唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

ブッタ教えで。。。

2018-11-22 09:40:35 | 言葉

 嘘をつくとはいけない事なのだが、、

  お坊さんの説法と商人の交渉では例外も許される。。と、いう事を聞いてから、
 仕事の心の棘が抜けたように感じた。

 だからと言って嘘をついて交渉を進めて言い訳でもない。
 自分の中の納得感が変わっただけで、
  それを免罪符にして、嘘をついたり、だまし討ちのような事をやって訳ではない。
   全ては結果が正誤を判断してくれるし、後々の信用にも影響を与えるのだから全て自己責任でやれば良いと言う事なのだ。

 しかし、自分が引っかかっていたのは、
 十分に説明し、相手にも納得ずくで協力して頂いても、、理不尽な事を飲んでもらった時の違和感なのだが、その言葉を聴いてから本心から違和感が消えて助かったのだ。

話し変わって、
NHK,名著を30分で読む??とか言う番組で、ブッタの話。

 「修行をする人間」と、「その修行をする人間に物を与える施しをする人間」では、
   生きるうえでの基準が違うという事をやっていた。

 ブッタのような修行に身をおく人間は欲を持たない、見返りを求めない、お金や食べ物に執着しない。 
  そして涅槃へ。

 一方、
 一般人はブッタに物を与えるのは、見返りを求めるから、幸福になりたい、お金もちになりたい、そういう気持ち   から施しをするのが正しい心のありようだと、見返りの大きさを期待して施しもするものだと、   
   
    そういう事を言っていた。

 なんとなく腑に落ちた。
 人間には色々なレベルで、色々な事を学ぶ、人それぞれ目的や使命が違うのだから、行動を起こす時の思いも違って当たり前なのだ。

  武士には武士の生き方、考え方、道があり。 商人とは違う価値観や規範で生きている。

  それがぐちゃぐちゃになっているのが現代なのだが、、自分でぐちゃぐちゃにしているだけなのだ。

  信念がないから筋を通せない。 どう生きるかを自分で決めていないから周りに流されて不安になるのだと思った。


 しかし、蛇足だが、お坊さんの説法で嘘が許されるという事は、、、、
  坊さんは、俗っぽい生き方をするものだと括られているわけだ。 







書留め。

2010-12-09 10:49:20 | 言葉
やり過ぎればうっとおしい、やり足らなければ、伝わらない。 何とも好い加減とは難しい。

武道全能。
 武道は、自分の中で変化しながら、色々な事を教えてくれます。 稽古を積んでいくと内面から変わってきます。
 稽古をつんでどんどん変化していきましょう。 物事を深く高めてくれます。 続けるべし。


 実生活に生かしてこそ武道、 空手が空手だけで終われば、それは唯の戦い。


堂々と振舞えば自然と通り、おろおろすれば、不自然になる。
 自信を持って行えば、それが主流になっていく。 全ては自分の振舞い方できまる。

 
 覚悟が決まれば全てがきまる。  周りも気にならないし、結果も、失敗も気にならない。 唯、ゴールを目指すのみ。

本気が人間を造っていく。 
一生懸命が腹を造る、 気の流れる体を作る。


 周りを変えることは出来ない。
 自分の価値観、立ち位置を変えれば、周りが変わったように見える。

 
 子供、夫婦、会社、 黙って聞いてやればいい。 黙って人の話を聞く練習。

 弱い者は、人を許す事が出来ない。 許すと言う事は、強さの証なのです。