唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

自分が慰めてもらいたいからと言って、先生慰めても、、、、、、

2020-12-31 13:54:14 | 病院治療

年末年始、主治医の先生は、毎日出てくる。

「お休みもなく働いて、大変ですね。」

 思わず、口に出してしまうのだが、、、、、
もしかしたら、大変失礼な事を言っているのかもしれない。

そんな事は、初めから解って医者になったとしたら、

物凄く高い職業意識をもって医師をしていたら、
 どうでもいい話なのかもしれない。

言われた先生は、そんな感じでした。
 

働くのが嫌いな、休みが楽しい一般人とは違うのでしょう。

 
  周りが勝手に、同情しているだけで、
とんでも無く検討違いな同情なのです。



私も、一時そうでした。

サラリーマンになってからは、休みが大好きな一般人になってしまってました。

 そんな、天職みたいに物を与えて頂、、、、、
 そして、その道で食べて生ける道も用意してもらえたのに、、、、

馬鹿でした。 
 違う、私を大切に思ってくれる方々が、陰で日向で大反対した、道へ行ってしまったのですから。



 自分の魂に悲しい思いをさせて、、、、
馬鹿でした。

俺って、何者なのか? 何者だったのか?



手術には身内が必ず立会う事。 それができない実家との関係。 

2020-12-31 12:25:04 | 病院治療

 朝8時、マンションに東京から来た知人から連絡があり、手土産ドアノブに掛けておいたとの事。 入院している事を伝えると、彼との間の彼より近い関係の共通の知人達は知っているのかと聞かれた。

特段、知らせなくて大丈夫と言ったのだか、後で怒られるからと、お知らせしてくれるそうです。

 一人は、30年以上付き合いがある、新潟での極真の道場同門。 不思議なのだが、以前も入院中に偶然連絡をもらい、退院時に、助けてもらってます。

不思議な縁です。



  
さて、本題。

病院は、手術の事前説明と、当日の手術中、
  身内の付き添いが必要だと言う。

 当然の事でしょう。

しかし、私には、事情があり、問題になるのは判っていたので、それを入院初日に担当看護師に詳しく説明して納得してもらっていた。

その中で出来るだけの事はやって、迷惑が掛からないようにやらせて頂く。けれど、家族と連絡は取りたくないので配慮願いたい、と伝えてあるのだが、全く情報が共有されていない。

その経緯記録を読まないで、話に来るのだ。
そして、詳しい事情も知らないで、思い込みで話をされるのでたまったものではない。

手術の説明に同席して来た
神経質そうな看護師長が全くそうで、話が通じなくて困った。

反抗的な患者と決めつけ、ハナから例外は認めないと言う雰囲気を出す。

こちらも多少の人生経験があるので、大体の落としどころは解っているつもりなのでそれ程無理なお願いはしていないはずなのだが。

 最初のやり取りを読んで貰えば、それが解ると思うのだが、それを読んで来ない。


 執刀医の前での事なので、印象が悪くならないか心配した。




 実家とは、そもそも10年以上、疎遠になっている。
もっと言うと、私は、既に幼少期から親は御免こうむりたい存在だと思っていた。

農家の長男次男の待遇差は酷く、後を取らない次男は、本当に家のものを搾取する位の存在にしか扱われない。  特に私の親はひどかった。大事にされたとか、愛情を感じた事は唯の一度も無かった。

 一緒に風呂に入ったり、外出したりする事もあったが、苦痛でしかなかった。嫌われていたし嫌っていた。 可愛がってもらった祖父母への感情と全く違っていたから、子供ながらによく分かっていた。

 兄との差別が酷く、持ち物の差を学校の先輩から指摘される程だったし、平気で!殴られたり、罵声を浴びせられたり酷かった。成績が悪いとそれだけで折檻された。 
何かを買って貰う時必ず言われたのが、「高いもの買う必要はないからな、高い物はほしがるなよ」だった。
中学生の長男に青天井でお金を出し、20万円のステレオ、15万円のカメラ、と次々にものを与えるのとは真逆だったから、無言のメッセージを受け取るのが毎回辛かった。

