唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

逃げても逃げられない。 

2016-08-31 10:59:10 | インポート

 それから何年後か。 銀行も辞めて、田舎で病気療養、また働き始めて東京に戻った頃の話。
 
 出勤途中、秋葉原で偶然その借金を踏み倒した昔の上司を見かけた。
 面白いので、気が付かなか無いふりをして、相手を目で追うと、、、、、、、、
  こちらに気が付いて、、少しずつ、少しずつ後ずささりしてホームを一番後ろに行き、 「信じられない」と自分に聞くように本当かと確認していた。 何度もこちらを確認して 気づかないように去っていった。

 そいつらしいと思った、関わりあうもの面倒なのでそのまま放置した。
  
しかァし、、、、
 通勤時間が同じだからか、それから何度も見かけるのだ、、、相手は気付かないが。
 
 それがある日、ばったりと出会いがしらで出会った。
 相手は観念したように「あら、○○ちゃん、元気だった。」 と、何も無かったかのように声をかけてきたのだが、
  借金踏み倒した事などには触れないから、、、散々迷惑かけてそれか?借金返せあほ。 と言ってやった。 

 通勤時のホームで、大声で言ってやった。
  すると、ばつが悪そうに そういうこと言うんだな、、解った、などと言ってどこかへ消えていった。
  
   しかし、因縁は続く、 逃げられないのだ。

 乗っていた電車がホームに止まると正面にそいつが待っていた。 こちらに気が付いた、すると、何事も無かったかのように、また、さりげなくどこかへ消えて行った。
  
 次もあって、
 今度は、乗っていた電車のドアがあくと、 正面からそいつが乗って来た。 可哀想だがこちらに気づくのが遅かった。
  乗って来たら自分がいたのでびっくりしたのだろう、気が付かないように後ろを向き、また、次の駅で降りてどこかへ消えていった。 かわいそうに、いつまでたっても、俺に会うことになっているようで。。。。。
   
 
  結局 それっきりになったが、
  その後も、そいつの悪評は色々と聞いた、、そして、、遂に 借金で首が回らなくなり、自己破産。
  
  勤めていた銀行から借りている住宅ローンも退職金で返済しきれず、結局 首になった。
 面白いもので自己破産しても銀行に勤めている馬鹿もいるのだが、、そいつは首になった。 よほどの悪行がばれたのだろう。 
 
 その後、共通の知人を頼って行ったようだが、、そこでも、過去の裏切り行為から相手にされずに 謝絶された。
  
 その共通の知人さんは、 やっぱりそいつに金を貸していたが返って来なくても許してやり付き合いを続けていたようないい方なのだが、、、、、その人にも結局見放されてしまったのです。
  
 
  長岡花火から、、、思わぬほうに話が進んだが、、、今も鮮明に覚えているさまざまな出来事。
  経験から学んで、生かしたい。  何度失敗しても学べば勝ち。。
 
 
 
 


アホなお話。 つづき。

2016-08-24 16:38:06 | インポート

  反省して、、、、と言うより、 相手の立場を考えると余りに可哀想で、 自責の念もあって、

その後、その上司には丁寧な対応を心がけた。 気配り、持ち上げ、なるべく傷を癒してやろうと考えて。

 しかし、それがあだとなり、、一時はおとなしくしていたが、段々と以前のような図々しさが出てきた。

その後、転勤してから 再度 移動で東京に戻った頃、再び付き合いが始まり、呑みにも行くようになっていた。
 左遷から、昇進のストップ、窓際、、可哀想だが自業自得だったから仕方ない。。。。。 それを慰めなどしていたから相手は良いように振舞っていた。
  
  ある時、突然電話がかかって来て、呑みに行った。 用件は、 「お金を貸してほしい。50万円」 
 銀行員が後輩から金を借りるか?? ふつーはありえない。。 それだけあほ、、なのだ。

 職業柄よろしく、、、詳しく事情を聞けば、、サラ金に手を出し、利子も払えないとの事。 当然使った金は遊興費だったのだろう。
 一時的な利子を借りてもどうにもならないだろうと感じて、、、元金全額を返すように勧めた。 自分が貸して。
 
