唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

緩和ケア病棟へ移動です。

2021-06-09 22:15:45 | 病院治療


6/8(火曜日)
 緩和ケア病棟へ移動しました。

前日の午前中に輸血をし、体調が多少良くなったタイミングで移動できました。



父方の叔母さん、母方の叔母さんの付き添いを得て、何とも贅沢な事です。

 長年、実家との確執があって常に嫌な事が起こっていたのですが、
 今は、当たり前の様に実家の人間抜きで親族のサポートを受けてます。

 何も意識する事なく、この体制で事が進んでくれる有り難さ。
 本当に周りのサポートに感謝です。
 


入院まえは、中々ベットが空かないとか、
 基準が厳しくて元気な内は入れそうにないとか、

 色々言われてましたが、、、、

現実には、部屋に空きがあるし、簡単に入れた印象です。

少し、ハードル上げられていた様に感じました。😵👎🙌👀



それと、全て個室ですが、無料の方に入れて一安心しました。




私が入った部屋は1835室なのですが、



 父方の叔母は、

実家に帰って来たんだと思った」と、
  言ってました。😀😀😀



1835 は、実家の電話番号です。

 忘れてましたが、聞き覚えがある番号だったので、思い出しました。



1835」は、ひらがなになおすと、 

 「イワサキ」の当て字になります。
 (流石に5をキには読めませんが) 



大昔の話、
番号振分の際に、何かの形で動いたのか、どうかは知りませんが、、、、


 昔、親父は、よく自慢げに、

良い電話番号をもらった。」と、言ってました。


実家だと思ったと言う叔母さんは、

 何と、これを暗証番号に使っているそうです。



ホスピスを探す際に、不思議と実家を意識するような事が次々と起こりました。



 全国ホスピス一覧を見ると、何故か自治医大が強く意識されました。


 自ら電話すると、親切に近隣の民間在宅医療施設まで紹介してくれたのですが、

これが、母方の実家の直ぐ近くだったのです。



ホスピス情報を集めている時は、全く縁のない所から、地元のすぐ近くの施設の情報がぽっと出て来たので、これまた偶然だな〜、

  と、思ってました。



そして、結果、
  自治医大病院に落ち着きました。



 この事を話すと、叔母は、

人間最後は実家に戻る様になってるんだよ。
    と、言ってましたが、



 本当に、最後は実家に戻ったのでした。
暖かい親族の皆さんのお陰で戻ってこれたのです。


ここが、最期の地になるのでしょう。


湯沢で、最悪の4ヶ月を過ごした事も、
 全部ここに繋がっていたのでした。



嫌な事が多ければ、次の所は天国になるのです。







貧血が悪化しました。

2021-06-07 14:03:22 | 病院治療


6/7(月曜) 血液検査。採血1発OKでした。

 ヘモグロビンが、前回7.0⇒5.4⤵️ 

  急激に悪化しました。


少し多めの下血がありましたが、
 下がり過ぎでしょう。


どうやら、最近は、 
  トイレへ行くのも辛いな。
  目眩がするな。
  ダルいな。

 等と感じてましたが、 貧血の悪化が原因でした。



と、言う訳で、

 人生3回目の、輸血です。😭😭😭😰

くっそ、、、、


 点滴の針も中々はいりませんでした。

1人目、1回目の失敗で諦めてゆかれました。
2人目、頑張って4回チャレンジしてくれましたが、残念ながら❌😂🤣😅😭。

3人目、ユニフォームが変わって、ドクター登場。多分インターンさんです。
  2回目で、成功。🎉🎊🩸🤩








これで、少しは楽になるといいのですが!

 前回は、ストマ手術の前。大分楽になりました。







また出血です。

2021-06-05 18:32:43 | 病院治療

6/5(土曜)
 また、出血始まりました。



昨日は、
 叔父、叔母、同席で緩和ケア病棟の面談があり、 
 午後からは、入浴、ストマ交換しましたから結構動いたのですが、
 それが原因なのでしょうか?




