「今日は、具合はどうですか? 」と、聞かれるから、「酸欠気味です。」と、答える。
酸欠とは、「失禁しそう」、とか、激しく走った後の尻の劇痛「ケツ割れ」 などを意味するのだが、多分激しい経験のない研修医には通じていない。
普通の人間だったら大騒ぎするレベルだと思うが普通にできているから大事とは感じていない。
自分も経験がなかったら突然の酸欠にパニックになっているはず。直ぐに戻ると解っているから普通にやり過ごせる。
レントゲンを撮って入院する時は、「肺が真っ白なんですが、苦しくないですか?」
劇症心筋炎で運ばれた時も、「この数値で意識があるのがおかしいのですが?」
と、言われる。 そりゃあ苦しいが、なんとか生きてられますよ、、と、いう感じ。
痛いとか、苦しいとか、感覚は数値で表せない無いから騒いでいる方が酷いとなるが、そこには耐性とか我慢強さとかの感覚が抜けている。
体力は相当落ちてるが、一般人とは基準が違ったままだ。 でも、そんな過去の事は誰も知る由もない。
それ程酷い状態だとは誰も感じない。
ただ、心臓の状態を医学的に知る担当医は、
やれ、心臓に埋め込み式除細動機を入れないと退院させないとか、
不整脈を抑える薬をきっちり飲みなさいとか言う。 (その薬の副作用がどれ程酷くても心臓が止まるよりはましだと。)
そして、それを拒否する自分を、せっかく助けてやったのに命を粗末にする非道な人間とする。
過去の色々な経験が確実に今の自分に繋がっている。
能力が低いから日々の練習についていくのが辛い。
弱いからトーナメントを勝ち上がるダメージが大きい。
39度の熱があっても普通に仕事をしていた。(と言うより忙しくて気が付く暇がなかった。)
UCで1日十数回の下痢でも2年間仕事を続けた。
無職での長期の療養。
UCのがん化、全摘手術の拒否。
劇症心筋炎で緊急搬送、18日間意識無しから回復。
今回の間質性肺炎。
少しずつ、少しづつ、レベルが上がって来た俺向けのハードル。 それに合わせて成長しないと越えられない自分。
「肉体を通してしか心は鍛えられない。」というのが持論だったが、それは激しい運動を通してという意味だった。
その先に、「病気を通して」、「ジリ貧生活を通して」、「生命の危険を通して」、と続いているとは知らなかった。
姑息な手を使わず、しっかりと心の成長に繋がるような超え方を選ばないと意味は無くなる。