ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

村上誠一郎議員の動画 - 2 ( 政治家の決断とは )

2019-09-15 08:11:20 | 徒然の記
 昨日の続きです。村上氏の言葉を紹介します。
 
 「戦争に行くのは、法律を作っている彼らでなく、20才前後の若い人が行くのです。」
 
 「彼らの将来を考えず、簡単に行かせていいのか。行かせられる人間の身になると、たまらない。」
 
 「こんな法律を作って、若い人たちを送って・・・」
 
 ここで氏は感極まり、涙を流しました。けれども私は、氏に、もう少し考えて欲しいと思います。
 
 世界のどこの国で、法律を作った政治家が、必ず戦場へ行っていますか。法律を作った人間は、戦場に行かず、若者だけを行かせると、あたかも立法者の政治家が、卑怯な人間であるかのごとく言いますが、この思考は、本質から外れているのではありませんか。
 
 思いやりの深い人情家であることは、頬を流れる涙でよく分かります。人道的な視聴者が素晴らしい政治家だと褒めていますが、「ねこ庭」は違った見方をいたします。
 
 民主主義の基本は多数決ですから、多数が決めた時、政治家は情に溺れず、少数者の意見を退ける勇気が求められます。一人の人質を救うため、百人の命を犠牲にするのか、それとも人質の命に目をつぶるか、これが政治家の決断です。
 
 氏の涙は、少なからぬ人に共感を呼んだのでしょうが、実際の政治はそれではできません。私たちには非情とも言える決断が、なかなかできませんが、国を背負った政治家と、国を守る軍人には、それができるのです。
 
 というより、やらねばなりません。政治家や軍人が、一般国民に尊敬される理由が、ここにあると私は考えます。
 
 負傷した隊員が可哀想だ、亡くなった隊員が気の毒だとそればかり強調すると、逆に隊員たちの尊い犠牲を無にし、冒涜することにつながります。
 
 「国の犠牲になった、犬死にだった」と、哀れみの情が生じるだけで、こうした考え方からは、殉死した軍人への感謝の気持が生まれません。国を守るために戦った兵士に対し、非礼でもあり、侮辱でもありましょう。
 
 「だから私は靖国へ行かない」と氏が言いますが、当然です。こういう思考からは、尊い犠牲となられたご先祖様への感謝が、生れようはずがありません。
 
 「憲法を改正せず、解釈憲法でなんでもやれるようになれば、主権在民、基本的人権までが、時の政権が自由にやれることになります。」
 
 ここは正論で、本来なら堂々と憲法を改正すべきで、解釈で憲法を曲げていくのは邪道です。しかし氏は、憲法改正論者ではありません。憲法改正に反対し、できないと考えているからこのような正論を言います。
 
 保守の仮面を被った反日と言うのは、こういう政治家のことです。
 
 「政権や行政が、暴走しないために立憲主義がある。こんなことでは、立憲主義と三権分立が壊れます。」
 
 「民主主義の危機です。だから私は、反対している。」
 
 「政府は集団的自衛権の根拠として、砂川裁判の最高裁判決と、昭和47年の政府声明を根拠にしています。」
 
 「私に言わせると、こんなものは根拠になりません。法治国家を崩壊させるような危険を、自民党がやっていいのか。」
 
 氏の意見は、全部が間違いではありません。あれこれ工夫し、こじつけみたいな理屈で、政府が安全保障法案を成立させようとしているのは、事実だと思います。
 
 どうして政府は、そういう姑息な工夫をするのか。ここで氏はその前提となる国際情勢を、なぜ語らないのでしょう。
 
 中国の公船が尖閣の領海を侵犯し、大量の漁船と称する工作船が日本の漁場で密漁し、軍艦まで航行させています。北朝鮮は、ミサイルを日本へ向けて発射し、威嚇行為を続けています。中国と北朝鮮が、日本へ照準を合わせ、固定配置しているミサイルの数は、それぞれ三百発くらいという情報もあります。
 
 間にいる韓国は相変わらず日本を敵視し、ことがあれば、中国や北朝鮮に協力する気配です。国の安全のため、なんとか自衛隊を動けるようにしたいというのが、政府の考えです。
 
 私の思いも、ここでは政府と一致しています。村上氏の危機感と、私たちの危機感は別ものですから、お話になりません。
 
 「これ以上政府がことを進めれば、党が分裂します。」
 
 「それだけでなく、国民も分裂します。」
 
 「違憲訴訟が連発され、社会不安が生まれます。」
 
 「ちょうど、アメリカの南北戦争みたいなものです。自民党には大義名分がないから、敗れた南軍と同じです。」
 
 ここまで来ますと村上氏の意見は、国を思う自民党の政治家のものでなく、政争ずきの素人談義になります。憲法改正に大義名分がないとは、どこから導き出される理屈なのでしょう。
 
 この辺りの考え方になりますと、「ねこ庭」の嫌悪する反日・左翼野党と限りなく似てきます。氏は彼らと同様に、中国や北朝鮮、あるいは韓国には危機感を抱かず、騒いでいる日本に原因があると批判します。
 
 こうなりますと、義弟の岡田克也氏の存在が無視できなくなります。岡田氏の主張が、まさにそれですから。
 
 続けたいと思いますが、スペースが足りなくなりますで、ここで一区切りをつけます。熱くなった頭を冷やし、少し冷静になり次回に臨みたいと思います。
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村上誠一郎議員の動画 ( 少年のように熱い主張 )

2019-09-14 18:03:30 | 徒然の記
 NHKの犯罪的動画、『昭和天皇拝謁記』のブログにかかっている間に、エズラ・ヴォーゲル氏の、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を読み終えました。
 