昨日の夜も調子良く過ごしましたし、

AM中は身体がポカポカして珍しく軽く汗をかいていたのですが、4時頃のオムツパット交換時に、出血を確認しました。



 AM中にバリカンで散髪したのが影響したのでしょうか?



理由は、解りませんが、オムツ交換が頻繁になる煩わしさと、
 出血による貧血の悪化が気になりますから、早く何とかしたいものです。


それにしても結構な赤さで、
 固まり出した個体は、生レバーの様なのですが、これの量が結構多いのでビックリしますね。

食べられないから、慢性的に栄誉失調、ミネラル、ビタミン、タンパク質不足です。

上手く痛みをコントロールして、食欲を出す事が一番の改善策だと思います。










栃木の病院、2.

2021-05-31 15:11:24 | 病院治療

つづき。

一人で帰す訳には行かないと言う理由は、申し訳なかったのですが、


即日入院出来ると言う先生の話に、来てくれた叔父、叔母、従兄弟皆で期待を膨らませてました。


そんな中、各種検査をしていると入れ代わり立ち代わりやって来る看護師さんは口を揃えて、

「紹介状をもって来て初診でその日のうちに入院出来る事なんてないですよ。」😤😤😤

 と、言うのでした。



「大きな病院なんですから、例外的に当日入院する場合は、事前に病院どうしでやり取りを十分にして、それでは、何月何日に入院しましょうと決めてから来ないと入院なんて出来ないですよ。」


こんな感じです。
 辛口ですが、おっしゃる通りです。



色々当ってくれているようで、何度も先生が状況を説明しに来てくれたのですが、、、、

 時間が経つにつれて、雲行きは怪しくなって行くばかりでした。😨😰😱


午後3時に来た時は、殆ど絶望的
「最終的には、親戚の方の協力が必要になるかもしれないです。」
   と、言われましたが、

それでも先生は、関連病院とかにも当ってくれてました。



午後4時、
 これ以上帰りが遅れると、暗くなってしまうので、、、、

こちらから、
「十分に元気なので、自分で運転して帰ります。 先生、色々手を尽くしてくれてありがとうございました。」 と、伝えたのですが、



 そもそも、一人で来させた事が信じられ無いのですが、、、勿論、一人で帰す訳には行きません。と、言われました。


最終的に、先生から、

正直な話、事前に何の連絡も来て無かったので今日紹介状を見て、初めて当日の入院希望だと知りました。 貴方は、全く悪くないのですが、このような対応は余りありません。

 当日退院して来て、こちらに入院すると言う事もあるのですが、それは、ナントカ(固有名詞言われたのですが忘れました。)と言う事をしっかりやっての話なのです。

すみませんが、流石に今回は、無理でした。

 と、説明がありました。



親戚の家に泊まり、4日後の月曜に入院前提で来る事になり、、、
 この時点で初めて先生は、湯沢の病院の先生と連絡を取ったのですが、



 やっている事が余り杜撰で呆れていました。



外出でこちらに来ているので、今日は、帰るしか無いそうです。(入院中に他の病院にはかかれないそうです。)



親戚に泊まれなくなり、帰るしかありません。



本人の運転は駄目なので、誰かに送ってもらって下さいと、言う事になり、
 事前に決まっていた従兄弟に送ってもらう事になりました。



先生は、行き帰りの足は病院が責任を持つものなのだから、湯沢の先生が手配するのが筋なので、、、、湯沢の先生から従兄弟宛に電話をさせます。として、湯沢の先生へ連絡してくれました。



