「明日(あした)の広告」(読後評2008年 1月18日)
「明日のコミュニケーション」(読後評 2011年10月08日)
「明日のプランニング」(読後評 2015年5月26日)
の作者、さとなお氏の4作目の新作。
今回は前作で彼が主張していた「ファンベース」が、どっかり中心に。
前作で当ブログが最もはまった部分、伝説のロックバンド、グレイトフル・デットとの共振部分
今回も、本「グレイトフル・デッド・にマ―ケテイングを学ぶ」が前作も登場する。
読後評:グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ 業界ロックに覆い尽くされた「現在」を改めて悟る(2011年12月13日アップ)
「ファンベース」を語るのに、デッドのバンドとしての在りよう、が大変有効なのだなと!
デッド・ヘッズ(ファンのことをこう呼ぶ)としては大変満足できる(笑)
一方で…
読んでいてスッポリ納得する感、が4作目に至りいよいよ弱くなったことに気づく。
自分としては著作物のみならず、さとなお氏のグルメ感覚には共振するところも多く、信頼してきたつもり。
なので、ファンであるのはもちろん(20%内)、むしろコア・ファン(4%)のつもりだった。
が、実は新しい本が出るたびに、少しずつ距離感を感じはじめ困っている…
その理由を必死に考えてみた。
で結論は...
著者は 2011年に所属していた会社を退社しているが、実際に他のケースでも感じていることだが「会社」にいる、ということは、その会社が大きければ大きいほど、常に適切な「情報のアップデート」がされる(望もうが、望まなかろうが 笑)
が...
一旦離れてしまうと、徐々にマスコミが表面的に書いた記事があった場合に「それ、違う」を瞬時に理解することが難しくなってくるようなのだ。
そこで判断のブレが少しずつ生じ、進むべきディレクションがズレてくるかもしれない…
違和感の例を挙げると「従来型のテレビを中心としたキャンペーンは地方なら有効」
一時そんな言われ方が喧伝され流行っていた時期も確かにあったとは思うが、それはいたずらに強調された屁理屈で、現在に即しないと感じる。
花の都 東京のサイズでは検索されるのは当然で、だからとはいえ従来型のテレビを否定にまで至るのはオーバーすぎる主張のように感じる。
このように、スタンスにズレが生じてくると、共感が薄れてくるのは、仕方ないか?!
ファンベース理論の図でいうと、ファンの離脱はあまり勘定に入っていない(再度読んだがそのニュアンスは感じなかった)ようだが、実際ではとても「浮気性」(汗)
なので次の本は「ファンの浮気性」を起点に構成していただくのが良いのでは?
(これでも一生懸命ついていこうとしているんですう… ジレンマ状態...)