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<経産大臣指定伝統的工芸品> 熊本 小代焼

2021-08-23 10:56:40 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「小代焼」

 Description / 特徴・産地

 小代焼とは?
 小代焼き(しょうだいやき)は熊本県の南関町、荒尾氏、長洲市、熊本市、松橋町など県北部を中心に焼かれている陶器です。
 小代焼きの特徴は素朴な風合いながらも力強いフォルム、釉薬(ゆうやく)の流しかけによる大胆なデザイン性です。
 陶土は鉄分の多い小代粘度を使用した粗めのもので、それを茶褐色の鉄釉(てつぐすり)で覆いますが、その特徴的なデザインは藁や笹の灰などから生まれた黄色や白など発色の違う釉(うわぐすり)を使い分け、流しかけすることによって生まれました。また、釉薬(ゆうやく)の配合の違いにより「青小代」「黄小代」「白小代」の3系統に分類されます。
 小代焼きは「腐らない、臭いがうつらない、湿気を防ぐ、毒消しの効果、延命長寿」の五徳があるとして「五徳焼き(ごとくやき)」と呼ばれることもありました。そのことから茶器としてだけでなく、実用性の高い日用食器としても親しまれてきたことがわかります。

 History / 歴史
 小代焼きは1632年(寛永9年)豊後国から肥後国に転封となった細川忠利が、陶工である源七(牝小路家初代)と八左衛門(葛城家初代)を伴い着任し、小岱山麓に窯を開いて焼き物を焼かせたのが始まりと言われています。細川家の御用窯として古くは茶器を中心に日用食器や火鉢などが焼かれていました。
 その後産業振興を図る藩の方針から細川家の保護を受け1836年(天保7年)に山奉行瀬上林右ヱ門によって瀬上窯が築かれると、小代焼きの技法が受け継がれることとなり窯元も増え発展していきます。しかし、明治維新後は有田焼や瀬戸焼の台頭により廃窯が相次ぐなど一時衰退することとなりました。
 昭和になると近重治太郎や城島平次郎らが小代焼き復興のために努力を重ね、再び脚光を浴びるようになりました。
 小代焼きは小岱山麓を中心に窯の数も増え、現在では12の窯元によって作品が生み出されています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/shodaiyaki/ より

 400年の歴史を一瞬に凝縮する 小代焼
 熊本県北部、福岡県との県境にほど近いところに小岱山と呼ばれる山がある。この山の麓からは、やきものにすると浅黒くさらりとした独特の肌合いになる粘土が産出する。小代粘土と呼ばれるこの粘土を用いて、江戸時代から数百年に渡って作られてきた陶器が小代焼だ。
 現在もこの付近では、小代粘土の風合を活かした様々な陶器がそれぞれの窯元で製作されている。その中でも、「小代焼の原点」にこだわった作品づくりをしている井上泰秋さんを、小岱山の麓にある「小代焼ふもと窯」に訪ねた。

 
 小代焼の原点を求めて
 井上さんのもとには、修業時代から集め続けた沢山の古い小代焼のコレクションがある。浅黒く素朴な肌合いの素地の上に、打ちつけられたように広がる白い釉薬。その文様の面白みや力強さは、「古小代」と呼ばれる古い時代の小代焼の大きな魅力となっている。
 井上さんは、そうした「古小代」に強い関心を持つ一方で、創造的好奇心から独立直後の2年程は、特に種類を定めずに様々なタイプのやきものを製作していた。これによって、小代焼の代表的な技法である釉薬の「打ち掛け流し」の素晴らしさや力強さが、より分かるようになったという。小代焼への理解の深まりが、「小代焼の素晴らしさをもっと世に伝えたい」という熱い思いとなった時、製作拠点を小岱山の麓に移して小代焼を焼く窯を開いた。それが「小代焼ふもと窯」だ。
 目指したのは小代焼の原点。自らが収集してきた「古小代」を道標として、粘土を探し、釉に使う藁灰や木灰の調合法なども研究した。地道な努力の積み重ねが、現在の作品を支えている。


