ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本の政治 - 8 ( 連続する国民信仰 ? )

2019-12-11 17:51:09 | 徒然の記
 日本における一番の重要事に関する、氏のわずかな叙述を紹介します。
 
 「ポツダム宣言受諾の詔書を朗読する、玉音放送によって、日本国民は、敗戦を知った。」「廃墟に迎えた、連合国占領軍兵士の姿と、連合国最高司令官マッカーサー元帥を訪問した天皇の写真とは、日本国民にとって、連戦連勝の栄光に飾られ、国家神道と神話の伝承によって正当化されていた、国体の壊滅を意味した。」
 
 相変わらず多くの事実を省略し、他人事のように語る文章です。そして、愛国心の欠如した独特の意見展開です。
 
 「戦争犯罪者の占領軍による逮捕と裁判、戦死傷病者及びその家族救済の放棄、復員兵士、罹災者、海外引揚者の放棄、」「昭和20年の凶作と、食糧難、亢進するインフレーションと、闇市など、生活の絶望的困窮、全て、陛下の赤子の放棄であり、誰にも明らかな、家族国家の没落であった。」
 
 歴史を知る私には一つ一つの事実が、切なく迫ってきます。しかし氏は、単なる事実として羅列しているに過ぎません。この本の出版された年は、昭和58年の9月、中曽根内閣の時です。第2次石油危機後から抜け出し、物価の安定等を背景に民間消費支出が緩やかに増大して、国内需要が回復していました。
 
 多くの国民が、世界第二の経済大国となった日本に誇りを持ち、暮らしを楽しんでいた時です。この繁栄と豊かな日々のため、ご先祖たちが払った犠牲が、どれほどのものであったか。歴史を知る大学教授で日本の知的リーダーなら、他人事のように語っていいものかと思います。しかも叙述は「東京裁判史観」そのもので、軍に対する非難に終始しています。
 
 「こうした価値否定の反面、敗戦は日本陸軍の国内占領からの解放と、自由の復活であり、米会話とジャズと野球の復活流行は、この解放と自由の、象徴であった。」
 
 今になって、陸軍に国内を占領されていたと公言するのなら、その時の氏は、何をしていたのか。大正13年生まれですから、敗戦の年には21才です。一番多感な青年時代だったということになります。いい年をした青年で、秀才と言われる東大生なのに、自分の言葉で当時を何一つ語れないのは何故か。
 
 戦時中は軍と共に「鬼畜米英」「神国日本」と叫び、敗戦と同時に「陸軍からの解放と自由」を、叫んだのでしょうか。もしそうなら、まさしく南原繁氏の似姿であり、機を見るに敏な要領の良い東大生の一人でしょう。
 
 「また、絶望的貧窮の中で多くの人々は、最も伝統的で、最も基礎的な、共通信仰に回帰し、」「闇市と闇成金を、また、焼け跡の復興を生きるための、逞しい生命力の顕現と正当化した。」
 
 最も伝統的で、最も基礎的な共通信仰が何を指すのか。ここでも氏は独特の意見を主張します。
 
 「自己目的としての、最高目的としての経済活動、最高目的としての経済再建と経済成長という、今日まで連続する国民信仰の出発点である。」
 
 氏は、戦後の荒廃と厳しい占領下の日本で、国の再建の先頭に立った、吉田茂氏の著作に目を通したことがなかったのでしょうか。「日本を決定した百年」の中には、国民信仰が金儲けに変わったなどと、そんな情けない話はどこにも書かれていません。
 
 国民を飢えさせないため、懸命に努力した政治家の姿がありますが、軍批判や解説はありません。無理難題を押しつけるGHQを相手に、知恵を絞る吉田氏の姿が、感謝せずにおれない姿で心に残っています。
 
 「戦争犯罪者の占領軍による逮捕と裁判、戦死傷病者及びその家族救済の放棄、復員兵し、罹災者、海外引揚者の放棄、」「昭和20年の凶作と、食糧難、亢進するインフレーションと、闇市など、生活の絶望的困窮、全て陛下の赤子の放棄であり、誰にも明らかな、家族国家の没落であった。」
 
 よくもこんな言葉の羅列で、片づけたものです。見捨てたり放棄したり、没落したり、誰がやった訳でなく敗戦がもたらした過酷な現実です。米国がした「復讐裁判」で裁かれた指導者たちを、「戦争犯罪者」と切り捨てる氏こそが、屈辱の「東京裁判史観」の虜ではないのでしょうか。
 
 GHQがくれた憲法を有難がり、推進し浸透させようと頑張ったのは、憲法研究委員会に所属する学者たちでした。東の筆頭が東大総長南原氏、大内兵衛氏で、彼らはソ連の信奉者でした。西の筆頭が、立命館大学総長だった末川博氏です。氏は金日成の賛美者で、北朝鮮は素晴らしい国だと称賛する馬鹿ものです。
 
 京極氏の意見もここまで来ますと、反日左翼の南原氏と同じです。南原氏は吉田総理から「曲学阿世の徒」と、一喝されたことがありました。南原氏の系列にいる氏が、吉田氏の著作を読むはずはないのでしょう。苦労した政治家の言葉を読まず、世間知らずの学者が戦後を語っているとすれば、笑止千万です。
 
 次回少しだけ、「氏のわずかな叙述」を紹介します。
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日本の政治 - 7 ( 家族国家、教育勅語 )

2019-12-10 19:29:22 | 徒然の記
 今回は、「大社会」に続く「家族国家」です。今度は最初から、言葉の説明が入っています。
 
 「家族国家・・・弱肉強食の大社会と対比をなす、平穏と安全と保護の世界。」ここで「大社会」の意味が、もう一つ加えられていますが省略します。
 
 「こうした混乱と不安に対し、統治勢力は、本家、分家、同族団の類比を用いて、天皇家は本家、国民は赤子(せきし)と言う家族国家のイメージを、設定した。」「そしてこのイメージは初等中等教育における、政治教育の重要な内容となった。」
 
