ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

女性皇族の考え「理解を」- 17 ( 鈴木氏の孤立 )

2024-12-24 09:13:37 | 徒然の記

   〈 鈴木邦男(すずき くにお )氏 〉

 鈴木氏の左傾については、他の右派団体からの批判攻撃があったことをウィキペディアが説明しています。

   ・右翼団体「民族革新会議」と「盛道烈士會」の盛義一 ( もり よしかず ) らが、高田の馬場の一水会事務所近くで街宣

     ⚫︎  鳩山由紀夫と木村三浩のクリミヤ訪問への抗議

     ⚫︎「一水会」創設メンバー犬塚博英の名を汚していることへの抗議

     ⚫︎「一水会」と木村三浩は、右翼と名乗るなという要求、  をした

   ・以降、「一水会」は右翼、新右翼を名乗っていない

 また「一水会」内部では、以下の動きがありました。

   ・平成22年、「一水会」の関連組織「統一戦線義勇軍」の針谷大輔が、鈴木への敬意を表しつつ、鈴木の発言を批判

   ・平成24年、「一水会」創設メンバーである四宮正貴が鈴木の発言を批判

   ・平成26年、「一水会」創設メンバーでのちに離脱した犬塚博英が、鈴木に絶縁宣言

   ・平成27年以降、鈴木は「一水会」の顧問を辞任し、単なる肩書きだけの「元最高顧問」「元顧問」「元代表」となる

   ・右翼、左翼、アナーキストに限らず、多くの活動家は自決または病死、あるいは事件の犯人として収監されている。

   ・その中で不器用ながらバランス感覚に長け、要領のいい性格でもある鈴木邦男は長生きをし、自由な活動を続けてきた。

 「一水会」の顧問を辞任し肩書きだけの「元顧問」となっても、左傾活動をやめないのですから「ねこ庭」も匙を投げます。というより、組織人としての節度のなさに失望しました。
 
 ウイキペディアの、皮肉な説明を紹介します。

   ・外国人参政権を支持するため、李英和(リ・ヨンファ ) が主催する在日党の集会に参加

   ・鈴木は「納税など住民としての義務を果たしている定住外国人にとって、参政権は当然の権利、それを認めることが、日本人の民族意識を希薄にするとは思わない」と主張

   ・一水会内部から批判の声があったが、鈴木は「必要なのは右翼や左翼という看板ではなく、個人の判断。組織は勉強する場として残ればいい」と言った

   ・よど号乗っ取り犯で、偽米ドル札事件で逮捕された田中義三激励のため、タイ・チョンブリ刑務所を木村三浩と訪問

   ・田中は「共に闘っていけると感じました」と答え、鈴木は「四十歳を過ぎれば右翼も左翼もないですよ。意気投合しました」と言った

   ・平成27年12月辻元清美の応援団の一人として、政治資金規正法に基づく「資金集めのパーティ」に参加

 これでは「一水会」のメンバーから絶交され、孤独をかこつことになっても同情する余地がなくなります。

 ここまで来れば「毒をくらわば皿まで」で、残っている塩見孝也と沢口友美、雨宮処凜両氏の経歴を予定通り紹介しようと思います。

 「ねこ庭」を訪問される方々は、「一水会」メンバーの紹介を始めたのが、保守人竹田氏への違和感を検討するためだったことを、思い出して頂ければ有り難いと思います。

  〈 塩見孝也の経歴 〉

  ・昭和16年大阪市生まれ、平成29年死亡、76才。

  ・日本の新左翼活動家活動家、元赤軍派議長・最高指導者、テロリスト

  ・「日本のレーニン」と呼ばれ、「一向健」の組織名・ペンネームで知られた

  ・京大在学中から「共産主義者同盟 ( ブント )  」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長

  ・ブントの活動に飽きたらず武装闘争を主張、京大を2年で中退

  ・昭和44年、関西ブントを中心に「共産主義者同盟赤軍派」を結成、議長に就任

  ・メンバーは京大、同志社大、立命館大を中心に400人、軍事委員長は大阪市立大の田宮高麿

 「大菩薩峠・赤軍派リンチ事件」と「よど号ハイジャック事件」はテレビと新聞がトップニュースで伝えましたから、今でも覚えています。しかしその中心人物が塩見孝也だったとは、知りませんでした。

  ・昭和44年秋、大阪、東京で交番・パトカーなどを襲撃した大阪戦争、東京戦争等を指揮

  ・同年11月に、「大菩薩峠事件」の失敗で主要幹部を含む53人が逮捕、大打撃を受ける。

  ・塩見は武装蜂起による「世界共産主義革命」実現のため、「国際根拠地論」を提唱

  ・労働者国家キューバを根拠地とし、軍事訓練を行った革命軍を各地へ送る意見を主張

  ・昭和45年、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画し、下見を重ね具体的な計画作成

  ・実行部隊のメンバーを決め、同年3月後半の実施を決定したが、寸前の3月警察に塩見が逮捕

  ・塩見の逮捕後、実行部隊は既定方針どおりハイジャック決行

  ・3月31日、田宮高麿をリーダーとする9名が、羽田空港で日本航空よど号をハイジャックし、北朝鮮に亡命( よど号をハイジャック事件 )

  ・塩見はよど号事件の共謀共同正犯、破防法などで起訴、昭和57年懲役18年の刑確定、府中刑務所収監

  ・平成元年12月出所、平成29年小平市の病院で死去、満76才。

 武装蜂起による「世界共産主義革命」を主張していた塩見は、こうして一生を終えていますが、昭和45年当時の世界情勢を考えた時、彼の意見は果たして現実的だったのかと疑問を抱きます。