 書評に取りかかるため、パソコンを終わらせようとしていたら、偶然に、村上議員へのインタビュー動画が目に入りました。平成27年6月のものなので、4年前の動画です。
 
 自民党の中にいて、安全保障関連法案に一人反旗を翻していた議員と、名前だけを知っていましたから、つい興味を引かされました。どう言う人物なのだろうと、軽い気持で見始めましたが、なんと氏が、間違いなしの「獅子身中の虫」の一人だと分かり、最後まで見てしまいました。
 
 動画での氏の主張にも驚かされましたが、それ以上にびっくりしたのは、視聴者のコメントでした。沢山ありますが、最初の7人の声を紹介いたします。
 
 「ねこ庭」がブログで「憲法改正」を述べている一方で、このような動画が多くの人に見られているのですから、世間の広さを知らされました。
 
 •  自民党の中にも、こんな良心的な議員がいるとは知らなかった。
 
 •  安倍晋三は言ってることが矛盾だらけ。村上さん、頑張ってください。
 
 •  自民党の中にも、こんな方がいらっしゃるのですね。政治は特別な力で動いているので、ここでしか知ることができません。
 
 •   マスコミが、もっとこんな意見を放送すべき。マスコミって腐れ。
 
 •  素晴らしい政治家ですね。若手の政治家も見習って、次世代の平和的日本を築いてほしいですね。
 
 •  村上議員は自民党をやめて、憲法改正反対を唱えてほしい。日本を救ってください。
 
 •  村上は自民党に反対するなら離党してほしい。今度の選挙で国民は自民党を徹底的に排除するだろうから。
 
 氏の略歴をネットで検索しましたので、紹介します。
 
  ・昭和27年生まれ、今年67才
 
  ・父信二郎は、愛媛県議会議長を経て、警察予備隊本部長官の秘書官、自民党衆議院議員
 
  ・誠一郎の義弟は、岡田克哉
 
 氏の主張は次の通りです。
 
  •  外国人参政権反対  •  個人情報保護法賛成   •  財政規律派
 
  •  原発稼働慎重派   •  特定秘密保護法 棄権  •  集団的自衛権反対
 
  •  女性宮家反対
 
 保守の顔をした反日が「獅子身中の虫」の特徴ですが、氏の主張を見ますとそれが分かります。氏は自分では一貫した信念だと思っているようですが、「ねこ庭」から見るつ、愛国と亡国が混在した意見の持ち主です。
 
 「父は吉田さんに言われて、愛媛県の増原惠吉さんと、警察予備隊の一次、二次の検討をしていました。その父はいつも、軍事予算は少ないほど良いと言っていました。」
 
 これが動画の話の始まりです。増原惠吉氏は昭和25年から27年まで、警察予備隊本部長官をした人物です。
 
 「吉田茂と岸信介は憲法九条や日米安保条約を使い、米国の再軍備要求をかわしてきたんです。それなのにその孫たちが、努力を無にして・・」
 
 昔話を最もらしくされますと、初めて聞く者はうなづいてしまいますが、氏の情報と私の情報が、違っているのでしょうか。
 
 吉田総理は、日本が経済を再建するまで現憲法と安保が必要と考えていましたが、究極の目的は「憲法改正」と「再軍備」でした。
 
 「自衛隊員の身の安全を考え、万全を期すのなら、海外派遣はもってのほかです。石破氏が地球の裏側まで行けるといいましたが、とんでも無いことです。」
 
 ここで話が一足飛びに、国会で審議されていた安全保障関連法案に行きます。
 
 「後藤田さんとか梶山さんとか、戦争を体験した人がいなくなると、急に法案の審議が始まった。」
 
 「現実論が、分からなくなったんでしょう。戦争を、テレビゲームみたいに思ってるんでしょう。」
 
 自衛隊員の身の安全を考えるなら、海外派遣はもってのほかといいますが、氏は一体、自衛隊をなんと考えているのでしょうか。警察予備隊の検討をするとき、吉田総理が語った訓示を知らないのでしょうか。
 
 「警察予備隊は、軍隊である。国を守る軍隊であるというつもりで、しっかり検討してもらいたい。」
 
 自衛隊員は、軍の兵士で国民と国土を守るため、命をかけて戦うのが役目です。身の安全を第一としている兵士など、どこの国にいるのでしょう。
 
 地球上に多様な民族と国家がある限り、戦争は簡単に無くなりません。独立国であるためには国を守る軍隊が必要だという、この第一歩から村上氏は間違っています。
 
 少年のように氏の熱い主張を、次回も紹介します。今回は、残念ながら、スペースがなくなりました。
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驕るNHK - 49 ( 陛下への最大の背信 )

2019-09-13 07:10:49 | 徒然の記
   今日から、「 第6章 」です。
 
 私はこの「第6章」全体を、田島長官による陛下への最大の背信と考え、ブログの打ち切りを決意しました。
 
  御信頼を裏切るという陛下への行為は、日本人ならやるべきことでありません。まして、陛下のお立場を考えれば、些細と見えても、国の最高機密です。職務で知り得たことには、一層慎重でなければなりません。
 
  (1)  歴代総理大臣の人物評価 詳細 
 
 私たちのような庶民でも、他人の批評をする時、周囲の誰彼に話しません。自分の身に置き換えれば、すぐに分かることです。よほど親しい人物とするか、家庭であればせいぜい家内です。会社の機微に触れることとなれば、家内も駄目です。
 
 陛下は田島氏を信頼し、歴代総理の人物評をされたはずです。漏れ伝われば本人だけでなく、ご家族や親類縁者にも及びます。率直であるほど傷つく人間が生じますので、そのようなことを、陛下が良しとされるはずがありません。
 
 定年前、私は秘書部にいました。こういう仕事をしていますと、社長以下役員の方々の私的なことも自然と知ります。一流と言われる会社がお得意様でしたから、お客様の個人情報も耳に入りました。
 