 どうやら、明治政府の国民統治政策、政治教育に関する説明らしいと理解しました。
 
 「国民に集合体のイメージを供与し、同じ日本人という一体感と、連帯感を醸成し、一君万民の形で、国民の忠誠を村や藩から天皇に集中する、その結果内戦から政権抗争の色彩を薄め、統治勢力の主体性を、保全する、」「こうした趣旨である。」
 
 国際社会の熾烈さを知る、明治政府は、富国強兵策の根本に天皇を中心とする国民を作ろうとしましたから、こんな見方もできないではありません。
 
 「日清戦争、日露戦争という、日本の安全と独立の危機に際して、特に国民の臣従を強めた明治天皇は、赤子に対する大御心の源泉として、このイメージを体現した。」
 
 昭和の時代は私の人生そのものですから、昭和天皇を良く知っていますが、明治天皇については、関連する本も読んだことがありませんので実感がありません。軍服姿の厳しい明治天皇しか記憶にありませんから、氏の叙述にうなづくだけです。
 
 「家族国家のイメージと並んで、人心不安の吸収を志向したのは、教育勅語である。」「憲法体制における基本法典の一つとして、明治政府は、明治23年教育勅語を公布した。」「その内容は、皇祖皇宗の遺訓を根拠に、親孝行、夫婦和合から、護憲遵法、従軍の義務に至るまで、社会生活の徳目を列挙、説示した。」
 
 「この教育勅語は、大社会の生活に適合した徳目を持ち合わせない、国家神道を補完するものであり、その後、初等・中等教育における、社会化の基準となった。」
 
 いい加減な説明をし、思いつきで著作を書いているように見えますが、さすがに氏は、大学教授です。読者を自分の意図する方向へ、導いています。
 
 1.  立憲体制により生まれた、三つの新しい職業。 ( 政治家、官僚、マスコミ  )
 2.  大社会
 3.  家族国家
 4. 教育勅語 ・・・ときて、最後は 
 5.  国民倫理 です。独特な論理に丸め込まれないように、注意しながら読みました。
 
 「教育勅語を基準とする修身科は、当然のことながら、大社会における、市民的な倫理の培養も、指向していた。」
 
 と言って、氏はここで四つの重要事を取り上げ、簡単に説明しています。
 
  1.  成功の倫理の強調
  「少年よ、大志を抱けと、各々その志を遂げるという企業精神が奨励され、進取の気象と自立自営の工夫が説かれた。」
 
  2.  欠乏の倫理、勤労と倹約と貯蓄の倫理の強調
  「経済の拡大再生産のためには、労働の濃密化 ( 勤労 ) 、消費の切りつめ ( 倹約 )、余剰に再投資 ( 貯蓄 )が必要である。」
 
  3.  契約順守の倫理の強調
  「大社会での分業体制を組織し、運用するためには、全ての関係者が、契約を守ることが大事である。」「全ての個人を平等に扱い、正札商法を守ること ( 正直 ) が必要である。 」
 
  4.  知識を世界に求める、国際的開放性の強調
  「日常生活では、舶来崇拝が育っている。」「舶来輸入品の中には、革命理論まで含まれているから、国際化の行き過ぎを戒め、国粋、国体を唱道すること。」「伝統保全と文明移転との両立、あるいは東西文明の融合、ないし総合が、日本の使命とされることとなった。」
 
 今回のブログで一番注目したところは、「2.  欠乏の倫理、勤労と倹約と貯蓄の倫理の強調」の部分です。使われている言葉に、引っ掛かりました。
「経済の拡大再生産」「余剰に再投資」という言葉は、資本論を読まなければ、出てこない言葉でないかと思うからです。このシリーズの最初の回で、私は次のように述べました。
 
 悪書とする理由は、
1.  ここまで分厚い本を書きながら、日本における一番の重要事に、ほとんど言及していない。
 (1)  皇室   (2)  大東亜戦争   (3)  東京裁判   (4)  現行憲法
 
 全く触れていないわけではありません。次回は、そのわずかな叙述について、述べたいと思います。反日左翼ではないが、日本を愛している訳でもない氏の姿が、息子たちにも見えるのではないかと、期待します。
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日本の政治 - 6 ( 「大社会」と「小社会」 )

2019-12-10 11:47:14 | 徒然の記
 どのページを開いても、氏特有の奇抜な意見が披露されます。それでも、木村草太氏や、鳥山孟郎氏、あるいは朝日ジャーナルのおかしな憲法解釈論に比べますと、まともな意見になるから不思議です。
 
 今回は30ページ「大社会」、「家族国家」という項目です。装丁は真面目な学問書らしい体裁 ですが、中は馴染みのない意見が並んでいます。400ページを超える著書ですから、珍しいからと紹介をしていると、年内に終われないのかも知れません。戦後育ちの息子たちは、退屈に耐えるという辛抱心がありませんから、切りの良いところで終わらないと、読んでくれない気がします。
 
 遺言のつもりで遺していても、ブログを見つけた息子たちは、物好きな親父の「埒もない繰り言」と片付けるかもしれません。そういう覚悟もしながら、先へ進みます。
 
 〈 大 社 会 〉
 
 「開国と明治維新の後、国民生活は絶えず変化した。」「その特徴をあえて短く要約すると、まず単一貨幣制度のもと統一国内市場が形成された。その日本経済は、国際貿易市場に編入され、世界経済の影響を受けることとなった。」
 
 日本経済の流れとして間違った意見ではありませんが、途中の経過が大きく飛ばされています。「あえて短く要約すると」と氏が断っていますから、文句は言えません。
 
 「ゆっくりした経済成長の中で、世界経済の景気変動と連動した、不況と好況の循環があった。」「農村は貨幣経済の浸透と、地主・小作制による圧力、また換金作物の交代流行の中で、増加する人口を、絶えず都市に送り出した。」
 
