唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

新しい感覚で蹴れた、回し蹴り。

2020-07-26 08:42:10 | 空手

 朝、窓の外の緑を見ていると、
   回し蹴りの感覚を感じて、無意識に蹴りだした。
突然に
 脱力出来て、腹で蹴る、新しい感覚で回し蹴りを蹴っていた。

 全身が脱力出来ているのに力強く、早く、速くも蹴れる、回し蹴り。
  筋力には頼らないでも力強く蹴れる蹴り。
  回し蹴りなのに、前蹴りのような感覚で蹴れる速い蹴り。
   始動から、一瞬でズドンという感じ。当たっても、当たらなくても、抜けるようにズドン。
   自分で止めないでも、ズドン、
 
  もちろん、身体は衰えているのだから、修正点は色々とあるのだが、、、
けりのイメージは出来あがっているのです。
 (後は、そこに向かって稽古すれば良いだけなのです。必ず出来るようになるのです。。。動ければの話ですが、、)


 右でも左でも蹴っていても疲れない、
  いつまでも動きを 修正する為、 体に覚えさせる為に、
 反復練習をしていたくなるような感覚だった。


 しかし、我に戻ると、、
「まずい、まずい、こんな事をやると、後から大変な事になる。」と思って やめようと思った時には、既に酸欠が後から追いかけて来た。

 あわてて在宅酸素の供給量を上げて、椅子に座った。

多分、身体が衰えて、その影響で、、、脱力感を学べたのでしょう、、、、、
 衰えても、、一方ではそのお陰で進歩する。

 人生とはそういうものでしょう。

 失うものがあれば、、得るものが必ずあるのです。

  病気にも、衰えた身体にも感謝。。。。




 頭の中には過去の下手糞な回し蹴りを蹴っている人のイメージが浮かんできていました、、、

長年の間違った稽古で身についた、癖のついた、
 モーションの大きい、一度ステップしてからの回し蹴りが、、ダメだよな、、から

⇒ノーモーションの踏み込まないその場で蹴る、回し蹴りが浮かんでくる。
⇒イメージ通りに蹴ってみると、良い感じで蹴れる。
⇒身体は衰えているから修正が上手く行かないが感覚は良かった。
⇒ しっかりと出来上がりはイメージ出来ている。
⇒これなら稽古すれば確実に出来るようになる。 誰かにもさせられる。


 修正点とは、始動が遅い事。
 どうしても一瞬「居着く」。
今の状態では仕方がない事なのだが、、これが、体力の問題なのか?
技術の問題なのか?  反復して、確認できないのが歯がゆい。
 (しかし、ステップしてからの蹴りよりは断然速いのです。)


 前蹴りのような感覚。
現役時代に前蹴りが下手だった。 ある事をきっかけに感覚が変わり、反復練習、それから何度もKOを取れるようになった。
 その時の感覚は、今回とは逆で、前蹴りを回し蹴りのように打てるようになった事。
始動から、ズドン、当たっても、当たらなくても、ズドン。。。で、当たれば倒れる。 
 感覚は同じで、 それが、今回は、前蹴り⇒回し蹴りへと逆に感覚の移動があった。


 衰えているからできた事。
身体が衰え、筋力が無くなっているから力まない蹴りが打ててのでしょう。
(兎に角、筋力不足で立てない程なのだから)
昔はガチガチで、力が入りすぎて気功も太極拳の真似事も、全く気を感じられなかった。  良い感じになってきたのは身体が本当に弱ってきてから。
(本当はそこから強くなって生ければよかったのだが、、)


 脳の感じ。
 先日、学んだ脳波の重要性の話、、、今回早速感じました、、そして生きました。 過去記事

朝一番で、緑を見ながら α波が出ていたのでしょう。そしてその状態で蹴れたのでしょう。 脳波が大きくパフォーマンス や試合の勝ち負けに大きく影響するのです。 (思えば、、現役時代もそうでした、、)



 しかし、これ、初心者の頃は出来ていたのです。
踏み込まないでいきなり蹴る。
何も考えないで、唯、組み手をする。
  始めた頃はそういう事が出来ていたのです。


稽古をして変な癖がつき、 
  身体が反動を使う事を覚え、
   楽な動きに傾いて、効かない蹴りやパンチを覚えてしまうのです。


吉田秀彦は、パンチのトレーナーに習ってからパンチが当たらなくなった。
柔道から転向した時は、よく当たった。 一見、素人パンチなのだが、そうでは無いのだ。


野球のバッターの動きを見ていても、、いつも気になるバックスイングという名の、、反動。 これが気になる。

 




利かないパンチは受けてもらえない。

2019-08-15 10:13:47 | 空手
 

   利かないパンチは受けてもらえない。

 フルコンタクト空手の試合では、
   直ぐに相手に近づき、ただただ手数を出す選手がほとんど。

 
 昔から、感じていた事は、何故効かないパンチしか打てないのに自分から近づくのだろう?

  何故、間合いに入ってきてくれた相手にパンチを打っても効かせられないのだろう?