 知り得たことを他人に話すなど、そのようなことをすれば会社に大きな迷惑をかけます。
 
 組織の中の歯車でしかなかったとしても、秘書には守秘義務があると役目を心得ています。自分の会社を大切にし、誇りに思っているからです。
 
 宮内庁長官といえば、日本の最高組織のトップ秘書です。その人物が御信頼を弊履のごとく捨て、内部告発というのか秘密漏洩というのか、よくもこのような恥ずかしい行為ができたものです。
 
 第6章の内容は私の経験を裏切るだけでなく、人間としても最低のメモです。NHKとその協力者である反日学者が、氏を許容しても「ねこ庭」はしません。
 
 項目のタイトルを読むだけで、吐き気がします。書かれていますのは、
 
 「陛下がされた率直な人物評価」と、「陛下の私的なお気持ち」の2つです。
 
 ここまで陛下の「私ごと」を、国内外に晒すのは秘書業界の背信行為です。「第6章」全体が陛下への「最大の背信」で、これをメモした田島氏は人間のクズです。
 
 読む気になりませんが参考のため、目次とタイトルを紹介いたします。
興味のある方は、NHKのニュースサイトで、「NHK  NEWS   WEB」を検索してください。何度かクリックしていたら、『拝謁記』が見つかります。
 
 〈 第6章の内容 〉
 
  (1)  歴代総理大臣の人物評価 詳細
 
        (2)  親心が伺える記述も
 
        (3)  「東宮ちゃん」への親心
 
         (4)  皇太子の任官拒んだ心境
                         以上です。
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驕るNHK - 48 ( 左翼学者瀬畑氏の、曲がった物差し)

2019-09-12 11:21:19 | 徒然の記
 本日は、最後の第6項目です。 
 
  ◦  北海道への巡幸についての記述   頻繁に登場
 
  ◦  船で津軽海峡越え 治安当局も難色
 
  ◦  マッカーサー最高司令官 「しばらく延期して頂く事だ」
 
  ◦  ソ連の脅威も
 
  ◦   私が行けば北海道を  何かの時見捨てぬと言う証拠に
 
  ◦   専門家 「戦後巡幸の政治的な効果について、極めて自覚的だった」  
 
    【  専門家「戦後巡幸の政治的な効果について極めて自覚的だった」 】
                                                                                   
     〈 成城大学 瀬畑源非常勤講師の話 〉
 
  ・戦後巡幸の目的は、戦後復興の支援と戦争で傷ついた人たちを励ますことで、昭和天皇は、講和条約発効の前にできるかぎり全国を訪ねたいと述べていた。
 
  ・北海道も含めて、占領が終わる前に訪ねて皆を励ましたいというのは、戦争の道義的な責任を感じていた、昭和天皇なりの戦争責任への、決着の付け方だったのだと思う。
 
 戦後巡幸に詳しく、『拝謁記 』の分析にも加わった瀬畑氏だと、NHKが紹介しています。将来のある身で氏が、このような犯罪報道に参加するのは惜しい話です。
 
 氏のおかげで、田島氏に止められても北海道行きを諦められなかった陛下は、やはり身の危険を顧みておらなかったと、知ることができました。
 
  ・占領期に北海道に行けなかったのは、治安の問題や朝鮮戦争が理由だということは分かっていたが、 『拝謁記』 で朝鮮戦争が起こってからも、昭和天皇が北海道行きを希望し続けていたことが分かった。
 
 ここまで陛下のお気持を理解できるのなら、氏もまた秦氏と同じく、「掃き溜めの鶴」かと思いましたが、次を読みますと、左傾学者の仲間なのかと思えてきます。
 
  ・北海道は樺太や北方領土に近く、ソ連から極めて狙われやすいという状況の中で、ソ連が攻撃してくるかもしれないとか、炭鉱が多く労働運動が盛んな北海道の治安は大丈夫かと、
 
  ・周囲が気にかけていても昭和天皇自身は、自分が行けばそうした活動を抑え込めるので、むしろ自分が行ったほうがいい、という考えだった。
 
  ・自分が行って北海道内を回れば、天皇は北海道のことをちゃんと考えている、ということを示せるし、北海道の人たちも、自分を歓迎してくれるはずだと考えていたが、
 
  ・そうは言っても、ソ連が何をしてくるか予測がつかないので、それは危険だと、周囲に止められていたことがよく分かる。
 
 お言葉を理解しながら、田島氏のメモを肯定し、氏は何を言おうとしているのでしょうか。巡幸の専門家にしては、曖昧な説明です。
 
 皇居前広場で激しいデモをしていた群衆が、皇后陛下のお車を見て、静かになり頭を下げたと、陛下は皇后陛下からお話を聞かれています。
 
 もしかすると陛下には、そのようなお気持ちがあったのかもしれませんが、それは国民を信頼されていると言う証拠になっても、氏が説明しているような、「陛下の一方的な思い込み」にはならない気がします。
 
 続きを読みますと氏は曖昧でなく、反日・左翼教授の仲間でした。
 
  ・昭和天皇が戦後巡幸の政治的な効果について、極めて自覚的だったことが分かった。
 
  ・昭和天皇は『拝謁記』の中で、北海道を見捨てないという言い方をしているが、自分が行くことによって、北海道の人たちの意識を高めたい、天皇や日本国に対する忠誠心のようなものを高めて、共産主義運動を抑え、ひいては今の体制を維持して国を守るため、自分も役割を果たしたいという強い考えが見て取れる。
 
 陛下を批判すれば、古株の吉田氏から「新進気鋭の若手学者」と褒められます。反日左翼が支配する学界ですから、先輩に褒められ、NHKに喜ばれると、将来が約束されます。
 
 過去には、それで変節した著名な学者が沢山いますから、氏ばかりを責められません。
 
  ・治安維持に対して貢献することができるという、ある種の君主意識から、北海道巡幸を希望していたことが分かる。
 
  ・天皇の訪問というものの政治的な効果や、戦後の象徴天皇制の中で果たしてきた役割と、そこに込められた意図について天皇自身が語っているという意味で、今回の 『拝謁記』 は非常に興味深い。
 
