唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

気がつく事。 想像する事。

2016-11-30 09:56:32 | インポート

 乙武君がTVで訪問を受けていた。
人気芸人さんは流石に気が行き届いているから、障がい者の出来ない事、困る事を次々と質問する。

質問すると言う事は、気がつく事であり、想像していると言うことだ。

一般人が障がい者に対して、「大変ですね。」などと言うことは、 そういう会話を表面的になぞっているだけで、頭の中でただ単に処理して話している場合が多い。

しかし、具体的に気がつく、想像する、と言うことが日常的にできる芸人さんは、
メガネを自分でつけられるのか、、服は着替えられるのか、、トイレはどうするのか、、お尻は拭けるのか、、歯磨きは、、洗顔は、タンが出たら、、、、、などと次々に頭に浮かぶのでしょう。

 表面的に気を使っている、単なる大変ですね、と、

 具体的に色々なことに思い浮かべて言う「大変ですね。」 は、 全く違うものだ。
 
気がつかなければ、気を使ってあげることもできない。
想像力が無ければ相手の困った事にも気がつけない。
 
昔から気をつけていたつもりだったが、自分が動けない体場になると相手の本心が良くわかる。
  今になってさらに深く感じること。
 
 幸い
 周りには、気配りをしてくれる人がたくさんいるありがたさを知り、、、、

   元気な時にもっとやれる事がたくさんあったな。。 と、自省して気がつく。

自分が他人にしてあげることも、お世話になった方へのお礼も、全然足りなかった。

 

 


飛鳥逮捕 からの。。

2016-11-29 13:07:44 | インポート
 
飛鳥逮捕で、コメンテーターが、

 「周りのやさしさが返って更生を妨げるのです、どん底の底の底まで落ちて、自分でどうにかしないといけないと本気で思う底打ちをしないと同じ事を繰り返す。」 と、言っていた。
 中途半端な反省や決意では抜けられないと言う事だと言っていた。 周りのやさしさが、俺はまだ皆から心配される存在なのだと、本人を慢心させると。 
 

同じだ、
 死を覚悟するくらいどうしようもない状況に追い込まれると必死になって這い上がろうとするが、 
 少しでも危機を脱したと感じる所までくると成長が止まる、勢いが無くなる。

 養老病院でベット上の生活をしていたときも、日常生活が楽になるまで回復するとなんとなく緩んだ。
 退院してからも、最初は吸引する酸素量が減って回復してきたが、 ある程度 になってからは停滞している。

どうにも、自分にもそういう癖があって同じ事を繰り返すのかもしれない。
 少し良くなると、忘れて努力を怠る、精神的に緩む。  

緩んで同じ過ちを繰り返す、、、、、自分の場合は、 覚せい剤でなくて本当に良かった。 
 

 仕事をしていた時も、数字が挙がらず激しく説教をされるまで本気になれない。
本気になると物凄い勢いで数字を上げるが、一段落するとまた、普通に戻ってしまう。 こんな事を何度も繰り返していた。 段々と普通に実績を残せるようなスタイルになるまでには何年もかかった。
 

 遠くに目標が無いのも勢いが無くなる原因の一つ。
 
 大人になったら何になりたいか? 明確な目標が無かった。 明確なイメージができなかった。 だから就職しても仕事に身が入らない。 どうでもいいことを一生懸命やっていた。 怒られないと本気になれないのは当たり前だったのだと思う。

 それ以前は、明確な目標があって、それを目指してどんどん向かっていけた。
 明確な目標と言うより強い衝動。 どうしても全日本で戦いたいと言う理由もわからない強い衝動が湧いてきていた。
 
浪人中にTV放送を見て強烈な印象が残り、偶然入った大学にクラブがあり、悩んだ末に入門。
新歓コンパで、「一生懸命4年間努めます。」 と、言ったら、 刑務所じゃ無いよと笑われたが、本人は刑務所にはいる位の気持ちだった。
 一年の秋、全日本を観戦するとさらに強烈な印象が残った。 夢の中で犬がローキックを蹴っていた。
 そして、二年の秋には自分が出る事になっていた。