従兄弟に電話が来たのですが、その電話を聞いて、親戚一同呆れてました。

従兄弟「帰りの足はどう考えますか、本人一人で帰すのは心配なのです。」

湯沢先生「朝元気に出て行ったのですから、帰りも大丈夫でしょう。」
   「運転が無理なら、タクシーとか新幹線とかで、帰ってくればいいじゃないですか。」


従兄弟「普通、病院から他の病院へ行く時は、病院が責任持って足を準備するのではないですか?」

湯沢先生「そんな事はないですよ、患者が病院へかかりに行くのですから、患者が自分で足を手配するのが当たり前でしょう。」



  まあ、こんな感じのやり取りだったみたいです。


帰りの酸素も心許ないのですが、(これは、私は想定内でしたが、) 湯沢の先生は、酸素についても何の関心もないので、自分で手配しないといけないのです。


 栃木の先生は、帰りの酸素にも気を遣ってくれて、、、
私が使っている酸素は、使って無いのですが、業者にお願いして調達してくれました。


湯沢の先生が動いてくれる事が前提ですが、、
 来週月曜、木曜で入院出来るように手配しておきますから、、遅くとも、木曜に転院出来るように、、尻叩いて下さい

 こう言われて、最後、病院が閉まっていたので、緊急外来出口まで送ってくれました。


既に、午後7時をまわっていて、
 そこから従兄弟に湯沢まで送ってもらいました。


湯沢に着いたのが、午後10時、、
 従兄弟は、それから栃木に帰って行きました。



叔父、叔母は、出かける前に、
  気を遣って従兄弟にお礼してました。


私にも、入院費の足しにしてと渡されましたが、コレは、流石にやり過ぎですと、言ってお断りしました。




しかし、ビックリするのは、湯沢に帰ってからの対応です。


誰一人として、
「遅くまでお疲れ様でした。」とか、
 「昨日は、大変でしたね。」 とか、

一切ありませんでした。


翌日、先生は、ベットにやって来て、
「向こうの先生とどうなりやしたか?」と、あたかも他人事のように私に聞くのでした。



逆に先生は、どんな話をしてどうなったのですか?
 と、訊ねても、

   ?????なのです。


「これからどうするのか?」
訊ねると、


「紹介状を出してるので、向こうからの回答書を待ってます。」 と、言うではないですか。


「そんな悠長な事を言ってたら、いつまで経っても転院出来ませんよ。 向こうは、体制整えて待ってくれているのですから、こちらから連絡して動いて下さい。」


 流石に、呆れ果てましたが、、、



後1週間で転院だと思えるので、

 良い病院だと解った事もあり、、、、


 何とか、持ち堪えられそうなのでした。









栃木の病院へ。

2021-05-22 06:32:52 | 病院治療


20日、
栃木の病院へ転院する為、まずは、初診外来から入らないといけないとの事で、主治医の紹介状を持って向かいました。


当初予定の18日が39度の発熱、体調不良で20日に変更してもらった為に、

 予約をしたタクシーのチャーターは使えなくなってしまいました。(予約は最低5日前までとの事)



仕方なく、ナント、自分で運転して向かいました。


水上辺りで痛みが出て来て、
 痛み止め、カロナールを飲み忘れた事に気がついたのですが、、、、、、

ナント、

 カロナール、忘れてきました。😰😭🥶


仕方ありません、
 ノンストップで走り続け、約2時間で病院到着しました。




障害者用駐車場に留めて、車椅子を用意してもって、、、、

 そこまでは良かったのですが、
後は、自力でお願いします、との事です。😭😭😭😭😭😭


 全く参りましたが、




何と、同時に叔父叔母が到着してくれました。


 軌跡の様なタイミングの良さに救われました。


直ぐに駆け付けてくれて、放置される事も無く、
少し進んで、病院入口前では別な親戚とも合流できて安心しました。




受付を済ませ、外来待合室に入ったのですが、受診は約1時間半後、かなり待ちます。

 30分もしないうちに気持ちが悪くなり、診察室の個室ベッドで休ませてもらえる様になりました。

横になると、楽でやっと落ち着いた感じです。


久しぶりに会ったので、少し話しながら時を待って、、、、

 いよいよ診察です。


若い、インターンの先生の様です。

医師「緩和ケア病棟への入院希望と言う事で、良いですか?」

私「はい。」

医師「紹介状には、今日このまま入院させたいとありますが、普通にそれは出来ない事です。 ただ、ご自分で運転されて来られたのですよね、この状態で、このまま一人で帰す訳には行かないので、入院出来るように今から動きますから。」


有り難い言葉を頂いて、喜んだのですが、、、、。


ここから、長い一日が始まったのでした。



続く。