唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

長野。

2012-06-29 21:05:57 | インポート
 朝早く起きて戸隠神社にお参りに。 途中なぜか道が込んでいて時間がかかったが、向こうに着けばやはり気持ちのいい参拝をさせていただける。 宝光社から奥社まで5社参拝を済ませ最後におみくじを頂いて引き返してくるのがいつものパターンになりつつある。 おみくじは吉。 内容は今の自分にぴったりだった。いい感じ。

 是はいきおひ猛くして大山の崩るるにもおぢず、人のために苦労をいとわずして功(いさお)をたつるの兆なり。
 末に至りてよし。これまで心にまかせぬ事のみおほかりしも一時に人に敬ひ尊まるる身となるべし。

 強きものはわざはひに勝つとしるべし。  いいお言葉を頂いた。


その後は、星野さんと蕎麦屋で食事をしてきた。 今日急に誘って申し訳なかったが、快く来て頂いた。

それにしても前社の社長はひどすぎる。 無理に引き止めて役員になって貰い、給料は上げない、年金の制限を逆手に取りボーナスは払わない。 今回退職したら、退職金はすずめの涙。 なんと27万円。これでうまく丸めようとしたと言う。 話を聞けばめちゃくちゃで、良くあんな会社に今まで尽くして来たなと頭が下がる。
 そのおかげで自分の金も返ってきたのだから感謝しなくてはばちが当たる。 本当にありがとうございました。
元気になって恩返しができればそれが一番いい。 会って一番先に自分が元気になったと喜んでくれた。 


経験を伝える機会?

2012-06-26 11:12:17 | UC

参考までに私の経緯です。

31歳。劇症で発症。
(それ以前も慢性の下痢。18歳位からほぼ毎日4.5回トイレへ。 また、就職してから毎日のように飲む生活を続けていた。)
  20~30回/1日の激しい下痢。 途中下車でトイレを繰り返しながら出社。
  以前から激しい下痢をしたことあった為様子を見ていたが収まらず、1週間後の土曜日に近くの開業医で授診。 ペンタサを処方され様子を見ることに。
ペンタサをきちんと飲まなかった事もありずっと症状が治まらず。
約1ヶ月後、休日に、1時間のジョキング →シャワー →ビール。で、次の日から信じられない位に下痢が止まり。快調に。
しかし、飲み歩く生活も続き時期に再発。 激しい下痢。
再度、休日に試みるも今度は改善せず。
都立駒込病院で検査。大腸カメラでUCと診断される。この時はまだ、直腸が多少腫れている程度。 下痢の症状は激しかったが、腸内はきれいだった。

 月1度の通院でペンタサ、ステロイド(経口、座薬、注腸)などをしていたが、一向に症状は治まらず激症状態が続く。
 1年間隔で大腸カメラで確認、どんどん患部が広がって行き、潰瘍もはっきり出て来た。この頃はきちんと薬を飲んでいた。ただ飲酒もしていた。

 34歳 どうにも体力、気力の限界、退社。 自然療法などでの治療を決意。
その後、5.6年間の自然治療。
 温泉場で湯治。 
 大阪、甲田医院、断食玄米菜食療法。(この頃から徐々に薬をやめる。)
   朝、野菜ジュース。 昼、夜、玄米クリーム、豆腐半丁。 散歩、運動。
   冷温入浴。
 阿保福田理論で、副交感神経優位な生活を心がける、爪もみなど。
 東大病院、漢方薬治療。
 横内医院(東中野)。Oリングテスト、漢方処方。 歯科治療。
 

退職後1年くらいで劇症状態(朝トイレが間に合わないほどの下痢)は治まっていたが、月1度の通院での外出以外はほとんど外出できないほど。10回/1日。

西洋医学的治療。
担当医が変わった事で、 サラゾピリン、Lキャップ処方される。
 サラゾピリン--多少効いたが皮膚炎が出たり、薬を毛嫌いしてたのであまり飲まず。
 Lキャップ--1クール5回1週間間隔。 2回目くらいで劇的な効果あり。しかし、止め       ると元に戻ってしまった。 
       悪化してから2クール目をやったが今度は効果が出なかった。
担当医変更。
 薬を飲まない方針は認められず、別な病院を紹介される。 それを機に病院に行かず。


6年目。湯沢に引っ越し。
 病状悪化時に地元の保険センター。ある程度の薬は必要との助言でサラゾピリン利用。

静岡、増田カイロプラクティクス。--Oリング診断。アレルギー治療。深層心理。

良くなって、一時仕事を始めたが、朝の下痢が我慢できず紙おむつで出社。長野→東京。
2年で退社。

この頃から大分良くなってきていたが、不安定、疲れる、また新しいところに行ってみることにした。
当時は自分では直っていたと思っていたが、今からするとまだまだで、動きすぎ負担かけすぎだった。

miura歯科医院。--歯科治療、考え方、心の持ちよう、波動をあげる。

3年目。



潰瘍性大腸炎、治療について。

2012-06-23 20:25:18 | UC
潰瘍性大腸炎

原因
1.免疫異常。
自律神経の乱れから、交感神経優位の状態が長く続くと白血球中のリンパ球、顆粒球のバランスが崩れて顆粒球優位状態になる。
 本来は外敵を攻撃するべき顆粒球が自分の大腸組織を攻撃しその際大量の活性酸素を放出し炎症をおこす。
     交感神経優位 → 顆粒球の増加
     副交感神経優位→ リンパ球の増加

