「天草陶磁器」
Description / 特徴・産地
天草陶磁器とは?
天草陶磁器(あまくさとうじき)は、熊本県の天草地方で焼かれている陶器や磁器です。良質な天草陶石を産出する天草では古くから陶磁器が焼かれており、現在も焼き物の郷(さと)として知られています。天草陶磁器の呼び名は、国の伝統的工芸品に指定された時に新たに名付けられました。
天草の磁器の特徴は、透明感のある白磁の美しさです。一方、島の土を使用した陶器は、個性的で素朴な風合いを特徴としています。
4つの主な窯元のひとつ、「高浜(たかはま)焼」は純度の高い陶石を使用しており、透き通るような白さと深い藍青の持つ呉須(ごす)の彩りがモダンで印象的です。「内田皿山(うちださらやま)焼」は、白磁のほかに青磁や染付も焼いています。「海鼠釉(なまこゆう)」の元祖と言われる「水の平(みずのだいら)焼」は、独特の絵模様や艶が魅力です。「丸尾(まるお)焼」は、丸尾が丘周辺で採取される赤土を使った素朴な味わいが特色で、食器をメインに花瓶や壺など様々なものを焼いています。
History / 歴史
天草陶磁器 - 歴史
天草陶磁器(あまくさとうじき)は、陶石が発見された1650年頃には焼かれていたという記録が残っています。江戸初期・中期に幕府直轄領であった天草では、島内の村民が自活のために陶磁器を焼いていました。
良質の陶石を多く産出する天草では、古文書によると1676年(延宝4年)には内田皿山(うちださらやま)で磁器が焼かれていたとされています。また、1762年(宝暦12年)には、高浜(たかはま)村でも磁器を焼き始めたという記録があります。さらに、1765年(明和2年)になると、天草郡本土村水の平(現本渡市)で水の平(みずのだいら)焼が創業しました。
それぞれの才覚で個性を活かした陶磁器は現存する窯に継承されており、2003年(平成15年)には国の伝統的工芸品に指定されました。
現在では11の窯元で、伝統を守りながらも現代生活にマッチした多彩な表情の陶磁器を作り続けています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/amakusatojiki/ より
天からの贈り物を形にして~天草陶磁器
透き通るような白い磁器、土の暖かみを感じる陶器。天草では、江戸時代から多種多様なやきものが作られてきた。それらの源は天草の地にある陶石や陶土である。自らの足元にある素材を活かしたやきものづくりは、三百数十年の時代を経て今に受け継がれ、現在では十件の窯元がそれぞれ個性豊かな焼物づくりを展開している。
その中のひとつ、創業弘化2年、150年以上に渡って天草でやきものを作りつづけている「丸尾焼窯」を訪ね、五代目当主である金澤一弘さんにお話しをうかがった。
時代と共にあるやきものをつくる
澄んだ青空の下に、コンクリートとガラスを直線的にデザインしたシンプルな建物が映える。その光景は、歴史や伝統という重みよりも今という時代を感じさせる。
金澤さんは「伝統は革新の積み重ね」という。常にその時代にあったものを作る。そうしたことの積み重ねが、窯元に時代を生き抜く力を与えてきたのだという。金澤さんにとって伝統は守るものではなく、「今」という時間の積み重ねなのだ。
金澤さんのところでは、シンプルな白磁やシックな陶器、少し風変わりなカラフルな陶器など、素材や製法にこだわらず、さまざまなタイプのやきものが作られている。
「常に現代性を意識して製作している」という金澤さんの言葉どおり、どれもが今の暮しの風景に良く似合うものばかりだ。
磁器も陶器も作る。特定の技法やデザインにとらわれない。こうした製作スタイルは天草の陶磁器づくりの縮図を思わせる。
多様性という選択
新雪の様に輝く白磁、海鼠の如き釉調が印象的な磁器、温もりを感じさせる陶器。陶器の様な素朴な風合をもった磁器もあれば、磁器の様な存在感を持った陶器もある。天草では窯元ごとにそれぞれタイプの異なる陶磁器が焼かれている。
