唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

BNPがまずい。

2019-01-31 19:29:24 | インポート

  BNPが戻ってしまった。

 随分長い間数値が下がらないで不安だったBNPの値が、先月は劇的に下がって 481だった。
 それが、、、、今回 1223、元々異常値で、基準の数十倍だが、そこから上昇。

 体感で、苦しかったから予想はしてたが、
   心不全がどこまで進むのだろう、今後どうなるのだろう、などと考えるが、 どうにも仕方がない。


 元々、治療をしてもらえる事などは無いと解っていて、
  月一回の在宅酸素療法の通院義務を果たす為だけにこちらの病院へ来ているのだから、
   
   「今更何を言う。」である。

 
 潰瘍性大腸炎の方も、どうも雲行きが怪しくなってきたようで、赤黒い水がでて、便が出ないと言う事が多くなって来た。
  5年持つかといわれた事を思えばよくここまで来たものだが、どうにもそちらも気にしないと生けない時期が迫って来たのかも知れない。

 
 どちらにしても、どうするのか、どこの病院で過ごすのか? 
  それさえ決めておき、身辺整理をしっかりしていれば、後は自分のどうにも出来ない世界だから
  何と言われようと仕方がないと。。。。高を括るしかないのだよ。

 
 しかし、医者が言う事はことごとく外れてきた。
  大腸は、切らないと5年も持たないと言われたし、
   間質性肺炎は、ステロイドをやらないのなら治療方法はありませんから、今後どのように過ごすかを決めていくしかありませんと言われた。

 それが、、全部外した。

  大腸は、切らないでもう8年経った。
   間質性肺炎は治ってはいないが、ベットから起きられるようになり、動けるようになり、今では駅まで歩けるようになっている。


 薬で病気にさせておいてよく言えると思うが、医者などそんなものなのだ。 
 所詮は普通の人間がやっているのだから中には汚いのや変なのや馬鹿がいても当たり前なのだ。
 
  所詮は自己責任、医者の言う事を聞いても誰も責任は取ってくれない、
   自分で管理できない自分が悪いのだ。 

 
 
 


月1の通院。 

2019-01-30 12:19:55 | インポート

  29日は、月1の通院日だったが、またまた災難みたいな一日だった。

 タクシーを呼ぶと、消雪パイプから水が枯渇していて上まで上がって来れないとの事で断られた。
  仕方なく駅まで歩かなければならない事に。

 下りだから何とか進んで行くが、呼吸が持たない。 10メートル、20メートル毎に立ったままで酸欠が回復するのを待つ。 雪で道が狭くなっているから車の邪魔になるがよけられない、が、仕方ない。 轢かれないように注意はするが、車への配慮まではとても無理だった。

 何とか駅西口までたどり着くと、

 運良く、なんと、珍しく乗車して来たタクシーが止まってくれた。
   その先を歩かないで済んだ。 寒い中を待たないで済んだ。

 診察後、久しぶりに車を動かし、買い物を済ませ、タクシーで帰って来ると、今度はマンションまでの上り道を除雪していて車が通れない。
 立ち往生で、タクシー代が上がるし、結局坂道の途中で降りるしかなくなってしまった。

 もうこれで安心だと思っていた矢先に、最後に雪の中を除雪機を避けながら雪道を登らなければならなくなってしまった。
 もう、直ぐ目と鼻の先に到達点があるのだが、中々たどり着けない。 帰りは買い物の荷物まであって、それはそれは苦しくなり腰を折って呼吸を整えながら、
 何度も何度も止まりながら、玄関にたどり着いた。 いやー、しんどかった。 しんどいより心臓が心配だった。
 心不全が悪化するのではないかとか、ここで倒れたら誰も気がつかないだろうとか、 それでも倒れたら楽になって気持ちいいだろうとか。。。。。。
 

 しかし、回復するものだ。 ダメだと思っても、進めばいつか着くのだ。 終わってみれば大した事は無かったと思うのだ。

 そして、一日経てば、気持ちよささも出てくるのだ。

 苦しみは、その後のうれしさを感じさせてくれる為にあるのだ。
 やりすぎなのか、やり足りないのか解らないが、動けば心地良い。  それだけでも良かったと思う。

 1週間くらい体調不良だったが、思いの外に良くなったように感じる。

 動ける事の有り難さ、まともに動けないもどかしさ、なんとも色々経験させてもらった豪雪の中の通院日になった。

 





過酷な一日

2019-01-18 19:34:59 | インポート


過酷な一日

 出発前に、朝から車が隠れるほどの雪を下ろして、苦しみながら、止まって酸欠を何度も戻して、本当に生きた心地がしないような時間を過ごした。

 その後もなるべく下道を使っての遠出。

  帰ってくると、駐車場に止めてから帰りのタクシーが捕まらず、結局極寒の夜道を駅まで歩いた。
 寒いし、少し歩くと酸欠で動けなくなる、引き帰す事もできず立ち尽くして回復を待ちながら歩く。
 
