唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

明日照らす。 つづき

2009-09-30 15:17:22 | インポート
しかし、それは中々治らなかった。難病だから当たり前だが、治らない事が、またストレスになり精神的に落ち込み、一人で苦しんでいた。 そして、苦しみぬいた挙句に、少し考え方に変化があった。 心の問題を自覚し、 自分の人生について、病気について、自分のどこが悪いのか、どこに原因があるのかを考えた。 

今の状態は今までの過程に原因がありその結果なのだ。 
怒りや憎しみ嫉妬などのマイナスの感情は、自分の状況を悪くする。
身体は万能では無いから酷使し過ぎれば壊れる事。
我を張らず、感謝して生きる事。
少しずつ理解ができた。

 心の在り方を意識し、些細な事にも意味を感じ、日常生活から見直し始めた。様々なものから影響を受け、今までの強引で自分中心の考え方をやめ、感謝の気持ちで生きなければいけない。 そんな思いを強くしていった。 

 心が変われば、身体も変わる、薄皮をはぐように少しずつ心と身体は正常に戻り、遂に難病は治った。 
 
 安定した生活を捨てたその後の10年は病気に苦しみ、辛い時期を過ごした。 しかし、その十年があったおかげで、今はこれからの人生を案心して迎えられる。

 そして、その変化に必要だったこの長い時間は神保叔父母によって与えていただいた。 
経済的支援をいただき、常に励まされ、心身両面を気遣ってもらった。
 そして何より感謝の気持ちへと導いていただいた。 
 
 ただ、その叔父が天に召される前に間に合わなかった事だけが悔やまれてならない。
 亡くなられても尚、我が身を案じてくれる叔父、ありがたくて、申し訳なくて、ただ毎朝合掌するのみ。

 


下書き

2009-09-29 12:04:16 | インポート
健康で何の不安もなければ、立ち止まらないし、考えない。
人は立ち行かないから考える、障害が大きければ大きいほど考える。 どうして進めないのか?どこに原因があるのか?と考える。
 病気が人生の障害となって大いなる考える時間をくれた。

33歳の時、自分の病気と向き合おうと決めて会社を辞めた。  自分の人生について、潰瘍性大腸炎という病気について、自分のどこが悪いのか、どこに原因があるのか、一生懸命考えることができて本当に良かった。

 当時は自分の魂が泣いているように感じていた。 潜在意識が自分の行動を否定している様だった。
 こんな事をするために今まで一生懸命生きてきたわけじゃない。必死になって努力して来たのはこんな事をするためじゃない。 もう、会社を辞めよう。  そういう状態がずっと続いていたから、身体が悪くなってもおかしくなかった。  もういいや、スパッと切ろう。 そんな思いで会社を辞めた。
 
 しかし、1ヶ月、2ヶ月、1年たっても治らなかった。 潰瘍性大腸炎が難病といわれる所以ゆえ、それは治らない。 
 しかし、自分の中の問題の根はもっと深かった。 親を憎み、父を憎み母を憎んでいた。幼少時からの色々な物が自分の中に溜まっていて、その膿が、一気に出てきたような感じだった。
 それは、未だに完全に昇華できているとはわからないが、あそこで会社をやめて病気と向き合おうと決めてから色々な事が判りだした。
 自分の悪いところ、駄目なところ、びょうきをつくってしまった原因はなんだったのか。

 そして色々なもに接して、何が悪かったのか、どうすれば良かったのか、少しずつ少しずつ判ってきた。 

どういう考え方をすればいいのか、どういう生き方がいいのか、





30歳で潰瘍性大腸炎を発症し、33歳で会社を辞めた。
復調するまで長い時間がかかり、30代の人生は棒に振ったが、

会社を辞めたから今安心して人生を送れているのだと思う。 給料や安定した生活を捨てる事には不安があったが、10年間不安の中で苦しんだおかげで、今は今後の人生を安心して向かえられるようになった。
 もし、あの状態で30代を過ごしていたら、今、今後の20年、30年が不安で仕方がなかっただろう。

 


越後湯沢秋桜ハーフマラソン

2009-09-28 14:01:51 | インポート
 
 27日、越後湯沢秋桜ハーフマラソンで、温泉街は盛り上がっていた。

多くの参加者が道いっぱいに広がって一生懸命走っていた。 自分もマラソンの通過時間に合わせていつものお参り、散歩に出かけて見学、応援してきた。
 生でレースを見るのは本当に久しぶりだった。12キロ、18キロ地点位での見学だったが、まだ結構スタミナが残っていて良い感じでのレースだった。 特に長距離は見かけでは判らないので、意外な選手が前のほうを走っていた。 ジャージのままの選手、どう見ても中学生(5.6位を走っていた。) 中年のオヤジ、などなど。  後からどんどん選手が続くので先頭のほうは本当に速いのだ。

 商店街では太鼓や旗で応援していて活気があった。 選手も一生懸命で、特に先頭の方のアスリートからはパワーをもらった。

 
  
 


お彼岸

2009-09-25 10:00:44 | インポート
 
 病気療養中、ずっとお世話になりっぱなしだったのに、私が回復する前に亡くなってしまった叔父のお墓参りにも行って来た。 お彼岸の3.4日前から急に気になりだし、当日の朝はその事を思って目が覚めた。

もう亡くなって2年になるが、変わらず多くの方が焼香に訪れていたようだった。

叔母さんが、ぉ茶の用意をしてくれている時に台所から声がもれ聞こえてきた。 「直樹ちゃんは、甘いものは食べないかな?」 
でも、おはぎも出して頂いた。

程なく、おはぎを頂いたが、その後きゅうりの漬物を小鉢で出してくれた。
口直しにと、気遣いをしていただいたのだ。 相変わらず行き届いていて恐縮した。 

 叔母さんにも大変お世話になったが、神保家の方は相手の気持ちを考えて気を使ってくれる。 相手が気を使わないように、 相手が気持ちよくしてもらえるように、 それが自然になされる。 された方は、恩を感じ自然に感謝する。  家庭が繁栄しない訳がない。 同じ様に人に接すれば自ずと繁栄する。 でも、これが出来ない、だから皆神保家の人々のようにはなれない。

 お墓参りは、自分の為に行っているようなところがある。 叔父のお墓参りをすると自分が何より落ち着く。 そして神保家で良い、気、を頂いて帰ってきた。