 明確な目標がインプットされていると自動コントロールのように物事が進んでいく。 全てが目標達成に向けて自然に判断してくれるのだ。

 明確な目標を作ろうと思っても、浮かんでこない。  強い衝動が湧いてこない。
 無理やり目標を作ってもそんなものは長続きはしない。 強い衝動。 

自分に期待していないのか あきらめてしまっているのか、
  人生に様々な刺激をもらっているのに何にも浮かんでこない。 自分で自分を殺しているような気さえする。

 落ちる所まで落ちれば、、、、、、、、と、言うが、これ以上落ちる所はない。


 


通院日です。

2016-11-24 18:43:11 | インポート

 診察日、 先日不定期に見てもらったがその後調子もよく今日まで何も無く来た。

 しかし、先生、血液検査で、一番重要なBNPの検査を指示していない。
 毎回、毎回、色々な項目が抜けているのでこちらからお願いして検査してももらっているが、今回も抜けていた。前回急に調子が悪くなって診てもらったのだから、普通は数値を知りたいと思うはずなのだが。。。。。

 まあ、調子がよくなっているのでいいでしょうとなるのでしょうが、、自分の場合は、多少の不具合があっても気がつかないでそのまま行ってしてしまうので数値で検証がしたいのだ。

 何も治療するすべもないので、薬をもらって、在宅酸素の支払いの為に 月に一度診察受けるだけだからどこでも良いと思って田舎の診療所に行っているが、 どうやら 心不全にも色々と対応の仕方があって、進行を遅らせたり症状を和らげたりできるようだと言う事が今回色々調べて解った。

 それについても、先生に相談してみたが、対応できるような事は無かった。
 こちらは当然、別な専門病院などでのことを聞いたつもりだったのだが、先方は自分たちにできるかと聞かれたと思っているようで、他の病院のことは話題に上がらなかった。
 
 それにしても、今回改めて感じたのは食事の重要性。
 顔がむくみ、肝臓がむくみ、恐ろしくなって診察してもらったのだが、、、、
  結局は食事療法と温泉に入ったときに軽い水抜きをしたことで回復した。

 むくみには、小豆の煮汁。 一日3回煮汁を飲む。 主食は玄米の小豆粥に変更。
 ビタミン、ミネラルの摂取に気をつけ動物性タンパクを摂らない。
これだけで大分違うのだ。
 

糖の代謝にはビタミンB群が必要だし、カルシウムを摂ってもDやCが無ければ骨にはならない。 マグネシウムが足りなければ便秘になり、、、、、
 こんな事は知識の一部で体のことが全て解っている訳ではないからとにかくバランスよく栄養を摂る。
 動物タンパクは腸内を汚す。 特に餌の悪い肉、卵、乳製品など体にいい筈は無い。 大量のホルモン剤や抗生物質にも問題あり。  食品添加物、化学調味料まみれの食物は問題外。

幸い、戴き物の、野生のクレソン、サツマイモ、ジャガイモ、みかん、スダチ、が大量にあったので助かった。
 買い物にも出かけずに済んだ。

 

  小食。 食べすぎは内臓に負担をかける。 内臓が処理しきれないで機能が落ちるから水が溜まる。
 胃腸、、、当然食べ物が次から次へと入ってくれば渋滞して詰まるか、消化不良で下痢。 
 肝臓、、、食品添加物、化学調味料などをたくさん取れば解毒が追いつかず疲弊する。 解毒されなければ体に悪いものがどんどん溜まる。 行き着く先は。。。。
 腎臓、、、腎臓も働き続ければ、処理能力が落ちる。 塩分特に「食塩」の摂りすぎなどは負担になる。

  すこし、食事に気をつけただけで、劇的に改善した。 心臓にあわせて臓器の処理能力も落ちているから負担をかけないように生活するのが一番なのだと改めて感じた。

 入院中には心臓病で多くの患者が体のむくみに悩まされて、薬を飲んで水を出していた。 しかし、自分の置かれた立場も考えずに勝手に間食はするし、水は飲むし、そういう連中は何のために入院しているのかと人格を疑った。
親しい看護婦さんには、これからは、徐々に同じように進行していくので気をつけてくださいと言われていたが、 現実味を帯びてきた感じだ。

 
 それにしても、一般人でのデブちゃんさん、 小食にして、食事の内容を考えて、内臓負担を軽くしてやれば面白い様に体形が変わるのだろうに、、慢性的に処理能力以上に食べるからどんどん内臓が疲労して、代謝、循環が悪くなりぶくぶくと肥る一方なのだ。。。 しかも、全部消費されないで蓄積される脂肪。 

