唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

2015年8月8日の記事の書き直し。

2020-09-06 06:30:51 | 
アクセス履歴から、過去の記事を読み返すと、、何とも他人には解りにくい記事で書き直した。
 随分昔の事なのだが、記憶に残っている。


 先の、「Highly Sensitive Persons略してHSP(敏感すぎる人)」の話。
  
朝、ヘルパーさんが、「看護婦が、やるべき患者のケアがされていない」と、こぼしていたので、
 
「朝の看護婦さん、機嫌が超悪いから、。。。」と言ったら、
「なんで解るの?」と返された。  朝一で婦長に怒られていたらしい。
 
 何でわかるの?、と、言われても解るから解るとしか言いようがない。
  
いつも、逆に「なんで、こんなことも解らないの?」というのが自分の感覚なのだ。
  

 幼少時、多感な青年期、それだけ神経をすり減らすような環境にあって感覚が研ぎすまされて来た結果なのでしょう。と、都合よく解釈している。

 兎に角、相手の感情がよく解る。 裏表のある人間なのか、誠実な人間なのか、が、わかり、大体合っているのだ。
  
 ここへ来てからも、「にこにこしている看護婦さん」とは最初から合わず、嫌いだったが、、、、その人が移動になってから、その話をしたヘルパーさんに、最初からよくわかりましたね。といわれた。
  
  
 心配してくれる人の気持ちがよくわかる。
これがあまりに重たく感じると、1,2回と差し入れを頂く分にはいいが、それ以上回が進むと今度は重たすぎて段々気分が悪くなってくる。
  そして、爆発寸前、大量にお菓子を買いお礼にいく、棘がある言い方で礼をいい、もうかまわないでくれと言う。そんなこともある。
 何故、こういう感情が生まれるかわからないが、段々と重たくなって嫌になるのだ。 こういう性格だから人間関係は難しくなる。 でも、群れるのが嫌いだからちょうどいい。
 
 心配してくれる方には、気遣い頂いたのに嫌な思いをさせてしまい申し訳ないです。
「親切を有難くお受けするのも大切な修行です。」 天の声。
 もしかしたら弱い自分を受け入れられない葛藤かもしれない。

叔父命日。

2020-01-11 11:27:49 | 
1/9は大切な叔父の命日で今年も焼香に行かせて頂いた。
 前回はつい先日だったように思うのだが、もう一年経った、改めて早いと思う。

前日、駐車場に車を取りに行って準備したが、今年は雪が無くありがたい。
 そして、駐車場まで結構な距離があるが去年より楽に歩けて、完歩出来て、これまた良かった。
御土産は、いつものかんだのゆべしと、今回初で、井仙のロールケーキるうろ。

父方の一番上の伯母が老人ホームに入ったので、先ににそちらに寄らせて頂いた。
最初、こちらが名前を名乗ると、「なおきちゃんかい」と言われたが、、、、
 その後はこちらが色々としゃべるからかえって混乱させてしまったようだった。 
それでも。お世話になって、その後ご無沙汰だったから久しぶりに会えて良かった。 
 夜に、ご家族から連絡をもらって、こちらも久しぶりに色々と話せてよかった。 電話でも相手方の優しい心が伝わってきてうれしいものです。

毎回のように、焼香に行ってはこちらがお世話になって帰ってくるのだが、、今回も、
 柔らかく甘く煮たごぼうが入ったお正月のお茶会で出す甘い餅菓子や、
 ブリ、ノドグロ、さばの押し寿司を2.3切れずつ、出してもらった。

食事の後だったので、食べきれずに残ったものは量を増やして持たせてもらった。
 年末には、正月に美味しいものでも食べてねと、お振込みも頂いていた。
 今回も、地元産ピーナッツ、ビール、お菓子などと共に気配りいただいた。
 
二時間くらい色々話して帰って来た。


 今回気が付いた事なのだが、、、、、、
叔母さんは、
出来るだけ高い物を買いなさい。食べたいものを食べなさい。ひもじい思いをしないようにと何かと気にかけてくれる。 
 お金も出すのだが、俺が気を使わないで好き勝手に使えるように言葉でもそれを強く言うのだ。