  ・天皇がどういう思いで、各地を訪問しているかというのは、天皇と国民との関係や、今の天皇の役割と直結している問題なので、今後象徴天皇制を考えるうえで、1つの手がかりになるのではないか。
 
 息子たちに言います。非常勤講師でも学者と呼ぶのかどうか知りませんが、「歪んだ物差し」で、陛下のお気持ちを図ろうとした人間の意見と父は思います。
 
 批評するに値しませんので、意見の紹介をここで終わります。長い『拝謁記』のシリーズも、終わりが見えてきました。
コメント (6)
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驕るNHK - 47 ( 高市総務大臣への提案 )

2019-09-12 06:21:24 | 徒然の記
  本日は、下記第5項目めからです。 
 
  ◦  北海道への巡幸についての記述   頻繁に登場
 
  ◦  船で津軽海峡越え 治安当局も難色
 
  ◦  マッカーサー最高司令官 「しばらく延期して頂く事だ」
 
  ◦  ソ連の脅威も
 
  ◦   私が行けば北海道を  何かの時見捨てぬと言う証拠に
 
  ◦   専門家 「戦後巡幸の政治的な効果について、極めて自覚的だった」  
 
    【   私が行けば北海道を何かの時 見捨てぬという証拠に 】
 
〈  昭和26年10月1日拝謁時のお言葉  〉
 
  陛下
    ・北海道は、今年は駄目だが、来年は・・
 
  田島氏
 ・私が、行幸を奏請する勇気自信を、持ちませぬ。
 
 陛下
 ・治安の点でそういう事もあろうが 、私が行けば北海道を何かの時、見捨てぬという証拠になり、アメリカにもよいし、道民にも不安の念を去るのに役立つと思う故、私は行った方がよいと思う。
 
 田島氏
 ・御尤とは存じますが、昨年マッカーサーも、御止め願いました程で、これは一寸、只今いつ御願する予定とも申上げ兼ねます。
 
 ( 注 :  昭和26年11月、昭和天皇は、京都、滋賀、奈良、三重の4府県を巡幸し、当時の日本の施政権下で、戦後に昭和天皇が訪問していないのは、北海道だけとなりました。)
 
 〈  昭和27年4月23日拝謁時のお言葉 〉 ・・・ 独立回復直前
 
 田島氏
 ・陛下も残るは北海道だけというので、御希望であり、又吾々としても、万全第一ではなく、先づ責任はもてますという治安関係ならば、押しても願いたい気持です。
 
 ・しかし実際の治安条態につき、総理は比較的消極的で、此際は御見合せ願ひたい意見であります。
 
 〈 昭和27年4月28日拝謁時のお言葉 〉 ・・・ 北海道訪問が話題となる
 
 田島氏
 ・法務総裁に会いました故、北海道の事をきゝましたが、矢張り只今は、御願する事は出来ぬという話でありました。
 
 ・北海道の人々には、治安の問題にふれず御日程御忙しき旨で申し、その内に北海道は期がありますので、結局今年は駄目と相成ります。
 
 結局、 陛下の北海道訪問は、国民体育大会の開会式出席に合わせた昭和29年8月の訪問まで、実現しませんでした。
 
 「私が行けば北海道を何かの時、見捨てぬという証拠になるなどど繰り返し」と、NHKは、陛下のお言葉を陛下の我欲であるのように説明しています。
 
 最近の国会中継に見られるNHKの作為と、通じるものがあります。
 
 NHKのテレビ中継がある時野党の議員たちは、閣僚や政府役人を必要以上に怒鳴りつけ、視聴者に見せ場を作ります。指差したり嘆いて見せたり、ドラマの俳優のように振舞います。
 
 自民党の議員にも、野党顔負けの演技者がいます。国民はバカでありませんから、こんな演技をする議員は与野党を問わず軽蔑しています。不思議なことに、まともな議論がされる場面になると、NHKは放映を切り変えます。
 
 現場に原因があるのか役員に問題があるのか、国会中継はつまらない場面を選んでいるのかと思える時が多々あります。レベルの低い議員が多くなったせいで、程度の悪い場面が増えたのかそこは知りません。
 
 何を言いたいのかと、息子たちは首をかしげるのかもしれませんが、まだ耄碌していませんので話は繋がります。
 
 自分たちの曲った物差しで、陛下のお言葉が計れると考える方がおかしいのです。性根の曲がった者には、真っ直ぐなものが曲がって見えますから、陛下についても同じだと、父はこう言いたいのです。
 
 先ほどのニュースで、総務大臣に高市氏が返り咲いたことを知りました。野田総務大臣以降NHKに甘い大臣が続きましたから、ここいらで毅然と対応してもらいたいと思い、就任第一号の仕事として「ねこ庭」から提案いたします。
 
  1. 『昭和天皇、拝謁記』が、放送法に違反しているか否かの検討。
 
  2.  NHK役員の二重国籍禁止法の制定。
 
   国の安全保障の観点から、NHK役員の二重国籍を禁止し、該当する役員には帰化を促し、従わない者は退職処分とする。
 
 提案の理由は、何度も述べていますから説明する必要がありません。
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驕るNHK - 46 ( 国立博物館に展示すべき、NHK報道 )

