さて、そろそろ次のことを考えないといけないです。
まずはうちの片付けとここまでほぼ放置してきた娘の宿題かれこれ。
一昨日の夜は子供ふたりと大型書店にいって、必要な本を買い込み、食事もしてきました。帰りに大通りのデパートと電器店の壁面をみてみたら、「ご冥福をお祈り申し上げます」の幕が下がっており、この地に越してきて丸12年、8月6日の前にこのような幕がかかることを初めて知りました。
私はもともと他県人で、たまたまこちらにきて10何年かを暮しているわけで、原爆についてなにかを語ることはできませんが、爆心地近辺は日常的に行き来している場所であり、たびたびなにかの気配や空気を感じるところでもあります。ボーっと通り過ぎることはまずありません。通り過ぎようとしてもどうしても気づかされます。恥ずかしながら資料館にも未だ行ったことがないのですが、付近から「感じる」ことだけは怠らないようにしようと思っております。
もともと霊感とかいうものを信じている人間ではないのですが、やはり「偶然」ということが重なるということはあるわけで、
最近グバイドゥーリナの「最後の七つの言葉」という曲を聴いたのですが、さてコンペも終わったことだし、別の作曲家でも聴くか・・・とCDラックからパッと取り出したCDがジェイムズ・マクミランの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。
私、キリスト教についてはほんとに何も知らず、よって、このふたつの曲がなにをもとに、どういう思いを持って書かれた曲なのかもわかりません(恥)。解説も読まずに聴いたのですが、もう音楽だけで十分でした・・・・ちょっと感想が書けません。
そして、その後、Youtubeをふらふらしてましたら、ある曲に捕まりました。曲名は単にピアノソナタなのですが、作曲者がいつごろの人なのかどんなプロフィールなのかもわかりません。曲から推して、たぶん、ロシアの人で、そこまで現代ではない人だろう・・と思ったくらい。
調べました・・・スタンチンスキー。
1888年生まれ、1914年没。非常に才能ある青年として将来を嘱望され、同世代の作曲家たちにも影響を与えていたらしい。父親が亡くなって以降、精神のバランスを崩し、それでも落ち着いているときは、ちゃんと曲も作れていたらしいのですが、医者にも見放され、事故とも自死ともわからない溺死体で発見。享年26歳。
つまり来年が没後100年なわけです。
う~ん・・・なんなんでしょうねえ。
グバイドゥーリナは名前知ってましたし、曲にはどちらかというと「おもしろい」という惹かれ方をし、そのせいか「おもしろい」という域から出られずに今にいたった感があるのですが(汗)、今回はそういう出会いではないようです。
折しも、先日のコンペの講評が送られてきました。たくさんの丁寧なアドバイスをいただき、びっくりし、また感謝しております。
たしかに「音のうしろにあるものの表現」「音楽の方向性、変遷」にまでは至らずに終わった・・・、と自分でも反省していましたし、
「途中中途半端だったけど、後半へ行くにつれ明晰になってきた」というのもおっしゃる通り。
たかが6分で、ズバッと聴いていただけて、ありがたいです。これは当日の演奏がうんぬんということではなく、今後の取り組みの糧になることですので、たしかにコンペという形ではありましたが、7名の専門家(予選まで入れると計17名)から貴重なご意見をいただけのは得難い経験となりました。
・・・・ということで「次のこと」ですね(笑)。