自律神経の働きを正常化させる。 副交感神経優位状態を作ってあげる。
免疫力を上げる。
怒り、恨み、妬み、マイナス思考の感情は免疫力を下げる。

2.腸内環境の悪化、消化器への負担。


個人的な原因を探す。
生活習慣、食生活、運動、住環境、ストレス、心の問題、考え方、電磁波、科学物質、等々。 発病に至った長期的、短期的な原因があるはず。それを探して改善する。

一般的な治療方法
経口薬---ペンタサ、サラゾピリン、アサコール、プレドンニン(ステロイド)
注腸薬---ペンタサ、ステロネマ(ステロイド)
顆粒球除去療法(L-キャップ)
免疫抑制剤
大腸摘出手術

薬による西洋医学の一般的な治療では根本的な解決にはならない。 それどころか、長期間の薬の利用は免疫力を下げ逆に状況を悪化させる。 そのため再発を繰り返し難治性となる。 特にステロイドは、段々と量を増やさないと効かなくなる為、副作用で体はボロボロになっていく。
 医者の方針に従い西洋医学的治療で目先しのぎながら、長期的に自分の体質、性質の改善をしていく事で自らを完治に導く。
 自分を見つめなおし、変わっていくいい機会。
 
体質改善
食事--今までの食生活で発病原因に思い当たることはないでしょうか?
   もし、あればその改善が一番効果的です。

以下は一般的な体に良い食生活です。
少量を良く噛んで食べる。
朝の野菜ジュース。 玄米菜食、を心がける。食品添加物、農薬に注意する。 
肉、乳製品を控える。 
精製白砂糖、精製塩、科学調味料、を取らない。 
油。(亜麻仁油、オリーブオイルの生食。トランス脂肪酸、酸化した油に注意)
質の良い水。冷たい飲み物は飲まない。
ビール酵母。乳酸菌。(腸内環境を整える。)
春ウコン。(免疫力を上げる)
ビタミン、ミネラルのサプリ。(不足が原因の恐れが十分ある)
ファストフード、スナック菓子を取らない。

生活習慣
軽く汗をかく程度の運動を30分から60分/1日。 血液を回す。
早寝早起きを心がける。(起きる時間を一定にすると体の機能が上がる、ブログ) 
体を温める。冷やさない。
体の硬いところを柔らかくする。心が硬いと体も硬くなる。

心の問題。
--これが一番大切で、一番効果があると感じます。
      人間の心の意思や思いの能力は計り知れない力を持つ。
過去に嫌なことがあると、それが刺激されて怒りがこみ上げる。
許せない、ストレスが溜まる。 流せないでこだわる。 頑固。 
などは病気になりやすい。
人間の気持ち、意思、感情などが病気に一番影響する。  一番難しくて一番大事な事。
常に、うれしい、楽しい、気持ちいい、などの感情でいられるようにする。
時間がかかっても考え方、心のあり方を変える。 自分が変われるいいチャンス。

斉藤一人、神道、中村天風などの読書と実践。何度も何度も繰り返し。
(最初は馬鹿らしくても、段々と理解できるようになりしみてくる。)


その他
miura歯科医院。歯科治療、原因。
メンタル改善。 
爪もみ。
先祖供養、氏神神社お参り。



成果。

2012-06-20 18:16:38 | インポート
帰省してお墓の修複後の供養、親戚が集まってにぎやかに過ごさせて頂いた。 叔父叔母が中心で老いを感じる方もいて現実も感じる。 自分の状態の確認は、結果から言うと良かったと思う、今日気持ちよく帰ってきた。 しかし、途中やっぱりおかしくなった。感情が抑えられず怒鳴ってしまった。小さなストレスが溜まり我慢できなくなってしまった。 その後は何とか乗り越えて、先祖供養、東京行きと、2日間家にいなかったことが良かった。 毎日顔をあわせていると無理のようだ。 ひとつまた消えたかも知れない。 一時はどうなるかと思ったが良かった。 食事中に怒鳴って外に飛び出したが、30分ぐらいで 落ち着いて戻ってきた。 その間、親父、お袋と、続けて探しに来たようだ。
見つからなかったから良かったが、そういう時はほっておいて欲しい。 そういうところがわかっていない。 危ないところだった。


竜巻、その後。

2012-06-14 10:19:01 | インポート
実家が被害にあってしまった、竜巻。 その後お墓が修復されたとの事でご先祖供養をするとの連絡がありまた帰省する事になった。 管理人さんに.退官届けを書きながら2.3日空けますと言うと。 何度も帰れる機会ができた事は良かったですね。とのこと。 まさにその通りかもしれない。 事情は知らないだろうが言われてはっとした。
最近は普通に帰れて普通に話せるようになって来た。 徐々にではあるが。 
 
 以前は帰ると、過去のことを思い出しどうにもできない怒りがこみ上げてきて、当時の親を憎んだ。
今は、現実の親と会うことで少しづつ過去のことが薄れていくような気がする。10数年、長かったが今は苦しんで良かったと思える。 ありがとうございます。

今回また、どう転ぶかわからないが、自分が試されていると思って、向き合うしかない。 さあ、どうなる自分、どこまでできる自分。