2019-09-11 17:06:03 | 徒然の記
 本日は、下記第4項目めからです。 
 
  ◦  北海道への巡幸についての記述   頻繁に登場
 
  ◦  船で津軽海峡越え 治安当局も難色
 
  ◦  マッカーサー最高司令官 「しばらく延期して頂く事だ」
 
  ◦  ソ連の脅威も
 
  ◦   私が行けば北海道を  何かの時見捨てぬと言う証拠に
 
  ◦   専門家 「戦後巡幸の政治的な効果について、極めて自覚的だった」  
  
【  ソ連の脅威も  】
 
  〈  NHKの説明  〉 です。
 
   ・北海道は地理的にソ連に近く、第2次世界大戦で占領された北方領土も間近にあることから、当時ソ連の侵略は現実的な脅威でした。
 
 この状況を踏まえれば、陛下が憲法改正と再軍備を願われても不思議はなく、総理が警察予備隊を軍と考えたのも当然です。しかし番組では学者たちが、陛下を「時代遅れの、古い考え」と説明します。
 
 こういう報道をするNHKを放置していて良いのか、疑問が生じますが本論を進めます。田島氏が、陛下へ語ったのメモです。
 
 田島氏
 ・北海道は、表面は治安がよろしい様でありまするが、千島に近い根室等へ、五列の者(※スパイの意)がいるとかいう情報もありますので、北海道の御巡幸はよほど考へませんといけませぬし
 
 ・海狭の水雷等も心配であります上に、季節的に、雪解けのすんだ時以後でありまする為、急ぐ訳にも参りませず、たとひ願います場合も、津々浦々でなく、比較的日を短くして、御願いする外ないかとも考へております。
 
 〈  昭和26年2月13日拝謁時のお言葉 〉
 陛下
 ・矢張り、北海道が先になるかも知れぬ。その方が又、北海道を見捨てぬ意味になって、よろしいかも知れぬ。」
 
 〈  昭和26年7月16日の拝謁時のお言葉 〉 
 田島氏
 ・陛下以外の方ならば、北海道は何等の心配はありません。ソ連は何をするか分らぬ国で、陛下の場合は日程発表後、クレムリンが何を考へますか心配ゆえ、陛下は駄目と存じます。
 
 〈  昭和26年8月28日拝謁時のお言葉 〉  ・・ サンフランシスコ平和条約の調印の前月
 
 陛下
 ・朝鮮の休戦条約があんな風なのも、私は9月8日の調印と関連があるように、思われる。
 
 ・調印したらばその機会に、プレゼントに朝鮮の大攻撃を始めるか、或は日本の北海道にでも来るかという事も、あり得るのではないか。
 ( 注 :  ソ連の侵略の脅威が、さらに高まっているという認識を示していたことが記されています。)
 
 敗戦後は多くの学者が変節し、東京裁判を肯定し、彼らはソ連と関連する戦後日本の状況を国民に語りませんでした。戦後74年間、NHKと朝日新聞と共同通信社は、ソ連や北朝鮮あるいは中国について、希望の国として記事を書き続けました。
 
 朝日新聞の慰安婦報道の大ウソが発覚したことと、今回のNHKの番組が、さらに国民を目覚めさせるのではないでしょうか。NHKは陛下を貶めるつもりなのでしょうが、ソ連とアメリカの動きをそのまま伝えていますから、彼らが報道せず、隠していた事実を知る結果になりました。
 
 ヘドロのように汚れた番組ですが、国民が知らなかった下記事実を逆に教えました。
 
    1.  NHKの説明 
 ・北海道は地理的にソ連に近く、第2次世界大戦で占領された北方領土も間近にあることから、当時はソ連の侵略は現実的な脅威だった。
 
    2.  田島氏の言葉
 ・北海道は表面は治安がよい様だが、千島に近い根室等へ五列の者(※スパイの意)がいると情報もあった。
 
    3.   田島派の言葉 
 ・ソ連は何をするか分らぬ国で、陛下の場合は日程発表後、クレムリンが何を考へるのか心配で、陛下の訪問はだめだ。
 
 戦前のマスコミは、戦意高揚の先頭を走り国民を鼓舞しましたが、東京裁判が終わった途端、「平和主義」「人道主義」に変節し、自分の国を批判・攻撃するようになりました。アメリカを批判せず、ソ連や中国・朝鮮については、良い面ばかりを報道するようになりました。
 
 田島氏を皇室へ送り込んだアメリカと、北海道へスパイを送り込み、潜水艦を潜行させていたソ連のことを知れば、わたしたち国民には「平和憲法」に安堵しておれない現実世界が見えてきます。
 
 反日報道の総決算とも言えるNHKの『拝謁記」は、将来廃棄したりせず、歴史の記録物として、国立博物館に展示せねばなりません。
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驕るNHK - 45 ( 北海道巡幸を希望された陛下 )

2019-09-11 05:37:37 | 徒然の記
 (6) の中身は下記の6項目ですが、今回はまだ1項目めの続きです。 
 
  ◦  北海道への巡幸についての記述   頻繁に登場
 
  ◦  船で津軽海峡越え 治安当局も難色
 
  ◦  マッカーサー最高司令官 「しばらく延期して頂く事だ」
 
  ◦  ソ連の脅威も
 
  ◦   私が行けば北海道を  何かの時見捨てぬと言う証拠に
 
  ◦   専門家 「戦後巡幸の政治的な効果について、極めて自覚的だった」
 
 【 北海道への巡航についての記述   頻繁に登場 】
 
〈  昭和25年6月26日の拝謁時のお言葉 〉・・・ 前日に朝鮮戦争勃発
 
 陛下
 ・北海道は、朝鮮の問題ともにらみ合わせて早い方がよいと思うので、7月に行ってはどうか。
 
 田島氏
 ・下検分(したけんぶん)をしますれば、7月には不可能でございます。
 
 陛下
 ・下検分なしでは、どうか。
 
 田島氏
 ・それは到底出来ませぬ。このところ北海道の様子と申しますか、共産党の出方を観望する必要があると存じます。
 
 〈 昭和25年7月10日の拝謁時のお言葉 〉
 
 陛下
 ・昨今の状況で、今日にでも行く方がよいと思うが、私の身辺に思わぬ事等が出来れば、それは巡幸よりもっと悪い危険性があり、なかなかむつかしいが・・。
 
 【  船で津軽海峡越え 治安当局も難色  】 
 
 〈   NHKの説明   〉
  ・この頃はまだ、日本に民間の航空会社がなかったため、占領軍の飛行機に頼らずに北海道に行くには、船で津軽海峡を越えなければなりませんでしたが、浮遊機雷の問題や、津軽海峡に潜むソ連の潜水艦の危険などもあり、治安当局も北海道巡幸には難色を示していました。
 