  お互いが、ただただ効かないパンチを出し合い、受ける事もせず、試合をしていて何も感じないのだろうか?

  当たらないなら仕方がないが、、、、
   当たっているのに倒せない、、ダメージを与えられない。。相手は引かない。
   こんなショッキングな事があるのかと思うがお互いに効かないパンチを打ち合う。


  相手が受けないのだから、強いパンチを打ち込めば決まる、、、只それだけのイージーな試合が出来るのに。。
 

  稽古の時から、突きの強さを求めたり、突きの正確さを求める事はしない。

   基本稽古や巻きわら、空突きなどの稽古はおろそかにして、一生懸命にサンドバックやミットをたたく。
   
   打ち方や、角度、強度などは全く考えもせずに、ただただ、スタミナが切れるまで動くだけの稽古をして満足している。

   この稽古で、試合になってもパンチが効かないのだから、よく考えて、そんなに疲れなくても効率よく強くなれる稽古があることに気がついてほしい。


  みんながやっているから、、、
     試合用の稽古だから、、、
     
 ただただミットを蹴ったり同じパターンのスパーリングなどをするだけ。。何とかの一つ覚えとはこういう事と思うのだが、誰も気がつかない。


  相手が弱いパンチしか打てないのなら、、、、こちらは強いパンチを用意して行って、、

   間合いに入ってくれたら、受けなどせずに、強く打つだけ。。。。。。楽勝、となるはずなのに。。。


    それだけなのに、何故稽古を変えないのか摩訶不思議な世界なのである。



 ただただ、強いパンチがあれば、

  警戒も無く間合いに入ってきてくれるので効かせる事が簡単で直ぐにKOとなる。

  しかし、KOされた本人は全く気が付いていない。

   自分のパンチが全く効かないのだから、、、強い相手の間合いに入っていけば、捌けなければ効かされるだけ。

 誰も教えてくれないし、極真の選手も指導者もそれが当たり前として思考停止状態で、考えない。
 
  
 
  強いパンチが打てることなど、、ほんの入り口で、

   そこから、攻防があり、戦略があり、戦術があって、駆け引きがあって、コンディショニングやピーキング、、、、、、、、色々あるのに、

   強いパンチさえも打てない。 当たっても効かないパンチしか打てないでどうやって試合に勝とうと思っているのでしょう。。

   

  基本の大切さをみっちり教えられ、毎日毎日基本稽古、移動稽古をおろそかにせず、一本一本を気合を込めて思いっきり突く。

  これを行っているか、否かで、1年も経てば雲泥の差になる。

 これを、2年、3年、4年とずっと続けるのが稽古。身体に染み付いたものは中々消えない。
  ミットやサンドバックで強くなっても、練習をやめれば元に戻る。
 
  気がついたときにはどうしようもない差がついていて、勝負にならない事になる。
   なにせ、受けないで、強いパンチが打て、それが面白いように決まるのだから。。。。

  一発、二発、相手が嫌がり下がって、、KO。 
 
   攻撃の強さだけで勝負は決まってしまう。

 
  きちんとした技術を持っている師範に教えてもらえて、学べた事を改めてありがたく思う。

  



フルコンタクト空手の虐め稽古。

2019-08-12 18:24:11 | 空手
 
フルコンタクト空手の虐め稽古。

 朝のTV番組でフルコンの道場の練習風景がきつ過ぎて「やりすぎではないか」とか、「稽古という名の虐めではないか?」と、

どう思うか? などとやっていた。


  結論から言えば、、
   他人がどう思おうと、やりたければ続ければ良いし、嫌ならやめればいいだけだろう。

  日常の稽古の様だし、特にこの日だけ指導員が感情的になっている訳でも無いという事だから、こういう方針の道場なのでしょう。

  道場主も取材に、きつい稽古を乗り越える事が成長に繋がる、安全には十分配慮していると言っていた。
 
 
 頓珍漢なのは、、その後コメントを求められた、極真の岡本氏とか、その他の指導者の話。
  
 そろって「うちの道場は安全面で気を使っているからあそこまできつい稽古はしない。 ヘッドギアも着用するからうちの稽古は安全です。」

  などと言っていた。
 
 
 
  自分なら、、迷わず直ぐに止めさせる。 

 稽古がきついとか、虐めのようだとか、、言う以前に、指導者の資質の問題。 
  空手を教えられない指導員に学ぶ事は時間の無駄だから。

 受けも捌きも、教えず、ただただサンドバックのように殴るだけの殴り合いで何を学ばせる?
 

 指導者なら大きい人間とやるときにどういう戦い方をすればいいのかを教えるのが仕事でしょうに。。。

  それを、ヘッドギアがないから危険だとか、、ピントはずれのコメントを出す連中もそろって同じレベルなのだ。
  
  そのことの方が、、悲しくなった。

 
 子供が打つときは、指導員は身体を固めて打たせるだけ、、、、
  今度は子供を攻撃して、、子供は打たれるだけ。。。こんな稽古で何が学べるのか????


