唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

次世代に残すインフルエンザウイルス。。

2019-11-29 12:06:04 | 思う事


  ゾフルーサと言う抗インフルエンザ剤を投与しても、
 3割の子供には耐性が出来て効かなくなってしまうと言う事らしい。

 今まで抗インフルエンザ剤を使いすぎたから、ウイルスがどんどん進化して薬の耐性をつけてしまう。
  前世代が薬に頼りすぎて今の世代が困り。
  今の世代が使う薬によって、次世代の子供たちはもっと困る事になる。

風邪などは本人の免疫力で治すしかないのに、何でも薬に頼って、自分を強くする事を教えないからどんどん状況は悪くなる。

 このまま、新薬を開発して一時的に効果があってもその後にもっと酷い状況を作るこの悪循環をいつまで続けるのだろうか?

 次世代に美しい地球を残す為に環境に配慮しましょうとはよく言うが、
次世代に厄介なインフルエンザを残さないように、、薬の使い方にも気を配ったら良いのに。


 風邪などは、寒さに慣らし、免疫力を上げる生活をして自力で対策するのが一番なのに。

  冷温浴(冬場の水浴び)でもしていれば、風邪もインフルエンザも劇的に減らせるのに。

 何故か、きつい事、苦しい事はやらないで薬に頼る。
 どんどん悪い状況を作っている事を自覚しないと将来にとんでないしっぺがえしを食らうことになるのも解らないでいるのだ。


インフルエンザ対策。
 冬でも冷温浴で免疫力を上げる。 寒さに慣れる。
 正しい栄養食事、十分な睡眠、適度な運動。

 それでも罹ってしまったら。
   食事を取らず身体を休める。十分な休養。
   体温を上げて免疫力を上げる。 
   その後は、汗を出せば体温は下がる。

 自分で解決しないと、医者も薬も解決してくれない。
 薬で一時的に治ったと思っても、ウイルスは残っており、また後でぶり返す。
 薬で症状は抑えられるが、自分の免疫で治さないと後でもっと困る事になるのに。。。。。。。

 

 

親孝行。

2019-11-23 17:57:09 | 思う事
 
 時々湯沢のマンションに来られて、長期滞在されるご夫婦が今日帰るので、外出の際駅まで車で送らせてもらった。
多分、真夏の炎天下に買い物に行くのを見かけた際に声をかけて、私の運転する車に乗ってもらったのが最初だと思うが、、、それから、色々とお返しをされるので、こちらがすっかりお世話になる関係になっている。

 買い物などに、こちらのついでに乗せて行くのにお返しが増えて恐縮するような関係になってしまった。 今回も、毎日のようにお惣菜の差し入れを頂き、今日もガソリン代を置いていかれた。 巣鴨の名物の塩大福も冷凍で頂いた。

 その方の話。
「この前、電話料金の引き落としを通帳で確認しても、引き落としされてないんですよ。 何ヶ月も払っていないのに電話は繋がるし、不払いの連絡も来ないし、、、、、
 そこで、おかしいなーーと思って息子に相談したんですよ。」

そしたら、
 「あー、お袋の携帯の料金は俺が払う事にしたから、、、ずっと払っているから、滞納してないから大丈夫だよ。。」と言われ、
礼をすると、「そんな、鼻くそみたいな金額大したことないわ。。」と言われたそうです。

以前から
 うちは、家族関係が良くてありがたいんです。子供にも恵まれて子育てで苦労した事もないんですよ。。。
 などと言われていたが本当に親孝行の息子さんに囲まれて幸せそうで何よりでした。
 
 息子が二世帯住宅を立ててくれて、最新式の電磁調理器が30万円、便器が30万円、、もするのを付けてくれたのだが、、どうにも使いこなせなくて困っているんです。。。などと笑っていた。

 愛情一杯に育てた息子さんは、親の面倒は俺が見るよと、、、何不自由なく親に過してもらいたいと、、、なんでも最高の物を用意してくれるみたいです。
  息子さんに大切にされ、家族仲良く暮らせているようでほっこりさせてもらった。 

 その方は、こちらに来て、(私も戴いたが)河原で採れたクレソンを親戚にも送っていた。 冷凍笹団子を保冷剤代わりに入れて。
 家族、親子、親戚、全ての身内関係が良好でなんともうらやましい事だった。

 何と言っても、周りとの関係を良くするのも悪くするのも、自分の生き方次第。なのだと気が付かされました。 
 実は、自分の生き方が周りとの関係を作っているのだと、感じました。
 話を勝手に自分に置き換えて、ご夫妻の話を聞いていて耳の痛い、心に刺さる話だった。