 それから、またまた、相手の馬鹿さ加減を知る事になるのだが、、その時は「可哀想」が、勝っていたのだ。
  
 左遷されても、外れていても、銀行員だから収入は大体わかるし、大丈夫と踏んでいた。


一気に返済した元上司は、再び羽を伸ばし始めたようで。。。。 少しすると私への返済が滞るようになり、飲み歩いているようなうわさも聞こえて来ました。

 こちらは、しつこく督促し返済させた。 たぶん、金が回らず、再びサラ金に手をだして私に返済していたのでしょう。
  
 時には平気で嘘をつき、 、、 居留守を使い電話に出ない事もあった。 
 会社もわかっているし、会社に連絡されれば困るのは自分なのに全くの馬鹿なのだ。
 
  余りに連絡が付かないから、会社にも連絡を入れる。 これは効果満点ですぐに反応があった。

 それにしても、昔の部下に、、、居酒屋で毎夜毎夜罵倒して発散していた相手に、、、
  厳しい取立てをされる 
     心底アホな上司なのだ。
 
 そんな事が何年もつづいて、、、、無理やり返済をさせていたのだが、、、 
 
 遂に先方はケツをまくってしまった。 私は家も住所もしっている。 家族も知っている。 
そういう状況で、、、その先何が待っているのか想像することも出来ない、そんな脳みそしか持ち合わせていないのだ。
  
 その後、自分に都合のいい話ばかりして、誰かに相談でもしたのでしょう。
 先方から、
 酷い取立てが犯罪になると言う週刊誌の記事と、これ以上厳しい取立てをするのであれば訴えるとの封書が届いた。
 
 
 その間、お金を貸してから約5年。 俺も疲れて来た。 そこそこ返済されたし、
 
 余りに追い込んで、、、などでもしたら、、と考えて取り立ても止めて、 それから付き合いは無くなった。
  
 
  しかし、、しかし腐れ縁は続くのだ。
 
 


「できる」と言え。

2016-08-24 15:58:46 | インポート

 目標が出来るかと聞かれ、私は「解りません。」 と答える。

 このやり取り,,、「出来ます。」と誓う事が全てと考える上と全く合わなかった。

 「出来ます」とは、適当にごまかしているとしか思えなかったし、最後に出来たか出来ないかが大事で、途中に出来るという事に何の意味があるのか解らなかったが、バンクにどっぷり漬かった上には気に入らなかったようだった。
 
 もはや、私に「できます、やります。」といわせる事が仕事のようになっているのではないかと思うほどの馬鹿な上司。
 
 転勤してきて1年程度、どん底で苦しんでいた自分が段々と実績を上げるようになり、、、ついには周りの見る目も変わってきて、存在感が変わっていた。 
 他人が上手く行くのが面白くなかったのでしょうが全くうるさくて困った。  そして、ある時、事件が起こる。
  
 転勤当時から出来の悪い私を業後居酒屋に連れて行って 毎日、毎日「お前は邪魔だから辞めてしまえ。」 と説教を続けた上司がいたが、 段々と立場が変わり 飲み屋で何も言えなくなって来て、 結局 「なんでお前は、出来ますと言わないんだ。」 と、なった。
 相手は酔っていたから、段々とからみがしつこくなり、それを私が逆に馬鹿にするというような感じでかえす、、

  「出来ますって言え、、」
  「出来るか出来ないか解らないことはいえません。」  そんなやり取りの中、よほど相手が腹を立てたのでしょう。
  いきなり、杯をこちらに向けて酒を掛けられた。。。。
 
 私は、いっそう馬鹿にしたように、、「やめてふださいよーーーーーーー。」 などと返した。 

 いったんは収まったが、また話がぶり返され、、、今度は馬鹿上司が冷酒の4合瓶を持ち上げて、
 「これ掛けるぞ、、、出来ると 言え。」 と、来た。

   反射的に 4合瓶を奪い取り、、スクリューキャップをグイット空けて、、、相手の頭から掛けてやった。
 ドボドボと、面白いように酒が抜けて頭からスーツまでびしょびしょにして差し上げた。

 最後にスクリューキャップを投げつけて、、、「いい加減にしろ馬鹿。。」 と言って、 その居酒屋から出た。
 
 ざまあ、、見ろ、、の心境だったが、、流石にやり過ぎ感から、自責の念にも駆られ、、、、

   次の日、出社後、朝一で謝った。

 謝るために別室に呼んだ時、相手は良からぬ事を想像していたのでしょう、相当ビビッていたが、こちらから謝罪すると ほっとしたようでまた上から目線に戻って行った。
  

 一見落着のようだが、、その後 この男とは 腐れ縁が続いた。

 
 