 父はその程度だったが、母親の虐待は酷かった。 

 私の寝小便が、躾と言う名の、虐待の格好の理由に使われ、裸にされて棒で殴られる事は、成長し抵抗できる様になった小学高学年まで続いた。 毎日の事なので、本当に辛い時期だった。

 今は落ち着いたが、、、、、、
40歳位までは、私にこの怨みがこびり付いていて、毎日激しく親を憎んでいた。
(病気の原因がここにある事は早晩気が付き始めていたが、当時は、どうしても収まらなかった。)

 今は、、、山岡鉄舟よろしく、、、
「親を許す」等と聞いただけで、なにを不遜な事を言っているのだ、と、なる位に、変わって来た。


潰瘍性大腸炎になってからは、「何をやっている」、「不摂生だから病気になるのだ」、などと気配りは全く無く、酷い言葉しか返って来ない事に辟易としていました。

退職してからは、親の顔を見たくもないので実家へ帰る事もありませんでした。

 そんな中、実家は資金繰りに困って私の金に勝手に手を出した事があり

  指摘すると、

「もともと俺がやったものだ」と開き直られた事もありました。(確かに事業が恐ろしい程うまく行っていた時に仕送りしてもらっていた金ではあります。)

 全く私の事は「丁稚」位にしか思っていないのでしょう。。

其れでも、
2011年の東日本大震災の時と、
 翌年の竜巻被害、実家が被災の時等は、

ご先祖様へのご恩があるので流石に帰って片付け等の手伝いには行きました。

 ただ、実家に泊まるのが嫌で、母方の実家の親戚に泊まり、そこから車で片道1時間を掛けて通ってました。


そんな中、劇症心筋炎でDr.ヘリで運ばれた時は病院から連絡が行き世話になったのですが、、
 付き合いがあったのは、そんな特別な時だけです。


そういう事情の中、何故実家の人に来て欲しく
無いかと言うと、私が嫌いだからです!

 向こうが拒否している訳では無いので、連絡もつきますし、呼べば来る事でしょう。 

 でも、私が嫌なのです。来て欲しくありませんし、手術中に何かあった場合など判断を任せたくないのです。ましてや、死体の引き取りなど絶対に、任せたく無いのです。


彼らと関わると、
 どんなひどい目に会うのか、
 どれだけ粗末に扱われるのか、
想像がつきます。
 (父の死んだ時に色々経験済みです)

死に直面した時や、死んだ後に関わってほしく無いのです。


前回入院した時に、嫌という程経験しました。
彼等に知らせて、来てもらってどれだけ後悔した事か!

流石に学習してしまい、もう無理なのです。


親戚との関係

Dr.ヘリで運ばれた、劇症心筋炎の時には、長岡の病院へ親戚の方々が多く集まり、私の病状が「今晩が山です」状態から変わらない為に、動きが取れず、病院の談話室に缶詰状態でカオス化していたそうです。

叔父、叔母との関係は深い方が多いので皆さん心配してくれますし、お世話もしてくれます。

結局、一命を取り留め助かったのですが、2週間も全く動かないでベッドに固定されていたので、身体の機能は殆ど動きませんでした。

この時は、妹と叔母2人がローテーションを組んで介護してくれました。

今も、皆さん心配してくれて今にも飛んできそうなのですが、当時から8年も経ち、高齢になられています。 加えて、コロナで会えないのにわざわざ来て貰うのは、本当に気が引けます。




ですから、(やれば十分に出来ますが、皆さんの協力体制も普通の方より万全ですから)

事前の病状説明も、手術当日も、付添人無しでお願いしたいのです。


加えて、私は、万が一に備えて、「死後処理」を頼める団体を探して準備していたのですが、、
 今回具体的な話の前に入院してしまってました。


私の方から病院側のリスクを考慮して、、

入院して直ぐにその話を進めたいから、担当社会福祉士と面談を依頼したのでが、、、、、

 何と、病院側(無知な看護師長さん)から断って来たのです。
 先日、生活保護の件で部外者と会っているのですから、面談等大した事無いのに。


長くなったのでまとめます。

1.実家とは疎遠で5年10年音沙汰無しだが、私が嫌っているだけで、連絡もつくし、呼べば来る。私が来て欲しく無いので、呼びたくないだけである。

2.親戚の皆さんとは関係良好で、立会をお願いすれば受けてもらえる。しかし、皆さん高齢だし、年末年始だし、コロナで、会えないのにわざわざ来ていただくのは心苦しい。 また、来る本人の感染リスクもある。