 受けたり、流したり、間合いを計ったり、間合いを詰めたり、技に合わせたり、相手が打つ前に打ったり、、、、
  出来る事は、教える事はいくらでもある。

   こういう事をやらないと、只の力勝負で小さいものは勝てない。


 この指導者は全く自分も出来てないし、ましてや子供の指導など出来るはずも無い。

 そういう指導が全く出来ない道場では何も学べない。 

  始める時にそんな知識があるわけも無く、道場選びは運任せとは、、、

 大会組手で育った指導者がほとんどを占める世界だから仕方が無いが、、,,
  率直にかわいそうだし、やる気が報われない事がもったいない。
  


  安全面とか、ヘッドギアの問題ではないのだ。。視点が全く違うし、経験が無いから教えられないのだ。

   練習をすればするほど劣化する世界に見えてきた。。
  黒帯の指導員、何度も小学生を攻撃したが、当たってもダメージが少ない。

  決して手加減ではない。 利かないパンチなのだ。

 パンチの打ち方も、蹴り方も中途半端で効かないのだ。。。

 当たったら効かせろ、、それが空手だ。
  

 効くパンチ、効く蹴り、だったら 小学生相手にあれだけ激しい攻撃にならない。。

  「死んでしまうかも」と、、、、、怖くてあんなに激しくは蹴れないもの。。。

 

   
 悲しいかな極真空手、、もう三十年も前に私の師範が言っていた事が未だに続いている。。。。
 
 




もう直ぐお盆です。

2019-08-09 18:07:50 | 空手


 もう直ぐお盆を迎えるこの時期は、なんとなくお世話になった故人の事を思い出し、色々と気になる。
 
  毎日の先祖供養の際、お世話になった方々にも感謝を送るように努めているが、今日は師範との思い出が強かった。

  
  日中、ケアマネージャーさんの訪問があったが、学生のインターンが同席。
 
 聞くと、
  滑り止めで受かった大学で福祉の勉強をすることになった。
  しかし、学んで行く内にすばらしさに気づいて、今はその道で生きたいと思っているとの事でした。

 思わず自分の経験と重ねて、
  自分も一浪した事で極真空手に大きな影響を受け、さらに入学した大学にその部があり、極真空手を始めるきっかけを貰った事。 
  一生懸命稽古する中で思いも寄らない事に人生が大きく開き、運命に感謝していると話した。
 
 
 そして、経験から、
  福祉の仕事は芯から人間性が試される厳しい仕事だから、本当に自分と向き合ってこの仕事で生きていこうと腹が決まってから決めないと大変なことになるからよく自分と相談したほうがいいよ。。。

  この仕事は本当に一歩間違うと自分も殺すし、相手も殺す事になることもあるから肝に銘じて。。

 ビジネスで成功するのはインチキやごまかしもあるけど、、、、
 普通のOLは愚痴っていれば済むけど。。。。

  福祉の世界はごまかしが利かないから、、その世界でうまく行っているという事は、、
   人間性も向上しているという事だから、、、、、、
    本当にごまかしの無い世界だから意識を高く持って進んでください。。。。。  

  などと偉そうに講釈をたれた。。。

  そして、、最後に 「でも、運命と感じられるなら大丈夫だね。」 と一言添えた。
 
   

 自分は折角天が与えてくれた一生の仕事を自ら捨ててしまったようなものだった。
 師範の言葉が現実的と思えず全く世間話のように受け取って真剣に検討すらしなかった。。。。。。

 しかし、あの時期、不思議に色々なお話を頂き、、、
   導かれるように思ってもいないような方向へ自然と進んで行った。
 
 そして、自分の中では確かに、、鳴り響いていた声があった。

  「きちんと就職しないといけないぞ、、空手など好きなことをやっていてはダメだぞ、、みんな嫌でもサラリーマンとして働くのだ、お前も好きなことはもうだめだぞ、」 そういう声が聞こえていた。
 
 不思議なくらいに鮮明に、いつも就職のことを考えると頭に浮かんできた。
 
 
 師範には申し訳ない気持ちしかありません。 別に裏切るつもりなど全く無かったのですが、師範は多少そういう思いもあったでしょう。
 「良い会社に決まったから強引に引き止める訳には行かないけど。。。。出来れば、、、、、、、、
  これっきり最後でもう言わないから良く考えてくれ。」
 
 この言葉の重みを全く感じられなかった幼い自分が恥ずかしい。

 そして、社会人2年目の夏、、転勤が決まり、師範に挨拶に行った時、、、
  泣き崩れて、、初めて自分の本心を自分自身が知ったのだが、、、、、その時も忙しさにまぎれ、なくなすがままに過ごしてしまった。


  その後、会社では人生最悪の物凄い酷い目に遭うのだが、、それを乗り越え、社会を学ぶ。  
   今となると、こちらの人生が俺の人生だったのかも知れないと感じる。。。。
 
  両立する事など考えもしなかったが、、それが出来れば一番良かった。 死ぬ気で努力すべきだった。
   そう言う価値のある事だったのに。

 幼い自分は、  自分で自分を諦めていた。

   それが、悔しい。。