 「あいつが悪い、あいつが嫌いだ、、」と言って他人を非難し、自分を正当化するのだが、、、、自分とうまくいかないそういう人とうまく付き合っている人がたくさんいるのも事実なのです。

 人間関係に不具合が起こるのは、つまるところ自分のせいなのだ。原因は自分の対応のし方なのだ。

 

 
 




 

AMAZON ¥10.000-ギフト

2019-11-21 19:44:41 | 日記

 ヤプログが廃止になるので移転先を探さなくてはならなかったのだが、GOOさんがCMを出してくれたお陰で難なく移転できた。

 移転方法が丁寧に紹介されていて、加えて簡単な条件をクリアすると何とアマゾンの一万円のギフト券までプレゼントしてくれると言う事だった。

 折角だから利用させて頂いたわけなのだが、、、
  早速 HP上にギフト券が送られてきた。

GOOさん有難うございます。
 ほとんどお力になれませんが、できるだけ有効な更新を心がけます。 ちゃんちゃん。。。

  



それにしても最近は戴き物が多くて有難い事です。
庄一さんの焼香のお返しにりんごとりんごジュースを戴いて食べ切れませんでした。





宇都宮からの梨。 BIGサイズでこれも食べ切れません。。
 有難うございます。



何故か在宅酸素の業者さんからおけさ柿、4つ戴きました。 ありがとうございます。


毎年戴くサツマイモ。 当分焼き芋で楽しませていただきます。有難うございます。
 


シチュー。他に煮物、ポテトサラダ、おでん、茶碗蒸し、お惣菜。




新米 30キロ、、来ました。 当分食うには困らない安心感。袋は宮城でも中身は宮城米では無い。




7周年。

2019-11-19 18:38:49 | 思う事

11月19日。
 7年前の今日、劇症心筋炎でドクターヘリで緊急搬送されていました。7年とはなんと早い事かとびっくりしますが、事実です。

だるさが何日もつづき、風邪では病院へ行った記憶が無いのだが、、
そのときは診察に行き、風邪と診断されたので、薬は要らないと言って帰って来た。

それが全くよくならず、どんどん動けなくなり、再診すると、心電図を取られ、結果を待っている間にヘリが呼ばれ急に長岡まで運ばれた。
 肌寒い晩秋の天気の良い中、救急車からヘリに乗り換え、ヘリで飛び立ったときの光景が鮮明で今でもよく覚えている。 夕日を浴びながら旋回していた。 なんでおれはここにいるのだろうと不思議な気分だった。

 病院について、直ぐに検査して、その後、緊急手術で人工心肺がつけられた。 
 そのまま意識無く眠らされて、2週間。一時は病院へ駆けつけてくれた親戚一同ももう助からないと思ったようでしたが、、、何とか盛り返して生き返ってくれました。
多くの方の心配を頂き、多くの方の願いが届いたような生還で自分自身が一番信じられない経験をしていたのでした。

その後に、回復が途中で止まり、心臓に障害が残って不整脈を押さえる薬でこんどは間質性肺炎を起こした。
薬を使うのが嫌で医師に何度も拒否したが結局嫌々飲む事にした。
それでも、自分で調節し一回2錠を少しづつ減らし、1錠で飲む用にまでした。


保険料で賄われる高額の薬代がもったいないので、ある時1錠まで減薬したことを告げると、医師はそれで大丈夫ならそれは良かった、でも1錠は必ず飲まないと生けないとどうしてもそれ以の減薬は認めなかった。
それから数ヶ月、呼吸が苦しくなり、診察すると間質性肺炎を起こしていた。

(その後直ぐにアンカロンは投薬中止となったが、症状は進み回復することは無かった。そしてアンカロンを止めても心臓は元気に動いている。
 
 それだけでなく、絶対に止める事はだめだと言われていた、ステロイドも自分で減薬し、結局今は何も薬は飲まない生活に戻した。
 医師の処方がどれだけいい加減で、どれだけ多くの病人を生んでいるのか、自分が体験してよくわかっている。)


 間質性肺炎の症状がどんどん進むのだが、ステロイドパルスを拒否したため医者からは
「もうあなたは治療の好機を逃したので今後は自分でどう生きるかよく考えて下さい。」と告げられた。