 津軽海峡に浮遊機雷があるとか、ソ連の潜水艦が潜んでいたとか、初めて知る事実で、事態がここまで切迫していたとは知りませんでした。 
 
    〈   昭和25年7月24日の拝謁時のお言葉 〉
 
 田島氏
 ・国警方面にも海上保安庁方面にも、情報をよくよく聞いていますが、 絶対に大丈夫とは勿論言わず、 絶対不可とも言わず、未だ決心はつきませぬため苦慮して、奏請すべきや否やを考えております。
 
  (  注 :  この日の『拝謁記』に、北海道のこと未定では何とも言えぬと伝えたときの、昭和天皇の様子について、「できれば行ってやりたいとの、御希望らしく拝す。」と記しています。)
 
 身の危険より、北海道を訪れたいと言うお気持を知りました。「君子危うきに近寄らず」と昔から言いますが、陛下は君子ですが、国民のためには危険へ向かわれました。
 
 マッカーサー元帥を訪ね、「責任のすべて」を負う覚悟を示された時もそうでしたが、NHKはここでもお気持を捻じ曲げ、「政治的な効果について極めて自覚的だった」と、説明します。
 
 【  マッカーサー最高司令官「しばらく延期して頂く事だ」 】
 
 〈 昭和25年7月27日の拝謁時のお言葉 〉 
 
   ( 田島氏が、マッカーサー元帥の意向を伝えました。)
 
 「元来これは天皇陛下の御決めになる事で、かれこれ申す事ではないが、私のアドバイスは、しばらく延期して頂く事だ。」
  ( 昭和天皇がこれを受け入れ、北海道訪問が先延ばしされたことが記されています。)
 
 〈 昭和26年1月24日の拝謁時のお言葉 〉 ・・・ 講和条約締結の動き
 陛下
 ・地方巡幸は、講和前に廻りたい建前であるから、講和条約後ではちょっとおかしい。
 
 ・そこで北海道と近畿だが、北海道をすましてから近畿ということでは、間に合わぬかも知れず、北海道は戦災をこうむる事が少いからいっそ近畿を先にして、北海道は講和の早い場合は、已むを得ぬとしてはとも考える。
 
 田島氏
 ・御一巡の最後を京都府等の近畿と致し、その前に北海道という予定で進んで参りましたが、どうしても近畿を最後にと、外部へ申した訳ではございませぬ故、場合によりては北海道と近畿と、順序を変えても致方ないと存じます。
 
 講和条約締結の前に、全国巡幸を終えたいと陛下が考えられる理由は分かりませんが、いずれにしましても浮遊機雷があり、ソ連の潜水艦が潜む海ヘ近づくには、覚悟がいります。普通の人間なら、このような時期に北海道行きを考えません。
 
  それなのになぜNHKは、陛下の自己保身のための北海道巡幸と、説明するのでしょう。
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驕るNHK - 44 ( 訪問される方々の減少理由 ? )

2019-09-10 16:02:02 | 徒然の記
 9月3日から、「第5章」に取り掛かり、目次は下記の5項目でした。
 
  (1)  再軍備・改憲 やりとり詳細
 
        (2)  ソ連の侵略 現実的な脅威を認識
 
        (3)  旧軍と軍閥 頑なに否定
 
  (4)  基地反対闘争に批判的な見解も
 
  (5)   再軍備・改憲 専門家の見方
 
 第5章が終わったと一息入れていましたら、NHKがもう1つタイトルを増やしていました。予告せず、こっそりとやる手口が田島氏と似ています。
 
 (6) 戦後占領期 北海道への巡幸 強く希望  ・・・ これが追加されたタイトルで、 内容は下記6項目です。
 
  ◦  北海道への巡幸についての記述   頻繁に登場
 
  ◦  船で津軽海峡越え 治安当局も難色
 
  ◦  マッカーサー最高司令官 「しばらく延期して頂く事だ」
 
  ◦  ソ連の脅威も
 
  ◦   私が行けば北海道を  何かの時見捨てぬと言う証拠に
 
  ◦   専門家 「戦後巡幸の政治的な効果について、極めて自覚的だった」
 
 NHKとその協力者である学者たちは、どう言う意図で項目を追加をしたのでしょう。「沖縄メッセージ」で、沖縄県民に陛下のイメージを低下させたので、北の北海道民にも、同じことをしようと考えたのでしょうか。
 
 表題の文字を読むと、変わらない悪意が漂っています。韓国の文大統領もしつこさの点で日本人の嫌悪を誘いますが、NHKの執拗さにも似たものがあります。
 
 〈  NHKの説明文  〉
 
  ・『拝謁記 』の記述からは、昭和天皇が戦後の占領期に国民を直接励ますために行った、戦後巡幸をめぐるやりとりが明らかになりました。
 
  ・昭和天皇は占領期に、当時の日本の施政権下では、唯一、北海道を訪問していませんでしたが、朝鮮戦争の勃発後も私が行けば、北海道を何かの時、見捨てぬという証拠になるなどど繰り返し、北海道への訪問を強く希望していたことが分かりました。
 