やきものが作られるようになった時、天草では「多様性」という選択がなされたのだと金澤さんは語る。どの窯元も同じようなものを作るという方向に進むのではなく、ひとつひとつの窯元が自分たちの思う通りのやきものづくりをしてきた。その結果が現在の天草陶磁器のバラエティの豊かさとなって表れている。
多彩なやきものづくりを支えているのは、天草の陶石と陶土である。他の産地が望んで使うほどの良質な原材料は、天からの贈り物に例えられる。
「天草に陶石があるということは、『やきものをしなさい』ということだと思う」という金澤さんの言葉には、天の恵みに対する真摯な気持ちが込められていた。
天草発のブランド
金澤さんは天草の地を拠点とし、「ここに買いにきてもらう」というスタンスを貫いている。そのきっかけとなったのは、「工芸は地域と密着して成り立つのが、正しい在り方ではないか」という思いだった。工芸は、気軽に買って、使って、壊れたらまた買うという、生活サイクルの中に在ると考えたのだ。
どんなに知名度があっても他所の土地では買えない、その土地に行かないと手に入らない。そんなスタイルが、これからのブランドになると金澤さんは考えている。
「固有の文化や固有の手仕事の沢山ある『地方』こそ、豊かな場所になれるのではないか」と金澤さんは語る。
現在、天草には10の窯元が存在している。そして天草でやきものをやりたいという若い人も沢山いる。金澤さんの所で修業して巣立っていく人も多い。そうした先に見えるのは、「陶磁器の島・天草」という地域そのもののブランド化なのかもしれない。
経糸の責任
天草には、金澤さんの「丸尾焼窯」同様、江戸時代から続く窯元が幾つもある。窯元たちは数々の時代の波を乗り越え、現在まで窯の火を灯し続けてきた。
「『好き』でやきものの世界に入ってくる人は多い。でも僕はそうした次元ではやっていない」と金澤さんはきっぱりと言い切る。「好き」は「嫌い」になることもあるが、自分たちの場合は、「嫌い」になったからといってやめる訳にはいかない。家業としてやきものをする人々にとっては、「やきものをやる」ということは、次の代にバトンを渡すまで続けるということを意味しているのだという。
「それが、代を重ねてきたことの重さ」だと金澤さんは語る。
長く続いた家業もいつかは終わる時がくる。その時、終わらせる決断をした者には家業を終わらせるという責任がある。家業という経糸の中に身を置く者たちは「絶えず他の代と比べられ、そうした中で死んでいく。それが代を繋いでいく仕事の過酷さだ。」と金澤さんはいう。
金澤さんはやきものの仕事を好きだと思ったことはないが、辞めようと思ったこともないという。「やっぱり『やきもの屋』として生まれてきたんだろうね。」そういって晴れやかな笑顔を見せた。
職人プロフィール
金澤一弘 (かなざわかずひろ)
昭和32年生。20才から熊本県工業試験場の伝統工芸後継者育成事業で技術を修得。
昭和55年、23才にして丸尾焼窯の5代目当主を継承。
生活空間をより豊かにする、日用品としてのやきものの可能性を追求し、現代感覚ゆたかな作品を製作している。夫人の美和子さんも女流陶芸家として活躍中。
丸尾焼窯からは多くの若い陶芸家が熊本県内外に巣立っている。
こぼれ話
白い磁器を生む石
白磁特有の透き通るような質感と輝き。その美しさは陶石によってもたらされる。現在日本で陶石産地と呼ばれる場所は数えるほどしかない。そうした中で天草は質、量ともに抜きんでている。天草の陶石は有田や京都だけでなく、日本全国のやきもの産地で用いられている。
ひとくちに陶石といってもその性質は微妙に異なる。陶石中の鉄分が多いと磁器は澄んだ白い色にはならない。また、陶石には粘土など他の素材を加えないと成形や焼成をすることができないものもある。
天草の陶石は陶石中の鉄分が少ないだけなく、他の素材を加えることなく単独で磁器を作ることができるため、より白い磁器を作ることができるのである。
透明感のある白さで人々を魅了する磁器を生む石。それが天草陶石である。
*https://kougeihin.jp/craft/0429/ より
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