 自分ひとりで生活が立ち行かなくなり、仕方なく、知人を頼り、練馬の終末期の病院を紹介してもらい転院した。

 寝たきり老人ばかりの病院で9ヶ月を過ごしたが、どうにもそこに居てもいい人生は生まれないと強く感じ始めて。
   同部屋の方が何人も亡くなられて逝きました。

 退院したのだ。それが、2015年10月。 それからでも丸4年。 

激動の7年間をよく生きて来た。 一日一日は退屈で自分は何をしているのだろうか? などと思うことが多かったが、実はそうでも無く。 色々と濃い時間なのだ。 昔に色々ありすぎて、時間が空くと自分から不安になるだけなのだろう。  普通の人はこの程度の時間の進み方で十分なのだろう。。

その他にこの間に、親父が無くなり、 師範が無くなった。師範には間質性肺炎を起こす同時期位に会いに行き最後にお会いできた。

 自分の経験は貴重なものだったが、周りの方に助けられた。 回りの方に生かされて、本当に人のありがたさを思い知った。 こんな俺でも感謝の気持ちを持たせてもらえた貴重な時間だった。

 神様。仏様、ご先祖様、色々なものに感謝しないといけないと言う事が身にしみて来た時期でもあった。

 よく生きていて、その後も良く生きてきた。

我ながら、よく耐え、よく経験してきた7年間だと思う。

 そして、多くの方に支えて頂きました。 
 多くの方に心配していただきました。
 多くの方にご支援いただいています。 
本当
あり得ないほど、、、、有難い事が起こっています。




東京オリンピックマラソン。

2019-11-01 15:37:04 | 思う事

 オリンピックのマラソンは開催都市のメインイベントとして行われるからこそ価値があるもので、だからこそ競技者もそこを目指すのではないか。

 条件の良い所、健康に心配の無い所なら他にどこでも選択肢はあることになってしまう。
 
札幌と東京と、どちらが良いかを判断する事は間違いなのだ。
 東京は競技が出来ないほど危険なのか、それとも競技が出来るレベルなのか、を検討する事が大切な事なのだ。

 ドーハの世界陸上で半分近くが棄権したが、、、
谷口浩美に言わせれば、
「残念ながら、準備が出来ていない人が棄権したという事です。マラソンとはそういうものです。」と、いう事だ。

谷口さんの世界陸上は真昼のレース。 今回は早朝のレース。 それ程環境が違うとは思えない。

 アテネで優勝した野口みずきは、ゴール後激しく戻していた。それでもその時は議論もされなかった。野口も他の選手もその環境で当たり前のように勝負した。

暑いレースが予想されれば、何年もかけて準備をし、当日の気候と、自分の実力を考慮しレースを組み立てる。 それがマラソンなのではないか?
 アテネの野口も、一歩間違えて体力を使い切っていたらゴールまで持たなかったかも知れない。 ギリギリゴールできる自分の限界をきちんと見極めてレースを組み立てたから勝てたのだ。

 MGCの設楽は、逆に読み違えて失速したのだ。もしも、後半気温が上がらなかったら結果は違っていたかも知れない。

 マラソンは、マネジメントの競技で、事前の準備も大切だし、当日の天気や気温の変化を読んでレースを組み立てて勝負する競技なのだ。 只、早いだけの人間が勝つ訳ではないのがオリンピックのマラソンなのだ、だから面白いのだ。

しかし、、、、IOCはそれを全く解っていないのだと思う。

 バッハはフエンシング、 コーツはボートの選手だからマラソンの意味も意義もわかるはずがないのだ。
 マラソンはそんなちまちましたものではないのだ。 その42キロをどうやったら早く走れるかを必死に考えて日々過し、人生を掛けて競技しているのだ。
  だから、速いだけでは勝てないのだ。 
 
 せっかく、大都会「東京」の沿道に何十万、何百万の観客を集めて盛大なお祭りをしようとみんなで盛り上げて来たのに、、、
 選手一人一人がその世界が注目する場で主役の座を奪おうと、盛り上げてやろうと、思ってそれを楽しみに準備していたのに、
 多くの観客の歓声の中、新国立競技場のトラックでゴールする事を楽しみにしているのに
 
  、、、、、、、、全て台無しになった。

 選手は暑さ対策など当たり前のようにやる、、、
海外選手からも、
ドーハのマラソンは東京の暑さ対策で出たのに残念だ、とか
新国立競技場のゴールを楽しみにしていたのに、残念だ、という声が上がっている。

 札幌移転を選手が一番望んでいないのではないかい?
彼らにしてみれば、、、、
  脱落者は富士山に軽装で登って迷惑を掛ける登山者みたいなものなのだ。位の話なのでは。

これで、石原都知事時代から長年育てて来た東京マラソンはオリンピックに繋がらなくなってしまった。