ピアノの記事が続いていて、すみません。
すみませんってことないんですけど、ピアノやってる方ばかりが読まれているわけでもないので、なるべくいろいろな話書こうと思ってはいます。思ってはいますけど、やっぱり圧倒的に多くなってます。
私生活では(ってすべて私生活ですけど)、朝ドラの水口さんを眺めているとどうしても亡き優作を思い出してしまい、ついうちにあった優作の伝記漫画を取り出して読んでしまいました。そしたら「竜二」の金子正次とも優作は関わりがあったのだということを知り、ジャージ&下駄ばきで独りでふらっと見に行った「竜二」を懐かしく思い出したりもしました。
一方で、最近はなにかと瀬戸内寂聴さんをテレビでお見かけすることが多く、
夜にあった対談番組では「私は小さいころからお野菜は嫌いなの。肉食べないと小説書けないですよ。芸術家は肉食べないと。お酒も飲めるだけ飲まないと」みたいなことをおっしゃっていて、御年91歳にしてなんと健啖なことでいらっしゃることかと驚愕。
お昼のワイドショーでは「結婚してたって、恋人がいたってもっといいのがでてきたらそっちいっちゃいますよ。そうでしょ?」「私が50過ぎて出家したのは、人間の一番断ち難い煩悩、色欲を断つためだったんです」「いくつになっても思う人はあるでしょ?これからプラトニックな愛の小説を書いていきたいと思ってます」と語られ、御年91にしてなんと枯れておられない・・・・とこれまた仰天。
そして、このおふたりに関連して興味深かったのが以下のこと。
優作と関わったある人の述懐・・・・<僕と優作さんの至福の時は、一年ほどしか続きませんでした。何故?昔話によくあるでしょう?生身の人間が異界の者と関係を持つと魂を吸い取られてしまうって・・・。舞台で首の角度が一度違うと「違う!」。酒場で呑んでいても呼吸の仕方が「違う!」。そんな状態でやっていくと・・・変なとこ越えたら・・・アブナイ・・というか・・・このままだと・・・・気が狂っちゃう・・・そこまで追い詰められていきました>
寂聴さんの自伝的とも言われる小説『夏の終り』の一節・・・・・<無鉄砲で衝動的な知子は、いつでも小さな体内に活力があふれていて、生命力の萎えた、人間の分量の足りないように見える男に出逢うと、無意識のうちに、その男の昏い空洞を充たそうと、知子の活力はそこへむかってなだれこみたがる。(中略)・・・・・男の生命の分量を過不足なくおぎなおうとする時、それはもうじぶんの内部では愛が熟れ落ちようとしているということわりを、知子はいっこうに自覚しない>
最近「モンスター〇〇〇〇」みたいな言い方が巷にあふれてますけど、ほんとうの意味での「モンスター」はこういう人たちを言うのではないかと時々思うわけです。凡人が真似したら(近づいたら)間違いなく破滅に至る生き方。
どなたがおっしゃったのかちょっと記憶にないのですが、ある女性の作家さんが「私から小説をとったら、ただの不良女です」と。
もちろん不良でなく、良妻賢母の一方で芸術家でもあるという方もいらっしゃるわけですけど、どちらにしてもなにかギリギリのところを渡っておられることには変わりがないはず。
そういうことに対するある種の「畏れ」みたいなものを察知して、私、10代で音楽からも文学からも逃げ出した感があります。
・・・・・この夏コンクールなどをあれこれ聴きながら、つらつら「この先の覚悟は親子ともにあられますか?」と思うことでもありました。