  それに全く気がつかないで、小手先でカロリー等を気にしているから、ダイエットに成功するはずもない。
 
 食べすぎでカロリー摂りすぎだと思っているのだろうが、、違うよ、、内臓疲労で基礎代謝が落ちて消費できない痩せづらい体質になっているんだよ。
胃腸も肝臓も腎臓も働かなければ排出されるはずは無い。  働いてくれなければ、代謝も上がらない。
   

 今回再認識できました。。小豆の煮汁も恐るべき効果あり。
 10日間全く外出なし、部屋にこもって動きもせず 食事して 5キロも痩せました。

 朝起きると腹がすっきりしていて気持ちが良くなってました。。 

 疲労回復、、今後も自分の処理能力に合わせて食事をしていかないといけないのですが、、とりあえず回復。
 

己の許容量を超えない努力。

及ばざるは過ぎたるより勝れり。 家康もよく考えた言葉。 よく理解する事。
 
 デットポイントを超えたら ランナーズハイ。 などと言うことは無い。

崖を越えたら落ちるだけ。
 
それ程攻めなくても、余裕を持って事前に止まればいい。

  

 

 

 
 



大目に見てあげて頂戴な。

2016-11-23 09:20:45 | インポート
 
 
お世話になっている方に挨拶に行こうと思っていた22日、地震が来た。
 NZでゆれたので、日本にも来るかと思っていた矢先やっぱり来た。 季節はずれの暖かさで早めにエネルギーが放出されて小さくて済んだのかも知れない。 幸運だったのだと思う。

久しぶりに電話をして、
 地震のことを聞くと、「心配しないで大丈夫、大変なのだから自分の事に専念して。」と。

 そして、「大変なのに、何もしてあげられなくてわるいねえ。。。。。。」 と、言われる。

 死ぬほどお世話になっているのにそう言われる。 事実、お世話になっていなければ、、、
生活できていない、 
心の安定も保てない、、、、、多分死んでいる。    にもかかわらず、そう言われる。

 ろくに心配もしてない人に限って 「心配しているんだよ。」「心配しているんだよ。」 と、
  まるで「心配させるな。」と怒っているように言うものだ。 私の周りにもよくいる。  
  言葉は心配してるでも、感情は「迷惑して怒っている」のだ。
 ずっと自分の感覚は敏感なのでそういう事はすぐに解る。 

 子供の頃から、言葉ではなく、感情を読み取る癖がついているので直ぐにわかる。
  
 人の感覚はさまざまで、ほんの少し何かをしただけで大げさに面倒を見てやっていると思う人間がいる一方で、相手が感謝しきれない程ありがたく思っているのに、「何もしてあげられなくて。。」と思っている人間もいる。
 
亡くなった叔父、叔母、そのご家族には、
もう何年も、いつまでたっても変わらなく、いやむしろどんどん手厚く心配しても頂いている。 
 

 
  そして、「大変なのに、よく一人でがんばっているね。」と話しているそうだ。 みんな感心しているよと言われた。
 強いから昔から強いから特別なんだね、普通の人なら参っちゃってるよ。。。
 子供の頃から強かったからね。 
 大変だったと思うけど、辛い思いをしてきたから強くなったんだよ。。 そう思って、お母さんもお父さんも大目に見てあげてよ。

  そんなことを話して諭される。  

 親の話になると、以前は怒りがこみ上げてきて処理に困ったが、今はそこまでは行かない。 なんとなく落ち着いて聞ける。 そうだなと納得もする。 
 「大目にみてあげて。」と言う言葉に深い配慮を感じて、ありがたく思う。 そのありがたさが怒りを和らげてくれる。
 
 
 劇症心筋炎で退院後、2年で間質性肺炎を発病した。 薬剤性、自分は使いたくないと医師に言っていた薬を使っていての事だったからショックが大きかった。
 一生治らない心不全に加えて、これまた元には戻らない間質性肺炎で、苦しくて動けない、仕方なく病院での療養を余儀なくされた。 そのショック状況にあったのに。。。。。
 再入院した際、急に兄夫婦が遠く長岡の病院へやってきて、 いきなり、実家近くの病院へ移れと言われた。
「帰ってきなよ、家族なんだから。」 などとも言っていたが、、、、遠くに来るのが面倒なので家族を言い訳にして近くに呼ぼうという魂胆が見え見栄なのだ。 偶然のいい変換。 そう、周りへの見栄なのだ。 

