にその醸造が復活しました。そして、「強力」を鳥取の地酒ブランドとして守るため「強力をはぐくむ会」を立ち上げ。徐々に「強力」を使う酒蔵が増え、現在では9蔵が「強力」を使った酒造りを行っています。
*https://www.pref.tottori.lg.jp/item/1210738.htm より
*農研機構HP より
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