親父が亡くなり、人生初の相続を迎える。
兄は当主となるべく幼少時から優遇され、金銭的、物質的に大いに恵まれた生活をしてきた。
当然、遺産も兄が引き継ぎ次男など出る幕もない。 などと考えて生きてきた。
幼少時は疎外感が強く羨望の気持ちが強かった。
学生時代は、好きなものを好きなだけ買い与えられる兄を妬んでいた。
当時の意識で相続を迎えていたら、意地を張って何もいらないと強弁するか、もしくは、それまでの恨みを晴らすべくごねるか、どちらかだったと思う。
ここ数年、東日本大震災での実家の被災、竜巻での被災、二度の被災による家業の不振、そして、心筋炎での入院、などがあり意識が大きく変わってきた。
特に、生死の境を彷徨っていた入院生活を過ごし意識が大きく変わった。
それ以前から、極度の貧乏を体験してもなんとも思わず、むしろ楽しみ、物質の儚さを感じ、精神世界の充実が本当の満足に繋がるように感じる意識を持つ流れになっていた。もちろん救ってくれた人のお陰で生き続けているからこんな事を言っていられるのかもしれないが。 そんな中、18日間も麻酔で寝ていた事でソフトの入れ替えをされたように変わって来た。
現預金や不動産を引き継ぐ兄。 それらの価値は金銭で計れる。
自分が相続するのは、自由。 そして、先祖から頂く強運、良縁。 あの世行きだったであろう自分を救ってくれた強運、良縁。 全て金銭では計れない。
財閥解体、農地解放、兄弟等分の相続制度。 全て日本を弱体化させる為の施策。 当家が永代続くのが自分の一番の意思であれば、相続での取り分などどうでもいい事で、 法律に従って自分たちを弱体化させる愚行をする事はない。