 文章が学者言葉なので、辛抱のない息子たちのため普通の言葉に直しますと、「貨幣経済が浸透して貧乏な農村がさらに貧しくなり、」「増えた人間は、食い扶持を求めて都会へ出ていくしかなかった」と、こういうことです。
 
 「殖産興業と技術移転の場である都市は、低賃金と低い消費水準と、不十分な公共施設を、特徴としていた。」「工業化と都市化の結果、低賃金とスラム化が広がり、階層分化が進行した。」
 
 反日左翼学者なら、こういう風には説明しません。
 
 「資本主義経済の進行とともに、搾取される貧しい労働者と、搾取する横暴な資本家が生まれ、階級社会が生まれた。」
 
 彼らなら、このように言います。特に勉強しなくても、左翼学者の言葉は紋切り型ですから、容易に想像できます。
 
 「こうして社会経済的変化は、一方で星雲の志に燃える、多くの人々に成功の機会を提供し、立身出世物語を生んだ。」「他方で、全てが安定した小社会の保護を失い、見通しのきかない大社会に生きる他ない多くの人々に、強い不安を育てた。」「そして、景気変動と都市化に伴う貧困、病苦、不和は、新宗教の沃土となった。」
 
 低賃金とスラム化の広がる社会が、星雲の志を持つ人間には、成功の機会を与えたというのですが、左翼主義者に言わせるととんでもない妄言になります。
 
 氏の学問的、婉曲表現に惑わされましたが、「小社会」と「大社会」が、何を意味するのか、やっと分かりました。農村の生活が「小社会」で、都会の生活が「大社会」です。聴き慣れない表現は、氏の造語なのでしょうか。ついでに新宗教と言う言葉の中に、「マルキシズム」を含めているとしたら大したものですが、そこまでは考えてなさそうです。
 
 「地域間、階層間、文明間の移動は、常識の多様化と、各種の断絶を実感させた。」「近代日本は、〈大社会〉 の持つ数多くの問題に直面し続けた。」
 
 と、これが「大社会」の項目の全文です。どのように読んでも、反日・左翼学者の意見ではありません。かと言って、日本を愛する学者の意見でもなく、相変わらず不思議な説明です。氏の頭の中では、社会の仕組みが固定され、人間の暮らしも固定されていた、封建社会の狭苦しさが、「小社会」と見えていたのでしょうか。秩序がなくなり、なんでも自由となり、個人の自我の横行する無秩序が、「大社会」と思えたのでしょうか。
 
 独創的で、聡明なのかも知れませんが、私のように、日本を大切にする者からすれば、なんの役にも立たない聡明さです。頭脳明晰で学術優秀だけれど、日本人の魂を失った学生・・、東大にはそんな学生が沢山いて、戦後の日本を混乱させていますが、氏もまた、そうした学生の一人だったのでしようか。
 
 南原繁氏とのつながりが、どうしても私の目を曇らせ、解放してくれません。息子たちと訪問される方々は、是非とも私の思い込みを割引きし、ブログを読んでください。こんな気持ちのまま、次回は、「家族国家」へ進みます。
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日本の政治 - 5 ( 憲法体制下の、新しい3つの職業 )

2019-12-09 11:24:00 | 徒然の記
 政治学部ではこういう考えが普通なのか、京極氏は興味深い説明をしてくれます。法学部にいた私が、聞いたことのない意見です。
 
 「憲法体制を実現した国家は、自由な個人を原単位とする、いわゆる近代国家であった。」「成文憲法が人権として保障する、職業選択の自由を、社会編成の原理として採用していた。」
 
 まだ続きますが文章が硬いので、私の言葉で言い換えますと、憲法体制のもとで「職業選択の自由」がうたわれ、全ての職業の世襲が廃止された結果として、政治の世界に下記の三つの新しい職業が生まれた、という説明です。
 
   1.   職業政治家
   2.   いわゆる官僚
   3.   広くメディア、ないしジャーナリズムと呼ばれる集団
 
 1. 2. 3. の説明はどう読んでも学術的でなく、皮肉混じりの文章なので、私は氏を、反日の学者かと思いました。それでも木村草太氏や、鳥山孟郎氏、あるいは朝日ジャーナルのおかしな憲法解釈論に比べますと、まともな意見です。
 
 学術的でない叙述が、解説に書かれていた「世間の大人」や「かたぎの生活者」向けの、政治学なのでしょうか。反日左翼か、単なる通俗か、あるいは立派な学説なのかと、最後まで迷いながら著作を読みました。
 
 読み終わった今でも、氏の立ち位置が分からないままです。無理に判断せず、疑問は疑問のまま、息子たちと訪問される方々に伝えれば良いのかと、そういう結論に達しました。
 
 ということで、前記 1. 2. 3.に関する、氏の説明を紹介します。
 
 〈 1.   職業政治家 〉
 
  「憲法体制に伴って登場した、新設の部門であり、いわゆる職業政治家である。」「選挙に当選して、中央、地方の議員、いわゆる議会政治家となり、政党による政権構想に参加する。彼らは政界の住人であり、政争の専門家である。」
 
 これまで政治家に関し、このような説明を聞いたことがありません。信念を持ち、国家のために働くとか、国民の幸せを願い力を尽くすとか、立派な言葉で語られるのが学校の教えでした。だが「政界の住民」というのは事実ですし、「政争の専門家」と言われればその通りです。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちればただの人。」という言葉がありますが、政治家は政界に住んでいるから政治家であり、政界を出て仕舞えばただの人です。
 
 〈 2.   いわゆる官僚 〉
 
  「国家機関ないし政府、諸官庁で、国民統治の政策企画から、現場実務までを担当する者である。」「この部門は国民国家の登場するはるか以前、古代から存続してきた部門である。」「憲法体制の当初は、政権構想に勝利した政党による、縁故採用が多かった。政党が選挙に敗北すると、任期も終了した。」
 
