ちょっとなるほどと思える記事がありましたので、以下コピペ。
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●行動に移せないときは、動機を再確認してみる
動機が人の行動を変え、それによって成功にたどり着けるのです。
旅行へ行きたいと思うことは多いでしょう。しかし、予算はどうしようか、日程はどうしようかなどの、さまざまな制約を考え出すと、行動に移さなくなります。
多くの人が制約を越える強い動機を持てないのです。だから行動が変化しないともいえます。
仕事を早くできる人は強い動機があるのでしょう。今この仕事を終えてしまえば、遊びに行けると思うからこそ、全力で仕事ができるわけです。
脳というのは、「なぜそうするか」がはっきりしていないと、その方向へ働かないのです。「なぜ仕事をするのか」がはっきりしていると、脳の中で意欲が湧いてきます。
その理由は人によって違っていいのです。金、出世、名誉、なんでもいいのです。
その動機付けができれば、脳はそれを達成するために、神経回路を変化させますから、効率よく仕事ができるようになるのです。「冴える脳」ができてくるのです。
さらに、仕事をやり遂げることが快感になってくると、早く仕事を終わらせることに意味が出てきます。
大きな仕事ができる人、早く仕事が終わる人は、自分がもっとも面白いと思える動機を探せた人、ともいえます。
もう一度、自分が何をやりたいのか、なぜやりたいのかを確認してみましょう。
[米山公啓,Business Media 誠]
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考えてみればごく当たり前のことではありますけど、あらためて、おっしゃることごもっともな気はします。
いささか次元の低い話でなんですけど、
先日知人と「ヒマな日に限ってちゃんとご飯作らないよねえ」といって意気投合しておりました。
これは料理嫌いのふたりの意見ですので、ふつうにお料理される方には当てはまらないかもしれませんけど(汗)。
夜用事があるとか仕事があるというときは、朝から時間を区切ってちゃちゃっと用事をし、
夕飯もいつもより品数多く、家族から不満がでないようなものを作るのに、
「今日は一日なにもない」という日に限って、
・・・・だらだらと洗濯、
・・・・だらだらとyoutube、
・・・・だらだらと練習、
・・・・だらだらとyoutube、
で結局、あ~夜じゃん・・・・なんか買ってこよう(殴)みたいなことになるよね、と。
もう少し長いスパンで見てみても、やはりなにか目的があるときはちゃっちゃと動いてるような気がするんですけど、
「しばらくヒマ」となると、これはもう建設的なことはおろかルーティンさえおそろかになる。
なので、日頃お仕事をしていて、短期の休暇や長期の休暇の際になにかクリエイティブなことをされる方には、ほんと頭が下がります。
でも、なにが難しいって、要はその「強い動機を持つ」こと。
これまた先日、友人とこういうことを話しておりました。
<子どもたちに「なにをやりたいか?」「なにになりたいか?」と問うのはなかなか難しいよね~>ということ。
うちの娘くらいの子はまだ、「〇〇になりたい」と答えるし、お互い笑って話題にできますけど、
進路を考えなくてはならない年齢の子にそれを問うのも難しいし、大人としてアドバイスするのも難しい。
とくに現在のような、経済、政治、全体に活気がなく、活気がないどころかお先真っ暗な時代には、
子どもが「〇〇になりたい」といっても、「〇〇では今は食べていけないよ」
「△△になりたい」といっても、「△△は、ストレスでどんどんやめてるようだよ」などと、
おそらくそれが現実ではあるでしょうけど、それこそ夢も希望もないような答えをついついしてしまいがち。
逆に「じゃあ、なにになればいいわけ?」と問われれば、おそらく黙り込んでしまうんじゃなかろうか。
振り返って自分のことを考えてみると、
子どものころは、時期時期でなりたいものもあったけれど、
それこそ、「そこに至る費用」だの、「就職うんぬん」だの、「仕事内容の大変さ」だの
考えていたら、結局なにものにもなる気が失せて、大きな目標を持つことは正直あきらめました。
最終的にデパートに就職した動機は、
「自分の精神状態がどんなに悪くても、にこにこしてお客様と接することができるような人間になってみたい」
ということで、
入ってみたら、それはそれでいろいろ社会の決まりごとも学べたし(祝儀・不祝儀の決まりごとなど)、
表情というのは、精神状態を必ずしも映すものではなくて、「まずは作ってみる、というのもあり」ということも体得いたしました。
それからあとは、その時々で「やってみたい」と思う仕事があったり、
お誘いがあったりして、なんだかまとならない職歴になってしまったのですけど(汗)、
契約やバイトを入れても10年に満たない仕事歴でも、今となっては貴重な経験です。
「〇〇になって社会に貢献したい」という大きな目標を持てればそれにこしたことはないのだけれど、
まずは、小さな目標、
「ちゃんと電話の応対ができるようになりたい」とか、
「目上の人ときちんとしゃべることができるようになりたい」とか、
あるいは
「あのカッコいい校舎で学びたい」とか、
「あの町で学生生活を送ってみたい」とか、
でもいいと思うんですよね。
「こんな小さなつまらない目標しかないなんて・・・」とへこむ必要はないんじゃないかと思います。
『少年よ、大志を抱け』とおっしゃった方がおられましたけど、なかなかそれは難しい。
みながみな坂本竜馬のようにはいきませんもん(笑)。
私がピアノを再開した「動機」にしても、
まずは「息子のレッスンに同行していて、ストレスがたまる。自分でやったほうがマシ」ということで、
次に「子どもがバイオリンかなにか始めた場合、やさしい伴奏でもできるくらいに復活できるといい」
あるいは「将来ママさんコーラス等に所属したときに伴奏できるようになりたい」
ということだったんです。
なにも、ヒーヒー言いながら暗譜したり、人前で弾くなんてことは、希望してませんでした。
「動機」というのは、大きさはいろいろあっていいんじゃないかな?
人と比べることでもなければ、必ずしも言語化しなければならないものでもないし。
・・・・・・・まだ高1だと思って、親ものんきなこと言ってます・・・・・・