タクシー会社からは駅に車を向かわせると言われていたが、タクシー待ち。


 本当に過酷な一日だったと思うが、、、、何と言う事はない、自分で辛い道を選んでいるだけなのだ。

 車をマンションまで持って来なければ、タクシーで移動して雪下ろしも必要ない。
  高速を使えば楽に移動できる。
   帰りもタクシーが捕まらなければ、マンションまで車で来て翌日移動すれば済む事だった。


 しかし、それを良しとしない何かが自分のなかにあって結局辛い事になってしまう。

 自分がそういう生き方を好んでいるのか?
 元気な時に何でも体力で解決してきた癖が未だに抜けないのか?
 自分の根性を自分で試しているのか?
 強い自分を、過酷に生きる自分に納得したいのか?
 節約を第一に考えてしまうのか?
 エンドルフィンやアドレナリンが出る事を知っていて体がそうさせるのか?


 自分でもどういう思考回路でそういう選択をするのかわからないが結局自分で自分を苦しめる。
  たった500円、千円、の差なのに、良く考えれば少しの出費で十分な楽が出来るのだがそれをしない不思議。


 子供の頃から少しずつ、少しずつ辛い思いをしながら鍛えられ、どんどん耐えられるようになり結果強くなったのだけれども、
 それが少しずつ自分を蝕んで来たのも事実なのだ。
  過度なストレス、刺激は結局破滅に向かうのだ。 
   過ぎたるは及ばざるが如しは、本当なのだ。


 だからと言って甘やかせば身体は緩む、緩みすぎれば動きたくなくなりどんどん衰える。 
  それが怖いのかもしれない。



 色々と思うところはあるが、過酷な一日で、充実した一日を過ごせた。
   
 1月9日が良き日になって良かった。

 苦を信じて、酷を極める。(サントリー、鳥居創業者のTVドラマから)
  結局そうなるのだ。





力ちゃん

2019-01-14 20:17:09 | インポート


子供の頃実家には住み込みで働いてくれる人がいた。
自分が生まれる前からいたのだから、赤ん坊の時は負ぶってもらったり、乳母車をおしてもらったことだと思う。
5.6歳の頃実家を離れてよそではたく事になっていたが、たまに祖母を訪ねて遊びに来てくれた。 コタツで酒を飲みながら近況などを話すのをよく聞いていた。

大きくなってからも、草刈や山の間伐に来てくれて手が足りない時は助かっていたと思う。
自分もよく一緒に作業をさせてもらったが、まだまだ甘ちゃんで呆れてしまうことなどがあり、そういう時は全部力ちゃんに任せて帰ってしまったりしたこともあった。
兎に角、幼少時からお世話になった事が間違いない、、それが力ちゃん。

同級生の叔母さんがいて、同じ中学校に通っていたが、よく授業をサボって裏山で遊んでいたそうだ。
 祖母は、自分の娘と同じ弁当を持たせて決して差別をすることは無かったと言う。 だから、家を離れても祖母を慕って遊びに来ていた。

そんな力ちゃんももう70過ぎて、どこにいるのかと時々気にしていたが、叔母たちから田舎のグループホームにいると聞いていたので、9日、叔母さんの所に焼香に行った帰りに寄ってきた。

 すぐに、施設は判ったが、近くに出来た新しい建物のほうに移ったという。そちらもすぐに判明し訪ねてすぐに会うことが出来た。


少し老けたが、愛想のない難しい顔つきは昔のままでした。
「誰か判る?」 判るわけは無い。 40年も昔の事だし、こちらは頭は禿げ上がり、酸素のチュ-ブを付けているのだから。。。

稲荷山、、次男坊だよ と名前を言っても判らないという。

しかし、叔母さんの名前を出すと全部覚えている。 
「知ってるよ、ここへも来てくれたもの。」
「みんないなくなっちゃたんだよ。」
「3人いたのに、みんな嫁に行っっちゃったんだよ。」 当時、寂しかったのか、それを繰り返し言っていた。

 兄の名前も、妹の名前も覚えていた。 

おばさんから預かってきた、ぽち袋を渡すと、しっかり持って深々と頭を下げていた。 本当に律儀で心からの行動をするひとなのだ。
 「知ってるよ、、嫁に行っちゃったよ。」

昔の事を色々話していた。
 前のため池でつりとしたこと。
 隣の富田さんによく遊びに行っていた事。
 反対側のお隣さんの事。

自分の事は覚えていないと言っていたが、稲荷山の、まあそういう関係の人だと判ってもらえたから自分としてはそれで十分だった。
何より、元気で過ごしていてくれてよかった。 本人は、こんな所でぐずぐずしているより働きたいと言っていたが、もう十分に働いてきたのでゆっくり休んで下さいと言った。