 「世界共産主義革命」を主張していたトロッキーは、スターリンの路線と対立して国外へ逃れ、昭和15年に暗殺されています。次に過激派学生が憧れた「世界共産主義革命」論者は、「ねこ庭」の記憶が正しいとすればチェ・ゲバラです。その彼は昭和42年、ボリビア革命の戦闘中に捕えられ銃殺されています。

 世界の共産主義はむしろ、自国を中心とした民族共産主義革命が主流だったはずです。スターリンだけでなく、毛沢東もホーチミンも、国際的連携を取りながら先ずは自国の共産主義革命を優先していたのではなかったでしょうか。

 武装蜂起による「世界共産主義革命」は、多くの国民に受け入れられることのない、現実を遊離した学生時代そのままの思考と「ねこ庭」は考えます。日本共産党委員長の宮本賢治氏が、党の方針を議会制を通じた平和革命路線へ転換し、毛沢東の武力闘争主義と決別していたことを考え合わせますと、その感を深くします。

 塩見の生涯もまた、「戦後日本史の大河」の流れに消えた泡沫 ( うたかた ) の一つだったのかもしれません。

 竹田氏が、彼らとどこまで親交があったのか知る由もありませんが、これ以上「一水会」の人々の経歴紹介を続ける意味が感じられなくなりました。

 本シリーズの目的は、「宮様ご発言」の真意を知るため下記項目の検討でしたが、「竹田氏のプロフィール」から大きく脇道に逸れました。

 ・北海道神宮とは、どんな神社なのか

 ・竹田氏のプロフィール

 ・GHQが皇籍離脱させた宮家のお名前と現在の人数

 ・現在皇室におられる方々のお名前と人数

 ・現在残っている宮家のお名前と人数

 ・上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

 ・秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 今回で経歴紹介に区切りをつけ、次回はGHQが去った後「現在皇室におられる方々のお名前と人数」の検討作業へ戻ります。

 前途遼遠の感です。多忙な師走、時間のない方はスルーして下さい。

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4 コメント

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Unknown (あやか)
2024-12-24 14:09:32
鈴木邦男さんのこと。。。。
右翼か左翼か、わからない人と、申しましたが、
晩年はもう鮮明な左翼ですね。
特に、鈴木さんが、外国人参政権を主張されるに至っては、完全にアウトです。
「在日外国人も税金を納めているから参政権はある」という論法は、よく聞きますが、
これは、まったくの詭弁です。
納税の義務と参政権は、まったく関係ないです。
★【参政権に対応する義務というのは、「国防の義務」と「祖国に対する忠誠の義務」です。】
★国防の義務の対価として与えられるのが参政権です。

こう言う事さえ分かっていらっしゃらないとは、鈴木さんは情けないですわ!
鈴木さんが、なぜ左翼に転向されたのかはわかりませんが、
しかも、晩年の鈴木さんは、【(ベトナム、キューバの如き)民族主義的な左翼】ではなく、
【戦後レジームに庇護された社会党系に近い】左翼です。、
。。。。重ねてがっかりしました。
返信する
Unknown (あやか)
2024-12-24 14:25:14
【追伸】
あまりにも問題が多い左翼化の鈴木邦男氏ですが
ただ、天皇陛下にだけは首尾一貫して敬愛の念を持っておられたようです。
その点につきましては、日本【国民】としての本分は踏みはずさなかったと
思いますが。。。。。。。
返信する
日本の歴史と伝統 (onecat01)
2024-12-24 15:11:58
 あやか様

 日本の歴史と伝統の中心には、古来から天皇のご存在があります。

 マルクス主義は、「人間平等」「弱者救済」をスローガンとして、庶民を支配する権力者を暴力で倒し、マルクス主義活動をするリーダーが支配者となる思想です。

 ソ連はニコライ皇帝一家を惨殺し、ロシア革命を達成しました。日本に置き換えて考えますと、彼らは天皇御一家を殺害し、委員長が天皇のおられた場所に座ることになります。

 共産主義思想を、日本の指導者が危険思想として弾圧した理由がここにあったことを考えれば、そもそもこの思想は、日本には馴染まない外国の思想です。

 私は鈴木氏の間違いの根本に、この認識がないことに失望いたしました。

 ・命懸けで活動する者に、右も左も区別はないという「情の世界」生きる感激家だというしかありません。

 「一水会」の創立メンバーが氏から離れていったのは、当然だと思います。個人としては憎みませんが、日本を大切にと考える人間の一人としては、ともに生きるに値しない人物と思います。

 「武力闘争」による革命思想を持つ過激派は、党内の分派活動者、異分子として、宮本委員長が追放しました。

 調べるとすぐにわかりますが、共産党を追放された全学連、革マル系などの過激派は、現在立憲民主党の傘下にいます。

 私が危機感を覚えるのは、そういう立憲民主党に近寄ろうとしている石破内閣です。

 真摯なコメントに感謝しますと共に、今後ともよろしくご指導をお願いいたします。
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追伸へのご返事 (onecat01)
2024-12-24 16:35:17
 あやか様

 おっしゃる通り、鈴木氏は陛下に対しては終生尊崇の念を抱いておりました。

 マルクス主義者は天皇を否定し、皇室そのものの存在を日本から無くそうとする勢力です。

 そのような彼らと共に戦えると主張するところに、氏の矛盾があります。いったい氏は、誰を敵として共に戦おうとしているのか。

 「一水会」のメンバーから批判されるのは、こういう素朴な矛盾ではなかったのでしょうか。
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