 打ち掛け流しの醍醐味
 小代焼の特徴は、「打ち掛け流し」と呼ばれる技法にある。柄杓に取った釉薬を、器物の表面に勢いよく振りかけ、その流れや滴りによって文様を表現するこの技法は、江戸時代から400年に亘って受け継がれている。
 職人は「打ち掛け流し」をする前に、これから柄杓を振るう対象となる器物に、おおよその図柄をイメージする。そして、そのイメージを表現すべく柄杓を振るう。熟練した職人の腕の淀みない動きによって、釉薬は自由闊達な文様となり、器物の表面に降り立つのである。
 「何万回とやっていても、なかなか思うとおりにいかない。でも、そこに深さがあるんです。無限ですね」と井上さんは語る。
熟練した職人の技が偶然を味方に付けた時、世界にふたつとない作品が誕生する。そこに小代焼「打ち掛け流し」の醍醐味がある。


 すべては炎と共に
 小代焼はその色味によって、黄小代、青小代、白小代、飴小代に分けられる。これらの色を決めるのは、用いられた釉薬の成分と、窯の中の炎の状態だ。
 小代焼の釉薬の原料は、藁、笹、茅などの植物を燃やして作った灰と、雑木、樫、杉、松などの木を燃やして作った灰、そして細かく砕いた長石、釉薬によっては、さらに鬼板と呼ばれる鉄を含んだ鉱石も用いられる。これらを配合して釉薬が作られる。この時、使用する植物の種類や配合比などによって、焼き上がりの色や調子が変ってくるのである。
 また、同じ釉薬を使っても、登り窯の場合、窯の焚き加減や窯の中での位置、窯に詰められている物の種類などによって、仕上がりの具合は変る。
 ひとつの器の上で釉薬が異なる色味を発色することもある。
 「登り窯は薪を一本一本手でくべて焚きます。薪ひとつで形や色合いが変ってしまうし、火にあたっている側とその裏側では、釉薬の溶け具合や素地の焼け具合がはっきりと違って見えるものもあります。これが『土もの』の妙で、面白いところなんです。ひとつひとつ違うところがいいんです」と井上さんは語る。


 飽きのこないやきもの
 流れる釉薬から生まれる面白味、釉薬の厚薄や滲み具合から醸し出される趣、素地と呼応して微妙に変化する色合い。小代焼に現れるさまざまな表情は見るものを飽きさせない。
 そんな小代焼の魅力を井上さんは簡素な形の中に表現する。
 井上さんが作る日用雑器にはシンプルなものが多い。日々手にして使うものがあまり形に凝りすぎてしまうと、かえって使いにくくなるからだという。
 「何の変哲もないけれど、使い易いからいつも自分のテーブルに乗せている。それが最高だと思うんです」
 作品を買っていった人々から、「使い易かった」「まだ使ってる」という声を聞くのがとても嬉しいと井上さんは微笑む。
 「付き合っていると、いつまでも側に置いておきたくなる。そんなやきものを志して、これからも作りづけたい」と井上さんは語ってくれた。


 職人プロフィール

 井上泰秋(いのうえたいしゅう)

 昭和16年生。昭和32年、熊本県工業試験場窯業(陶芸)部に入所。昭和43年、荒尾市府本に「小代焼ふもと窯」開窯。昭和52年、登り窯を築窯。平成元年、西日本陶芸美術展大賞(内閣総理大臣賞受賞)。平成13年、日本陶芸展、毎日新聞社賞受賞。
 熊本県文化懇話会理事、熊本県民芸協会会長、熊本県美術協会々員。国画会々友、毎日新聞社女性文化教室講師。


 こぼれ話

 小代焼展示資料館

 江戸時代初期から明治にかけての小代焼は、古小代と呼ばれる。井上さんは、長い年月をかけて、数々の古小代を収集してきた。茶碗や小皿、土瓶など小さなものから、茶壷、水瓶、火鉢といった大きなものまで、百点近いコレクションが、「ふもと窯」敷地内に建てられた「小代焼展示資料館」に陳列されている。
 また、資料館のすぐ近くには小代焼発祥の窯とされる古畑窯の跡があり、そこから出土した陶片や窯道具なども合せて展示されている。

*https://kougeihin.jp/craft/0428/ より


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