 


ある支店のアホなお話。 つづき。

2016-08-24 08:56:05 | インポート

 あほ話は腐るほどあった。
 
 渉外課員としては当然ながら、毎月毎月ノルマがあって、月中に何度も進捗を聞かれる。

  聞かれる課員は、出来もしないのに、ほとんどが「大丈夫です、月末までに達成できます。」と 言う。
 
 上は、さらに追い詰めるので、「あそこと、ここと、それから○○で、、」等と具体的な話をする。
 
   聞いているこちらは毎月同じ名前が出たりしていて、うそがばればれだと感じるのだが、、、、上司はまじめに話を聞いて納得している。  
  
 そして、月末、結局目標は達成できない。  当たり前。
  
 
それが、私の場合は、、
 目標いくのか?と聞かれると、、「解りません。」 と、言葉を詰まらせる。
  大体が転勤当時に何も出来ないでだめ社員のレッテルを貼られたところからスタートをしているからそういうイメージで見られていた。
 当然 上は私の言葉に不安になり、何でだ、何やっているんだ、と強い口調で怒鳴り始める。

 しかし、当時、「そんな先のことはわからない、解らない事は答えられない。約束できない。」という信念みたいなものがあったから何度言われても、出来るとは言わなかった。 だから、毎回毎回怒鳴られて、黙って聞いていた。
  
 しかし、月末になるとぎりぎり達成しているなどという事が多かった。

 月中に聞かれて「出来ます。」といった人間は怒鳴られないが、目標達成できていない。
  こちらは、目標達成するのだが、、月中に聞かれて「解らない。」というから 怒鳴られてばかりいた。
 
 
この理不尽に気がついて、ばかばかしいと思っていたが、、あほな上司は中々気がつかないから毎回毎回怒鳴られ損をしていた。  

   最後はアホくさくてよほどの馬鹿上司だと心中笑っていた。
 

 そもそも、出来なくても 「出来ます。」というのが常識というような、軍隊的な雰囲気があった。

 あくまで雰囲気だけで、やっていることは根性なしのゆるゆる状態なのに。 真剣勝負で生きてきた自分としては言葉を真に受けるから自身が堪ったものではなかったのだ。
 
 提出物が上がってこない、目標がいっていない、、などと言う時には、

 「昨日寝たんだろう。徹夜でやれ。」 「お前昼飯食ってるの? 昼飯なんか食ってる暇無いぞ。」 
 「目標行かないのなら帰ってくるな。」  などと、言っている上司が、、、
  
   前日遅くまで飲んで遅刻してきたり。
   提出物が課長の机で止まっていたり。  

  コメディをやっていて、軍隊的雰囲気に浸って満足しているようなものだった。
  
 ある会議の時など、
  「課員からの報告を求めても報告が上がってこないのでまとめられませんでした。」 というやつがいた。 
 
  課員は全員提出済みなのにである。
 
 さすがに頭にきてみんなの前で
 「私は提出してますし、知っている限りみんな提出済みと思います。 誰か出してないんでしょうか?」と、聞いてやった。
 
 そしたら、支店長に確認されて、
 
 「すいません。私の間違いでした。 全員提出されてます。」 と。。。  はあ。。
  
 間違いではなくて、、うそついたんでしょう、、、、と思ったが、誰も突っ込まないし、責めないのだ。
  普段あれだけ課員が責められているのに。。

 
 全く困った世界だった。
 
 

 



転勤編。 つづき。

2016-08-24 08:05:52 | インポート
長岡花火から広がった、転勤編の続き、
  
 正月休みが明けて、鬱々としている中で、 仙台転勤の辞令が来た。 
 自分としては地方は大歓迎でテンションは一気に上がった。
 
 しかし、バンクは全く価値観が違うようで、自分が落ち込んでいるとでも思っていたのか、人事部から直接説明したいので、と、呼び出しがきた。
内容は、
新潟から東京へ、また地方というのは異例なのだが、きちんと評価されているので心配しないでくれ。 
行けば解ると思うが、仙台支店は支店長が役員待遇の大支店なので、左遷などと思わないでくれ。
前任者は課長代理だから、そのポストを予定してのことだ。
    などというばかげたもの。 