 「現代においては、公開試験によって任命される専門職が大部分となり、政党間、あるいは派閥間の抗争から、中立を守る代償として身分保障を与えられるようになった。」
 
 昔はアメリカのように、政権が変われば官僚も一新していたのだと、始めて知りました。それが現在のように変わったのは、法律も歴史も知らない無知な政治家が増え、黙っているととんでもない政治をするから、実務の専門家である官僚が重用されたのが原因かも知れません。
 
 現在の官僚は中立を守るどころか、自分たちの省益のため、逆に政治家を動かしています。彼らの手厚い「身分保障」が、中立を守る代償だったのだとすれば見直す必要があります。
 
 〈 3.   広くメディア、ないしジャーナリズムと呼ばれる集団 〉
 
  「ジャーナリスト、記者、解説者、評論家などを含む。」「憲法体制のもとで、有権者が、政治過程の第一起動力となるに伴い、登場した新設の部門である。」「有権者の政治参加、政党支持、投票に関し、評価や指令、あるいは報道、解説、評論を提供する。」「その採用は、企業 (  会社 ) の場合は、その企業の公開試験で決まり、その他は有権者の間の人気や、支持などによる。」
 
 一連の説明が明治時代の日本のことなのか、それとも36年前の日本の状況なのか、判然としませんが、現在のこととして読んでも、そのまま通用する気もします。封建時代の昔なら、政治は宮廷と貴族、あるいは将軍と幕閣の武士が行っていたのですから、庶民に選ばれる政治家はいませんでした。
 
 ましてメディアやジャーナリストなどは、存在していません。官僚は古代から存在しましたが、貴族や武士たちの中から世襲に近い形で受け継がれていましたから、憲法体制下の官僚は、別の成り立ちをしています。
 
 つまりこの三つは、なるほど新設の部門です。なにかよく分からないと、息子たちに言われそうですが、氏の著書はこの三部門を中心として展開されますので、忘れないようにしてください。
 
 反日左翼の悪書ではありませんが、奇妙な本です。惑いつつ、ためらいつつ、明日も氏の著書を辿ります。私は退屈しませんが、退屈された方は遠慮なくスルーしてください。
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日本の政治 - 4 ( 憲法の正しい解釈 )

2019-12-08 17:59:13 | 徒然の記
 「憲法は権力者をしばるもの」という意見は、学問的にみて間違いですが、安倍憎しのマスコミが、曲学阿世の学者たちを使い世論操作をしています。
 
 共産党、立憲民主党、国民民主党、社民党が主張し、どうかすると自民党の議員の中にも、平気でこんなことを言う者がいます。国会の議場では、捏造専門の枝野幸男氏や辻元清美氏などが、大きな顔をして間違い憲法論を主張しています。
 
 現在の安倍内閣は憲法の規定に従い、主権者である国民による選挙で多数を得て成立した内閣です。国民が信任した多数の自民党議員が、大臣になっているのですから、どこにも違憲状態はありません。国民の信任を受けた総理が、信任の範囲内でする政治は直ちに違憲と言えません。
 
 自民党の政策が気に入らないというのなら、反対する彼らが、選挙で多数を取れば良いだけの話です。国民の誰もが知っている、民主主義のイロハです。
 
 「むしろ、( 安倍政権は ) 権力を乱用しやすくするという点で、」「立憲主義に反する提案だ。評価できない。」
 
 首都大学東京教授の木村草太氏は、立憲主義に基づいて成立した内閣が、立憲主義に反するというのですから支離滅裂な意見です。氏が評価しようとしまいと、これが民主主義の政治ですから、それでも反対というのなら、それは法治国家の学者の意見でなく、無法学者のたわ言になります。
 
 国民の多数から信任を得た内閣が違憲と言うのなら、氏の主張は、立憲民主主義を否定する暴論です。自分たちが多数を得たときは、水戸黄門の印籠のように「民意」「民意」と大騒ぎするのに、自民党が多数を得たときは「権力の乱用」、「評価できない」と、一方的な批判をします。
 
 36年前に、京極氏が正しい憲法解釈をしているのに、同じ東大で勉強しながら木村氏は何を学んできたのでしょう。もしかすると氏は、劣等生だったのでしょうか。それとも、あの悪名高い「東大社会科学研究所」の一員なのでしょうか。
 
 東大社会科学研究所は日本の学界に君臨する、反日左翼学者の育成機関であると共に、互いに助けたり、助けられたりの互助組織ですから、氏がこの一員なら変な理屈を述べても、マスコミがもてはやします。
 
 今の日本で、東大社会科学研究所とマスコミは、国民をたぶらかし国を崩壊させようとする巨大組織ですから、要注意です。今回のブログは京極氏の書評を外れましたが、息子たちが間違いをしないよう、特別に寄り道をしました。
 
 息子たちに言います。道の突き当たりにある二つの標識の文字を、シッカリ読んでください。
 
 標識 1.  正しい憲法解釈   ・・・ 支配層も被支配層も、同じ法の下にある。
 
 標識 2.  間違った憲法解釈  ・・・ 憲法は、権力者をしばるものである。
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日本の政治 - 3 ( 京極教授と木村教授 )

2019-12-07 21:49:37 | 徒然の記
 京極氏の著作が出版されたのは昭和58年で、今から36年前です。8ベージに「立憲政治」という項目があり、「国民国家」と言う言葉が出てきます。
 
 氏の説明によりますと、「国民国家」とは、支配層と被支配層という層別が解消され、身分制が廃止された国のことです。封建制から、「四民平等」となった、明治時代を思い浮かべてください。ここでは理論上全員が国民という、単一集団となります。この前提に立ち、氏が「憲法」の定義を述べます。
 
 「国民国家においては、国家機関ないし政府、諸官庁を通じる国民統治は、国民という一体集団の共同事務の共同管理として、説明された。」
 
 東大卒で東大法学部の教授ですから、難しい表現はお手のものです。大切な部分なので、息子たちは我慢して読んでください。
 
 「主権者である国民の同意と授権、国民の選挙による、任職を土台として、」
 
    1.  憲法制定会議において、成文憲法が制定される。
    2.  憲法に制定された議会において、法律が制定される。
    3.  これらの法令に従い、国家機関ないし政府、諸官庁が、手続法体系、権限法体系として編成される。
   4.  これがいわゆる、憲法体制であり、立憲政治である。
 
