唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

若年性アルツハイマー。

2019-03-27 13:36:37 | インポート

 昔から英語は嫌いで大の苦手だったが、ここに来てすこし英語に興味を持つようになった、
   のだが、どうにも英語の聞き取りが上手くいかない。 音痴なのと無関係ではないと感じている。

  それで、洋画を見てなれるようにしているのだが、今日は「若年性アルツハイマー」の話だった。
 
 
 所詮自分にとっては他人事なのか、、、、一番最初に感じた事は、、、
  今までとは違った人生、今までとは違った経験が出来て面白いじゃないですか。。。と、言う事だった。

 映画の中で、本人も家族も深刻になりどんどん追い詰められるような感じがしたが、、
  へえー、そうなんだ。 色々忘れちゃうんだ、、などとは考えられないのかな。。。などと思って観ていた。

 人生最大の危機が来た、大変な事が起こった。などと思えれば、人生がそれだけ劇的なものとなり、
   それはそれですばらしい時間を過ごせるのではないか。

 一方、それが極めて稀で、誰もが経験できない事を経験できているのだと、、 
  家族も、親族もそれを新しい経験として感じられればそれはそれで楽しい事になるのではないか。


   起こった事が不幸ではなく、、受け取り方が不幸を作っているのではないか。


 各人の中にある、 記憶が無くなる事は不幸だという価値観が実際に不幸を招く。


 新しい体験だ、すばらしい体験だ、面白い人生を経験させていただいて有り難いと感じていれば、、
  逆に喜ばしい事となる。

 人間とはなんと、、自分で勝手に決めて、勝手に不幸になるのだろうか、などと感じた次第であります。



 生まれてきて赤ちゃんは、話せない、意思表示は出来ない、そういう状態から何でも出来る人間になり、
  年老いて段々と身体も脳も老いて来て、朽ちていく。

 朽ちるのが少し早いか、遅いか、、、それだけの問題でしょう。

 幼少時に身体の自由が利かなくなり、それで一生を生きてく人間も居るのです。

 それまで、五体満足で好きなことをさせてもらった事、好きなことができた事に感謝する事の方が大切なのではないかと思うのです。

 
   何故か、、、
    自分にはそう思わせてくれる従兄弟がいるから。 
    才能豊かであっただろう従兄弟は4歳から自由を奪われてしまった。。。。。。。。
 
     30年も好きな生き方をさせてもらった事は本当に有り難い事です。
       周りの方々に感謝。。。。なのです。

 
 
 
 


 


 
 


風呂でおぼれる。

2019-03-25 09:32:05 | インポート

 寒い朝に大浴場で一人温まっている時の事。

 気持ちよくなり、それからすぐに意識が飛んでいたようだ。

 いきなり洪水の中に飲み込まれるように、酸素チュ-ブをつけた鼻や口から水が入ってきた。

 むせて、飛び起きて湯船の中で風呂のふちに手をつきながら記憶をたどった。

 俺って、今何をやっていたんだろう、今何時、どうしてここに居るの、酔っ払って寝たのか? などと。。。。


 やっと正気に戻って、風呂の中でおぼれた事に気がついた。
  心臓が弱っているから低血圧で、それが入浴で血管が急に広がった事でさらに低血圧になり、意識が飛んだのだ。
 不安になり直ぐに風呂から上がったが、時計は15分と経っていない。 入って直ぐにおぼれていたのだ。 長湯していた訳ではない。

 TVなどでよく老人が風呂でおぼれて溺死したとか、ニュースになっているが、まさか、自分が同じような経験をするとは思ってもいなかった。

 あやうくどざえもんになるところだった。 
  心肺機能や運動機能はもう老人なみなのだ、気をつけないと本当に死んでしまう。。。
 
 



自然と追い込み練習。

2019-03-13 15:11:17 | インポート

 今の自分の身体を見ると余りに変わっていて不思議なのだが、
 
   運動をやめて10年も経っているのに体形があまり変わらなかった当時も、自分の身体が不思議で仕方がなかった。

 
 要は、いつもその時の環境を不思議だと思って生きているのだ。

 
 元気な時も、病気の時も、障がい者の時も、いつも不思議だと思っているのだ。

   逆の言い方をすれば、いつも同じ感覚なのだ。 何があっても自分なのだ。 大したことはないのだ。




心不全で激しく動く事が出来なくなって、これからどうやったら心と身体を鍛えられるのだろう、等と悩んだ時期もあったが、そんな事は無駄だった。


 間質性肺炎になれば、酸素を吸っていても少し動いただけで酸欠になる。

  長距離や空手で散々追い込んできたと思っていたが、とんだ勘違いだった。全く比べ物にならない。
 
  内臓まで苦しくなり、尿漏れや脱糞の感覚にまで来る。 
  星が飛んだり、目の前が暗くなったり、視界が狭くなったりもする。 
   心臓は自分の意思とは関係なく危うい鼓動を打つ。 弱っているから速くは打てないが心もとなくて不規則に打つ。


  酸欠は動いた後からやってくるから厄介だ。 
   後悔しても、止まっていても、身体が慣れるまではどんどん追い込まれる。


 そういう訳で、今は簡単に追い込めて、毎日毎日激しい運動をしているのと変わらない。

 結果、気持ちの部分にまで影響をしてくれる。

  
   自分では追い込めない所を感じさせてもらっている。 ふと、ありがいことなのだ。 

  

 
  


肉体の変化 推移。

2019-03-13 14:09:47 | インポート

  昔の写真を見ていたら、時系列で自分の肉体の変化がよく解る。



2009年3月。9月。44歳。
 空手もウエイトも止めて20年。潰瘍性大腸炎の発症から14年。 会社を辞めて10年。
 現役時代とは随分変わったが、まだ少しは腹筋も割れていて、体脂肪も少なかった。