3.何かあった時に、病院側に迷惑を掛けない様に配慮は十分しているつもりなのですが、それをできない様に病院自らが妨げてしまっているんです。
 

こんな事から、私は、付添人無しで出来る方法をお願いしているのです。


  






手術は、1月4日に決まりました。

2020-12-30 02:36:36 | 病院治療

12/29(火) 入院12日目。
朝一で、体重測定。
 54.4 kg    (前回55.6kg)

 不思議なのは、計りに来るのですが、全く数字を気にしていません。

 重かろうが、軽かろうが、、、、
  増えていようが、減っていようが、、、、

  看護師さんは全く、関心ありません。

と、言う事で、、、
 私181cmですので、一人で、痩せ過ぎで大変だどうしようと悩んでます。


昨日は、南魚沼の県の出先機関の方と、役場の方がわざわざ病院まで来てくれました。

生活保護の説明と、手続きの為です。
 一時間以上、説明したり、書類の書き方を教えてもらったり、、、流石に疲れましたが、どうやら対象になるようです。

ただ、今申請中の、障害年金が降りれば、当然ながらもらえません。

病院のケースワーカーさんが前もって連絡をして、色々と事情を説明してくれたお陰で、担当者はわざわざ病院までくれるし、申し込み前提で話が、スムーズに進みました。

 自分が苦しくて動けないので大変助かりますし、ここまで段取りをつけてくれてこのケースワーカーさんには大変助かりました。

 病院のこう言う相談室の方で、有り難いと感じたのは、生まれて始めてです。

今までは、皆さん、当たり前のように、
 解りません。出来ません。担当が違います。と、 全く機能しない方が殆どでした。



大事な本題に入って。
 外科の先生の受診。

受診と言っても、朝、病室のベッドに来て、
手術、早い方が良いでしょう。1月4日で、どうでしょう?  と、話しただけです。
 1月3日に外科に移って、4日に手術。
1時間から1時間20分程度だそうです。

後は、此方から、2、3聞いておしまいです。

ただ、実家への連絡や、事前説明、当日の付き添い等の件で、一緒に付いてきた婦長から煩くされて困りました。

入院 初日に、担当看護師に家族、親族について詳しく話しているのですが、それを全く読んで無いのです。

何故か知らないが、ここでも先程のケースワーカーさんがやって来て、実家への連絡などの調整をしてもらってます。(完全に担当外なのに、仕事を振られて普通にこなしてました。ここでも、助かりました。有り難いです。感謝します。)


午後、手術前の、デンタルチェック。

 歯が、きれいですね。何処かでメンテナンスしているのですか?  良かった何処の、何と言う歯医者さんか教えてください。

はい、
新潟市の古町近くの石田歯科医院です。
 自信満々に答えておきました。

素晴らしい、と言われました。



病状説明― ステージⅣ、肝転移、リンパ節転移。

2020-12-28 10:47:03 | 病院治療

12/27(日)、入院9日目。

日曜日なのに、担当の先生がわざわざ出勤してくれて、病状の説明を受けました。
(平日は、中々時間が取れないから休みの方がゆっくり話せるから。との事ですが、本当に有り難い事です、頭が下がります。) 