 息子たちに少しでも分かりやすいようにと、項目に分けたのですが、大切なのは次の説明です。
 
 「ここで注意すべき点は、支配層も非支配層も法の下にあるという西洋の、いわゆる中世型法思想以来の伝統が、この法構成の背景をなしている、ということです。」「東アジア風の法思想と、西洋の法思想とは別物であるということである。」
 
 「東アジア風の法思想は、法は、支配層、王朝、宮廷から、被支配層に対して一方的に下される命令ないし、禁令であるというものである。」「すなわち法は、支配層自体を法の適用外に置き、適用する場合は、しばしば大きな裁量の余地を持つというものである。」
 
 だから現在の憲法は、「支配層も非支配層も法の下にある、」と、氏は説明しています。ところが最近では、オーソドックスな理論から逸脱し、学界とマスコミが勝手な解釈を世に広めています。
 
 平成30年2月9日の、朝日デジタルの記事を紹介します。
 
 「人は生まれながらにして、天からあたえられた権利、自由を持っている。この考え方を、天賦人権説という。」「しかし、国家権力はときに暴走し、こうした権利を踏みにじったり、うばったりすることがある。」「だから憲法でルールを定め、権力をしばる。これが立憲主義だ。」「憲法に欠くことのできない、要素とされる。」
 
 ここで強調しているのは、「憲法は、権力者を縛るものである、」という考え方です。首都大学東京非常勤講師の鳥山孟郎氏の意見を、紹介します。
 
 「憲法はみんなが守らなければならないものだと、理解されがちですが、高校生たちにも、憲法は権力者たちを縛るものという理解を、広げる必要があると思います。」
 
  時系列が乱れますが、平成28年6月23日のネットの情報を紹介します。
 
『憲法の岐路』本来権力者を縛るものと題する、首都大学東京教授の木村草太(35)氏の、意見です。
 
 「安倍政権は、憲法に負荷をかけてきた。」「憲法改正手続きを定めた96条の改正や、国家緊急権の創設には、権力を合理的に拘束するという発想がなく、」「むしろ権力を乱用しやすくするという点で、立憲主義に反する提案だ。評価できない。」
 
 毎日新聞の記事も同じトーンなので省略しましたが、最近の日本では、「憲法は、権力者をしばるものである、」という、おかしな解釈がマスコミにより拡散され、大手を振っています。
 
 出発点は、安倍総理による憲法改正提案でした。憲法を改正し、自国防衛の軍隊を持つという、世界では普通のことが、いまだに日本では実現できません。総理は、外堀を埋めるように、「安全法制関連法案」を作り、少しずつ日本を普通の国に戻す努力をしています。
 
 反日左翼の学界とマスコミが早速反対し、「憲法を勝手に触る安倍総理は、憲法の精神を忘れた、独裁者だ、」と、言い始めました。「権力者をしばる憲法を、権力者である安倍総理が、勝手に触るのはけしからん、」と、そのために作り出した屁理屈がこれです。
 
 私が言っているのは、すでに36年前、彼らの間違いを京極氏が既に説明しているという事実です。
 
 「ここで注意すべき点は、支配層も非支配層も、法の下にあるということです。」「東アジア風の法思想と、西洋の法思想とは、別物であるということである。」
 
 木村草太(35)氏は、若手気鋭の憲法学者ともてはやされていますが、同じ東大卒業生でも、京極氏とはだいぶ趣が違います。京極氏は、どちらかと言えば「象牙の塔の学者」ですが、木村氏はどちらかと言えば「南原繁氏風」です。つまり遠慮なく言えば「曲学阿世の徒」です。「憲法改正を阻止するため」なら、なんでもありの学界とマスコミには、好都合な学者です。
 
 次回からは京極氏の著書を追いながら、現在の日本を考えてみようと思います。
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気持ちの安心、心の豊かさ

2019-12-06 18:50:36 | 徒然の記
 久しぶりに、車のガソリンを満タンにしました。いつ無くなるだろうかと心配しながら、おずおず運転する不安感とオサラバです。

 年金生活者ですから、節約しなければという気持ちと、スタンドへ行くのが面倒だと、二つの気持ちがあり、一日延ばしにしていました。ガソリンを満タンにして、我が家へ戻った時の、安心感と、心の豊かさを、なんと表現すれば良いのか、ちょっと、思いつきません。

 「人間て、こんなことで幸せになるんだ・・」
楽しくない本も読み、心の弾まない書評もする日々でしたから、久しぶりの穏やかな充実感が、信じられない私でした。ガソリン満タンで、これだけ幸福感が味わえるのなら、財布にお札が満タンなら、もっと幸せになるのではないか・・と、すぐにこんな考えをするから、私はいつまでも凡俗のままです。

 もしも財布に、札束がぎっしりと詰まっていたら、自分は何をするだろうと、凡俗ですからこんな考えは、得意です。

 「家内と半分ずつ分け、子供にも少し分けてやり、」「嫁と孫にも、何か買ってやり・・」と、果てしなく夢が続き、キリがありません。欲望の膨らみには限度がなく、果たして財布一つでどこまで叶えられるのか、早速自信がなくなりました。

 「人間の欲望は、なんと無限だ・・」と、こんな当たり前のことに、気づきました。そうなりますと、財布に満タンの札束は、決して私を幸福にしません。しないどころか、無限の欲を誘い、不幸な人間にしてしまいそうです。金欲しさに人を騙し、殺人までする人間がいますが、彼らは、欲に駆られた妄想のまま、行動した愚か者なのでしょうか。