 こちらとしては、今更何を言うのか全く理解できないのだが、本人たちは過去の事など何とも思っていない。とにかく見栄えをよくしたいようだった。

首を縦に振らないと、向こうは逆切れして、「解った、これだけ言っても解らないなら勝手にすればいい、もうどうなっても面倒見てあげないから。。」 と、捨て台詞を吐いて帰って言った。 見栄などが動機だとすぐに切れる、そういう人に自分を預けられるはずもないということがすぐに証明された。 付き合うだけアホだ。 ほって置いて正解。

 その件があってから、逆にこちらは吹っ切れてあまり腹が立たなくなっていた。 母親についても同じだ。
もうあの人たちとは付き合わない方がいいと吹っ切れたから怒りの感情も手放せたのかも知れない。

 
色々な人が周りにいて、片や散々痛めつけられ、片やそれを十分に癒してくれる。
 私から多くを搾取しているにも関わらず、「心配している」という家族と、
 死ぬほどお世話になっているのに「何もしてあげられなくてごめんね。」と、言ってくれる叔母。
 
 色々経験しながら成長を促されているのだろうが、全く嫌なことをする相手と、いい事をしてくれる相手と天と地程の差がある。 と思っていたのだが。。。。

 しかしながら、これは自分視点の勝手な解釈で、本当は両方が同じ貴重な体験で良くも悪くも無いのかも知れない。
  叔母は言う。 「色々大変だったと思うが、そうやって辛い子供の時の経験があるから強くなれたんだよ。 そういう経験をさせてもらったと思えばねえ、、だから大目にみてあげて頂戴よ。」

 一般的に言うと、表面的には虐待や折檻は悪だが、一つの体験としては貴重な体験をさせてもらった事になる。
 そういう一面に焦点当てると「大目にみてあげて」 と、 合致する。

 大目に見てあげて=大きな視点で考えて。  こういう事か。

  書いていて、考えがまとまってきた。 と、色々と気づかされる。 
 
 
 捨てる神あれば拾う神あり。 
 両方が必要で、両方とも同じように大事。 良いか悪いかも無い、経験としてあるだけ。そういう視点もある。
 
 
嫌な課長が向こうからやって来たら、、、、、  
  また成長のチャンスがやってきた、悪い因果を消すチャンスがやってきたと、思えばいい。 と、いう話もある。
 


 


つづき。。

2016-11-17 16:02:01 | インポート
 

メールの相手。
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レスリング部の彼とは、
 当時は、一人稽古をしているとよく会った。

 ウェイト場がなくてラグビー部のベンチを借りてウエイトをやっていたので、
 練習中によく会ったのは、レスリング部の彼やラグビー部が多くて空手部よりむしろ彼らによくあっていた。

 空手部は自分ひとりだし、
 レスリング部は彼ともう一人(軽量級で国体入賞)だけだし、なんとなく群れのない動物のようで、同じような環境を共感していたような。。。。

 同期とはウエイトの練習後に食事に行ったり、飲んだり。
 自分の就職が決まったのは、ラグビー部の一つ上の先輩からの縁だったし。。。
  練習後のウエイト場は色々な部の選手が集まってある意味混雑していた。。。。  


 レスリング部はいつも2人だけで練習するほど部員が少なく、一人で練習する自分と同じような環境だったのでなんとなく親近感を持っていたのだろう。
 一番最初に会話をしたのは、休日ウエイトをするため閉まっている体育館に入ろうと、、、、、
  併設の武道場にある用具庫の窓ガラスからいつものように「不法侵入」を企てた時だった。

 入ろうとすると、練習を終えた彼が中から出てきて鉢合わせをし、お互いびっくりして最初の挨拶を交わした事を覚えている。
 全く普通の窓ガラスに、外側から角材で足場を作ってそこから入る。
 彼も同じことをしていたようで、お互い気まずいやら、よく練習するねとたたえるやら、、おかしな会話だった。

 電気をつけずに、不法侵入稽古中、いきなり足音が聞こえてきてびっくりしていると同じく不法侵入の彼が練習に現れたり、、、、。 

当時は、連絡を取り合うなどせずに、それ程親密な時間をすごしたわけではないのだが、付き合いが続いていて、今回の偶然。

 地方の弱小大学運動部で、もがいていたよしみか。。。。
  実績がないのはこちらだけだが。。