 何なら、、、自分の事を自分以上に心配してくれる。 存在なのだ。

 今までは、世間でよく言われる、「何々さんに心配を掛けたくないから黙っていた。」などという事が実感としてよく解らなかったのだが、、、、
  叔母に対して始めてそういう感覚を持てる事に気付いた。
 本当に心配してくれる人にはそういう事を思うものなのだと気が付かされ、正に自ら経験させられたのだが、、、、

 今回は、そこから、一歩進んで、
今までは、自分への買い物や与えるものについて自分自身への遠慮があったが、
  叔母がそういう事を望んでいるのだから、
  叔母の気持ちに沿うように、、
 と考えると、
自分を大切にして高価なものでも自分に与えられ、罪悪感なくお金を使おうと思えるという事に気が付いた。

 今まで、自分自身を苦しめて来た感情、人生がうまく行かない原因となっていた、「自己評価の低さ」を払拭する有効な手段を得たように感じた。

全く、幼少時から、、、物をねだっても、そんなものはいらないと却下され続け、必要なものでも出来るだけ安いものしか買い与えられなかった自分には、知らないうちに自分を卑下する感覚が植えつけられていたようで、それが、自分の人生を暗くしていたのだと思う。

 親は、そんな事まで頭が廻る程子供の事を、特に次男の事などを、思う訳も無く、自分の心はずだぶろに傷ついて生きてきたのだ。
 そんな厄介な心の問題がやっと片付く時期が来たのだと、ありがたく思う。
 叔母の存在がどれだけ自分の人生を救ってくれるのか、、、本当にありがたい。


『自分を愛してないんじゃないの?  自分を許してないからだよ。
「自分を愛します。」とか、「自分を許します」と何度も言え。。。。』 

  などと無責任に言って来る様な変な人が居たが、、その時に思っていた「うるせいな」も一緒に消えるようだ。。。。。

 表面的な解決策で片付けるような事が出来ない自分には全く合っていなかった変なアドバイスが散ってすっきりした。

 救ってくれるのは、心からの愛情、心配、やさしさ。。。。
   自分に合わない奴の変な心遣いはむしろ不快で逆効果だった。

 
自分の中の最大の難敵、心に染み付かされた「自己評価の低さ」が取り払われて、、
 俺は、自由に、自然とすばらしい成功を収めるようになっていく。。。。。

全てが、叔父、叔母、からの偉大なるプレゼントだと思っています。
 ありがとうございます。
 
ご先祖様ありがとうございます。 親戚のご縁をありがとうございます。

 望まれるように、自分を大切にして生きていきます。

 
 

一年前の記事。

2019-10-02 18:25:53 | 
 
車検。

車検で。 スバリストと言う訳ではないが、レガシーが2台続いた。 自分のは2代も前のもので、レガシー自体が今はもう生産中止。 10年10万キロを超えている。 しかし、全く衰......
 
 
 
結構いいかんじだった時期がある。
 
その後、成長していない、少しでもよくなるように、精進精進。

 


運転中に思ったこと。 闇。

2017-08-02 20:11:27 | 

 自分が病気になって、心配してくれたのだろうが、人から
  「自分をゆるしてあげるんだよ、自分を好きになれないから病気になるんだよ。」
  などと唐突に言われた事があった。
   何も知らないで、こちらの境遇を勝手に想像して、勝手なアドバイスをされた。

 全く困ったもので、先方の勝手な思い込みを押し付けられて、体調が悪い中そんなことを言われて気分が悪かった事を思い出す。

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  当時というより、ずっとそうなのだが、
  「どうして自分はこんなに恵まれているのだろう、他の人に申し訳ない。」 常にそういう感情に支配されていて、何かあれば、俺が引いてあげるよ俺の方が恵まれているから譲ってあげるよ。 と、そういう中で生きていた。

 そんな恵まれた俺に、自分を愛せとか好きになれとか言われても困ってしまうのである。
 
 
 田舎に育ったが、そこそこ有名な家柄で広い土地と大きな家で生活していた。

 運動も勉強もそこそこはできたが、役が殆どまわってくる。

 一生懸命努力はしたが、それ以上に結果がついて来る。

 中高と長距離で苦労したが、それも大学で報われた。

 師範からは申し訳ないくらい特別扱いされた。 あいつを見習えと模範のようにも言われていたようだ。
 
 就職活動では先輩から声がかかり、特別な活動をする事もなく、進路が決まった。
 それを知らないゼミの先生は就職担当だったので私には具体的な企業を優先的に提案してくる。君ならどこへ出しても恥ずかしくないなどとも言う。