 
 【  北海道への巡航についての記述   頻繁に登場  】
 
  〈 昭和24年7月12日の拝謁時のお言葉  〉
 
 田島氏
  ・四国、北海道のことも、今年はよほど様子を見ねばなりません。
 
 陛下
  ・慎重論も、もっともだが、積極的に多少の危険を冒してでも、出かけるほうが、返って国のために良いと言うことも考えられる。
 
 田島氏 ・・・( 陛下の行幸で相次ぐストライキが、行幸時だけ中止になるため )
  ・一部の階層の人の便利のため、天皇の行幸を利用するとの誤解の恐れがあります。よほど、慎重にする必要があります。
 
 陛下
  ・それはそうだな。
 
 田島氏
  ・なお、御警衛上の見地よりも、 積極的なのはちょっと困難です。
 
 古川教授は、田島氏が陛下を理解していたと説明していますが、今回も氏が陛下のご意向を理解せず、巡幸を止めようとしています。
 
 天皇は現人神(あらひとがみ)でなく、ただの人間だと国民に知らせるため、GHQが全国巡幸を強いたと、学校ではそう教えられました。しかしNHKの番組を見ますとGHQの強制でなく、陛下が危険を冒しても巡行を望まれていたと分かりました。
 
 『拝謁記』のブログがあまり長く続いているせいか、「ねこ庭」を訪問される方が少なくなりました。訪問される方々は、ブログに退屈されたのでしょうか。それともNHKに眉をひそめ、これ以上読みたくないと忌避されたのでしょうか。
 
 後者であれば、有難いのですが・・・
コメント (4)
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驕るNHK - 43 ( 番組制作リーダーの古川氏 )

2019-09-10 07:53:01 | 徒然の記
 第5章の(5)の内容は、下記5項目でした。
 
  ◦   驚きだが、気をつけて見るべき             ・・・  日本大学・古川隆久教授
 
  ◦   国際政治の冷厳な現実を重視                   ・・・ 一橋大学・吉田宏特任教授
 
  ◦   主権国家なら、当然と言うこだわり       ・・・ 歴史家・秦郁彦
 
  ◦   リアリスト昭和天皇の、安全保障論     ・・・  志學館大学・茶谷誠一准教授
 
  ◦   大局的に考えている                                   ・・・  日本大学・古川隆久教授
 
    本日は最後の5項目です。番組制作リーダーの古川氏が、締めくくりの「お喋り」をしています。
 
 【  大局的に考えている  】  ・・  ・・・ ( 日本大学・古川隆久教授の話 )
 
  ・基地が置かれた現場の住民からすると、納得のできない議論のようにも見えるが、昭和天皇は、仮に再軍備するにしても日本を西側世界に残すためには、やっぱりアメリカ軍の駐留が必要だ、と考えていた。
 
  ・全体の利益から考えれば、基地が置かれた地域の住民が多少不便を感じるのはしかたがないという、マクロな視点で見たプラスマイナスで考えていることが、この発言に表れている。
 
 ・昭和天皇からすると、大局的な目で見たら議論の余地のない問題だと認識し、それまで天皇としてやってきた経験からも、大局的な立場で考えるのが当然と考えているので、どうしても国民との間に矛盾が起きてしまう。
 
  ・田島は両方の気持がわかる立場だが、象徴天皇が国民に受け入れられていくうえでは、決定的にマイナスだと判断し、いらだちはわかるけど、ここは黙っていてくださいという判断になっていったことが、この記録からうかがえる。
 
 田島氏を擁護し、陛下が国民から遊離されているような説明をします。陛下が社会主義国でなく、自由主義の西側世界を選ばれたことに氏は異議があるようです。吉田総理の著書を思い出せば、当時の民意はマルキストの政党でなく、自民党に集まっていました。
 
 陛下が国民に受け入れられなくなると言う氏の意見は、どこから生まれているのでしょう。そしてNHKは、なぜ氏の意見を正しいもののように報道するのでしょう。
 
 政治は常に大局に立って行われますが、それをせず、関係者の利害の衝突をそのままにすれば政治が止まります。
 
 政治を止めない工夫として、先人たちは「最大多数の最大幸福」という多数決の原理を考案し、これに民主主義という名前をつけました。政治が行われる限り、利害の衝突が生じるのは当然なのに、氏は陛下が、国民との間に矛盾を起こしているような喋り方をしています。
 
 NHKの違法番組を通じ、私たちは、陛下のご意見を抑え、吉田総理との意思疎通の邪魔をする田島氏の姿を見ました。この番組を見て、田島氏が両方の気持がわかる立場にいたと、そのような印象を持つ視聴者が何人いるでしょうか。
 
 ご信頼を裏切り、こっそりメモをする人物のどこを見て、「陛下のお気持ちが分かる」と語るのでしょう。
 
 決定的なマイナス点だったのは、ホイットニー氏が作らせた憲法に合わせ、田島氏が陛下を作り変えられなかった所ではなかったのでしょうか。前回のブログを、もう一度紹介します。
 
 【  昭和天皇を象徴にしていった田島とブレーン 】 ( 日本大学・古川隆久教授の話 )
 
  ・昭和天皇が田島との対話の中で、自らの考えが時代後れだと気づき、説得され、自分で考えて、納得した末に考えを変え、最終的に落ち着くべきところに落ち着いていった過程が、この資料からよく分かる。
 
  ・田島長官が、一連のやりとりのキーマンなのは間違いないが、昭和天皇を象徴にしていったのは、田島とそのブレーンたちのグループだと言うことができる。
 
 田島氏は、小泉、三谷という他のブレーンと共に陛下を象徴にしていったと、説明しています。氏は、厳しい時代をご自分の意思で生きられた陛下を、なんだと思っているのでしょう。
 
 たかだか銀行家上がりの田島氏が、ブレーンと共に陛下を作り替えるなどと、おこがましいことを述べています。御言葉が気に入らない時は、「これでは国民に受け入れられない」と、決まり文句で説明します。
 