帰り際、部屋から出て一階の玄関まで送ってくれた。  手を振ってくれて、ガラスドアから見えなくなるまで、ほんの4.5メートルだが手を振って見送ってくれた。 



 部屋を出るときに鍵を掛けるので違和感を感じたが、廊下であった若い介護スタッフが通り過ぎると、そいつをさして、
「あいつは、馬鹿、馬鹿でどうしようもないんだよ。」と言って、指でカギの字に作った。

「これやってんだよ。去年3回もやられたんだから。」

どうやら、スタッフが入居者を甘く見て隙を見てはお金を盗んでいるようなのだ。

 力ちゃんがわざわざ嘘をつく動機もないし、
 用心で鍵をかけるもの不自然だし、
 何より嘘をつく人ではない事は自分がよく知っている。

自分が施設に入っているときも酷い人間がいたが、
 そこにも何人かは酷い奴がいるようだ。 人間として最低なのだ。。。

色々あってなんとなく切ない気持ちでそこを後にしたが、帰ってから叔母さんに報告したりして色々思い出していい時間でもあった。

兎に角、よき人生を。。。と。






1月9日。

2019-01-12 19:48:06 | インポート

 1月9日は、
  お世話になるだけで、何もお返し出来なかった叔父の命日。

 雪の心配と、正月明けなのでずっと年末に焼香に訪れていたが、去年から年始でも良いと思い始めて当日に訪問させて頂く様にした。
 今年も当日。

前日から車をマンションに移動し、当日すんなり出かけられるように準備はしたのだが、なんと、大雪に見舞われ朝から車の雪下ろしでてんてこ舞いとなった。

 積雪が多くて雪を下ろすとドアが開けられない位に積もっていた。 何とかドアを開けて車内に入り、数メートル先消雪パイプが雪を溶かしている所まで移動して本格的に雪下ろし。
 長靴を履いて準備していたが、長靴の上から雪が入ってくる。 かいた後から積もってしまい何度も同じ所を繰り返す。

 当然酸欠で身動きが出来ないのはもちろん、雪かきに集中しているのでやり過ぎて尿意や便意をもよおすほどの苦しみを味わう。 吹雪の中で固まって回復を待つ事が何度も繰り返されれた。死にはしないだろうがこんなにも簡単に俺は苦しみを味わえるのだとかみしめる。

 追い込みの練習でもここまで出来なかったが、追い込むとはこういうことだと久しぶりに嫌なものを感じた。

なんとか車に乗り込んで発車したが、慣れない雪道、もう5年ぶり位になるから久しぶりに戸惑う。
 高速に入ると、視界の悪い中、実質一車線のような積雪の道で後ろから追い越されとんでもない恐怖。

関越トンネルを抜けても雪は続いて赤城でやっと路面が普通になった。
 その後も空っ風通りは所々路面の凍結があり慎重に走ったので、予定の時間をかなりオーバーし、午前中には間に合わない時間になってしまった。

午前中に着くとお昼ご飯の用意をされるので丁度良かったのかも。 いつも、手の込んだご馳走を頂く事となり余計な手間をかけてしまう。
焼香し、2時間弱叔母さんと話してから、昔実家で住み込みで働いてくれていた「力ちゃん」がいるグループホームを訪れて帰るためいつもより少し早めにおいとまする事に。

 いつものように色々と持たされて、戴き物の方が多くなって帰ってくることになるのだ。

 帰り際、従兄弟の嫁さんと両親が焼香に来たのと入れ違いになって、丁度良いタイミングだったように感じる。

 その後、帰ってから電話で、実家の兄もその後焼香に行ったと聞いた。 「合わないタイミング」が丁度良かった。

その外に、叔父さんの後輩のお菓子屋さんも来ていたようで、お茶会始めに出す今年の和菓子を戴いた。

 仏前のお供えから他にも数名の焼香客があった感じだった。

 訪れると色々と良くしてもらうのだが、迎える方は一日に何人も何組もお迎えしておもてなしする訳だから叔母さんも大変だとツクヅク感じる。
 本人は、至極当たり前の事を当たり前にやっていると思っているように、回りに負担感を微塵も感じさせないのだから、これまた凄い。

 良く来てくれたとか、遠い所を大変なのに、、などと言われるのだが、実は、自分が一番癒されている。
 神社やお寺にお参りするような感じを覚えて、自分が一番納得して帰れるのだ。


 その後、色々あったこともあり、積極的に動いた後はいつものように内臓、心臓や肺、腸の疲労が溜まるのでしょう、今日も息苦しい一日を送った。

  でも、腸の出血も止まったようだし、行って来られた事で気持ちが良く、心は充実の日々。

レガシーも久しぶりの遠出で満足したでしょう。 少しは走ってやらないと溜まっていたものがすっきりしないだろうから。


 感謝の気持ちを自分に芽生えさせてくれる大切な時間でした。

 今年は、13回忌にもなるが、未だにおじさんを訪れる方々が多くて流石です。 

 どうぞ安らかに。 そしてお家のご多幸を。。