 後輩の仲人は渋るのに、その同じ支店長が、私には早く結婚しろと一生懸命相手を探してくれたりする。

 転勤する時は、客、同僚、知人から盛大に見送られたり惜しまれたりする。 客に涙を流される事もあった。

 お客は、大損してまで、自分の実績に協力してくれる。

 先天的に身長もあって、肉体的にも恵まれている。

 もちろん貧弱な面も十分あるのだが、
   なぜ、自分だけがこれほどまでに恵まれているのか。 信じられないくらいに恵まれていたのだ。
 
 
 が、しかし、何故か上手くいっても、恵まれても、「申し訳ない」とか「恐縮する」 ような感情に支配されていた。
 謙虚とか、自制とかの感情では無くて、 明らかに自分に不釣合いなのではないかというような感情だった。


 俺は成功してはいけないのだ。 俺は恵まれてはいけないのだ。
   成功すると、妬まれる、 嫌われる、 意地悪をされる。 挙句、暴力を振るわれるような不安感。 
 
    そんな感情が裏側にあったような気がする。  上手くいっていると不安なのだ。

  誰かに怒られるような気がして、 誰かに攻撃されるような気がして 俺は沈んでいたほうが良いと感じていた。 

 運転中に急にそういうことが頭に浮かんで、自分で自分の生きるレベル、位置を決めていてしまったのではないか?
   と、気がついた。

 脳が、上昇を拒否してるのだから、 下位低迷が落ち着くのだから、 そういう位置に収束していくのだ。
 どんなに天が味方してくれても、自分で居心地のよいところへ沈んでいくような。。。。。
 
 
 当時は何とも思っていなかったが、
  親からの様々な形を変えた虐待があった事。
  兄からは散々搾取され、それを黙って耐えなければ生けなかった事。 などがあって、

 大人になってから、自分の精神が蝕まれている事はなんとなく気がついていたが、 今回のような具体的な考察には至っていなかった。

 自覚があって、診療内科を受診したり精神鑑定を受けたりしたが、医師には解明してもらえなかった。

 
 「いや、俺はいいです。」  「自分はだめです。」 などと言っていたのは謙虚ではなく、自己評価の低さからだったのだ。

 恵まれていたら、感謝すればよかったのだ。  遠慮や自虐ではなく、感謝。 そしてその位置を自分で勝ち取った当然の権利として受け入れて誇ってよかったのだ。 

 しかし、俺の中の感情が成功を喜ぶ事、受け入れる事、当たり前だと感じる事を拒否していたのだ。

 
  恐ろしきかな、幼少時に植えつけられた恐怖心。 

     自虐や卑屈の感情ではなく、感謝や自尊を育てよう。
 

 

 
 
 
 
 


試練を乗り越えるコツ。

2015-09-06 06:59:40 | 

 生きていれば、必ず困難や試練はやってくる。   それを乗り越えながら成長する。

 本当は、多くの困難を乗り越えてどんどん成長するのがいい。
   経験した、乗り越えた試練はもう解決済みだからぶつからなくなる。
   乗り越えれば乗り越えるほど試練や困難は少なくなっていく。 

 次に当たるのは今まで経験したことのない困難。 乗り越えればまたぶつかる試練は減っていく。
   どんどん自由になる。


 【試練を乗り越えるコツ】

とにかく、悩んだり、悲観したりしない事。

嫌なことが起こると、
 どうしようとうろたえたり、過剰に心配したり、なんでこうなるんだとか、自分ばかり不幸だとか、
  自分で自分の感情を逆立てる。 そして、ぐちゃぐちゃになっていく。

  起った、事実が不幸なのではなく、 起った事実に対して自分か起こす感情が不幸を呼ぶ。

  慌てずに、騒がずに、恨まずに、憎まずに、、、とにかく悲観しない事。 起った事実に腹を立てない事マイナスに考えない事。
   自分から、不幸にならない事。
 

 目の前の事実に対してできる努力をしながら、静観するくらいの気持ちでいればいい。
  いつか必ず、「あの時はこうだったな」などと、いい思い出になっている。

なかなかできない事だから価値があるのだが、無駄に騒がないで受け入れてじっと時期を待つのがいちばん早く解決する。

    必ず解決方法は向こうからやってくる。