    


2012年11月19日。劇症心筋炎でDrヘリで緊急搬送時。
 
    



2013年1月7日。人工心肺をつけて2週間意識が無く。やっと起き上がれたら痩せていてびっくり。
   
 
 

 
 
2014年3月。無事退院しゆっくり生活している中、いきなり帯状疱疹。飲んでいた薬が多くて身体が悲鳴をあげた。
        この時に、アンカロンを辞めていればと思う。 絶対にダメと投薬を続けるように指示をした医師を信じるべきでなかった。  しかし、全ては後の祭り。

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 2014年8月。薬剤性間質肺炎発症。 この時から酸素療法。 肺炎はびっくりするほど痩せる。
       



 2週間で退院してさらにびっくり。
      

 その後、間質性肺炎が悪化して入院。 進行止まらずどうにもならない。 仕方なく長期療養型の終末期病院へ。


  2015年10月。 退院させてもらったら、少しずつ動けるようになった。

2016年8月。 動きすぎ、普通の生活のし過ぎで心臓が悲鳴をあげてあしが浮腫みだす。

     


 2016年11月。 顔まで浮腫んでくる。
     


 2017年1月21日。 浮腫み解消の為、半断食、断食療法。

  

 
 2017年2月7日。 断食療法2回目。  かなり痩せた。跡形もなし。酷い。 しかし浮腫みは取れて成功。

    

  


   



 断食療法は効果が凄い。

 一定時期を過ぎたら寝汗を凄くかく。 一晩で2回も着替えをした。
 体中から変なものが出て行くようで、
 劇症心筋炎の投薬時、免疫が落ちて肺炎を併発した時の肺の中の出血分が今頃出てくる。

  

 


 
  


癌の治る人、治らない人。

2019-03-10 19:31:16 | インポート

 潰瘍性大腸炎で難病申請があるため年に一度は大腸カメラを入れて検査をしていた。
 それは、申請書類の為でもあるし、癌化が無い事を確認する為でもあった。

 毎年 そんな事を続けながら、

 2009年7月、地域の医院で検査をすると、その医院では取りきれないと言われるポリープが見つかり、
     大きな病院をいくつか紹介された。

  都内のT病院選んで診察を受け、ESDでポリープ処理をされる。

  取ったポリープは4×5cm程度でかなり大きく、時間もかかった。
  その際、医師が同じようなものを見つけてくれて、再手術でこれも取ってもらった。
  
  その際、なんと初めて生検で癌が疑われた。 

  潰瘍性大腸炎がなかなか落ち着かない中で、もう10年も経過し、その後も癌化の可能性が高い事から
    全摘手術を勧められた。

   しかし、断ってその後も経過観測する事にする。

 2回/年の大腸カメラで経過観測するも、症状は逆に良くなって行っていた。
 その頃は、薬も全部止めて、食事療法を中心に西洋医学に頼らない方法を取り入れていたがそれが奏功してた。

 毎回、興味を持った医師が何人も検査を見に来ていたが、彼らが良くなっていることが信じられないと、可笑しいと、感じていた事が感じられた。
 それ程、経過が良かったのだ。

  癌といわれれば、静養にも気合が入る。 
  今から思えば、余り正しくない事もあったが、当時は信仰のように厳格に信じる事を実行していた。

  夏場は、ジョギング、散歩、気功、太極拳などをし、冬場は動けないのでスキーを始めていた。
   周りからは、ほとんど遊んでいるように見られていたと思うが、自分中では思い切って社会に復帰する事も出来ず、もやもやが続いていた。

 そんな中、
 2012年11月。 劇症心筋炎。 人工心肺で蘇生し一命取り留めるも、一部が壊死しそこからの心不全。
        退院はしたが、負荷をかける生活は出来なくなった。

 2014年3月、久しぶりに大腸カメラを受けて、癌検出。 再び全摘出を進められるもお断りをした。
       経過を見てもらいながら、自分で治したいと思っていたからだが、病院からは診察を拒否され、
        自分の意思で手術をしないので癌が進んでも病院に責任は問わないとの念書を書いて退院。 

 2014年8月、心不全の不整脈を抑える薬を飲んでいたがその副作用で、薬剤性間質肺炎発症。
        酸素生活。 入院生活が長引き、その後、終末期病院へ転院。

 2015年5月、入院先の関連病院での検査時に大腸カメラをすると、
        腫瘍は目で見ても解るほど大きくなっていた。 その検査後、下痢も酷くなる。

 その後、2015年10月に終末期病院から退院し、在宅酸素。 


 あれから、もう4年近く、何もしていない。 
 2015年から酷かった下痢が最近落ち着き気味で、逆に出ない。 出血、水便も気になっていた。
  
 そんな中、そういえば、大腸内はどうなったかと、ふと気になり
    昔の写真を見返してびっくりした所だった。 当時でもかなり大きな腫瘍があったのだ。
 

 やっぱり進んでいるか? 
  検査もしないから忘れていて、結局厳しい生活にも成らず、ただただ日々を過ごしていた。

 完全に治る為に危機感が必要なのだろう。 現実を見せ付けられないとそうは気合が入らない。

  その為にも、検査は必要なのかもしれない。

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2009年7月。町医者で。

  



2010年7月。同じ。

 


2010年8月。 都内病院で。

  

 追加手術で。
  



2011年12月。経過観測。
  




2012年11月。 劇症心筋炎。
   

 

2014年8月。 間質性肺炎。
  



2015年5月。久しぶりの大腸カメラ。