日本における一番の重要事に関する、氏のわずかな叙述を紹介します。
「ポツダム宣言受諾の詔書を朗読する、玉音放送によって、日本国民は、敗戦を知った。」「廃墟に迎えた、連合国占領軍兵士の姿と、連合国最高司令官マッカーサー元帥を訪問した天皇の写真とは、日本国民にとって、連戦連勝の栄光に飾られ、国家神道と神話の伝承によって正当化されていた、国体の壊滅を意味した。」
相変わらず多くの事実を省略し、他人事のように語る文章です。そして、愛国心の欠如した独特の意見展開です。
「戦争犯罪者の占領軍による逮捕と裁判、戦死傷病者及びその家族救済の放棄、復員兵士、罹災者、海外引揚者の放棄、」「昭和20年の凶作と、食糧難、亢進するインフレーションと、闇市など、生活の絶望的困窮、全て、陛下の赤子の放棄であり、誰にも明らかな、家族国家の没落であった。」
歴史を知る私には一つ一つの事実が、切なく迫ってきます。しかし氏は、単なる事実として羅列しているに過ぎません。この本の出版された年は、昭和58年の9月、中曽根内閣の時です。第2次石油危機後から抜け出し、物価の安定等を背景に民間消費支出が緩やかに増大して、国内需要が回復していました。
多くの国民が、世界第二の経済大国となった日本に誇りを持ち、暮らしを楽しんでいた時です。この繁栄と豊かな日々のため、ご先祖たちが払った犠牲が、どれほどのものであったか。歴史を知る大学教授で日本の知的リーダーなら、他人事のように語っていいものかと思います。しかも叙述は「東京裁判史観」そのもので、軍に対する非難に終始しています。
「こうした価値否定の反面、敗戦は日本陸軍の国内占領からの解放と、自由の復活であり、米会話とジャズと野球の復活流行は、この解放と自由の、象徴であった。」
今になって、陸軍に国内を占領されていたと公言するのなら、その時の氏は、何をしていたのか。大正13年生まれですから、敗戦の年には21才です。一番多感な青年時代だったということになります。いい年をした青年で、秀才と言われる東大生なのに、自分の言葉で当時を何一つ語れないのは何故か。
戦時中は軍と共に「鬼畜米英」「神国日本」と叫び、敗戦と同時に「陸軍からの解放と自由」を、叫んだのでしょうか。もしそうなら、まさしく南原繁氏の似姿であり、機を見るに敏な要領の良い東大生の一人でしょう。
「また、絶望的貧窮の中で多くの人々は、最も伝統的で、最も基礎的な、共通信仰に回帰し、」「闇市と闇成金を、また、焼け跡の復興を生きるための、逞しい生命力の顕現と正当化した。」
最も伝統的で、最も基礎的な共通信仰が何を指すのか。ここでも氏は独特の意見を主張します。
「自己目的としての、最高目的としての経済活動、最高目的としての経済再建と経済成長という、今日まで連続する国民信仰の出発点である。」
氏は、戦後の荒廃と厳しい占領下の日本で、国の再建の先頭に立った、吉田茂氏の著作に目を通したことがなかったのでしょうか。「日本を決定した百年」の中には、国民信仰が金儲けに変わったなどと、そんな情けない話はどこにも書かれていません。
国民を飢えさせないため、懸命に努力した政治家の姿がありますが、軍批判や解説はありません。無理難題を押しつけるGHQを相手に、知恵を絞る吉田氏の姿が、感謝せずにおれない姿で心に残っています。
「戦争犯罪者の占領軍による逮捕と裁判、戦死傷病者及びその家族救済の放棄、復員兵し、罹災者、海外引揚者の放棄、」「昭和20年の凶作と、食糧難、亢進するインフレーションと、闇市など、生活の絶望的困窮、全て陛下の赤子の放棄であり、誰にも明らかな、家族国家の没落であった。」
よくもこんな言葉の羅列で、片づけたものです。見捨てたり放棄したり、没落したり、誰がやった訳でなく敗戦がもたらした過酷な現実です。米国がした「復讐裁判」で裁かれた指導者たちを、「戦争犯罪者」と切り捨てる氏こそが、屈辱の「東京裁判史観」の虜ではないのでしょうか。
GHQがくれた憲法を有難がり、推進し浸透させようと頑張ったのは、憲法研究委員会に所属する学者たちでした。東の筆頭が東大総長南原氏、大内兵衛氏で、彼らはソ連の信奉者でした。西の筆頭が、立命館大学総長だった末川博氏です。氏は金日成の賛美者で、北朝鮮は素晴らしい国だと称賛する馬鹿ものです。
京極氏の意見もここまで来ますと、反日左翼の南原氏と同じです。南原氏は吉田総理から「曲学阿世の徒」と、一喝されたことがありました。南原氏の系列にいる氏が、吉田氏の著作を読むはずはないのでしょう。苦労した政治家の言葉を読まず、世間知らずの学者が戦後を語っているとすれば、笑止千万です。
次回少しだけ、「氏のわずかな叙述」を紹介します。