 「悪銭、身につかず。」と、亡くなった父がいつも笑っていました。若かった私は、悪銭でもなんでも、金があるに越したことはないと、内心では思い、貧乏な父が痩せ我慢をしているのだと冷笑しました。

 しかし今考えてみますと、あれは貧乏人の痩せ我慢でなく、父の本音だったのではないかと、折につけ考え直すことがあります。

 「昼間から酒を飲むと、バチが当たる。」「お天道様に恥ずかしいことは、するな。」

 何かといえば、そんなことを口にしていましたが、無意識のうちに、そんな父の言葉が私の道を照らしていたのではないかと、思います。父はまっとうな人間として生き、まっとうな国民として死にました。息子の私は、少しひねくれ者ではありますが、やはり父の跡を歩いて行くはずです。

 ガソリンの満タンと、財布の満タンは、同じ話ではありません。
満タンのガソリンは、その時だけの安心感です。ガソリンが無くなれば、安心感も終わりです。しかし財布の満タンは、限りない欲望を生む金銭の話です。あれも買い、これも買いと、終わりのない欲を膨らませます。無くなれば終わりでなく、無くなれば、何とかして手に入れたくなる魔性の金です。

 まっとうな貧乏人は、そんなあぶく銭に、気持ちを奪われてはならないのです。お天道様に顔向けのできないようなことをしてまで、お金を手に入れてはならないのです。これが、国民の常識です。

 それを教えてくれた父を、私は尊敬しています。高等小学校しか出ていませんが、貧乏な暮らしの中で、私を育ててくれた父を、誇りに思っています。これからの人間には学問がいると、父は私を諭し、大学まで行かせてくれました。幕末か、明治の頃の話のように聞こえますが、昭和30年代のことです。

 ガソリン満タンの話から、思いがけないところへ話が飛びましたが、これから書評にかかる、京極氏の「日本の政治」と、満更無縁ではありません。氏は「後書き」の中で、自分の書は、「世間の大人」「かたぎの生活者」向けにも書いたと、述べています。「世間の大人」「かたぎの生活者」の言葉を読んだ時、真っ先に浮かんだのが、父の顔でした。

 ということで、京極氏の著作は、私を惑わせ、混乱させ、なかなか書評に踏み出せません。不思議な書です。
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日本の政治 - 2 ( 南原繁氏の左翼的大功績 )

2019-12-05 17:03:49 | 徒然の記
 学者の主張の骨子は、著作の目次を見ればおよその検討がつきます。京極氏の大著は、大きく3部で構成され、それが7章に分かれ、更に16節に枝分かれします。
 
 現時点で氏は私の師で、私は学徒ですから謙虚な気持ちで著書の概要を掴もうと、メモ用紙に目次を転記します。
 
 裏表紙の次の最初のページに、奥様の名前なのか「愛子に」と、三文字だけ印刷され、次ページには聖書からの言葉が書かれています。
 
   「ものごとの理は遠くして、甚だ深し 誰かこれを究むることを得ん」(伝導の書7・24)
 
 氏が、クリスチャンの堀豊彦氏の教え子だったという経歴とつながります。賀川豊彦、東大総長南原繁、法学部教授堀豊彦の三氏は、当時の日本の指導的学者であり、文化人であり、共にクリスチャンでした。賀川豊彦、堀豊彦氏についてはよく知りませんが、東大総長南原氏はこれまでの読書でよく知っています。
 
 残念なことに、南原氏の言動は反日左翼行為が多いので、周りにいる人間もろくな者がいないと私は思い込んでいます。氏と関係があると知れば、京極氏への印象も当然良くない方へ傾いていきます。
 
 参考までに南原氏の、日本史に残る反日左翼的功績を2つ紹介します。
 
   1.   昭和21年東大に、「憲法研究委員会」を作ったこと。
      2.  同年東大に、「東京大学社会科学研究所」を設立したこと。
 
 この二つの組織が戦後日本のため、どれだけの悪影響を及ぼしたかについては、「ねこ庭」を訪問される方々には説明する必要がありません。今回初めて「ねこ庭」を訪問される方のため、南原氏の「反日左翼的功績」の2つを、紹介します。
 
 〈 1.   憲法研究委員会  〉 ( 我妻栄氏の講演録より抜粋 )
 
  ・終戦の翌年 (昭和21年) に、帝国大学総長南原繁は学内に、 憲法研究委員会を設けました。」「敗戦日本の再建のために、大日本帝國憲法を改正しなければならないことは、当時一般に信じられていただけでなく、政府はすでに改正事業に着手していました。」
 
  ・多数のすぐれた学者を持つ東京帝国大学としても、これについて貢献する責務があると考えられたからであろう。発案者は南原総長でしたが、学内にそうした気運がみなぎっていたことも確かでありました。
 
  ・委員会が議論を始めた時、突如として政府の憲法改正要綱 (マッカーサー案) が発表されました。そこで委員会は予定を変更し、追って発表された内閣草案 (政府案)と、取り組むこととなりました。
 
    ・ 憲法改正要綱 (マッカーサー案) が発表された時の、多くの委員の驚きと喜びは大きなものでした。ここまで改正が企てられようとは、実のところ、多くの委員は夢にも思っていなかったのです。
 
   ・それは委員が予想していた成果を、大きく上回っていました。ここまでの改正ができるのなら、われわれはこれを支持することを根本の立場として、全力を傾けるべきだと言うことになりました
 
  ・当時極秘にされていた 憲法改正要綱 (マッカーサー案) の、その出所について、委員は大体のことを知っていました。しかしこれを 〈押しつけられた不本意なもの〉 と考えた者は一人もいませんでした。
 
 自由主義や社会主義を信じる教授たちは、戦前は保守の教授に押さえつけられ攻撃されていましたが、マッカーサーが彼らを解放しました。学内というより、学界での勢力争いに大勝したのですから、彼らの喜びの大きさが良く分かります。
 