病状の説明

 直腸S状部結腸がん

 半年前に比べて、がんは、進行している
  • 腹膜への浸潤
  • 大動周囲のリンパ節転移
  • 肝転移
  ⇒ 臨床病期 ステージⅣ

 根治的手術は 不可能
 小腸ストマ。(横行結腸に軽度潰瘍性大腸炎の再燃疑わしい為大腸ではなく小腸に増設)
 心機能低下 間質性肺炎もある為リスク有り

12/29 外科受診




6ヶ月でガンはかなり進行して、肝転移、大動脈周囲のリンパ節転移も見られました。
 結果、手術はできなくなってしまいました。

この6ヶ月の進行の速さから推測すると、あと6ヶ月持つかはキツイかもしれない、、と言う事です。

 今回受けるのは、便を通すためのストマ造設手術です。 患部は切れないのでそのまま残りです。

事前に重たい話になる雰囲気は十分に伝わってましたが、本当にそうなりました。

しかし、不思議な事に自分の中のでは余りショックは感じないのです。

今になっては、
2009年から虎ノ門病院で大腸全摘を勧められていた時に切っていたら、、、、 とか、

6ヶ月前に、手術出来るギリギリのタイミングでと、言われていたのに、何故切らなかったのか、とか、、、、

当時、どうしてそう言った判断をしたのか、全く不思議な事なのですが、、、、

 後悔は、全く無いのです。

がんになるには、理由があり、ただ単に切ってしまってそれで終わりでは、間違っていた生き方が修整されません。

自分で、作ったガンは、自分の間違った生き方を正して治さない事には、また、どうせ別な形で不具合が起こるに決まっているのです。

病気や、ガンは、間違った生き方を修整する機会を頂いたとも言えるのです。

唯一、後悔があるとすればそれは、心臓、肺が悪くなり、そちらに気を取られがん対策の食事療法がここ2.3年ずっと緩んでしまった時期が続いてしまった事です。

後は、様々な経験をさせてもらえている事を考えてもマイナス面ばかりでは無かったとかんじてます。

ここまで来てしまったからには、出来る事を、やりながら状況を受け容れるしかありません。

あと、どれだけの寿命があるのかわかりませんが、死ぬまで生きる事しかできないのです。
 
 死ぬまで生きるだけです。



あら探しよりも、恵まれている事に感謝!

2020-12-27 11:00:52 | 病院治療

入院中の着替えが底をついたので、ネットでTシャツを買ったのですが、、、、、

 その事を知った看護師長から、勝手な事をされては困ると釘を刺されてしまったのですが、
 こんな事で不快な気持ちになり、因われていては生けないのです。


こちらの病院へ受診した日、
 実家のご近所さんから生物の贈り物が届いたそうです。

 中身は、イチゴ🍓でした。


 入院中でどうにもならないので、管理人さんに食べていただく事にしました。 大雪の除雪でタイヘンな思いをしているようですから、丁度良い、労いになりました。

 贈って頂いたイチゴ🍓は、栃木の高級イチゴです。 

毎年、今の時期に贈ってくれます。

  


そして、秋には、新米が出来た報告で新米と、これまた高級フルーツのシャインマスカット


  

  

 始めて、心臓で入院した時(2012年12月)に、長岡まで来てくれた時にイチゴ🍓の差し入れを頂いてから毎年の事です。

 退院してからは、湯沢まで来てくれていました。 本当に有り難い事です。 

 こんなにも良くして頂いている事を忘れて、ほんの小さな嫌な事にばかり文句を言っていたらバチが当たります。



26日は、母方の実家の叔父夫婦から携帯に電話が来ました。

 こちらは、毎年年末にお餅を送ってもらっています。
  
  
  
今年も、その話でしたが、入院している事を言うと本当に心配してくれました。

年末だけでは無く、毎年秋には🍐。

  
  


年中、自家製野菜やお米を送ってもらってます。

練馬の施設に入っていた時は、
 お惣菜、フルーツ、食べたい物をいちいち聞いてくれて、差し入れしてもらってました。


家に行けば、普段余り食べる機会がないでしょうと、天ぷらをしてくれます。

目の前で揚げて、揚げたての天ぷらを食べさせてくれるのですから、本当に贅沢です。

 こんなにも良くしてくれる方々が、周りにまだまだたくさんいるのです。

そんな有り難い環境を忘れて、些細な事に腹を立てていたら本当にバチが当たります。

もっと、感謝の気持ちを強くしないと、、、
  不平不満ばかりでは、病気は、益々治りません。

いまは、

 己の根性を心底叩き治す良い機会なのです