 ここまで見ると最後まで氏はNHKの意向に協力し、陛下を貶める役目をしていたと、多くの国民が理解するのではないでしょうか。
 
 やっと第5章が終わりました。腐臭の漂うNHKの番組も、ようやく最後の6章になります。
コメント (2)
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驕るNHK - 42 ( 米軍基地に関する陛下のお言葉 )

2019-09-09 14:23:46 | 徒然の記
 「沖縄メッセージ」の説明は、「沖縄県公文書館の公式サイト」にあります。
 
 同館の公式サイトでは、米国国立公文書館から収集したとして、『天皇メッセージ 』の英語の原文を、平成20年3月25日付けで公開しています。日本語で紹介されているのは、下記3つの文書です。
 
  (1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む
 
  (2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき
 
  (3)上記(1)の手続きは、米国と日本の二国間条約によるべき
 
 同館の説明を、紹介します。
 
  ・終戦から2年後の、昭和22年9月19日、昭和天皇が宮内省御用掛の寺崎英成を通じて、GHQのシーボルト政治顧問に伝えられたもので、昭和54年アメリカ国立公文書館で見つかった。
 
  ・当時のメモには昭和天皇が、米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する、日本国民の賛同も得られるとしていたという。
 
 NHKのお陰で、米軍基地に関する陛下のお考えを知ることができ、「沖縄メッセージ」についても、正しい理解ができます。沖縄のマスコミは、NHKや朝日新聞以上の反日ですから、彼らが鬼の首でも取ったように、陛下のメッセージを濫用している様子が浮かびます。
 
 陛下のお考えを正く知っていれば、メッセージが、憲法を改正し軍を再建するまでの、あくまでも臨時措置として米国へ伝えられたものだと分かります。
 
 昭和22年がどういう年であったのか、これを忘れると的外れな意見になります。
 
 朝鮮の北半分をソ連軍が支配し、南の半分は米軍が支配し、米ソ両国が朝鮮半島の覇権を狙い、一歩も譲っていない時です。
 
 昭和23年の8月に、米国の支援で大韓民国が成立すると、9月には北朝鮮人民民主主義共和国が作られました。軍事力を背景にした米ソの対立が、一触即発の事態を招いていました。
 
 反日左翼の人間たちにはソ連をユートピアと見ていましたが、日本の保守層は共産主義を危険視していました。マルキシズムが、日本の文化や伝統を破壊する危険思想であるとは知られていましたが、当時はまだソ連の革命が、何千万という国民を虐殺していた事実は知られていませんでした。
 
 自国の利益のためなら、国際条約を破り、武力で他国を侵略するスターリンについて、戦後の政治家なら知らない者はいません。
 
 朝鮮半島での対立と抗争を見ていれば、次は日本の番かと警戒して不思議はありません。戦乱の中を生きられた陛下は危機感を抱かれ、独立のためには国を守る軍が不可欠と、お考えは一貫していました。
 
 しかし現実の日本は軍を解体され、米軍の占領下にありました。
 
 陛下が自己保身のため米軍の駐留を求め、代償として沖縄を差し出したと、反日の学者たちが言います。しかし陛下の「自己」は、「日本の国民」のことだと、「最後の御前会議」でのご発言を知る国民には、分かっています。
 
 反日左翼の古川氏は、次のように説明しています。
 
  ・沖縄とか本土の一部の地域に駐留米軍を置いておくことで、日本を守るんだという考えが、昭和天皇の頭の中に、ずっと戦後通貫した考えとしてあったと受け取っていいのではないか。
 
  ・昭和天皇にとって、安全保障上の持論だったということが、今回の資料で改めて分かった。
 
 氏と同じ資料を見て、「ねこ庭」のブログを書いていますが、陛下のお言葉から、氏のような結論は出てきません。
 
 「沖縄は見捨てられた。」「沖縄は差別されている」と、氏の言葉がそのまま反日のスローガンに利用されます。沖縄県公文書館を訪ねたことはありませんが、「沖縄メッセージ」の説明文には、おそらく同様のことが書かれているのでしょう。
 
 日本が憲法を改正し軍を再建したら米軍の駐留が不要になると、陛下のお考えは一貫しています。だが憲法改正後も、日本の安全を守る観点から、おそらく北海道と沖縄には軍の基地が置かれます。陛下が決められてそうなるのでなく、地政学的見地からそうなります。
 
 茶谷氏には、お言葉の文章全体の読解力が足りないのでしょう。米軍基地が今日も残っているのは陛下のせいでなく、「憲法改正」をしない政治家と、「憲法改正」を邪魔する国民の責任です。
 
 基地に関する陛下のお言葉を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々のため再度紹介します。
 
    「世の中の事は、全部正しいとか、全部正しくないという事は、まずないので、一部は真理を言うが、一部の不完全は免れぬと言うのが物の常。」
 
 「基地の問題でも、それぞれの立場上より論ずれば一応、もっともと思う理由もあろうが、全体の為に、これがいゝと分れば、一部の犠牲は、已(や)むを得ぬと考える事、」
 
 「その代り、一部の犠牲となる人には、全体から補償するという事にしなければ、国として存立して行く以上、やりようのない話であるのを、憲法の美しい文句に捕われて、何もせずにし全体が駄目になれば、一部も駄目になってしまうという事を考えなければと、私は思う。」
 
 「一部一部が、自分の利害の上から考へて、自分の利益権利という方に重きをおいて、全体の為にする義務という考えがないから、困ると思う。」
 
 「日本の国防という事を、現状に即して考えて、日本としてなすべき事たるが分かれば、誰かが、どこかで不利を忍び、犠牲を払わねばならぬ。」
 
 「その犠牲には、全体が親切に賠償するというより仕方ないと、私は思う。」
 
 「米軍が、日本の準備なき内に退去するよう仕向ける事は、いかぬと思う。」
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