 会社の意識は「地方は左遷の対象」というのもなのだろうが、こちらはそんな事は御構い無しなのに、 いちいちそんなことで転勤で忙しい中呼び出されて、、、ツクヅクバンクはアホだと思った。
 
 あほといえば、支店もあほだった。
前任者(逃亡)から引継いだ担当先は大口ばかりで顧客の言いなりだったのだが、徐々に仕事を覚えてから
  それを収益体質に改善していても全く上は進捗を理解していなかった。

 純預金十数億の学校法人は、高金利で預金を引き止めていたので毎回毎回金利優遇の稟議書をまわしていた。
しかし、自分としては採算割れしてまで預金をとる意味が理解できなかった。、、、(しかし、一方で預金を落とせば上から責められる。)
 要は、「金利は低く抑えて、預金は落とさず」 をするしかない。 そしてそれを実行していた。

しかし、ある時、上からびっくりするような質問をされた。
 「最近、○○学園の稟議が上がってこないが、預金落としてないだろうな?」 

 金利を抑えているから稟議なしで取り込んでいるのに全く知らないのだ。
 業務日誌でも報告しているし、関連の回覧資料は山ほどある。
  何より、月間数十万単位で取引採算が改善しているのを全く知らないのだ。


 日常会話の中で、「昔は受験料や授業料収納の繁忙時期には銀行さんから差し入れを頂いたんだよ。 ストレル(有名店)のケーキとみかんなど。。。。ありがたかったよ。」 などということを聞くと
 それを覚えておいて、繁忙時期になると、待ってましたとばかりに、、ストレル差し入れをした。
 びっくりされたり、喜ばれたり。。。こういうサプライズ的な事や、お客様を喜ばせる事は楽しいので先方にも気持ちは伝わっていたと思う。

 せめてもの罪滅ぼしとの意もあったが、出来るだけ学園の事務方さんと親密になり、やっとの事での収益改善だったのだが、、、 とほほ。。

 
別な話では、期末に収益がいかない、いかないと上がうるさいから、大口運用先にお願いして一ヶ月だけ10億円を運用しないで流動性預金にとどめておいて欲しいとお願いして飲んでもらった。
 これだけで、一月500万円程度の収益になる。 一発で500万円期末に積み上がるのだ。
しかしながら、報告した後に言われた事は、「解った、、、、カードと、公共料金も頼むな。」だ。
 
 
 そもそも、収益の目標など上の仕事なのだ、それを「行かない、行かない」と、うるさいから仕方なくお客さまに損してもらって、泣いてもらって積み上げているのに、、、何を言うのかと思った。
「お前らが出来無いからやっているんだよ、あほ、カードや公共料金など期末までにいくらでもやってやるよ。 収益関連は一日二日では無理だから先にやっているんだろう。」 こう言ってやりたかった。 とにかくあほなのだ。
 
  そもそも、今まで先方の言いなりで何も出来ないでいた取引先なのだ、 前任者が全く手に追えずに逃げ出した先をそこまで持っていく大変さを理解できないアホなのだ。。
 
  
 配置転換でもあほ丸出しだった。
法人担当の二課から、個人担当の一課へ配置転換された時は、私1人に対して一課からは2人が移動になった。
 多少の担当先の見直しはあったが、私は、二人分のところへ一人で移動したのだ。 
 それだけではなく、元々の主要な担当先をそのまま持ちながらの移動なのだ。
   いったい俺は人の何倍仕事を振られるのだ。 
 (その後、私が転勤した時は私の担当先は4人で分けられた。)
 
 何よりあほだと思ったのは、私が自分で担当先に色々とお願いして効率化(バンクにとっての勝手な効率化)して工作の時間を作って実績を上げていたのに、また、担当が増えて余計な雑用が増えたためまた動けなくなってしまった事だ。 
 それまでの経緯を知っている上はいいが、 経緯を知らない上はばたばたしている私だけをみて評価を下げようとしたものまでいた。 移動した課の課長がかばってくれて事なきを得たが、 課長が体を張ってくれていなかったらその時点で仙台転勤は無かったと思う。

  あほ話はいくらでもあって書ききれない。