 やがて東大の左翼教授たちは、政府委員あるいは国会議員として、その発言が重要視されるようになります。東大だけにとどまらず、関西、近畿、中部、中国、四国、九州、北海道と教授たちの連携が広がり、GHQと阿吽の呼吸で通じた彼らが一大勢力となり、現在の「憲法改正反対」勢力の先頭に立っています。
 
 〈 2.   東京大学社会科学研究所  〉 ( 同書のホームページより )
 
  ・ 昭和21年南原繁東大総長は学内に、東京大学社会科学研究所を設立した。
 
  ・平和民主国家及び文化日本建設のための、真に科学的な調査研究を目指す機関として、同大学に付置された。初代の研究所長は、矢内原忠雄。
 
  反日左翼嫌いの私の言葉で説明しますと、この組織は、日本の学界に君臨する、反日左翼学者の育成機関、互助組織です。以下の仕事を取り仕切っています。
 
   ・各種政府委員への推薦
   ・政府関係機関への推薦
   ・学内での昇進
   ・他大学への就職斡旋
   ・マスコミ関係の研究会参加窓口
   ・所属教授のマスコミ等への論文斡旋窓口
 
 同研究所を活動拠点として、教授たちが「言論の自由」の論陣を張り、彼らを政府権力から守る働きもしています。これはら無償のボランティアでなく、相応の報酬と処遇が付随しています。学内での昇進も学界での活躍も、研究所が土台にあります。矢内原氏が南原氏の次の東大総長になっているのが、その良い例です。
 
 話が横道にそれましたが、「坊主にくけりゃ、袈裟まで憎い」という言葉通り、南原氏の名前を聞くと、私は連鎖反応します。京極氏の書評がそういう先入観に陥らないよう、心して進みます。
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『日本の政治 』 ( 有意義な悪書 )

2019-12-04 19:05:50 | 徒然の記
 京極純一氏著『日本の政治』 ( 昭和58年刊 東京大学出版会 )を、読み終えました。「有意義な悪書」と言う言葉があるとすれば、この本がそれです。
 
 裏扉にある著者略歴に、簡単な紹介があります。「大正13年 京都市に生まれる。」「昭和22年 東京大学法学部卒業」「現在 東京大学法学部教授」
 
 略歴を見ただけで、反日左翼教授でないかと疑いました。
 
 403ページの分厚い本で、重さだけでいえばハンチントン氏の『文明の衝突』に負けません。日本の若者のために役立たつ本と言う基準で言えば、ハンチントン氏以下のレベルです。悪書という物差しで測れば、京極氏の方が数段上です。
 
 なぜなら京極氏は、多くの反日左翼学者と異なり、マルキストらしい主張を最後までしません。左翼学者は定型的左翼用語を得意げに並べ、読者の眠気を誘いますが、氏の著書はぼんやりと読んでいれば、博学な大学教授の本にしか思えません。
 
 結論を先の述べますと、「有意義」とする理由は以下の3点です。
 
  1. 反日の学者らしく日本政治の歴史を少しも評価せず批判的に語るが、一面の妥当性があり参考になる。
 
  2. ものごとには光と影があるが、光を言わず影についてだけ語っても意見としては参考になる。
 
  3. 保守党の政治家と支援する国民には、有力な反省材料となる。
 
 悪書とする理由は、簡単です。 ここまで分厚い著書を書きながら、日本における4つの重要事に言及していない。
 
   1   皇室   2  大東亜戦争   3  東京裁判   4  現行憲法
 
 取り上げていけばまだありますが、このような姿勢で『日本の政治』と、大きな表題をつけたと呆れます。
 
 保守党政治の愚かさ、政治家のレベルの低さ、国民のお粗末さなど、根気よく調べ詳しく述べられています。説明は間違いでありませんが、政治の全てではなく政治の真実でもありません。大学の教室で光の部分を語らず、影の部分だけを学生に教えるのですから、たちの悪い教授です。日本を蝕む病原菌に似た氏の意見をまとめた本ですから、間違いなく悪書です。
 
 書評に入る前に、もう少し詳しく氏に経歴を調べてみました。
 
 「京極 純一は、大正13年1月26日生まれ、」「 平成28年2月1日、老衰のため死去。」「満92歳没。」「日本の政治学者。専門は政治意識論、日本政治論。」
 
 「東京大学教授、千葉大学教授、東京女子大学学長などを歴任。」「平成元年、紫綬褒章受章。」「平成9年、日本学士院会員。」「平成10年、勲二等瑞宝章受章。」「平成13年、文化功労者。 」
 
 「大学院時代の指導教官は堀豊彦で、京極の専門は政治意識論、日本政治論。」「統計学や計量分析を取り入れ、選挙や世論、政治意識を分析し、」「政治過程論として発展させ、戦後の日本政治を考察した先駆者である。」
 
 「昭和58年刊行の著書、『日本の政治』では、日本の政治文化について、 〈 タテマエとホンネ 〉 や 〈根回し〉、」「あるいは 〈 内と外〉や、〈 義理人情 〉などの言葉を使って考察し、」「日本政治の仕組みを、人々の生活感覚、秩序像、死生観にまで遡って論じ、大きな反響を呼んだ。」
 
 書評に取り組もうとする著書について、説明までしてあります。情報で見ますと氏は著名人で、東京女子大の学長も務めています。文化勲章と文化功労者の違いを知りませんでしたから、これも調べました。
 
 「文化功労者は、日本において文化の向上発達に関し、特に功績顕著な者を指す称号。」「文化勲章よりも多くの者が選ばれ、文化人にとっては、同勲章に次ぐ栄誉となっている。」
 
 一つ賢くなったついでに、氏の恩師である堀豊彦氏について調べてみました。
 
 「京極氏は、第二次世界大戦の惨劇を目にしたことから、世界平和の為の世界政府、世界連邦設立の可能性について研究する。」
 
 「キリスト教の指導者賀川豊彦、東大総長南原繁、法学部教授堀豊彦、及び世界政府協会ジョージ・オーサワ(桜沢如一)らに師事。」
 
 ここに堀豊彦氏の名前が出てきます。賀川豊彦氏や南原繁氏は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家で、堀氏もその仲間です。そうなると京極氏は、頑迷なマルキストでと言うより、社会主義思想を信じるキリスト教的平和主義者、もう少し簡単に言えば、反日西洋崇拝者の一人ということでしょうか。氏の主張の曖昧さは、この辺りから来ているのか。今はまだ分かりません。
 
 次回から、「有意義な悪書」の書評を始めます。
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日本の危機 - 解決への助走 - 25 - (6) ( アメリカの世界戦略 )

2019-12-03 09:29:30 | 徒然の記
 温故知新の読書で教えられたのは、次の二つでした。
   1.  第二次世界大戦後の、アメリカの対日政策
   2.  第二次世界大戦後の、アメリカのアジア政策
 
 櫻井氏の書評を離れ、自分の考えを述べ始めた初回のブログで、このように言いました。1. については、前回述べましたので、2.の説明に入ります。「 アメリカのアジア政策」と言うより、「世界戦略」と言う方が、手っ取り早いのかもしれません。
 
 これまでの読書で、理解したアメリカの政策は単純です。
 
   1.   アメリカは、常に世界一の大国であり続ける。
   2.   アメリカ以外の強国の存在する地域の安定を、常に乱す。
   3.   世界の安定と平和を目指すのでなく、不安定化を目標とすることが多い。
   4.   世界の海を支配するため、他国に強力な海軍を作らせない。 
   5.   海軍を強化しようとする国に対しては、周辺国との紛争を生じさせる。
 
 日本人の多くは、「平和憲法」をもたらしたアメリカを、「自由」「平等」「人権尊重」の国として、好感を抱いています。しかし「温故知新」の読書が教えてくれたのは、思いもよらない「アメリカの姿」でした。
 
 信じるとか、信じないと言う次元の話でなく、「一つの事実」であると認識しています。従って、北朝鮮問題に関して言えば、アメリカは自ら北朝鮮に接近しますが、日本が独自に国交回復することには、賛成しません。
 
 トランプ大統領の言葉を借りて言えば、常に「アメリカ・ファースト」です。アメリカの支配層の考えは、「アメリカが世界一であるためには、アメリカ以外の地域を、不安定にすれば良い。」と言うことです。
 
 彼らは、東アジアで日本が中国や韓国・北朝鮮と和解し、友好国関係になることを望みません。一つになり、アメリカに挑まれると困るからです。露骨な干渉はしませんが、日本に敵対する中国や、韓国・北朝鮮の言動に知らぬふりをしたり、そっと応援したりします。米国のこうした態度は、中国、韓国・北朝鮮には、「容認」として受け止められ、日本への敵対行動が持続します。いわば、アメリカの思惑通りに、隣国が動いていることになります。
 
 ベネディクト氏の『菊と刀』は、敵国である日本を分析した書物で、第二次世界大戦に役立ちました。昭和54年に出版された、ヴォーゲル氏の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、経済大国として台頭する日本を、分析する本でした。出版は、大平内閣の時でしたが、それ以後の、伊東、鈴木、中曽根内閣に至るまで、米国は執拗な経済戦争を仕掛けてきました。
 
 ヴォーゲル氏が称賛した日本の体制を、ことごとく破壊するため、構造改革、規制撤廃を要求し、今では、日本は経済大国でなくなりました。
 
 ハンチントン氏の「文明の衝突」は、平成10年で、橋本内閣の時です。この時は民主党の大統領だったクリントン 氏が、露骨な内政干渉をし、橋本首相を追い詰めました。バブル経済が崩壊し、銀行と証券、保険会社の大型倒産が続きました。ハンチントン氏の言葉通り、米国は日本を、「孤立した文明の国」「仲間のいない文明国」として、国際社会での位置づけに成功しました。
 
 ベネディクト、ヴォーゲル、ハンチントン各氏の著作を、日本称賛の書であるかのように誤解している人がいますが、私の考えは違います。彼らの書は、アメリカのため、対抗する(敵国)日本を、研究・分析したものに過ぎません。
 
 長く続けたシリーズも、今夜で終わりといたします。拉致問題も、朝銀への不正融資、慰安婦問題、徴用工問題、南京事件、靖国問題など、全て一つの根っ子でつながっていると、予測しましたが、その根っ子は、アメリカの世界戦略でした。
 
 敗戦後の日本には、アメリカに忖度し、アメリカの意を汲み、日本の弱体化に協力する人間が、育成されました。彼らは、政界、官界、経済界、学界、マスコミ界で、指導的地位を占めています。アメリカによる間接管理体制、これが私の結論です。
 
 だがもう一つ、大切なことが残っています。息子たちが、私のブログを読んで、「アメリカこそが日本の敵だ。」「アメリカが、諸悪の根源だ。」と、単純な誤解をしないようにする必要があります。
 
 国際社会で大国となった国は、全て同じ思考をすると言う事実を、忘れてはなりません。大東亜戦争時の日本は、大国の仲間でしたから、似たような思考をしていました。ハンチントン氏の分析通り、孤立した文明国だったため、世界を敵に回し、世界から反撃されました。
 
 これからの日本は、大国を目指すことなく、大国に卑屈に従うこともせず、それこそ我が道を行くのでなくてはなりません。天皇の政治利用と言われるのは、不本意ですが、昭和天皇は私たちのため、大切な言葉を残しておられます。
 
 「国が独立するためには、国を守る軍隊が必要である。」
 
 日本が我が道を行くためには、国を守る軍隊が必要なのです。陛下は、独走する軍を嫌らわれましたが、国防のための軍は肯定されました。だから私の結論は、いつも通りの、二つです。
 
  1.   国を守る軍を持つため、憲法改正をすること。
  2.  皇室を護持すること。(女性宮家、女系天皇を認めてはならない。)
 
  長い間我慢してついて来てくれた息子たちと、「ねこ庭」を訪問された方々に感謝いたします。
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